Episode13「開演」
ソフィアは物陰に上手く隠れながら二人に接近し、会話が聞こえる距離まで来ると足を止め身を潜めた。それから少し遅れて僕も同じ場所に到着すると、周囲に気を配りながら僕達はゆっくりと物陰から顔を出し二人を視界に捉えた。
「しかし良い夜だなぁ、そうは思わないかい娘さん」
「は、はぁ…そうですね…」
「んん? もしかして怯えているのか? でも何も畏れる必要はない、俺はゼファーってんだ。よろしく子猫ちゃん」
「えっと…私はエリスです…」
「エリス…良い名前だ。神話にも不和と争いの女神エリスってのがいるんだが、実に素晴らしい女神なんだなコレが」
「は、はぁ…」
男の不穏な空気に嫌な予感を覚えるが息を殺してじっと二人の様子を静観する。しかしこちらは遠目で見ているだけだと言うのに、ソフィアからは尋常じゃない量の汗が流れていた。気温は決して高くはないし、湿気もあまりない。だがソフィアに纏わり付く何かは確実に彼女の体力と精神を削っているようだ。
「こんな話を知っているか、かつて女神エリスには恋人がいた。戦神マルスっていう化け物みたいに強い男神だ。不和、争いを起こす女神の周りには常に戦争と殺戮が付き纏い、戦いの中には必ず戦神マルスも存在する。相性ピッタリのカップルだよなぁ。ところがそんな二人は神の世界から追放されちまった。何故だと思う?」
「さぁ…?」
「なーんと、二人は神様だってのにセックスしたのさ! 怒った神様はエリスを神の世界から追放しようとするが、それに怒ったマルスは神に歯向かった! すげぇよなぁ、とんだ彼女想いだ! 結局マルスは神を守る天使達とケンカする事になって負けちまった。その結果マルスも神の世界から追放された、とさ」
「…だから何ですか?」
「あれ、面白くなかったか? まぁいいや。で、お前は何だ?」
「…はい?」
「分かるんだよ、お前は人間じゃない」
その言葉にエリスは分かり易いぐらい動揺していた。そしてそれまで鉄火面のようだった表情には明らかな恐怖が伺える。
「あなたは…何なんですか…?」
「俺かぁ? んー、言ったところで分かってもらえそうにないんだよなぁ。とりあえずこっちじゃ蛇の首の首領って事になってんだ」
「蛇の…首…」
(思い出した…こいつが蛇の首の首領…ゼファーだ…)
しかし蛇の首の名前が出た途端にエリスの表情から恐怖が失せ、何故か代わりに怒りが込み上げているようだった。
「あなたがマスターに酷いことを…」
「マスター? 何の事だ、俺は知らねぇぞ」
「蛇の首が! マスターのお店を何度も襲撃したんです! 言われた通りのお酒を仕入れて売り上げ寄越せって!」
「あー、成る程成る程。そりゃ手下が勝手にやった事だ、俺は関係ねぇ」
「じゃああなたから二度とマスターのお店に手を出さないよう言ってください!」
「つってもなぁ、俺ってこう見えて多忙なんだよ。D地区とA地区を行ったり来たり…首領ってのも楽じゃないぜ」
「あなたみたいな悪党がA地区で何をするっていうんですかー、国家転覆でも謀ってるんですかー?」
「はっ、言うねエリス。気に入った、教えてやるよ。俺は上からの命令で人を探すのに手一杯なんだ」
「人探し…?」
「あぁ、ソフィア…って女なんだがね。ひょっとして知ってたりしないか?」
ゼファーのその言葉に今度は僕だけでなくソフィアが激しく動揺する。
蛇の首がソフィアを狙う理由は教団と繋がっているから…そう思っていた。でも上からの命令…A地区ということは教団だけではなく国家そのものがソフィアを狙っている可能性がある。
しかしそれより今の問題はエリスだった。
