第10話

 僕は帰るのが怖かった。なにもしおりちゃんが嫌いになったんじゃない。だけど距離と時間がだいぶ僕らを離してしまった。僕のことをしおりちゃんが嫌いになったんじゃないか。かえって帰ってそばにいたら、僕らは続かないんじゃないかとまで思った。僕の気持ちは少しずつ落ち着き、冷たくなっていく気さえした。だけどそれでもまた会いたかった。あのクールな声のしおりちゃんに会いたかった。嬉しそうにはしゃぐしおりちゃんの電話口の声でさらに会いたい気持ちが増す。僕はその気持ちを頼りに今電車に揺られている。遠距離恋愛、僕が経験することになるなんて思ってもみなかった。たくさんの人がいる中で誰か一人とこんな関係になることすら考えられなかった。僕はそれほど人が、他人が怖かったんだ。今、そう思う。


 東屋で待っててと言った。



「あ、あの東屋なくなったの。駅が新しくなってすごい綺麗になっちゃった」


「そうなんだ、間違えないかな?」


「大丈夫だよ、名前は変わってないし、わかりやすい格好してホームで待ってるから」



 まさかね、と思いながら当日を楽しみにする。


 なんとも言い難い緊張感。親も3年のうちにだいぶ歳をとったらしい。実家の駅前のアパートは階段が辛いと両親は出ていった。今では仲良く平屋のおばあちゃん家で犬とおばちゃんと暮らしている。妹はアパートに残っているが、僕が帰ってきたら出ていくという。一人暮らしが気に入ったようで高校卒業と同時に都会へ行くそうだ。家の持ち主であるおばあちゃんは施設に変わらずいる。戻ってくることはないだろう。


 人も物も混雑している。ゴールデンウイーク後だというのに、いやそれを狙った人たちで空港も都会の駅もごちゃごちゃだ。肩がぶつかる、すいません。荷物が蹴られる、すいませんはなかった。とにかく密度が高い。パーソナルスペースというものがある。人が人をどこまで許すか。自分のくくり、自分の囲い。僕はいつからかそれがだいぶ緩くなった。いいことなのか悪いことなのか。3年も知らぬ風にさらされれば、その風に慣れていく。僕は人間関係をつくるのが苦手だ。そういうと得意な奴らからは、つくるものじゃない、初めからできているんだと言われるがそんなことはない。皆それぞれに努力して作られるものだ。人と人ととをつなぐものが見えたならこんなに難しくないのに。まあ見えてしまうことほど残酷なものはないけど。聞こえてしまうことほどろくなことはないけど。触れてしまうことほど気持ち悪いことはないけど。感じてしまうことほど難しいことはないけど。


 やっと地元に近づくにつれて人が減って行く。以前迷子だった子を偶然にも電車内で見つけた。僕を覚えてない様子だった。だいぶ電車に慣れたようで窓の外ををじーっと見ている。僕はハッとした。同じだ。電車に揺られながら、することを見つけられずに車内のみんなを見ていた。そしてふと窓の外を見て水色の女の子を見つけたあの日と。今は黄金色ではなく田植えを終えたばかりの、水がタプタプとした田んぼが並んでいる。女の子の姿はどこにもない。僕は探さない、どこにいるかはもう知ってるから。



「次はー〇〇」



 降りる駅の名前。日本語のあとで英語が流れる。しおりちゃん、英語得意らしいから今度2人で海外旅行もいいなあ。どこがいいかと考えを巡らせているうち、到着。ゆっくりになって行く電車の中から水色が見えた。ちょうどに止まるはずがない。少し僕の車両は待っていたしおりちゃんを行き過ぎた。僕が降りるとしおりちゃんが走ってくる。



「いつきくん!」



 春の陽気の中、鮮やかな水色のしおりちゃんがとても眩しくて、夜にした方が良かったかなあと少しだけ思った。空の色と一緒でなんだか溶けていってしまいそうだった。送ったからそんなに多くない荷物を足元に置き、僕の少し手前で止まった彼女引き寄せ、抱きしめる。



「ただいま」


「お、おかえり」



 恥ずかしがれ、僕はもう恥ずかしくない。いや恥ずかしいけど。下ネタ好きの子は少女マンガ的言動には引かないそうだ。要するにロマンチック。そんな話を聞いて、だから甘い言葉が好きなのかと妙に納得してしまったから。



