Episode28「帰巣」
レヒトの素早さは流石という他なかった。月の魔力で強化された僕でも背中を見失わないようにするのが精一杯で、大きく距離が空くとレヒトは少し速度を落として合わせてくれる。
「はぁはぁ…レヒトさん」
「何だ?」
「何でさっき大人しくキスされたの?」
「お前の女にまた胸を貫かれるからだよ」
実際に貫かれた瞬間を見ていた為笑えなかった。
そんなこんなでペース配分など考えず遠くに見える外壁を目指して全力で走り続けていると、大した時間もかからずに南D地区のゲートが見える場所まで到達した。しかしこれだけの距離を休みなく走るとヴァンパイアと言えど心臓が破裂しそうになっていた。
「はぁはぁはぁはぁ…! はぁっ…! はぁっ!」
「はぁはぁ…このぐらいでヘバって情け…はぁはぁ…ねぇ…」
二人揃って草むらに身を隠しながら何とか呼吸を落ち着かせる。時折吹く涼しげな風が火照った汗まみれの体を冷やしてくれて心地良かった。
「しかし着いたは…はぁはぁ…いいが…肝心の…はぁ…侵入方法が……なかった…はぁはぁ…」
「はぁはぁ…言われてみれば…そう…はぁはぁ…だね…はぁっ…」
「はぁはぁ…どうやらすっかり元通りの…監視体制みたいだな…」
言われて先にある南D地区のゲートを見ると確かに数人の兵士が厳戒態勢で見張っていた。
「ここで突破なんてしたら…はぁはぁ…教団本部まで辿り着くのは…難しいかもしれない…ふぅ」
ようやく呼吸が落ち着き考えを巡らせるとふと抜け道の存在を思い出した。
「もしかしたらバレずに西D地区に潜り込めるかもしれない」
「良い手でもあるのか?」
「確実ではないけど…」
それは一番最初にソドムからソフィアと逃げ出す際に使おうと考えていた外への抜け道だ。真偽は定かではないし、外の何処に繋がっているのかは分からない為、まずは抜け道の出口を探すところからになる。しかし本当に抜け道が存在するのならD地区へ難無く潜り込めるだろう。
「無理に突破するより後々楽になりそうだな」
「問題はその出口だけど…恐らく西D地区のゲートからは見えない、でも外壁の近くにあると思う」
「それなら北へ西回りで向かう途中にある、か」
セインガルドの外周を半周近く走るとなると相当な距離だが、ツォアリスから此処まで要した時間を考えると無理に突破するよりまず試してみる価値はありそうだ。
僕達は抜け道の出口を見逃さないよう外壁に沿って注意深く走り出す。しばらく進むと西D地区のゲート前だろうか、大分先の外壁沿いには明かりが灯っていた。
この辺りまで来るともう出口はないか…そう考え速度を落とした時だった。凝視しないと気付かない些細な違和感だが、外壁の下に草の色が少しだけ異なる部分を見つけ足を止めた。
「見つけたか?」
「…あそこ、草の色が少し違うような」
駆け寄ってよく見てみるとカモフラージュなのか人工の草が一枚の板の上に置かれており、それらをどかすとそこには人が一人通れるぐらいの細い穴が外壁の下を通るように伸びていた。
「…狭いな」
「…狭いね」
これが例の秘密の抜け道で間違いないだろう。僕が先に穴に潜るとレヒトも続いて穴に潜り、足で器用に出口の蓋を閉じる。
抜け道は多少の補強がされているものの、いつ崩れてもおかしくはないような作りだった。おまけに人一人がやっと通れるぐらいの大きさの為、僕達は匍匐前進の要領で少しずつ前へ進む。一面暗闇だが幸いにもヴァンパイアの力なのか夜目が効いてるおかげで左程苦労はない。しかしレヒトはその点は普通の人間と同じようで暗闇の中を手探りで進んでいた。
「熱いし息苦しいし最悪の抜け道だな…」
「多分…もう少しで外に繋がってるはずだよ」
しばらく進んでいると前方に差し込む微かな光が目に入り、出口が近いのか徐々に穴が広がっていくと進行速度も早くなっていく。 穴から出るとそこは上が吹き抜けた狭い古井戸の底だった。
「良かった…本当に繋がってた」
「おい…さっさと行け…俺が出れないだろ…」
僕より大柄なレヒトは窮屈そうに足元からこちらを見上げていた。慌てて井戸の左右に両手両足を突っ張り登っていくと古井戸から脱出する。見れば体中泥だらけで、後から出てきたレヒトもまた全身泥まみれになっていた。
「コートがなくて正解だったぜ…」
そういえば血の盟友本部にいた時からレヒトのコートを見ていない。いや、コートだけでなく背中に背負っていた無骨な大剣もいつの間にか見なくなった。
