Episode15「迷子の想い」

 レヒトの元から飛び出した私は街を一人彷徨っていた。

 初めてのキスを突然奪われたショック、それに対して何の感情も抱いていない様子のレヒトへの怒り。それらが衝動的に自分を突き動かした。しかし飛び出したものの、行く当てなど何処にもなかった。

 飛び出したその日はとにかくレヒトから離れたいと思い北C地区の近くまで行き、そこで宿を借りて一晩を明かした。その途中で色んなものを見てきたが、どれも興味は沸かなかった。初めてC地区に来た時は感動で一杯だったのに、自分でも不思議なぐらい冷めていた。

 レヒトと食料を買った時はあれもこれも美味しく見えて選びきれなかったぐらいだったのに、今日の食事はその辺で適当に買ったパンだ。まるでマスターの元にいた自分に戻っていく、そんな感覚を覚えていた。


『世界はお前が思っているよりずっと広くてずっと楽しいもんなんだよ』


 レヒトのその言葉が忘れられない。確かに彼に付いて行って初めてゴモラを出た時は生まれて初めてと言っても過言ではないぐらいの感動があった。だから彼と一緒にいればこれからもそんな感動をたくさん味わえる、世界はもっと広くて楽しいものだって分かる、そう思っていたのに、レヒトから離れた途端そんな感動は興味と共に失せた。


 彼の存在は私にとって一体何なのだろうか。本当の自分が分からなくなってしまう。

 目が覚めてからマスターの元にいた私と、レヒトの側にいる時の私、その差は自分でもよく分かっている。何故かレヒトの側にいると堰を切ったように感情が溢れてしまう。実際に翼を広げて飛ぶ事はしないけど、気持ちだけはどんどんと前へ、高くへと飛び上がってしまう。だけど彼にとってそれは迷惑だったのだろうか。


 最初にレヒトが一緒に行くことを提案した時は正直驚いた。その時は思わず否定してしまったけど、胸が高鳴った。きっとこの人は狭い鳥篭から私を連れ出しに来てくれた王子様、なんて一瞬思った。

 顔を見れば悪人面で、口を開けば憎まれ口ばかり。性格も歪んでいて何の躊躇いも無く人を殺せる悪魔のような男。とてもじゃないけど王子様なんて柄ではない。たけどそれでも、レヒトはやはり私を迎えに来てくれた王子様のように思えて仕方ない。

 レヒトが好きかどうかで言えば分からないけど、憧れに似た感情は感じている。彼のように世界を自由に飛び回れたら、とも思った。だから彼に付いて来たし、実際に自由を感じる事が出来た。なのに今朝の一件で全てが台無しになってしまった。


 全部レヒトのせいだ…そう思いつつ、衝動的に動いてしまった事を後悔している自分もいる。同時に何故こんなにも自分が取り乱してしまったのか不可解でならない。だけど今でも思い出せば思い出すほど怒りが込み上げてくる。

 きっとこれは別にレヒトが嫌いだからという訳ではない。するならもっとちゃんとして欲しかった。マスターが買ってくれた絵本にあった物語と同じく、王子様のように優しくも感動的なキスをして欲しかった。それなのにレヒトはあんなにとあっさりとキスを済ませ、挙げ句の果てに終わった後は照れもせずたかがキスとまで言い放った。私にとって特別な一瞬をたかがで済まされた事が腹立たしいし、何より悲しい。


 私は月明かりの差し込むベッドの上で枕を抱き締めながら涙を流していた。


「レヒトの…バカァ…」


 誰もいない孤独。思えば目を覚ましてからはいつもマスターが側にいてくれた。マスターの元を離れた後はレヒトが、ヨハネが側にいた。だけど私はそれらを自ら放棄し、今此処にいる。

