Episode19「月の間」

「さぁ、ショータイムの始まりだ」


 こちらに向かって怪しく笑うそれはゼファーと同じ悪魔の笑み。悠々と歩き出すレヒトの後に続いて僕達は前へ進む。

 長い階段をしばらく登り地上一階の大広間に出ると、広間を覆い尽くさんばかりの大量の教団員が僕達を出迎えてくれた。


「ザック…これは…」


「儀式の直前だからな…厳戒態勢だ」


 余りの数に一瞬心が折れそうになるが今の僕達には心強い味方がいる。


「…レヒトさん、どう思う?」


「どうってお前そりゃ…」


 背中の大剣を抜き去るとレヒトは一目散に広間の中央へ駆け出した。


「食べ放題じゃねーか!」


 それに合わせて黒いローブを身に纏った教団員達が一斉に襲い掛かる。

 するとあっという間に視界は教団員で埋め尽くされレヒトの姿は見えなくなった。だがその直後、まるで霧が晴れたかのように、レヒトを中心にして鮮血と共に肉片が舞う。ステンドグラスから差し込む月明かりに照らされたその光景は残酷ながらも何処か幻想的に見えた。そんな血飛沫舞う中で微笑む彼は悪魔と形容する他ない。

 何が起きたのか理解出来ない教団員達は一瞬怯むが、お構い無しにレヒトは奥の教団員目掛けて突進する。そして他の教団員が僕達に気が付くとこちらにも一斉に襲い掛かってきた。


「許せ我が同胞よ」


 ザックは持っていた槍で飛び掛ってきた教団員を串刺しにするとそのまま薙ぎ払うようにグルリと旋回し、教団員を纏めて吹き飛ばす。迫力満点だがその分隙が多く、がら空きになったザックの背後に教団員が迫っていた。咄嗟に構えてフォローしようとすると、クロフトが僕よりも早く飛び出し強烈な前蹴りを放った。

 狙いを変えた教団員が今度はクロフトに襲い掛かるが、クロフトは確実に相手の急所に打撃を打ち込み、華麗なステップで攻撃を躱しながら襲い来る教団員を次々と倒していく。

 二人は予想以上に強かった。以前僕が戦った教団員と同程度の強さの連中を相手に、二人はまったく引けを取らないどころか頭一つ突き抜けている。

 しかし流石に数が多過ぎるせいか、徐々に二人が押され始めた。僕も隙を突いて敵の懐に潜り込むと手刀で胸を貫き少しずつ数を減らしているが、敵は無限にいるのかと思うぐらい次から次へと現れる。

 そうして何とか三人で持ち堪えていたが、とうとう余裕が無くなってきた。ザックは全身に切り傷が刻まれ、クロフトの顔は所々腫れ上がっている。僕も何とか隙を伺いながら攻撃を繰り返すが、致命傷は避けているもののかなりのダメージを負っていた。

 レヒトはどのぐらいの敵を片付けたのだろうか?

 確認しようにも敵から目を逸らせば一瞬で殺される。息つく間も無く、気の抜けない戦いが続く。


「ぐっ…!」


 その時クロフトの肩に深々と鉈が食い込むと、膝が折れ攻撃の手が止まってしまう。そこへ教団員が一気に攻め込むが、ザックはクロフトの前に立ちはだかると思い切り槍を振り回し何とか追撃を弾き返した。

 しかし襲い来る敵は一向に減らず、体力の限界が近いのか僕達は時間が経つにつれて被弾が増えていく。

 このままでは全滅してしまう…そう思った刹那、視界から敵が突然消失すると代わりにレヒトが現れた。


「よく耐えたな、褒めてやる」


 見上げると敵は頭上で串刺しにされており、レヒトは滴る血を浴びて笑みを浮かべていた。そのままレヒトは串刺しにした教団員を上空に投げ飛ばすと目にも止まらぬ速度の剣撃で周囲の敵を見る見るうちに屠っていく。そして上空に投げ飛ばされた教団員が落ちてきた時、そこに立っているのは僕達だけになっていた。