レヒトの黒いタートルネックのノースリーブシャツ、使い古された黒いレザーグローブはすっかり泥まみれだったが、ふと自分を見やると長い間着ていたお気に入りのチュニックはボロボロで、革靴も磨り減って今にも穴が空きそうだった。
「で、この後はどうするんだ?」
「あ、うん…それなんだけど…僕はD地区でやる事がある」
「俺はどうするんだよ」
「えっと…C地区へ行く方法は…」
思えば僕は列車に忍び込んで移動したけどこの時間だと列車はもう動いていない。
「…結局強行突破か?」
「ま、待って。多分だけど…C地区からは教団本部まで続く抜け道があると思う」
「…またこんなトンネルを、しかも今度は壁一枚越えるどころか教団本部まで潜らなきゃいけないのか」
流石にそんな思いをするぐらいなら強行突破してやる、レヒトの目はそう言っている。
「大丈夫、その抜け道はそんな事はない…はず」
「…いまいち頼りにならんなお前」
「…以前北C地区にある教会で教団のヴァンパイアに襲われたんだけど…多分彼等が使ったと思われる地下道はちゃんと整備されていると思う」
レノをヴァンパイアにした連中…恐らくあいつらが現れた鐘塔は教団本部に繋がっている。それを裏付けるようにこのセインガルドでヴァンパイアを見たのはクロフトのような反抗組織を除いてあの教会と教団本部だけだ。教会は新たなヴァンパイア確保という目的があった為、自由に行き来出来ないと不便と考えたのかもしれない。
「で…その教会は何処にあるんだ」
「北C地区に少し小高い丘があるんだけど…その中にあった。あの一帯は森みたいになっているからすぐに見つかると思う」
「はぁ…それじゃ北C地区にはどうにか自力で行くとするか」
「ご、ごめん…」
「まぁ良い。それじゃここからは別行動だな」
「あ、あの一つ…頼みたい事が…」
案の定レヒトは途端に面倒臭そうな表情を向けてくるが縋る思いで頼んでみる。
「教会に…孤児院があるんだ。そこの子供達が無事か…確かめて欲しい」
「…確かめるだけだぞ」
思ったよりもあっさり引き受けてくれた事につい驚いてしまった。
「…で、合流場所はどうするんだよ」
驚く僕に気付いたレヒトは照れ隠しか頭を掻きながらぶっきらぼうにそう言い放つが、先程も見た分かりやすい態度に笑ってしまった。
「ちっ…。南D地区ゲート前、最初に到着した場所で合流するぞ。タイムリミットはお前の能力を考慮して日の出までだ」
「うん…それまでに必ず戻るよ」
「…ニヤニヤしてんじゃねぇ」
レヒトはその場で飛び上がると屋根に飛び移り、振り返らずゲートの方角目指して走り出した。
すぐにレヒトの姿は見えなくなり、空を仰ぎ目を閉じると深呼吸をする。久しぶりに嗅ぐソドム独特の空気は懐かしく感じられた。あの時は自分がこんな事になるなんて夢にも思わなかった。と、感慨に耽ってしまうがレヒトとの約束の時間は日の出まで…そう考えると時間に余裕は無い。
この先どんな結末が待っていようと僕はそれを受け入れなくてはいけない。覚悟を決め気を引き締めるとアンディと過ごした僕達の住処目指して走り出した。
住処はあの日から何も変わっていなかった。周囲に誰の気配もない事を確かめると静かに扉を潜る。もしかしたらアンディがいるのではないか…そんな期待をしていたが誰かが住処に侵入した形跡はなく、最後に買い込んだ食材はすっかり腐り果てていた。
久しぶりの我が家だけどアンディがいない以上長居は無用だ。次はどうしようか考えていると泥だらけの服が目に入り、僕はまず着替える事にした。比較的まだ新しいカーゴパンツに履き替え、新しいシャツを探しているとタートルネックの黒いロングティーシャツを見つける。
「ま、真似する訳じゃない…汗をかくから…」
誰に言うでもなくシャツの袖をハサミで切り落とし首を通すとレヒトに似た格好になったが、不思議と自分が強くなったような錯覚を覚えた。
「僕が…最初から強ければ…」
この部屋にいない、もう一人の住人を思うと思わず涙が溢れそうになるが、目を閉じ一度深呼吸をすると込み上げてきた気持ちを落ち着かせる。
ふと部屋を見渡すといつも僕の枕元にあった宝物が無くなっている事に気が付いた。そんな馬鹿なと部屋中を隈無く探してみるが何処にも見当たらない。この住処に何者かが侵入したとして、オルゴールだけ盗んでいくなんて事があるだろうか?