「ソフィア…さん…? し、知らないです」
分かっていたがエリスはとても素直な子だ。嘘をつくなんて器用な真似が出来るはずがない。ゼファーの口元が釣り上がるのが見て取れた。
「ビーンゴ。まさかこんな所で尻尾を掴めるとはね、何たる幸運だ。やっぱレディには優しく接するべきだな、うん」
「何を言ってるんですかぁ、ソフィアなんて人は知りませんー。人の話はちゃんと聞いてくださいー」
「わっかりやすいなぁ…面白すぎるぜお前」
ゼファーは苦笑いしながら手を上げると軽く下へ振り下ろす。一体何をするつもりなのかと目を凝らしていると、既に異変は起きていた。
突然エリスの眼前から一本のナイフが飛び出すとそのまま勢い良く肩を貫き、彼女を押し倒すかのように地面へ突き刺さる。状況が飲み込めていないエリスは抵抗する素振りもなく仰向けで倒れ張り付けられた。
「う…うあぁぁぁっ!」
直後エリスから悲痛な叫びが上がる。咄嗟にソフィアは飛び出そうと四肢に力を込めるが相手は蛇の首の首領だ。迂闊に飛び込めば状況を悪化させてしまうかもしれない。
すぐにその危険性に感付いたのか、ソフィアは血が出るぐらい唇を強く噛み締め、じっと堪えていた。
「おーおー、痛そうだなぁ。あれ、普通に血は出るのか? おかしいな、俺のカンが正しければこのぐらい何ともないはずだったんだが」
そう言いながらゼファーは躊躇いなくエリスに突き刺さったナイフを踏み潰す。傷口が抉られ更に血が溢れ出すとそれはじわじわと地面に広がっていった。
「で、ソフィアは何処だ? いや、何処で会った?」
「ぐうぅぅ…! い、言わないです…絶対言わない…!」
「あららー、俺だってレディにこんな真似はしたくないんだぜ? 分かってくれよ、胸が張り裂ける想いなんだ」
ゼファーは再び手を振り上げそれを軽く振り下ろす。すると今度は突如宙に現れたナイフがエリスの左足を貫いた。
「あああぁぁぁっ!!」
「あいたたたぁ~…。さて、言わない限り死の雨が降り注ぐんだが…どうする、ここで死ぬか?」
「はぁはぁ…! 嫌です…もう誰も傷付けさせない…!」
「はい、じゃあお前が傷付きましょうか」
まるで良心がないのかゼファーは躊躇う事なく再び手を振り上げる。だがその瞬間とうとう我慢出来なくなったソフィアが飛び出し、僕もその後に続いてゼファーの前に躍り出た。
「ようやく出てきたか」
ゼファーは口元に笑みを浮かべながらゆっくりとこちらへ振り返る。
「こんばんは、鼠さん」
その口振りからすると最初から気付かれていたのだろうか。得体の知れないゼファーを前にソフィアの手は微かに震えていた。
「…気付いていたのか」
最大級の警戒をしながら男を見据える。見た目こそ普通の人間だけど、近くに立つと禍々しい狂気がひしひしと伝わってくる。
「シオン、気を付けてください。この男…私達とはまったく次元の違う存在です」
そう言うソフィアの声は今まで聞いた事のないぐらいの緊張と恐怖を孕んでいた。
「良いカンをしている、流石は天使より魔力を授かった呪われし人間」
ゼファーのその言葉に違和感を覚える。恐らくソフィアの力の正体を知る者はほぼいない。教団
そして何より教団の思想で言えばソフィアの力は神のものに近い。にも関わらずこの男は魔力を授かった呪われし人間と断言している。それはあまりに核心を突き過ぎていた。
「ご存知だとは思うがお前は
僕達はじっとゼファーの言葉に耳を傾けながらも隙を伺う。しかし呑気に話をしているだけだというのにゼファーにはまったく隙が見当たらない。突っ込めば一瞬で殺される…そんな殺意を周囲に撒き散らしていた。