 大広間の床は足の踏み場がない程の死骸と血によってぬめっており、靴に纏わり付く血のぬめりが気持ち悪かったが、僕達はクロフトの案内に従い執務室を目指して走り出す。

 道中襲い来る教団員がまだ残っていたが、レヒトは蝿を払うかのようにそれを軽々と切り捨て、僕達の足が止まる事はなかった。

 そうしてしばらく走り続けていると、見るからに他の部屋とは異なる重々しい雰囲気の扉が視界に入ってくる。クロフトに視線を移すとその目はこの先が執務室だと語っていた。

 そこで徐々に走る速度を落とす僕達だったが、ただ一人だけ全力で扉へ突っ込んでいく男がいた。


「レ、レヒト…!?」


 制止の声を無視してレヒトは何があるかも分からない扉に体当たりするように、勢い良く剣を叩き付け扉を破壊してしまう。


「滅茶苦茶だ…」


 その光景を後ろから呆然と眺めるが、僕達も慌ててレヒトの後に続く。

 扉の先は先程の広間と似たような広さだが、質素な作りだった最初の広間よりも装飾が凝っている。そして不思議な事に此処はまだ最上階ではないはずだが、何故か天井を覆うステンドグラスからは月の光が差し込んでいた。

 そんな広間の先では一人の少女が白い光の球体に包まれ眠ったように横たわっている。


「エリス…!?」


 エリスに気付き僕は思わず駆け寄ろうとするが、レヒトはそれを制した。


「何で止めるんだ、誰もいない今がチャンスじゃないか!」


「誰もいない? おかしいと思わないか」


「おかしい…?」


 確かにこれだけ広い広間の先にエリスが一人というのは変だ。ただ彼女を包む光の正体は分からないが、いくら見渡してもそこには僕達とエリス以外の姿はなく、何か罠があるようには見えない。

 しかし困惑していると突然異変が起きた。広間の中央に黒い影が現れると、それは液体のような飛沫を上げながら四つの黒い人影になっていく。そして影が薄れ現れた四人、そのうちの二人を僕は知っていた。