宝飾が施されているのならまだしも、僕のオルゴールはその辺にある質素な作りのものだ。
(まさか…)
僕の宝物だけが無くなっている…それは僕をよく知る人物の犯行としか思えない。まさかこれはアンディからのメッセージなのか?
そこにどんな意味が込められているのかは分からないけど、アンディが生きているかもしれないと思うと心から安堵しその場で力なく崩れ落ちてしまった。
「良かった…本当に…良かった…!」
拳を強く握り締めながら叫びたくなるのを堪える。
安心するにはまだ早い。住処に一度戻ってきている事から今も生存している可能性は高いが、恐らく今も尚蛇の首に捕らえられているだろう。しかしそれだと一度住処に戻ってきた理由が分からない。
「…確かめよう」
時刻は深夜、蛇の首の団員はその辺に転がっている。ヴァンパイアの力が覚醒している以上、蛇の首が何人襲ってこようと負ける気がしない。
逸る気持ちを抑えながら僕は無法地帯と化したソドムの街へと駆け出した。
辿り着いたのは深夜のソドムで最も危険な広場。昼間に開かれる露店は野菜や果物、衣類など極々普通の有り触れた物を取り扱っているが、深夜になると広場はガラリと顔を変え、死の商人が闊歩するソドム一の無法地帯となる。そこで販売されるのは違法薬物、人間の臓器、密輸された武器など大っぴらには出せない物ばかり。しかしこれらの元締めは蛇の首の為、兵士達は見て見ぬフリをしていた。
こんな時間に広場へ来たのは初めてで異様な空気に思わず尻込みしそうになるが、此処でそんな態度を見せれば一瞬で身包みを剥がされてしまう。襲われても大丈夫、負ける事はない、そう自分に何度も言い聞かせながら堂々と歩いていると何人かの商人に声を掛けられる。
「よう兄ちゃん、イイ薬があるぜ。こいつがあれば一瞬で天国行きだ」
「安いよ安いよー、採れたての内臓だよー。膵臓、肝臓、大腸に小腸バラ売りもしてるよー」
「新しい爆弾が入荷したぞぉ! 新しい火薬配合でその威力はゲートにも穴が開くって話だ!さぁさぁ早い者勝ちだよぉ!」
商人もそうだが客も含めてどいつもこいつも気が狂っている。そこら中から漂う死臭が余計に気分を悪くさせた。とてもじゃないがこんな所に長居していたら吐き出しそうだ。
群衆を掻き分け蛇の首の団員らしき人物はいないか見渡していると路地裏に入っていく男達を発見した。その後を追いかけて路地裏へ入り込むと曲がり角の先から悲痛な叫び声と共に嫌な音が聞こえてくる。気配を殺して角の先を覗くとそこにはおぞましい光景が広がっていた。
それは人間の解体現場。犯人は三人で何れも蛇の首の団員のようだ。解体されている男は違法薬物でも使っていたのか体中から血管が浮き出て醜悪な姿をしているが、それでも辛うじて人間と分かる男の四肢が斧で切断される様は見ていて非常に気持ち悪い。
だがこの程度で怯んでいる場合ではない。情報収集の為にも蛇の首に接触しない事には何も始まらないのだ。
一度深呼吸をすると意を決して今も続く解体現場へ歩みを進める。するとこちらの存在に気付いた蛇の首の団員の一人が目を細め、まるで僕を品定めするように
「なんだぁ坊や…買いに来たのか売りに来たのかどっちだぃ…?」
「買いに来たんだが生憎そんな汚い肉には興味ない」
レヒトの態度を真似てみる。彼ぐらい不遜な態度の方がこういう連中とは話が出来ると思ったからだ。それは精一杯の虚栄心だったけど蛇の首の団員は一先ず僕を解体する気は失せたようだった。