「はっきり言って俺達にとってそんな事はどうでも良かったんだけどな。ただもしかしたらお前が最後の鍵になり得るかもしれない…ってのが上の見解でね」
「…まるでその言い方だとあんたの上は教団じゃないみたいだな」
「あぁ? 当たり前だろふざけんなよクソガキ。あんな連中が俺の上に立ってみろ、一瞬で引き摺り下ろして皆殺しにしてやる」
「じゃあ貴方達の…いえ、貴方の上っていうのはひょっとしてセインガルド王家…かしら」
「…ノーコメント」
真面目なのかふざけているのか、ゼファーは苦笑いしながらそっぽを向く。
「まぁあれだ、カンが良すぎるってのも困りもんだ。一応レディには平等に優しい俺なんだが…ソフィア、あんたは特別でね。何が何でも連れて来いって言われてる。だから…」
ゼファーの目つきが変わった瞬間、嫌な予感がした僕はソフィアを突き出し反対側へと身を投げる。するとその直後に僕達がいた場所を高速で何かが飛んでいくのを確認した。
「おー、そこのガキも良いカンしてやがる。よく今のを避けたな」
「何だよ今の…」
すぐさま身を起こすが追撃をしてくる様子はない。どうやら完全に弄ばれているようだ。
「お前等はあれだろ、このエリスってのを助けに来たんだろ?」
「…だったら何だ」
「取引しようぜ、エリスとソフィアの交換だ」
笑顔でそう告げるゼファーだが、その言葉の裏に拒否権はないと言っている。
「ふざけ――」
「…取引したらエリスちゃんとシオンを見逃してくれますか?」
そんな取引に応じられる訳がない、思わずそう返そうとしたがその言葉をソフィアが遮った。
「あぁ勿論だ。そのシオンとかいうガキはうちで指名手配がかかってるみたいだがそいつもやめさせる。エリスには個人的に興味はあるが…まぁあんたが手に入るならどうでもいいや」
「ロ…ロリコン変態ペド野郎めぇ…!」
地面に張り付けられたままのエリスが毒を吐く。発言の内容よりもそんな事を言えるだけの余裕がまだある事に驚くが、死んでいないと分かり一先ず安心する。
「…んで、どうだいソフィアさんよ。俺は約束は守るぜ」
「…駄目だソフィア」
確かにこのゼファーという男、嘘は吐かなそうである。それはここまで自分の知ってる情報を包み隠さず漏らした事から推測出来る。しかしエリスのようにバカ正直な雰囲気を纏っていても、それすらこの男の演技だとしたら?
いくら考えたところで万が一にも僕達に勝ち目がないのは明白だ。そしてソフィアは二人を救えるなら自分が犠牲になる事を厭わない。状況を鑑みるならゼファーの提案を呑むしかない、普通ならそうだろう。でも諦めるにはまだ早い。可能性はまだ残っている、僕にあの炎の力が使えればもしかしたら…
「シオン、あなたも分かっているんでしょう。私達じゃ彼には勝てない。それに私は…あなたを失いたくない」
ソフィアが悲痛な声で僕を諭す。だが何を言われようと簡単に諦めるなんて到底出来ない。
「勝てば…いいんだろう」
「あん?」
「ここであんたを倒せばエリスを助けられる…ソフィアも守れる…。全部解決する」
「…は、はははっ。ただソフィアの力に甘えてるクソガキだと思ったら言うじゃねぇか、面白い」
思わぬ返答だったのか、豆鉄砲を食らった鳩のような顔をしていたゼファーが満面の笑みを浮かべた。
「いいだろう、チャンスをくれてやる。俺を倒せたら二度と俺はお前達を追い掛けねぇ。ただお前が死ねば当然ソフィアは頂いていくぜ、どうよ?」
「…分かった」
「あのー…私は…」
「あぁお前もいらん、そのまま放っていく」
「ひ、酷いですよそれはあんまりです! せめてナイフは抜いてください! このロリコン変態ペド野郎!」