「あ、えっと久しぶりです」


「やっぱりその衣装なんだね」


「わかりやすいでしょ」


「かわいいよ」


「恥ずかしいよ」



 どういう反応をしていいか迷っている仕草。思っていたより僕は自分が冷めておらず、しおりちゃんの声も仕草もクールじゃないことに気づく。



「しおりちゃん、僕ね」


「うん?」


「もう離れないから」


「は、はい」


「近くにいるから、顔が見れる近くに」


「はい」


「触れるくらい近くに」


「うん、あの」


「キスできるくらい」


「あ!あの!降参!!」



 しおりちゃんが負けた。



「思いっきり人が変わってるよ、いつきくんのバカ!」


「バカとはなんだ」


「じゃあオタンコナス!そんなことする人じゃなかった!」


「まあ僕も久しぶりで緊張してるんだよ」


「緊張してる声のトーンじゃないよ!」



 楽しそうなしおりちゃん。自然と手を繋ぐ。



「やっぱり何考えてるかわかんないね」


「がっかり?」


「そんなわけないじゃん、すごい嬉しい」



 やっと普通の人になれた、そう呟くしおりちゃん。衣装の水色のスカートを着て外を歩く人はあんまり普通じゃないけど。あ、



「これつけてよ」


「ここじゃやだ、家でなら」


「だめ、ここで」


「やだよ、駅員さんもいるんだよ?明るいんだよ?東屋もないんだよ?」


「いつからそんな恥ずかしがりになったのさ」


「いつからそんなに意地悪になってしまったの?」


「男だからね」


「うーなんかずるい。女だもの恥ずかしいですよ」


「あんなに下ネタ好きなのに?僕よりも好きなのに?」


「…もう、つければいんでしょ?」



 投げやりになってしまった。星の髪飾りはやっと持ち主の元に戻った。ない胸を張って、これでどう?と見せてくる。



「あー、やっぱり家でにしよっか」


「え!?」


「ほら外して、外して」


「な、なんで!そんな似合わなかった?そうだよね、こんなおばちゃんがつけても…」


「違う違う、いいから行こう」



 しおりちゃんの手を引いて家へ急ぐ。駅員さんや他の人の視線が変わった気がした。イチャイチャカップルからあの子かわいいなあへと。やらんぞ、絶対。そんな目でしおりちゃんを見るな。これは、独占欲というやつか。しおりちゃんを他のやつに見られたくないと思うなんて。これじゃあ本当にいつからこんなめんどくさい人になってしまったの、だよ。こじらせて帰ってきたんだな。


 しばらくしてしおりちゃんとデートをすることになった。一緒にご飯を食べて帰り際、僕は前から言おうと思っていたことを伝える。



「一緒に暮らしませんか?」


「あ、えっと」


「あの駅前すぐのアパートで一緒に暮らして、お金が貯まったらもっといいところに越して」


「はい、あのね、えっとつまり」


「同棲しません?」


「しません!」



 断られた。けっこうショック。



「だってまだ早いよ」



 僕は待つことにした。すぐわかったというと、なんで簡単に引き下がるの?といわれた。なんでって、お互いが納得しないと一緒に住めないからだ。



「もっといろんなこと話し合おうよ。1人で決めないでさ」


「あれ、だって嫌なんだろ?」


「そんなこと言ってないよ?」


「あ、ああ。そうなんだ」


「ね、まだちょっと早いよ。なんか最近焦ってない?」



 僕はたぶん、焦っている。言い当てられたことが恥ずかしくて、僕は君をはずかしめる。


 電車の中もそうだった。いつかのあの日と同じようにみんながそれぞれに揺られていて。何もわからない、何も繋がらない。大勢が体ばかり近くて詰め込まれて、心はあさって。あの不思議な空間でみんなきっと降りる駅を探している。待っている。そこですることを考えながら。目的のない旅だってある。自分の行く道を探す。だけどどこかで必ず降りないといけない。降りない人は乗れないのだ。どんなに焦ったって乗ってしまったら駅に着くまでは揺られるしかない。結局僕は電車の中で揺られながら悩んでいた。


 がたんごとん

 レールの上の人生なんて安定しているだろうか。脱線することも横転することも、急停車することも災害がふりかかることだってある。線路だって切れるのだ。終わりがあるのだ。どんなに長く続いたって。

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