「へぇ…何が欲しいんだい?」
「あんた等…蛇の首だろ? 情報を買いたい」
「…いいねぇ…坊やの癖に一人前の血の臭いだよぉ…」
「そりゃどうも。僕が知りたいのはアンディという男の居所だ」
「アンディ…?」
ストレートな質問だったが、回りくどい真似をするよりこっちの方が確実だ。それにこいつが知らなくても他にも蛇の首の団員は腐る程いる。
男は首をギリギリまで回し、考えているのかふざけているのかよく分からない。しかし急に首を戻すと僕を見据え笑顔を向けてきた。
「アンディ…それなら知ってるよぉ…」
「本当か!?」
思わず声を荒げ食い入るように男を凝視する。
「アンディは何処にいる!?」
「んー…この情報…いくらで買ってくれるんだぃ?」
「そうだな…」
しまった、残念ながら手持ちの金はない。
どう返そうか悩んでいるといつの間にか僕の背後には男の仲間が回り込み、斧を振り上げると躊躇無く頭頂目掛けて振り下ろしてきた。それを振り返らずに片手で受け止め、刃先を思い切り握り潰すと斧は砕け散る。
「商談中だ、邪魔をするなら殺す」
その光景を前に男は裂けた口を一杯に広げて不気味な笑みを浮かべていた。
「いいねぇ…あんたの体を解剖してみたくなったよぉ…」
「そりゃどうも。今のが情報料…じゃ足りないかな?」
「けへへへ…! もうちょっと、かな」
すると後ろにいた男は懐から鉈を取り出すと首目掛けて横薙ぎに振るうが、その場でしゃがんで回避すると後ろ蹴りを放つ。吹き飛ばされた男は背中から壁にぶつかり、意識を失ったのか力無くその場でずるずると倒れ込んだ。
「まだ足りない?」
「んん…いいねぇ…じゃああと一人…」
それまで後方で静観していた男が腕に注射を打ち込むと一瞬にして全身の筋肉が風船のように膨張し、口の裂けた男を押し退けるとこちらへ向かって殴り掛かってくるがこれも軽く受け止めた。この程度のパンチならさっき屋根の上で受けたレヒトの軽いジャブの方が遥かに重くて速い。
男が残った腕でパンチを放つがそれもまた受け止めると拳を掴んだまま後ろへ無造作に投げ飛ばし、壁に激突すると先程失神した男の上に落ちた。
「これで満足かい?」
「良いものが見れたよぉ…さて、あんたはシオン…だねぇ?」
思わず名前を呼ばれ動揺してしまう。その動揺は男に一瞬で見抜かれた。
「へっへっへ…アンディから伝言さ…。孤児院跡で待ってる…だとさ」
「…何でそんな伝言をあんたが知ってるんだ?」
「蛇の首の団員なら誰もが知ってるさぁ…だってアンディは――」
続きを言い掛けたところで突然男が固まったまま動かなくなり、何事かと思い手を伸ばした瞬間、男の片目がポロリと落ちた。続けて残った片目も同じように落ちると今度は口から血を吐き出しながら舌が抜け落ちる。その様はまるで立ったまま何かに解体されているようだった。
やがて男の体中からは血が溢れ出し、糸の切れた人形のようにその場で崩れ落ちると開かれたままの口から何かが出てくる。それは今まで見た事のない禍々しい形をした黒い百足だった。百足は体をくねらせながら俊敏に路地奥へと消えていくが、後ろを見ると失神していた二人も体中から血を流し、いつの間にか息絶えていた。
「孤児院跡…」
とにかくアンディがそこで待っている。どんな答えが待ち受けていようと…僕はそれを受け入れなければいけない。
――それが僕の償いだ
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