「うるせぇこのガキ! ていうか可愛い面してなんて単語知ってんだお前は! 一体誰にそんな言葉教わったんだ! てか何で死んでないの!?」
不謹慎かもしれないが僕もゼファーと同じ感想を抱いた。あの出血量では既に意識を失っていてもおかしくないはずだが、寧ろエリスは何事もなかったように平然と会話している。
ゼファーが振り返るのに釣られて僕もエリスに視線を移すと血溜まりこそあるものの、ナイフの刺さっていた傷口からは出血がなくなっていた。それどころかナイフが刺さっているだけで傷という傷さえ見当たらない。
「…え、何これどうなってんの?」
「ふふふー、私怪我には強いんですよっ」
張り付けられたままのエリスが自慢げに告げる。そういう問題を遥かに超越している気がするが、ふと見るとゼファーは完全に無防備だった。
「いや強いとかそういう問題じゃないだろ!?」
「ソフィア! 今だ!」
叫ぶと同時に飛び出し無防備なゼファーの顔面に渾身の一撃を叩き込む。油断していたゼファーは思い切り僕の拳を顔面に受け後方へと吹き飛んだ。
「今のうちにエリスを!」
エリスをソフィアに任せると僕は追撃するべく吹き飛んだゼファーを追い掛け突進する。
「やるじゃないか」
「まだ終わってないぞ…!」
吹き飛ぶゼファーに追いついた僕は足を掴むとその場で止まり、思い切り地面に叩き付ける。そして左右に何度も何度も、これで終われと必死に願いながら叩き付けた。肉の潰れる感触が気持ち悪くて堪らないが、いくらやってもこの男は死なないという不安が拭い去れない。そしてその不安は的中していた。
「そろそろ飽きたから叩き付けるのやめてくれよ」
はっきりと聞こえたその声にゼファーの状態を確認する事すら怖くなり、思い切り壁に向かって投げ飛ばす。
「はぁ…はぁ…!」
これで死んでくれ…そう願っていたが、投げつけた先からはゼファーが叩き付けられた音も何も聞こえなかった。そして恐る恐る視線を向けてみるとそこには傷一つないままのゼファーが気だるそうに立っていた。
「普通の奴だったら確実に死んでたな」
「嘘…だろ…」
「それじゃ今度はこっちの番だ」
そう言うとゼファーの両手が眼前へ振り上げられる。
「ショータイム」
ゼファーは先程と同じように、今度は両手を同時に振り下げ、その瞬間何本ものナイフが僕に向かって突き刺さる。
ナイフが飛んでくる事は予想していた為、咄嗟に両腕でガードするがこの本数はまったく予想出来なかった。防ぎ切れずに体中にナイフが突き刺さるが、何とかその場で踏み留まる。
「一体…どうやって…」
「マジシャンが種明かしはしないだろ。よく見て考えてみるんだな」
すると今度は一本のナイフが足に突き刺さる。
ナイフを見えない速さで投げているかと思っていたが、それだとさっきの本数は説明が付かない。一瞬見えただけでも十数本はこちらに向かって飛んできていた。それも僕だけを狙ってあの精度で全てが飛んでくるなんて、それは最早人間業ではない。
「こっちばっか見てていいのか、今日の天気は死の雨だぜ」
言われた瞬間に頭上を見上げると今度は先程とは比べ物にならない量のナイフが降り注いでいた。刺さったままのナイフの事など忘れて思い切り横へ飛び退くと僕のいた場所には円を描くように大量のナイフが突き刺さる。あれをまともに受けていれば確実に死んでいた。
「さっきの言葉は嘘じゃないんだろ? 本気で俺を倒せる算段があって言った言葉のはずだ。早く見せてくれよ」
「言われるまでもない…」
体に刺さったナイフを全て引き抜くと掌に意識を集中させる。
頼む、神でも何でもいい…僕にあの炎の力をもう一度貸してくれ…!
