Episode18「脱獄」
僕達は反乱者として捕らえられたということで、驚くほどあっさり教団の地下牢に閉じ込められた。ゼファーもそうだったけど、彼らは基本的に嘘はつかないように思える。ただ問題はこれからどうするか、だ。
隣の牢にクロフトは収容されたが、看守の目があるため迂闊にソフィアの奪還について話し合うことは出来ない。
「まさか私がこの牢に入る羽目になるとはね」
「…知っているんですか?」
「あぁ、私も昔ここで反乱者の監視をしたことがあってね。その頃はまさか自分も反旗を翻すなんて夢にも思わなかったよ」
「昔って…どのぐらいですか」
「そうだな…あれはまだセインガルドがC地区を作る為に他国へ侵攻していた頃…もう三十年以上も前のことだ」
そう話すクロフトの外見は二十代後半程度。ヴァンパイアは基本的に歳を取らない…クロフトもまた紛れも無くヴァンパイアだった。
「あの頃は何も疑うことなく教祖の話に陶酔していたよ。自分に与えられたこの力は神に選ばれし証拠…しかし不完全なのは母が不在だからだ、とね」
「母…ソフィアですか」
「あぁ、よく片翼の天使に例えていたね。教祖が月を司る父なら、日…太陽を司る母がなくてはならない。二人が一つになって初めて世界となる」
正直聞いていて胸糞の悪い話だ。第一月を司っているのはソフィアであって、ゴードンはソフィアによって生まれた不完全な存在。そんな存在がソフィアの力を奪うというのは教えとは真逆…母への侮辱以外何物でもない。そう考えるとクロフトのような反逆者が生まれるのも頷けた。
「私達はソフィア様の事は話でしか聞いたことがない…だからソフィア様を一目見るのが夢だったりしたものさ。だって神が現実に存在し生きているのだよ? 胸が躍らない方がおかしいだろう」
「まぁ…そうですね」
「だから私からすれば君がとても羨ましいよ。ソフィア様はどんな人なんだい?」
「ソフィアは…誰よりも優しくて…強くて…みんなを癒してくれるような…そんな人だと思います」
「そうか…想像通りの方で安心したよ」
そう言うクロフトは何処か満足気な様子だった。ふと見てみると看守の表情も少し緩んでいるような気がする。
そうか…教団はソフィアを付け狙う危険なだけの集団だと思っていたけど、クロフトのように本当に心から彼女を神として崇める人も大勢いるのだろう。改めてソフィアという存在の大きさに気付かされたと同時に、僕なんかじゃ釣り合っていないんじゃないかと卑屈になってしまう。
しかし今はそれどころではない。そんなソフィアを救い出す為にも、いつまでもこうして牢にいる場合ではないのだ。捕まった時間から推測すると既に日は沈み、もうしばらくすれば儀式が始まる。
どうすればいいのか頭を悩ましているとクロフトより奥の牢から何処かで聞いた事のある男の声が聞こえてきた。
「ソフィアって処女なのかね」
そんな男の突然の下衆な発言にクロフトが激怒する。
「貴様ふざけるな! ソフィア様を愚弄するか!?」
「おいおい、そんな怒るなよ。でも考えてもみろよ、そんな女神様みたいな女がヤリマンビッチだったら嫌だろ?」
「ヤ、ヤリマ…そんな事あるはずがない! ソフィア様の体は清らかなままだ!」
「もしかしてあんた処女厨か?」
「そういう事を言ってるのではない! この不敬者が! 貴様殺されたいか!?」
「そうキレんなよ、暇してるんだ」
男の声はとても捕まってるものとは思えないほど不遜だった。しかしおかしいのは態度だけではない。男からは濃い血の臭いが漂っているにも関わらずヴァンパイアのものとは異なっている。何故ヴァンパイアでもない人間が教団本部に殺されずに捕らえられているのかまるで分からないが、一番の疑問はこの男の声を何処かで聞いた事がある点だ。
「あんた…僕と何処かで会ったことないか?」
「あん? 人違いだろ」
間違いなく聞いた事がある…それもつい最近だ。
「おい看守さんよ、飯はないのか」
「……ない」
「昨日から何も食ってなくて死にそうなんだが…」
「これだから虚弱な人間は! 我々のような高貴な存在ともなれば食事などせずとも!」
「何言ってんだ、お前等は血吸わなきゃ死ぬんだろ?」
その言葉に僕とクロフトは驚くが、考えてみれば教団本部の地下牢に閉じ込められている人間がヴァンパイアの存在を知っていても不思議ではない。
「…人間でありながら私達の事を知っているようだが、何者だ?」
「何者って…あ、そうだ思い出した! なぁここってもしかして