「ゼファー…バイエル…!」


「よう、待ってたぜレヒト。それとシオン、だったか」


「総出で出迎えとは気が利くな」


 ゼファーは心から嬉しそうに邪悪な笑みをレヒトに向け、その背後にはバイエルと見知らない女性二人が佇んでいる。


「ん、何でセリアお前がこんなところにいる?」


 セリアと呼ばれた女性はレヒトから視線を逸らすと、気まずそうに呟く。


「それはこっちの台詞よ、何であなたがここにいるの…」


「俺は教団の依頼が無くなったんでね、新しい依頼を受けて来ただけだ」


 するとレヒトのその言葉にもう一人の女性が返した。


「それは悪かったわね、私が依頼担当の教団参謀マリエルよ。貴方は確かレヒト…だったかしら?」


 眼鏡を掛けた知的そうな女性、彼女がクロフトの言っていたゼファーと行動を共にしている参謀のマリエルのようだ。ただ綺麗な外見をしていても底知れない何かが感じられる。


「殺し屋レヒトさんに新しい依頼があるのだけど…受けてくれないかしら?」


 マリエルはそう言いながら畏れる様子もなくこちらに向かって歩み寄ってくる。


「内容次第だ」


「簡単な事よ、そこの坊やを連れて今すぐこの場から立ち去って」


「やれやれ、殺し屋に子守の依頼とはね。このガキもそうだが、あんたも俺の仕事が分かってないのか?」


「報酬は全て終わった後にエリスを返す、これでどうかしら」


「はっ…随分と舐めてくれるな」


 その言葉にレヒトは怒りを露にすると今にも飛び掛りそうな勢いだったが、それをぐっと堪えた。


「お断りだ、話にならん」


「残念、交渉決裂ね。それじゃ殺し屋さんはどうするの?」


「決まってるだろ」


 ニヤリと笑いながらレヒトは背中の大剣を抜くと、それをゼファー達に向かって突き付けた。


「お前達を殺して全部奪い返す」


 その発言にバイエルが始めは静かに、そしてとうとう堪えきれず広間に響き渡る大きな声で笑い出した。


「あはははははっ! こちらで待っていて正解でしたよ! ゼファー、君の言っていた事は本当でしたか!」


「あぁ、こいつは俺達を掻き立てる何かがある」


「面白い…面白いですよまったく。シオン君でしたか…君が来てくれるなんて期待通りですよ。しかもそんな化け物を連れて…ふふふっ!」


 バイエルの端正な顔立ちが歪み始めると、先程とは比べ物にならない程の狂気を撒き散らしていた。


「おいクロフト、執務室は何処だ」


「あ、あぁ…執務室はあの少女の後ろの扉だ…」


「てことはまずはあいつらを何とかしなきゃいけない訳だな」


 バイエルから発せられる狂気を前にレヒトは正面から平然と敵を見据える。


「気を付けてレヒトさん…あのバイエルは多分…ゼファーと同じぐらい強い…」


「誰に言ってんだ、お前は自分の心配でもしてろ」


 そう言うと今度はレヒトから恐ろしい程の殺意が溢れ出す。

 それは殺意が物質化しているのかと錯覚してしまいそうな程で、肌に何かが突き刺さっているようだった。この感覚はゼファーと戦っていたあの時と同じだ。


「厄介な敵は目の前にいる連中と此処にいない教祖だけか」


「う、うん…」


「よし、あの四人は俺が相手する。その間にお前は月の間に行って儀式とやらを止めてこい」


 正気かと疑うが、確かにレヒトに足止めして貰わないと僕は月の間にすら辿り着けないだろう。


「すまない二人共…後は頼んだぞ…」


「あんた等はせいぜいフカフカのベッドでも作って待ってろ」


 クロフトは力強く頷くとザックと共に来た道を引き返すが、ゼファー達はそれを黙って見送り、動き出す様子は無い。どうやら彼等の興味はレヒトにのみ注がれているようだ。


「…この目で見るまでは信じられなかったけど本当のようね」


「だから言ったろマリエル、こいつは俺達とも違う」


「おいゼファー、今回は最初から全力で遊んでやるよ」


「はははっ! こんなに早くあんたと再戦出来るとはね、最高の夜だ」


「同感だ。俺はお前を殺したくて仕方ない」


 軽口を叩いているが空気は重苦しく張り詰めている。こんな空気の中でも平然としていられるレヒトは改めて僕とは次元の違う存在だと実感させられた。


「あなた本気? ゼファーを殺せなかった男が私達全員を同時に相手して勝てるとでも?」


「勝ち負けなんてどうでもいいんだよ、俺はお前等を皆殺しにする。おいセリア、昼間は見逃してくれたし今なら特別に許してやるぞ」


「…黙って」


 レヒトのその言葉にキレたのかセリアが持っていた銃を発砲する。

 何か光る物が襲い掛かったのは見えたがレヒトはそれを難無く回避した。


「…やる気満々だな。ていうかバイエルだったか、お前のその燕尾服すげー浮いてるぞ。もう少し何とかならなかったのか」


「…私のお洒落コーディネイトを侮辱するのかい?」


「お洒落? 今時燕尾服にハットなんて流行らないぞ、何百年前の貴族だよクソだせぇ」


 そんなレヒトの挑発にバイエルは今にも襲い掛かりそうな勢いだ。


「ああぁぁぁ…ぎぎっ…! なぁゼファー…こいつミンチにして食っちまおうぜぇ…!」


「好きなだけ食べろよ、俺は遠慮しとく」


「ぎひぃぃぃ…! たまんねぇ…たまんねぇよぉぉぉ…!!」


 バイエルの端正な顔立ちはすっかり見る影もなく歪んでいた。瞳孔は開き、だらしなく緩んだ口元から涎を垂れ流すその姿は醜悪そのものだ。どうやらこれがバイエルの本性らしい。


「時間もないことだしさっさと来いよ」


 レヒトが剣を肩に乗せ手招きして挑発すると、ついに痺れを切らしたバイエルが一人飛び出した。そしてレヒトもそれを迎え撃とうと地面を抉る勢いで飛び出す。その風圧で僕は一瞬目を閉じてしまうが、その直後空間すら振動させる激しい衝撃が伝わってきた。そして次の瞬間、目を開くとバイエルはゼファーの持っていた剣とは形状が違うものの、歪な形をした黒い剣でレヒトの攻撃を真っ向から受け止めていた。

 そこへ黒い翼を生やしたゼファーが宙に舞うと両手の銃から線のような連射を放つ。レヒトは離れ際にバイエルを吹き飛ばすとその反動で後方へ飛び銃撃を回避するが、避けた先にはマリエルが片手を前に突き出し待ち構えていた。マリエルは何かを呟いたかと思うと突然正面の空間が歪み、その手前でレヒトは剣を地面に突き刺し急ブレーキをかけ止まる。するとその直後、歪んだ空間の真下の床が何かに抉られたように陥没してしまう。もしあの空間に入っていたら今頃レヒトはミンチになっていたかもしれない。

 歪んだ空間が消えるとレヒトは地面に刺した剣を勢い良く引き抜き、その勢いのままマリエルに斬り掛かる。だが横から放たれたセリアの銃弾が剣に直撃し、斬撃の軌道がずれるとマリエルは難無くそれを回避した。