 自分の浅はかさが恨めしい。こんな事だからきっとレヒトにはバカにされるのだろう。


「う…うぐっ…うぅぅ…ヒック…」


 涙が溢れ枕に染み込んで行く。レヒトの事を思うと何故だか涙が止まらなかった。

 きっと私はレヒトの側にいたいのだ。どんなにバカにされても構わない。実際にバカかもしれない。それでも、私にとって彼の側にいる事は特別なのだ。

 何故そこまで特別なのか理由は分からないし、彼にとってはそれが迷惑かもしれない。そう思いながらも、やはり私はレヒトの側にいたい。でなければ自分が自分でなくなってしまう…そんな気がする。


(そっか…私は…)


 今になってようやく思い知らされた、私にはレヒトが必要なんだと。それが分かるとふと気持ちが軽くなり、一日中歩き回った疲れと泣き疲れもあって、私はいつの間にか眠りに落ちていた。


 翌朝目が覚めると不思議と体が軽かった。今すぐ飛んでレヒトの元へ行きたかったけど彼にそれは禁じられている。それにゲートを潜る時に翼が使えないと置いていかれてしまう。というか下手したら彼の性格上、もう置いていって何処かへ移動しているのかもしれない。もしそうだとしたら自分で蒔いた種だけど、急がなきゃ。

 私は宿屋を出ると来た道を辿って戻ろうとする。…がしかし。


「ここは何処…?」


 私は見事に道に迷ってしまった。一度通った道だからとタカを括っていたけれど、そういえば昨日は何も考えずに漫然と北へ向かっていただけだった事を思い出す。

 道行く人に東C地区の方向を聞くとそちらへ向かってとにかく走り出した。疲れたら素直に休憩を挟んでいるけど、ゴールが分からないのが余計に疲れを増大させている気がする。同時に不安がどうしても拭い去れない。もし会えなかったら、私の事なんてとっくに忘れてしまっていたら…そう考えると怖くて足が竦みそうになる。だけど止まっていても仕方ない、とにかくやれる事はやろう。そう自分を叱咤激励すると再び走り出す。

 不安なんて怒りに変えてしまえばいい。レヒトのせい、全部レヒトのせい、置いていったら許さない、どうするかは分からないけど…大声で名前を呼びながら泣き叫ぶかもしれない。そうすれば彼は間違いなく困るはずだ。下手すれば殺されるかもしれない。でもそれでもいい、もう永遠に会えないぐらいなら一目でも彼に会って殺された方がマシだ。

 というかやっぱり考えてみればいきなりレディの唇を奪った彼は非常識ではないのか?

 実際レヒトは性格が歪んでいるというか、正直頭のネジがどこか飛んでいると思う。悪魔は悪いものだから私自身、殺す事に何の躊躇もない。でも人間は悪とは限らない。どんな人間だろうと悪魔だろうと容赦無く殺せる彼は絶対におかしい。そう考えると段々と本気でレヒトが悪かったんじゃないかと思えてきた。

 昨日の悩みは一体何だったのだろうか?

 よくは分からないけどとにかく会って一言文句を言いたくて仕方なくなってきた。


「はぁ…はぁ…自業自得だけど…レヒトも…悪いんですっ…!」


 絶対文句を言ってやる。

 殺されるのはやっぱり嫌だ!

 全部レヒトが悪い!

 と、怒りをバネに突き進むが休憩を挟んでいてもどうしても疲労は蓄積されていく。

 そうこうして私はやっとの思いで東C地区には辿り着く。後はレヒトと泊まった宿屋を探すだけ…そう思った途端だった。足がもつれてその場で盛大に転んでしまう。

 周囲の視線が痛い。微かに笑い声まで聞こえる。自分が惨めで情けなくて涙が出そうになった。


「う…うぅー……」


 何で自分はこんな思いをしなくちゃいけないのだろうか。自業自得と分かっていても割り切れない。


「大丈夫?」


 するとその時、側で女性が駆け寄って声を掛けてくれるのが分かったけど、怒りと恥ずかしさで起き上がりたくない。


「うぅー…レヒトのバカァ…」


 その場で倒れたまま必死に涙を堪える。女性は私の事を本当に心配してくれている様子だったけど、今の顔を誰かに見られたくない。


「ほら折角の服が汚れるわよ、起き上がれる?」


 と、こっちがそう思っていても女性は優しく私の体を起こしてその場で座らせてくれた。周囲の視線は相変わらず痛いし、やっぱり笑い声も聞こえる。でも目の前の女性は私を笑うような様子はなく、本気で心配をしてくれていた。