「……そうだ」
クロフトの問いを無視する男だが、どうやら自分が何処にいるのかも分かっていなかったらしい。
「よし、おい看守俺を出せ。教団からの依頼で俺はセインガルドに来たんだ。ここに依頼書もある」
そう言って男は看守に何かを手渡した。
何が書かれているのかは分からないが書面のようなものを看守はじっと見つめている。
「…どうやら本物のようだな。しかし許可がなければ牢からは出せん」
「じゃあ早く許可を貰ってくれ。すっかり忘れてたが急がないと出遅れちまう」
「…確認してくる、待っていろ」
看守は少し悩む素振りを見せるとそう言い残し階段を上がっていく。残された僕とクロフトは訳が分からず呆然としていた。
「結局君は何者なんだ…?」
「俺はこの
「はて…教団から殺し屋に依頼とは…一体誰がターゲットなんだ?」
「さぁ…この似顔絵の女を殺せって漠然とした依頼なんだがあんた知ってるか?」
そう言って男は牢の間から腕を伸ばしクロフトに一枚の紙を手渡す。
「…さっぱり分からないな。シオン君も見てみるかい?」
クロフトから受け取った紙には似顔絵が描かれていたが、それを見た瞬間に心臓が跳ね上がる。そこに描かれていた女性は差異はあるものの、現在のソフィアに似ているように見えた。
「…この人の名前は?」
「さぁね、ここに来れば分かると期待してたんだがな」
…まさかとは思うが、教団は殺し屋にまでソフィアを探させていたのか?
「ターゲットの情報はこれだけ…?」
「そうだよ、報酬に釣られて受けてはみたが可能な限り生け捕り、無理なら首だけでも持ち帰ってこいとよく分からん依頼だ」
間違いない、教団は殺し屋にも依頼をしていた。
しかしこの様子ではあまり殺し屋を当てにはしていなかったようにも思える。それでも教団は猫の手も借りたいほど切羽詰った理由でもあったのだろうか。
「お、どうやらお迎えが来たみたいだ」
先程の看守が階段を降りてきた。そして無表情のまま男のいる牢の前まで進んでいくと…
「依頼は既に終わった。そしてお前は別件で捕らえられているという事でもうしばらくこのままにしとおけということだ」
淡々と告げられた男は勢い良く牢に掴みかかり、大きな物音が地下室に響き渡る。
「終わっただと!? 獲物は先に捕られたって事か!?」
「そうだ、ご苦労だったな。しばらくしたら担当者から説明と共に解放される」
「ぐぬぉぁ…どうするんだよもう金ねぇぞ…」
「頑張れ」
「あいつのせいだ…あんなアホに関わっちまったばかりに色々遠回りして…覚えてろよエリス…」
エリス…その名前ははっきりと覚えている。そこでようやく思い出した。声の主、それは間違いなくあの時ゼファーと死闘を繰り広げていた男だ。
「あんた…もしかしてレヒトか…?」
「ん、俺を知ってるのか?」
どうやら正解のようだ。あの後王室騎士団に連行されたのは知っていたが、まさか彼が教団の地下牢に捕らえられるとは。
しかし何故王室騎士団が彼を教団の地下牢へ?
普通に考えれば騎士団の所有する牢屋へ彼を監禁するはずだ。王室と教団に繋がりがあるのは分かっていたが、あえて彼をここに幽閉したのには何か理由があるのではないか?
もしも教団とレヒトの間には殺しの依頼以外の何かがあるとしたら…?
ゼファーはソフィアだけでなくエリスも連れ去っていた。つまりエリスもこの教団本部にいる可能性が高い。だとすればエリスのいる場所にわざわざ彼を連れてくる理由は何だ?
(レヒトとエリス…)
二人の共通点はどちらも人ならざる力を持った存在。その二人を同じ場所に留める…そこに何か意味があるのか?
レヒトには依頼があったものの、エリスに至っては教団との接点はまるでなさそうだ。そう考えるとこれは王室側の狙い?
(ソフィア…鍵…)
ゼファーはソフィアが鍵になるかもしれないと言っていた。なるかもしれない、という事はソフィアだけでは失敗の可能性があって…もしレヒトとエリスは失敗した時の保険のようなものだとしたら…?
バラバラで何の関連性もなさそうなパズルのピースが繋がりそうな気がした。
仮定として王室と教団にはソフィアという共通の目的があって…レヒトとエリスは王室がかけた保険だとしたら…王室は教団を利用して何かをしようとしている…。
(そう言えば…)
レヒトとの戦闘中にゼファーが計画という単語を口にしていた。もしその計画が教団の意図する計画とはまったく別の、王室側の狙いがあるとしたら…?