 そこへいつの間にか黒い翼を生やしたバイエルが黒い弾丸のように突っ込んでくる。その後ろからはゼファーの銃弾がレヒト目掛けて追尾していた。銃弾を避ければバイエルに、バイエルを受け止めれば銃弾が当たる。確実にどちらかが被弾する状況でレヒトが取った行動は…


「オラァッ!」


 何と正面から思い切りバイエルにぶつかると、そのまま押し返し銃弾までも避けてしまった。


「凄いねぇ…楽しいねぇ…! あんた一体何者だよぉっ!」


「殺し屋だって言ってんだろうが!」


 レヒトの纏う殺意が一層強くなったかと思うと周囲の空間が一瞬歪み、バイエルはそのまま押し切られ壁にめり込む。そしてすくまさまレヒトは体を翻すと、背後に浮かんでいたゼファー目掛けて突進した。


「来いよレヒト!」


「死ねゼファー!」


 宙を自在に動けるゼファーは横に移動し、レヒトの突進の軌道から大きく外れ狙いを澄ませる。しかし信じられない事に、翼を持たないレヒトは何もない空中を蹴り上げたかと思うと、突然ゼファーへ向かって方向転換した。


「はぁ!?」


 これには流石のゼファーも面食らったようで、何の反応も出来ずにレヒトの一撃を思い切り喰らい地面に叩き付けられる。

 そしてレヒトが着地するとすかさずセリアの連射が襲い掛かるが、レヒトはそれを僕の目では追えない速さの剣捌きで軽々と弾く。


「っ…化け物…!」


「セリア、そのまま奴の動きを止めなさい!」


 レヒトの力が予想を遥かに上回っていたせいか、マリエルの声には余裕が感じられなくなっていた。

 言われた通りセリアは絶えずレヒトを狙撃するがその攻撃は届く前に全て弾かれてしまう。


(よし、今なら…!)


 我を忘れその光景に魅入っていたが執務室に入るなら今しかない。レヒトにやられたゼファーとバイエルは未だ動けず、セリアとマリエルの意識は完全にレヒトに向いている。間違いなく今が千載一遇のチャンスだろう。勇気を振り絞って飛び出すと僕は一気に執務室の扉へ向かう。

 部屋の中央ではレヒトがじわりじわりと二人との距離を詰めていた。改めてレヒトが仲間になってくれて本当に良かった。このチャンスは必ず活かしソフィアを絶対に救い出してみせる。

 扉の前に着きエリスに視線を向けると光の中で彼女は翼で自身を包み込むように体を丸めて眠っていた。レヒトの勝利とエリスの無事を祈りながら扉を開くとそこは悪趣味とも言えるような装飾の施された小さな一室だった。教祖の執務室だけあって豪華絢爛な趣向が凝らされており、巨大な組織の頂点に君臨していることが伺える。

 逸る気持ちを抑えながら冷静に月の間への扉を探していると妙な魔方陣を見つけた。他に怪しいものは見当たらず、扉らしい扉は何もない。だとすればこの魔方陣は月の間への転送装置のなのだろうか。ただそんなものが実在するとは俄かに信じ難い。

 半信半疑で試しに魔方陣の上に乗ってみるが特に何も起こらない…そう思った瞬間だった。突然周囲の風景がぼんやりと霞み出すと強烈な浮遊感に襲われ、霞んでいた風景がゆっくりと陽炎のように切り替わる。

 やがて風景がはっきり映し出されると僕は見たことのない場所に立っていた。そこは風通しが良く、硝子で出来た巨大な天蓋を数本の柱が支えているだけで他に建造物は見当たらない。外周から周囲を見渡すと一面に空が広がり、眼下にはセインガルドと思われる街並みが確認出来る。まるで自分が空の上にいるような錯覚を覚えた。

 間違いない、此処が月の間だ。

 視線を天蓋に戻すとその下、月の間の中央に置かれた巨大な十字架には誰かが磔られおり、まさかと思いつつ目を凝らすとそこにはソフィアが裸のまま両手両足に釘を打ち込まれ意識を失っていた。足元には十字架を中心に魔方陣が広がっており、その中で一人の男がソフィアを恍惚とした表情で見つめている。