必死に祈る、思い出す、願う。だが無情にも炎はいくらやっても現れなかった。
「なぁおい…まさかさっきの不意打ちで俺を殺せると思ってたのか? 何だその手は、魔法でも使ってくれるのか?」
「うるさい…黙れ…!」
何で…何でなんだ…。
あの時はどうやって炎が現れた?
僕が殺されそうになって…何かが聞こえた気がして…それから…
「はぁ…もういい、お前飽きたわ」
その瞬間、僕の胸に激しい衝撃が走る。吹き飛ばされながら自分の体を見てみると胸に一本のナイフが突き刺さっていた。
何が起きたのか確認しようと前を見ると目の前には大量のナイフが迫ってきており、何とか両腕で庇おうとするがそれも間に合わず、胸、腹、腕、足に隙間無くナイフが綺麗に突き刺さってしまう。
「シオンーーーッ!!!」
ソフィアの叫びが聞こえる中、指一本動かせずに僕は背中から倒れた。どういうつもりかは分からないが顔だけにはナイフが刺さっていない。そのせいで涙を流しながら駆け寄り激しく取り乱すソフィアの顔がよく見えた。
「嫌ぁ…駄目…こんなの…駄目ぇぇぇ!」
ソフィアが首筋に噛み付いてくる。すると彼女から魔力が流れ込んでくるのが分かったが、僕の体はまるで穴の開いた風船のようにどんどんと力が失せていく。
「死んでは駄目! シオン諦めないで! お願いだから…!」
悲痛な願いも虚しく、僕の意識はどんどんと薄れていく。
「悲しいねぇ…人の世界ってのは悲しみに溢れている。だがこれはガキ、お前が選んだ事だ。俺に歯向かった勇気に免じて約束はちゃんと守ってやるよ」
歩み寄ってくるゼファーに気付いていないのか、ソフィアはそれこそ自分の体内にある魔力を全て放出する勢いで注いでくる。だがいくらやっても僕の傷が癒える事はなかった。
「ソフィア…もういい…。逃げ…て…」
「シオン…駄目…死なないで…あなたが死んだら私は…私は…!」
ソフィアの涙が僕の頬に落ちる。
「だから最初から取引に応じてればこいつは…」
「うるさいっ!!」
初めてこんなに怒りを露にしたソフィアを見た気がする。
「…せめて死ぬときは綺麗な顔でって思ったんだけどな。見てるこっちも辛いし終わらせてやるよ」
そう言って僕の横に立ったゼファーが哀れむような表情を浮かべて手を振り上げた。
これで終わりなのか…?
だが諦めかけたその時、突然ゼファーが視界から消えた。何が起きたのか分からずにいるとすぐ横から激しい爆音と共に石の破片が飛んでくる。
「そうだ…このナイフがおかしいんだわ…!」
しかしそれに気付かないほど取り乱しているソフィアは僕に突き刺さった無数のナイフを引き抜き始めた。そしてその後ろを虚ろな目をしたエリスが横切る。その足取りは覚束無く、まるで意識がないようだ。
何とか首を傾けエリスの進む先へ視線を移すと、そこにはボロボロになって地面に横たわるゼファーが驚いた表情を浮かべていた。
「何だよ今の…」
どうやら死んではいないらしい、倒れたままゼファーは呟くとゆっくりと体を起こす。
「エリス…お前は何なんだ…?」
「…知っているのでしょう」
明るく感情の起伏の激しかった少女はもうそこにはいない。ゼファーに対峙する少女はただ無感情に冷たく、畏怖すら覚えるほど透き通った声を発する別のモノ。その背中には夜にあっても白く輝く翼が生えている。
「翼…ていうとあれか…お前はホントにエリスだってのかよ」
「
突如空間から光が溢れ出したかと思うとそこから光の矢が放たれゼファーに襲い掛かる。それを何とか避けるがその攻撃速度はまさに光速。放たれた瞬間には既に地面に突き刺さっていた。