「おいガキ、急に黙りこくってどうした?」
ゼファーやバイエルならこの教団のヴァンパイアは一瞬にして消し去れるだろう。にも関わらず手を組んでソフィアを一緒に探していた理由とは?
――数の多い教団の情報網を利用してソフィアを探させていた。
ソフィアをゴードンに明け渡す理由は…?
――彼女がゴードンの手に落ちれば儀式を執り行うのは分かっているはず。だとすればその儀式が王室側の…。
(そうか…それなら…)
ゴードンによる儀式…そこに王室独自の思惑があるとする。しかしそれが思い通りの結果にならなかった場合に備えてレヒトとエリスを保険にしていたとしたら…。そう考えるとこの奇妙な状況にも説明がつきそうだ。
儀式によるゴードンの企み、そして王室はそれとは別の狙いがあると考えて間違いないだろう。
「おい聞いてんのか、シカトしてんじゃねぇぞ。お前は誰だって聞いてんだよ」
「レヒト…」
「あぁ? ガキが俺を呼び捨てにするとは良い度胸だな」
依頼が破棄され苛立っているのかかなり攻撃的だ。
「…レヒトさん、エリスを探してるんだよね?」
「いや…別に探してるって程じゃないが…。まぁ見つけたらとりあえず一発ぶん殴りたいってぐらいでだな…」
「彼女は…多分ここにいるよ」
「…何でお前にそんな事が分かる?」
「僕はシオン…あんたが王室騎士団に捕まっている時、ゼファーはソフィアを攫っていったんだ…エリスも一緒にね」
「あぁ…思い出した、あの時姉ちゃんと二人一緒に震えてたガキか。詳しく聞かせろ」
牢屋越しにクロフトを見やると彼は少し悩んだ素振りを見せてから静かに頷く。そして僕はクロフトから聞いた話も交えて今考えていた事を包み隠さずレヒトに伝えた。
もしこれで彼が僕達に協力してくれれば本当にソフィアを救出出来るかもしれない。だけど一通り話を聞き終えたレヒトは何やら笑っているようだった。
「…何がおかしいの?」
「ぷくく…だってお前…凄いこと言ってるぜ? まず教団がヴァンパイアで構成された組織ってのも驚きだが、教団が王室と繋がってる? おまけに王室はゼファーとか悪魔みたいな奴を他にも飼ってるだ?」
「…そうだよ」
「だーひゃっひゃっひゃっ! そりゃお前ファンタジーな絵本の読み過ぎだ! ぶははははっ!」
「何がおかしいんだ…あんただって僕からしたら十分ファンタジーな存在だよ」
「ひーっひっひっひ…! 確かにな…確かに俺も十分ファンタジーだな、何たってかれこれ二千年も生きてるからな」
「二、二千年?」
「くっくっく…そうだよ…自分で言ってて笑えてくるぜ。成る程な、王室は悪魔、教団はヴァンパイア、そんな連中が手を取り合って何か企んでる訳だ」
「うん…君が探してたターゲット…その人は多分ソフィアだ。教団が数百年間血眼になって探していた」
それを聞いた途端、レヒトの笑いがピタリと止んだ。
「え…おいちょい待て、ていうと何だ…俺の獲物を横取りしたのは…」
「…ゼファーって事になるね」
次の瞬間、ゼファーと戦っている時に感じられた殺意がビリビリと伝わってきた。
「あの野郎…殺してやる…絶対殺す…」
「…エリスを奪われ獲物も奪われて…このままじゃ全部あいつらの思い通りになるよ」
レヒトが何を仕出かすか分からず恐怖で微かに震えるが、勇気を出してここぞとばかりに発破をかける。
「はっ、面白い。良いぜガキ、お前の思惑に乗ってやる。要はお前あれだろ、ソフィアを救い出す為、俺に協力して欲しいんだろ?」
どうやら僕の狙いはあっさり看破されたようだ。でも取り繕う必要はないし、何より彼の力なくしてソフィアを救い出せないのは事実だ。
「……うん」
だから僕は隠す事なく素直に頷く。
「いいのか、俺は一応そのソフィアを殺す為に雇われた超一流の殺し屋だぜ?」
「たった今クビになっただろ」
「…お前意外とずけずけ言ってくれるな」
「助けてくれたら僕の持っている全財産を払う」
「人殺しに人助けを依頼とはね、妙な事もあるもんだ。で…お前の全財産ってどのぐらいあるんだ?」
「え、えっと…家に置いてきた分も合わせればそれなりに…」
半分嘘だけど薬草を売ればお金はすぐに出来るし、支払いはその後でお願いしてもいいだろう。