「あぁ、血が出てる…ほらこれで拭いて…」


 一枚の布を取り出すとそれをそっと鼻に当ててくれる。手際が良いのか自分でも気が付かないうちに鼻血が拭き取られていた。


「あ…ありがとうござい…うぅっ…」


 感謝を素直に伝えようとするけど涙を堪えるので精一杯だ。


「どうしたの、お母さんとはぐれちゃった?」


 だけどその言葉に思わずカチンと来た。


「子供じゃないですよ! バカにしないでください!」


「あ、えっと…ご、ごめんなさい…」


 迷子ではない…多分。しかし恩人に向かって思わず怒鳴ってしまったことに後悔してしまう。折角この人は好意で助けてくれたのに私は一体何をしているのか。訳が分からなくなって再び涙が溢れ出しそうになる。


「一体どうしたの…? 何があったのか良かったら話を聞かせてくれる?」


 そんな私を見て彼女は優しくそう問い掛けてくれる。今の事もまったく気にしてないのか、それはまるで話に聞いた事のある母親のようだった。私は無意識に首を縦に振ると、彼女は噴水の側にある椅子に座らせてくれる。


「私はソフィア、あなたは?」


「エリスです…」


「エリスちゃんね。それで一体どうしたの?」


「レヒトが…レヒトが悪いんです…」


 レヒトの名前を自ら口にした瞬間、少し落ち着いたと思った涙が再び溢れそうになった。


「そのレヒトさんに何かされたのかしら?」


「キスされたんです…何の前触れもなく一途な乙女の唇を奪ったんですよ!」


 思い出しただけでも実に腹立たしい。


「そ、それは無理矢理されたのかしら…?」


「無理矢理ですけど…でも私もやぶさかではないと言いますか…ちゃんと手順を踏んだ上でロマンチックな雰囲気の中でしてもらったら文句はないんですけどぉ…」


 私の思い描いていた初めてのキスはたかがの一言で済まされてしまった。許すまじレヒト。


「そうなのね、エリスちゃんはそのレヒトさんのことが好きなのかしら?」


 だけどソフィアさんのその言葉に私は衝撃を受けた。私がレヒトのことを…好き?


「す、好き!? いやいやいやいや冗談キツいですよー! だってまだ出会って数日ですよ!? そういうのはちゃんとお互いを知ってからじゃないといけないってマスターがですね!」


 そうだ、出会って数日で好きになるなんて普通有り得ないはず。まして彼は悪人面で、性格も歪んでいる殺人鬼…好きになるなんておかしい。でも…


「いやでも不思議な人なんです…出会って数日のはずなのに何処か懐かしくて…知らないはずなのに知ってる気がして…」


 そう、私は彼に懐かしさのようなものを感じている。彼の側にいると落ち着くし、自分が自分でいられる、そんな気がする。


「それって運命の相手…じゃないのかしら?」


「運命の相手…ですか?」


 その考えは無かった。レヒトが私の運命の相手、そう思うと自分の不可解な行動も気持ちも何となく説明がつきそうだ。


「そう、もしかしたらレヒトさんもエリスちゃんに同じような感情を抱いているんじゃないかしら?」


「レヒトが…私のことを…?」


「もしそうだとしたら、二人の出会いってとても素敵な事だと思わない?」


 もしかして私はレヒトのことを本当に…?