これがエリスの力だというなら僕等とは次元が違う存在だ。そしてそれを避けるゼファーもまた同じく次元が違う存在。最早この二人の間に介入出来る人間など存在しない。
「マジかよ…ははは…ははははっ! まさかとは思ったが、本当にこんな事があるとは! 神よ、これもあんたの悪戯かい! ははははっ!」
何がおかしいのかゼファーは昏い空に向かって実に愉快そうに嗤った。
「なぁ何でお前が此処にいるんだエリス、俺が誰か分からないか?」
「黙りなさい」
ゼファーの言葉に耳を貸さないエリスは再び光を出現させたかと思うと今度はその光が球状のように収束し光速でゼファーに襲い掛かる。これも何とか避けようとするが光球はゼファーの片腕を貫く。すると腕は真っ黒に焼け焦げ、肉は所々崩れ落ち骨が見えていた。
「そうかそうか、覚えていないのか。しかし覚醒するとコレか…成る程ね、最高の土産話だ」
危機的状況のはずなのにゼファーはそれでも余裕の笑顔を浮かべていた。この男が一体何を考えているのか分からないが、焼け焦げた腕に突如黒い
「今のお前ならまだ何とかなりそうだしな、ちょっと本気でやらせてもらおうか」
そう言ったゼファーの目が真っ赤に光りだす。そして先程の黒い
「いっぺんあんた等とは殺り合ってみたいと思ってたんだよ」
邪悪な存在となったゼファーが凍りつくような悪魔の笑みを浮かべる。ナイフを全て抜き終え僕に魔力を注ぎ込んでいたソフィアもその姿に釘付けになっていた。
ナイフが全て抜かれたおかげか、一先ず傷が塞がった僕は何とか体を起こす。
「ありがとうソフィア…助かった…」
「だ、大丈夫ですか…?」
「うん…でもあれは…」
悪魔。そう形容する以外の言葉が思い浮かばない。
ゼファーが本当に悪魔だとしたら僕達に勝ち目はない。ヴァンパイアは神の力の一端を与えられた存在かもしれないが、悪魔は地獄に堕ちた神の眷属だ。だとしたら今ゼファーと同等に戦えるのは白き翼を持ったエリス…彼女だけだろう。
「さぁ、殺し合おう」
ゼファーは今までと同じように手を振り上げるが今度は違う。彼の周囲を取り囲むように黒い球が浮かび上がった。そして手を振り下げた瞬間に黒い球からはナイフ状の黒い何かが飛び出しエリスに襲い掛かる。
だがエリスは微動だにせず、全て直撃するかと思われた瞬間、まるで彼女の前には見えない壁が立ち塞がっているかのように黒きナイフは直前で全て落ちた。
「成る程、そのぐらいは出来るか…じゃあこいつはどうだ」
ゼファーは品定めをするように、うんうんと頷くと今度は黒い球体を先程のエリスと同じように飛ばす。一発だけだと思われたが続けて周辺に浮かぶ球も追従するかのように発射された。
エリスはそれを飛び上がり回避するが、黒い球体は浮かび上がったエリス目掛けて向きを変えて執拗に襲い掛かる。しかし今度は駄目かと思った瞬間、白い光がエリスを中心として爆発したかのように空中で弾けると、その光に吸い込まれるようにして黒い球体は全て消滅し、空には白い翼を悠然と羽ばたかせるエリスだけが残された。
「面白い…面白いぜぇ…!」
ゼファーは満足そうに嗤うと走り出し、何もなかったその手から黒い槍のようなものを迸らせ宙に向かって投げ付ける。それをあっさり避けるとエリスもゼファーと同じように光の槍を地上へ向け投げ付けた。
それは先程突き刺さっただけの光の矢とは違い、光の槍は大地を抉るように破壊し激しい粉塵が巻き上がる。
