第8話

「雪だよ、いつきくん」



 僕らはもっと出会った頃いろんなことをすべきだったんだ。遠距離とは離れているということ。離れるとはそばにいないということ。僕はやっぱりよくわかっていなかった。この距離のことを。






 僕の名前は高橋樹。工場で部品を作る仕事をしているが、出張なんてものが存在すると思わなかった。僕は器用だからと言われ、言われるがままいろんな部署に回された。僕は何かやらかしたのかと思っていたが、そのうちどこの部署にも行き仕事をするようになっていた。ここでは10人ほどは決まったところでなく穴を埋めるように、必要なところへ必要な時に行く役回りがあるそうだ。僕は知らぬうちにその役をしていた。出張なんてのは特に独身で子どもがいない人が担当になる。僕は結婚していないし子どももいない、だから僕に回ってきた。どうしても行きたくないならしかたないとも言われたが、褒められてお願いされて行くのを決めた。本当はしおりちゃんに相談したかったがそれもできなくなって僕は悩んだ。それが良かったか悪かったか、仲直りして旅立つことができたけど。


 通訳さんは優しい。だけど僕は自分で思っているよりなまっているらしく、純粋な日本語しか勉強していないガイドさんにとって難しいらしい。頑張って日本語を話す。こんなことがあるとわかっていたら英語だって中国語だって勉強したのに。少しずつ通訳さんに教えてもらっている。



「そっか、雪か」


「離れたらいろんなところ行きたくなってきた」


「そうだね、どこに行く?」


「とりあえず温泉行きたいかな、露天風呂あるところ」


「温泉か。僕、長風呂出来ないよ?」


「あ、ほんとに?」



 電話口の声が嬉しそうだ。



「頭痛くなって入れないんだ、扇風機の前とかでコーヒー牛乳とか飲んでる」


「一緒だ」



 こっちにはお風呂なんてないからすごい嬉しい。しおりちゃんが考えてくれたんだろう。冬休み期間に予約をしてくれた。これでまた仕事を頑張れる。明日早番だからと僕が電話を切り上げようとする。



「また電話してね、待ってるね」


「ふふふ、しおりちゃんの声かわいいね」


「かわいくないよ!」



 ぶち、っと切られてしまった。声というのはすごい。もちろんテレビ電話もあるのだけれど、毎回はしない。もちろん電話も毎日はしない。SNSだけの時ももちろんある。だけど声のトーンや大きさでいろんなことを想像させる。少しクールな声のしおりちゃんは水色のスカートと星の髪飾りをつけて一体どんなふうに歌うんだろう。僕は彼女のアイドル時代の話を聞かない。アイドルとはつまりはみんなのものだ、誰かが独り占めできる人はアイドルとは呼ばない。まあもう引退しているから別にいいんだけれど。彼女が自分で話をするなら聞くし、ただそれだけ。僕が一目惚れした彼女は間違いなくアイドルの姿の彼女で、正直にいうとしおりちゃん自体はあんまり好みではない。半泣きの守ってあげたくなるようなタイプの巨乳が好きだ。しおりちゃんは控えめな胸で下ネタが少しお好きな、ちょいSの女の子。タイプど真ん中ではないのだ。言ったら怒るのかな?


 いろんなことがあって少しずつ本当のことをお互いに話している。不思議なしおりちゃんの力のことも聞いた。それは今はもうなくなってしまったという。物理的にも心理的にも距離が離れるとできないんだろうか。彼女は一時的だろうとそういう力のあるひとだった。僕は知らず知らずのうちに比べていたんだ、自分と彼女を。釣り合うとかそうじゃない。同じところに立っていない気がしていた。地面ですらないような気がしていた。そしてそれはその通りだった。僕は今彼女と離れていることを少しよかったと思っている。いったいどんなふうに接すればいいのかさっぱり分からないから。彼女との思い出の少なさに僕は驚いている。なぜ彼女が僕から離れないという自信があったのか今ではわからないほどの自信のなさで、実は彼女に嫌われているんじゃないかと疑っている自分がいる。彼女との距離が離れた今、心こそ離したくないからと少しずつ心を話している。それがいいのか悪いのかはもう知らない。僕にできることは嘘をつくことではないということだけしか、今の僕にはわからない。