「ソフィア!!」


 意識を失いぐったりと項垂れているソフィアに向けて叫ぶとそれに気付いた男がゆっくりとこちらへ振り返った。


「何故ネズミが月の間に…悪魔達め、何を考えているのか…」


 僕はその場で足に力を込め一飛びすると魔法陣の前に立つ。


「あんたが…ゴードンだな」


「如何にも、私が母なる血マザーブラッドの教祖ゴードンである」


 執務室の内装と同じく悪趣味な豪華絢爛な装飾品を身に纏っているが、白髪に髭を生やしたその姿は一見すればただの老人に見えた。しかし皺だらけの瞼から覗く鋭い双眸は紛れもなくヴァンパイアである証拠の紅い色をしており、漂う気配もその辺のヴァンパイアとは一線を画している。


「此処に辿り着けたという事は…お前がソフィアに吸血された小僧か」


「ソフィアを…今すぐ解放しろ」


 ありったけの殺意をぶつけるがゴードンはくだらないと言わんばかりに僕から視線を外しソフィアの頬に手を伸ばした。


「あぁ何と美しい…彼女は出会った頃から何一つ変わっていない」


「…死にたくなかったらその汚い手を今すぐどけろ」


「今宵私達は一つになる、そして私はこの世界を統べる神となるのだ。小僧、邪魔はさせんぞ」


 流石教団の頂点に立つヴァンパイアだけあって凄まじい重圧感が襲い掛かってくる。しかしこの程度ゼファーやバイエルに比べれば大したことはない…そう自分に言い聞かせ己を鼓舞するとゴードンに向かって構えた。


「…光栄に思え、この私が直に粛清してやる」


 羽織っていた悪趣味なマントを投げ捨てた瞬間、老人のように痩せこけていたゴードンの体は一瞬で肥大化し、着ていた上着が破れる。


「我はゴードン、母なるソフィアより力を授かりし唯一無二の存在。この世にソフィアの寵愛を受けた者は二人も要らぬ」


 殺意を察知し思わず後ろに飛び退くとその直後、僕のいた場所にはゴードンの拳が深々と突き刺さっていた。


「カンは良いようだな」


 嫌な予感がして咄嗟に飛び退いたが、ほんの一瞬でも躊躇していれば確実に喰らっていた。あんな攻撃をまともに受ければ一溜まりもないだろう。

 ゴードンは突き刺さった拳を緩慢とした動作で引き抜くと改めて僕と対峙する。隙だらけのように見えるが、それは僕の攻撃をいくら受けようと痛くも痒くもないという自信からか。


「だったら…」


 思い切り地を蹴り一直線に突進する。ゴードンはそんな僕を迎えるかのようにその場から微動だにせず、一撃で決めるつもりでがら空きの鳩尾に全力で拳を叩き込む。だがゴードンの腹筋は鉄のように硬く、ドンと鈍い音を残しビクともしなかった。


「今度はこちらの番だ」


 ゴードンの足元から気配を感じガードをしながら飛び退こうとするが両腕に激しい衝撃が伝わったかと思うと僕の体は後方へ吹き飛んでいた。それが蹴りであることは理解出来たもののその威力は尋常ではない。改めてゴードンの強さを思い知らされるがこの男を倒さない限りソフィアは救い出せない。

 一辺倒に突っ込むだけじゃ駄目だ。何とかしてゴードンの動きに隙を作らなければならない。

 そうこう考えていると今度はゴードンがこちらに向かって突進してきた。それを避けずにギリギリまで引きつけると射程圏内に入った瞬間、斜め前へすり抜けるように一歩踏み込んだ。肥大化したゴードンの隙を突くなら僕のこの小さい体を上手く使わなければならない。ほんの刹那の交差でがら空きだった脇腹に数発の拳を打ち込むとそのまま背後へ回り込む。


「小癪な小僧だ」


 確かに手応えはあったはずだが、ダメージは微々たるようだ。それでも今の僕に出来ることは全ての攻撃を回避しながらひたすら攻撃を続けること。気の遠くなる作業だがそれ以外にソフィアを救う手段はない。

 月の間に収束されている月の光によってかつてないほどヴァンパイアの血が活性化され神経が研ぎ澄まされている。単純な力は足元に及ばないが、こうしてゴードンの動きに辛うじて対処出来ているのはそのお陰だろう。当然ゴードンも同じく強化されているがスピードだけなら劣ってはいない。だとすれば決して集中力を切らさなければ微かな希望が見える。