「…よし、契約成立だ」
その瞬間凄まじい轟音と共に鉄格子が吹き飛んだ。
「やっぱ人生ってのは刺激がないとな」
首を鳴らしながら悠然と通路を歩くレヒトを前に看守は驚き戸惑ったまま固まっている。
「き、貴様何を…!」
「見れば分かるだろ、脱獄だよ脱獄」
「ソ、ソフィア様を助けに行くつもりか…?」
「そういう事になるな。ついでにエリスをぶん殴る」
「…分かった、行け…」
「あん?」
「行けと言っている…貴様の武器は上の看守室にある」
「…どういうつもりだ、殺されるのが怖いのか?」
「それもまぁあるさ…。ただ貴様等が本当にソフィア様を救えるのなら…それに賭けてみたくなった」
そう言って看守はぎこちない笑みを僕に向け、腰についている鍵を取り出すと僕とクロフトの牢を開けてくれる。
「行くなら早くしろ…騒ぎを聞きつけた連中がもう間も無く現れる。ソフィア様は月の間だ…時間が無い」
牢から出た僕達に看守の男は何かを託すようにそう告げる。
既にソフィアが月の間にいるのなら確かに事態は一刻を争うだろう。
「…君も一緒に来ないか、共に血の盟友として戦おう」
穏やかな表情でクロフトは手を差し伸べるが看守はその手を悩ましげな目で見詰めていた。
「…私のような半端者が…ソフィア様の為に戦うなど…」
「血の盟友はソフィア様に仕える、その忠誠があれば十分だ」
「そうか…分かった。私はザック、我が忠誠を今こそソフィア様へ」
「あぁザック、共に捧げよう」
二人の手が強く握られる光景を見て不思議と僕まで勇気付けられる。
そうだ…僕達は必ずソフィアを救い出す…。
「なぁ、熱い友情が芽生えてるとこ悪いが具体的に俺はどうすればいいんだ」
そんな良い雰囲気をぶち壊すようにレヒトは実に面倒臭そうに尋ねる。
「そ、そうだったな。見たところあなたは相当腕が立つようだ…」
「クロフトさん、彼はこの戦いの鍵になる。ゼファー達と対等に渡り合えるのはレヒトさん以外にいない」
「なんと…まさしく救世主だな。ならば道はレヒト殿に切り開いてもらおう」
頼もしい仲間が増えた事でクロフトの目には光が灯っていた。
この後の作戦はこうだ。まずはクロフト達の案内で全員ゴードンの執務室へ向かう。そして僕とレヒトはそのまま月の間へ。レヒトはもしかしたら月の間に入れないかもしれないが…その時はその時だ。僕達を見送った後、クロフトとザックはセインガルド中にいる血の盟友の団員を集結させ、急いで緩衝材の準備を整えいつでも逃げ出せるよう待機する。
「つまり俺は邪魔者を消しながらその執務室に行けばいいんだな」
「そうだ、万が一レヒト殿が月の間に入れなかった場合は…」
「何とかすりゃいいんだろ、やれるだけやってみるさ」
と、そこへ階段の上から複数の足音が聞こえてきた。
「よし、それじゃ準備運動といくか」
首を鳴らすとレヒトは手足をブラブラさせ本当に準備運動をしていた。その時ついに階段を降りてきた敵が現れる。
「だ、脱獄だー!」
教団員が大声で援軍を呼んだその瞬間。姿を消したレヒトが強烈な蹴りを放ち、教団員は破裂した風船のように原型を留めぬ肉塊となって血と共に壁にこびりついていた。
「な…何が起きたんだ…」
その光景を前にしてクロフトとザックは青褪めた表情で固まっていた。
「あれがレヒトって男ですよ…僕達の理解の範疇を超えている」
「…こちら側についていなかったら今頃私も…」
仲間のはずなのだが改めてレヒトの力を前に僕達は恐怖する。だが同時にこれ程頼もしい仲間はいないだろう。
レヒトは固まっている僕達を置いて一人で階段を上がっていくと、上階からは何とも形容しがたい嫌な音が聞こえてきた。
始めは怒号が響いたが、その直後に短い悲鳴が所々聞こえたかと思うと音はすぐに止み静寂が訪れる。僕達も後を追うように階段を上がると看守室は肉片と夥しい血で彩られ、立ち込める生臭い異臭に思わず吐き気を催した。
そんな悲惨な現場の中央でレヒトは得物の大剣を背中に担ぐと自身の掌に拳を打ち付ける。
「さぁ、ショータイムの始まりだ」
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