 ただの迷惑にしか思っていないんじゃないかと不安だったけど、もしレヒトが私のことをそう思ってくれていたら…?

 するとその瞬間、今までにないぐらい胸が高鳴った。それと同時に何かが私の中で合致する。不思議な感覚だけど、私の中のパズルが完成したような気分だった。


「確かにレヒトってば何だかんだ言いつつ私と一緒にいてくれるし…そもそも私を誘ったのだってレヒトの方からだし…」


「ふふ、エリスちゃんももっと素直になってみたらどうかしら? 意外と人の気持ちって言わないと分かってくれないものよ、ね?」


 言われてみればそうかもしれない。


(私は…きっとレヒトが好きなんだ…)


 私の中で新しい目標が出来た。まずレヒトに会ったら文句を言う。それで…今の自分の気持ちを正直に伝えてみる。

 きっと拒まれるだろう、でもそれでも良い。上手く説明出来ないけれど、これが私が私である証拠だ、そう思えた。


「よーし、何だか気持ちが晴れてきました! ソフィアさんありがとうございます!」


「頑張ってね、応援してるわ」


「はい! それじゃ早速レヒトのところへひとっ飛び…じゃなくてひとっ走りしてき…ま…?」


 勢い良く立ち上がり走り出そうとするけど、何処へ向かえばいいのか分からない。レヒトと東C地区にいたのは間違いないけど、肝心の宿屋の場所はまるで覚えていなかった。それに今の時間だとレヒトはもう宿屋を後にしているに違いないし、彼が今もまだ宿屋の周辺にいるとは限らない。

 そう考えると東C地区の何処かにいるレヒトを探し出さなければいけない。でも今一番の問題はそれよりも…


「ど、どうしましょう…ここは何処でしょう…?」




 それからソフィアさん達も巻き込んで私達のレヒト探しの旅が始まった。

 金髪で全身黒尽くめのロングコートに、大剣を背負った長身の男。これだけの情報で簡単に見つかりそうだ。

 ソフィアさんは本当に優しい人だった。時間までなら、と快くレヒト探しに付き合ってくれ、一緒にいたシオンさんって男の子も手伝ってくれている。ただシオンさんはソフィアさんと違ってそこまで乗り気じゃないのか、何処か暗い表情をしていて申し訳ない気持ちで一杯だった。

 二人の好意を無駄にしない為にも一刻も早くレヒトを見つけ出さないといけない。そんな思いで街中を隈なく探し回るけど、それらしい人影は一向に見当たらなかった。

 ふと人の少ない路地裏から黒尽くめのロングコートを羽織った人が出てきて、思わずレヒトと思った私は駆け寄ろうとするけど、残念ながらその人は女性だった。長く綺麗な黒髪の女性は当然ながら大剣なんて背負っていない。

 彼ならああいう路地裏が好きそうなイメージはあるけど、時間的にはまだ食事を済ませたぐらいの頃。だとすれば探すなら露店が多く集まっているような場所の方が良さそうだ。私はその場から離れると人ごみの中へと突撃していった。

 それから日が落ちるまでレヒトを探したものの結局彼は見つからず、最初にソフィアさん達と出会った噴水の前に私達は戻ってきた。


「うぅ…付き合わせちゃってごめんなさい…」


「ううん、いいのよ。ホントはもっと協力したいけど…ごめんなさい、私達はこれからやる事があるの…」


「いえいえ、ありがとうございます! 誰かに優しくされるなんてマスターとレヒト以外は初めてだったからすっごく嬉しかったです!」


「ふふ、私の方こそエリスちゃんと一緒に過ごせて楽しかったわ、気を付けて帰ってね」


 そう言うと優しい笑顔を残してソフィアさん達は何処かへ行ってしまう。

 世界にはマスター以外にもこんなに優しい人もいるんだな、と思う反面急に寂しさが襲ってくる。


「レヒト…何処にいるんですか…」


 時刻はもうすぐ夜…彼はもうB地区へ行ってしまっただろうか。

 そこで私は今頃になって重大な事に気が付いた。レヒトはB地区に行く為に必ずゲートを潜る…つまりゲートの前にいれば間違いなく現れるはずだ。もし既にB地区へ行っていたとしても、私もB地区に飛んで行けばそこでまた彼を探せる。