 再び迫り来るゴードンの攻撃を何とか避けながら命懸けのカウンターを確実に決めていく。自分の攻撃は効いていないんじゃないかという不安が付き纏うが決して諦めずに気持ちだけは強く持ち続ける。

 それに対してゴードンは自分の力に絶対の自信があるのか、僕の攻撃を避ける素振りも見せず常に一撃必殺の攻撃を繰り出していた。避ける度に精神が削られているような感覚に陥りながらも至近距離で互いの攻撃をぶつけ合う。

 ゴードンの拳が頬を掠ると風圧で肉が削ぎ落とされるが決して怯まず冷静に急所へ拳を叩き込みすぐさま次の攻撃に備える。そんなことを繰り返しているうちにゴードンには微かな変化が見られた。


「ちょこまかと…小賢しい!」


 苛立ってきたのかゴードンの攻撃がどんどんと大振りになってくると回避が楽になり攻撃に意識を集中させた。

 先程よりもカウンターを強く打ち込んでいると痺れを切らしたゴードンが思い切りラリアットのように腕を振り抜く。それを最小の動きで回避すると地面を思い切り踏み締め全力のアッパーをがら空きになった顎に叩き込む。その手応えは今までにない程はっきりと拳に伝わり、ゴードンの体が初めて仰け反った。

 チャンスと踏みすぐさま追撃をしようとするが仰け反った態勢のままゴードンの片足が微かに浮く。一瞬捉えたその動きから咄嗟に攻撃態勢だった体を無理矢理翻し防御の態勢を取るが、直後に放たれたゴードンの蹴りを右肩に喰らい体ごと後方へ吹き飛ばされた。

 爆発のような激しい衝撃に一瞬意識が飛びそうになるが歯を食いしばり受身を取るとすぐさまダメージを確かめるが右腕の感覚がなくなっている。それもそのはず、見れば今の一撃で僕の右肩から先は粉砕して失われていた。

 ヴァンパイアの力が強化されているお陰で大した出血はないものの、腕が再生するまで相当な時間が掛かりそうだ。この場面で片腕が失われたのは致命的だった。

 不敵な笑みを浮かべながら再び突進してくるゴードンの攻撃を回避しようとするが、片腕が失われたことによりバランスが崩れ、思うように動けず顔面に思い切り拳を叩き込まれてまう。辛うじて頭は吹き飛ばなかったが一瞬意識が飛ぶと気が付いた時には頭を鷲掴みにされていた。


「這い蹲れ」


 そう言うとゴードンは僕の頭を地面に叩き付けてくる。思い切り顔面がめり込み、鼻や頬骨が砕けた嫌な感触が伝わった。


「がっ…!」


 鼻が潰れ、大量に溢れ出す血のせいで上手く呼吸が出来ない。更に頭を地面に押し付けられ頭蓋骨がみしみしと軋みを上げるが、必死に顔を横へ背け何とか口から酸素を取り込む。


「よくこの私を相手にここまで戦った、流石はソフィアより力を授かった者だ」


「ま…まだ…終わってな…い…!」


「貴様を動かすものは何だ、ソフィアへの愛か? しかし貴様の愛も祈りも届かぬ。彼女と一つになるのは誰よりも彼女を理解している者、彼女の力を従える者、つまりこの私だけだ」


 その瞬間、とうとう頭蓋骨が割れた。脳も潰れたのか激痛と共に視界が真っ暗にり、突然光が弾けたようなイメージが脳裏に浮かび上がる。


「ぐあぁぁぁ!!」


「良い声だ、まるで私達を祝福する聖歌隊だな。さぁ、もっと聞かせてくれ」


 トドメと言わんばかりにゴードンが思い切り頭を押し潰してきた。頭が有り得ない形に歪み、眼球が飛び出す。割れた頭からは大量の血と潰れた脳が溢れ出していた。

 体中の感覚が消え思考が停止していく中でも自分は死ぬのだとそれだけは理解出来た。


「もう終わりか? もう少し聞いていたかったが残念だ。私を梃子摺らせた褒美にそこで儀式を見届ける権利をくれてやろう」


 もう指一つ動かない。心臓だけはまだ微かに鼓動しているが、それももう間も無く活動を停止するだろう。そんな事をぼんやりと思いながらソフィアの元へ歩み寄るゴードンの背をただ見詰める。


 …結局僕にソフィアは救い出せないのか?


 神の定めた運命を前に抗う事は叶わないのだろうか。

 そこで意識が途切れると、とうとう僕は何も成せないまま死んだ。

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