今のうちに逃げ出さなければと思ったが、体がまだ思うように動かない。その間に二人の攻撃はどんどんと激しさを増し、周辺の建物なども巻き込み始め瓦礫などの破片がこちらに飛び掛かってきた。中には巨大な破片も飛び交っており、僕達は此処に留まる事すら危険な状況となる。
「シオン、とにかく身を隠しましょう」
「でもまだ体が…」
ソフィアは泣きそうな顔で、それでも必死に笑みを作り僕の体を担ぎ、何とか路地裏へ移動する。此処なら破片などが飛んできても大丈夫だが、二人の攻撃が直撃すれば一たまりもないだろう。
僕達の存在は忘れてしまったかのように、二人は狂ったように互いを滅する一撃を放ち続ける。警備兵などが慌てて現れるものの二人の攻撃に巻き込まれ一瞬で跡形もなく消滅した。これ以上二人が戦い続ければ下手すれば東C地区は疎か、セインガルドすら一夜にして廃都と化すかもしれない。しかし今この場には二人の戦いを止められる者などいない。加えて僕が動けるようになってこの混乱に乗じてゴモラへ逃げようにも、今となっては下手に動くと二人を刺激しかねない。
二人は互いへの攻撃を続けながらも周辺に感じる気配全てへ同時に攻撃していた。当然そんな事など知らずに駆け付けた警備兵は、二人の姿を確認する前に次々と消滅している。
今出て行ったところで僕達もあの警備兵と同じように、一瞬で消し炭にされるのは目に見えていた。だから僕達はただこうして息を潜めてじっと滅びを待つしかない…そう思った時だった。
「何だこりゃ、すげーことになってるな」
気が付けば僕達の背後には黒い服に身を包んだ金髪の男が立っていた。男の背には人間が扱えるとは思えない程の大剣。この状況がいまいち理解出来ていないのか、随分と呑気な様子だ。
「ここは危ない…すぐに隠れるんだ」
「そうか、なぁここで何があったのか教えてくれないか」
人の話を聞いていないのか、男は構わずその場で突っ立ったまま尋ねてくる。
「…よくは分からないけどゼファー…蛇の首の首領からあの子は僕達を守ろうとしてくれた…と思う」
「ふーん、とてもじゃないけどアレがお前達を守ってくれる天使様には到底見えないな」
「最初はそうだと思ってたけど…今はお互いを殺すことが目的に思える」
「殺す、ねぇ…」
呆れた表情を浮かべると面倒臭そうに男は物陰から出て行く。
「お、おい…駄目だ戻るんだ!」
「まったく、騒ぎは起こすなって言ったのにあのバカは…」
相変わらず男は僕の声が聞こえていないのか構わず二人の側へ近寄っていく。そして男の存在に気付いた二人からは当然攻撃が飛んできた。
黒い槍と白い槍が左右から襲い掛かり、もう駄目かと思われたその瞬間…
「おい、いい加減にしろよエリス」
どうやったのかは分からないが男に当たるはずだった槍は遥か後方の建物を粉砕していた。そして男の声に反応するかのように二人の攻撃が一瞬止まり、視線が男をはっきりと捉える。
「…なんだぁテメェは、今良いところなんだよ」
「知るか、こっちは良い迷惑だ」
悪魔のようなゼファーの睨みすら意に介さず、男は僕達と話した時と変わらない様子で続ける。
「おいこらエリス、いつまで道草食ってんだお前は」
男はエリスを知っているようだが、エリスには何の反応はない。虚ろな目でじっと男を見据えていた。
「何だその腑抜けた面は…。なぁあんた、こいつ一体どうしちまったんだ?」
「さぁ、いきなりプッツンしちまったから俺にも何が何だかなぁ。ただ俺は今サイコーに楽しいんだよ、邪魔するんじゃねぇ」
「お楽しみ中で悪いがこいつは連れていく。色々とこいつには聞かなきゃいけないことがあるんでな」