「うわぁー! 私ってば何でこんなことに気が付かないのー!」


 私は道行く人にゲートの場所を聞くとそこへ向かって全力で駆け出した。

 ゲートまでの道は至極簡単で、内側の壁を伝っていけばゲートに辿りつくとの事だった。考えてみればそれも当然の話である。

 そうしてしばらく走っているとそれらしき場所が見えてくる。近くには列車の駅のような物も見えて、明らかに住宅街とは違う雰囲気だった。

 でも安堵したのも束の間、通りの先に不穏な気配の男が一人で道の真ん中に立ってこちらを見ていた。

 不気味に感じた私は男を見ないように走り抜けようとするけど、男はこちらに向かって声を掛けてきた。


「今晩は娘さん」


 不意を突かれ驚いた私はその場で足を止めてしまう。


「こ、こんばんは…」


「こんな時間に一人歩きかい?」


「そ、そうですけど…」


「いけないなぁ、夜更けのこんな場所に君のような可愛い娘さんが一人で歩いているとは」


 何が言いたいのか分からないけど、今のところ男が何かをする様子はない。すると困惑する私を置いて男は一人勝手に話を進め始めた。


「しかし良い夜だなぁ、そうは思わないかい娘さん」


「は、はぁ…そうですね…」


「んん? もしかして怯えているのか? でも何も畏れる必要はない、俺はゼファーってんだ。よろしく子猫ちゃん」


「えっと…私はエリスです…」


「エリス…良い名前だ。神話にも不和と争いの女神エリスってのがいるけど、実に素晴らしい女神なんだなコレが」


「は、はぁ…」


「こんな話を知っているか、かつて女神エリスには恋人がいた。戦神マルスっていう化け物みたいに強い男神だ。不和、争いを起こす女神の周りには常に戦争と殺戮が付き纏い、戦いの中には必ず戦神マルスも存在する。相性ピッタリのカップルだよなぁ。ところがそんな二人は神の世界から追放されちまった。何故だと思う?」


「さぁ…?」


「なーんと、二人は神様だってのにセックスしたのさ! 怒った神様はエリスを神の世界から追放しようとするが、それに怒ったマルスは神に歯向かった! すげぇよなぁ、とんだ彼女想いだ! 結局マルスは神を守る天使達とケンカする事になって負けちまった。その結果マルスも神の世界から追放された、とさ」


「…だから何ですか?」


「あれ、面白くなかったか? まぁいいや。で、お前は何だ?」


「…はい?」


「分かるんだよ、お前は人間じゃない」


 男のその言葉に私は戦慄した。

 翼はちゃんと隠したままだ。何処からどう見ても今の私はただの人間にしか見えないはず。だけど男の言葉には妙な確信がある。


「あなたは…何なんですか…?」


 恐る恐る聞いてみるけど、男は軽い態度を崩さず困ったような顔で答える。


「俺かぁ? んー、言ったところで分かってもらえそうにないんだよなぁ。とりあえずこっちじゃ蛇の首の首領って事になってんだ」


「蛇の…首…」


 だけどその名前には覚えがあった。


「あなたがマスターに酷いことを…」


 忘れはしない。蛇の首…今まで何度もマスターに嫌がらせをした人達。そして…悪魔がいる組織。


「マスター? 何の事だ、俺は知らねぇぞ」


「蛇の首が! マスターのお店を何度も襲撃したんです! 言われた通りのお酒を仕入れて売り上げ寄越せって!」


「あー、成る程成る程。そりゃ手下が勝手にやった事だ、俺は関係ねぇ」


「じゃああなたから二度とマスターのお店に手を出さないよう言ってください!」


「つってもなぁ、俺ってこう見えて多忙なんだよ。D地区とA地区を行ったり来たり…首領ってのも楽じゃないぜ」


 蛇の首がA地区へ?