「連れて行くだぁ…? く、くふ…ふはははっ! 面白いな、あんたも面白いぜ。今日は最高の夜だ」
「そりゃどうも。おいこら、お前はいつまで空から俺を見下してんだ、むかつくからさっさと降りてこい」
男はゼファーに微塵の恐怖も感じないのか上空に浮かぶエリスに向かって呑気に話を続ける。その無防備な隙を狙ってゼファーが手を振り上げ攻撃の準備に入った。
「テストだ、避けてみな」
まるで何かを期待するかのような笑みを浮かべながらゼファーは手を振り下ろす。男は突然現れ自分に飛び掛かるナイフにまったく気付いていない…そう思えた。だが突き刺さる直前で男はナイフを指で挟む込むようにして軽々と受け止めてしまう。予想外の展開に僕達は疎かゼファーすら驚きに目を見開いた。
「わーお…本当に今夜は何が起こるか分からんな…」
「いきなり人に投げナイフとは育ちが悪いな、危ないだろ」
男は少しむっとした様子で掴んだナイフを無造作に投げ捨てる。
「よく分からんけどこいつがプッツンした原因はお前みたいだな」
「あぁ、多分間違ってねぇぜ」
「つまりこの頭のネジが飛んで人の話をシカト決め込んでるバカを叩き起こすにはまずお前を消さないといけないってことか」
「あぁ? んー…まぁ間違ってねぇのかな?」
「おいエリス、絶対に手を出すなよ」
最初は面倒臭そうにしていた男だが、今となってはゼファーとの戦いに胸が躍っているのか非常に好戦的な様子で、笑みを浮かべながら背中の大剣を抜いた。
「セインガルドってのは面白い所だな、俺の探してる答えが全てここにあるみたいだ」
「ははーん…そうか、さてはお前も…」
何かに気付いたようにゼファーもまた邪悪な笑みを浮かべ、二人は真っ向から対峙する。
「ヴァンパイアだか悪魔だか知らないが本気で楽しめそうだ」
「ん? 悪魔を知ってるって事はあれか、まさかお前がゴモラでうちのをやってくれた犯人か」
「あぁ、多分そうなんじゃないか」
「く…ははは…! マリエルよぉ、俺の予感が的中したぜぇ…こっち側の化け物がいたとはな。しかもまだ東C地区にいてくれたとはありがてぇ」
「何言ってんのか分からんが、人をいきなり化け物呼ばわりするとは失礼な野郎だ」
「あぁ、自己紹介が遅れたな。俺は蛇の首の首領ゼファーだ。見ての通り…まぁあんたと同じ化け物さ」
「そうか、一緒にするな。俺はレヒト、一応仕事でセインガルドに来てるんだが…見ての通り思うように仕事が上手くいかなくて参ってるんだ」
レヒト…男は確かにそう名乗った。つまりあの男こそエリスの探していた人物である。
しかしこの状況にあって彼の余裕は一体何なのだろうか。ただの愚者か、或いはエリスと同様に人間ではない何かなのか…その答えはきっとこの戦いで分かる。
「そんじゃ自己紹介も終わったとこで…」
「あぁ、来いよ蛇の頭」
二人がゆっくり構え、一触即発の空気が漂う。手を出すなと言われたせいかエリスはその通りに対峙する二人の頭上でじっと佇んでいた。
今ならもしかしたら逃げられるかもしれない。しかし僕とソフィアはその事を忘れて今始まらんとする超常の戦いから目が離せなくなっていた。
張り詰めた空気が重苦しく、ほんの短い時間のはずだがとても長く感じられる。
勝負は一瞬で決まるんじゃないか?
レヒトという男はゼファーに勝てるのか?
エリスも含めてこの三人の正体は?
様々な考えが一度に過ぎったその瞬間、二人が同時に動き出し開戦の火蓋は切られた。
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