 A地区は確か王様とか偉い人だけがいる地区だ。こんな悪人が行く理由はないし、レヒトみたいにゲートの審査だって通れるはずがない。


「あなたみたいな悪党がA地区で何をするっていうんですかー、国家転覆でも謀ってるんですかー?」


「はっ、言うねエリス。気に入った、教えてやるよ。俺は上からの命令で人を探すので手一杯なんだ」


「人探し…?」


「あぁ、ソフィア…って女なんだがね。ひょっとして知ってたりしないか?」


 彼の言う上っていう存在に疑問を覚えたけど、それよりもソフィアさんの名前が出てきた事に驚きを隠せなかった。

 直感で分かる、この人にソフィアさんの事を教えてはいけない。このゼファーって人は危険だ。


「ソフィア…さん…? し、知らないです」


「ビーンゴ。まさかこんなところで尻尾を掴めるとはね、何たる幸運だ。やっぱレディには優しく接するべきだな、うん」


 上手く隠したはずだけどゼファーにはあっさりバレていた。やっぱりこの人は超危険だ。


「何を言ってるんですかぁ、ソフィアなんて知りませんー。人の話はちゃんと聞いてくださいー」


「わっかりやすいなぁ…面白すぎるぜお前」


 それまで軽い態度で笑っていたゼファーの雰囲気が一瞬不穏になった。

 彼は不意に手を上げると、軽く下へ振り下ろす。するとその瞬間、目の前にナイフが飛び出し私の肩を貫いた。そして私はそのまま後ろへ体が持っていかれて地面に張り付けられてしまう。

 何が起こったのか分からず混乱するけど、すぐに激痛が体を駆け巡った。


「う…うあぁぁぁっ!」


 軽い態度は依然変わらないまま、ゼファーは軽口を叩きながらこちらへ歩み寄ってくる。


「おーおー、痛そうだなぁ。あれ、普通に血は出るのか? おかしいな、俺のカンが正しければこのぐらい何ともないはずだったんだが」


 その言葉を聞いて私は確信する。この人は間違いなく私やレヒトのような存在を知っている。だとすれば…まさかゼファーも悪魔…?


「で、ソフィアは何処だ? いや、何処で会った?」


「ぐうぅぅ…! い、言わないです…絶対言わない…!」


「あららー、俺だってレディにこんな真似はしたくないんだぜ? 分かってくれよ、胸が裂けそうだ」


 そう言いながらもゼファーは再び手を振り上げてはそれを軽く振り下ろす。そして今度は突如宙に現れたナイフが私の左足を貫いた。


「あああぁぁぁっ!!」


 きっとこの人は私達のような存在でも痛みを感じると知っててやってるに違いない。やっぱり悪魔は最低だ。


「あちゃ~…見てて辛いなぁ。でも言わない限り死の雨が降り注ぐんだが…どうする、ここで死ぬか?」


「はぁはぁ…! 嫌です…もう誰も傷付けさせない…!」


 ソフィアさん達を巻き込む訳にはいかない。人を殺すなんて絶対に認めない。例え私の正体がこの人にバレたとしても…絶対に誰も傷付けさせやしない。


「はい、じゃあお前が傷付きましょうか」


 そう言ってゼファーはまた手を振り上げた。

 今度は何処を刺されるのか…。でも何があっても絶対に言うもんか。そう決意して目を閉じ歯を食いしばった瞬間だった。


「ようやく出てきたか」


 中々来ない攻撃とその言葉に私はゆっくり目を開くと、ゼファーは私ではなく別の場所を見詰めている。私はその視線の先を確認すると、そこにいたのはソフィアさんとシオンさんの二人だった。

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