 僕の名前は高橋樹。今の仕事をする前は面接に行っては落ちる日々で、その前は普通の会社員だった。満員電車が苦手でスーツが苦手。息が苦しくなって電車内で倒れ、近くの駅で救護を受けてその日休んでそのまま仕事を辞めた。そのせいで電車も遅れてしまった。多くの人に迷惑をかけたのだ。僕は人に触れるのが苦手だ。友だちとの距離感だってよくわからなくて、今でも連絡する友だちなんて少ない。しおりちゃんと知り合ってからの友だちのほうが多いくらいだ。人に触れると考えが読み取れるという妄想をしていたのは中学生の頃、それを引きずりながら大人と呼ばれる年代になってしまった。僕は本当にそんな力はない、逃げるように人を避けていたそんな時、君に出会った。そうだね、今は僕のことだね。僕の両親は仲が悪かったんだけどね、最近父さんが倒れて。ああ今はもうリハビリしてるんだけども、母さん毎日面会に行ってるよ。あと妹が拾ってきた子犬がいるけどほとんどおばちゃんが面倒みてる。妹と母さんがあの駅のすぐそばのアパートにいて、犬はアパートの近くのおばあちゃん家にいて、このおばあちゃんが施設に行ったから代わりに親戚のおばちゃんが住んでる。犬って、ああ名前?なんだっけ、たしかソラだったかな。動物好きだけど金魚しか飼ってたことないよ。ソラは可愛いけどちっちゃくて踏みそうになっちゃって怖いかな。



 冬も深まったある日、僕は久しぶりに帰ってきた。といっても予定していたほど日数が取れずに都心と旅館の往復で地元には帰れそうになかった。絶対この日程以上は譲れないと現地の人にいったら、そんなに熱い男だと思ってなかった、楽しんでおいでと送ってもらった。ちなみに通訳さんも最終日までこっちで遊ぶという。なにやら大きなお祭りに参加するらしい。そして待ち合わせ場所が大幅に変わったのになに1つ文句を言わずに予定を合わせてくれたしおりちゃんに、会った。



「まだそんなに変わってないね」


「しおりちゃんこそ、相変わらずかわいい」


「そんなことないよ、都会だしはりきっちゃった」


「ただいま、また戻らなきゃいけないけど」


「おかえり、またお別れしなきゃないけどね、とりあえずは温泉行きましょー!」



 そうして都会から新幹線で山の中の旅館へ、2人で割り勘してお金を払ってある。一泊二日でまた帰る。着いたらすぐ温泉に入ってすぐ出て、浴衣姿にお互いにドキドキした。それなりにいちゃついて1日目はすぐに過ぎてしまった。朝風呂してまったり卓球をした、しおりちゃんうますぎるから。もう降参。ゾンビゲームは僕の圧勝だった。ひぃひぃ言いながら打ちまくってるけど、突然上から降って襲いかかってきたゾンビにビビって目をそらす。どうにもしおりちゃんはびっくりするのが苦手な様子。 僕だってお化け屋敷とかホラーは嫌いだからあんまり得意じゃないけど、これくらいなら平気かなあ。


 その日旅館を後にする前にしおりちゃんと話をした。実はもう任期が終わるまで帰ってこれないのだ。本当に親の不幸や大災害とかが起きない限り、休みはあってもこの地を踏むほどの長い休みはとれない。しおりちゃんは普通に驚き、そっか長いねとつぶやき大丈夫待つからねと言った。ありがとうというと少し涙目になっていた。一生別れるわけじゃないからとお互いに言い合った。そして何故かしおりちゃんから星の髪飾りをもらった。



「覚えてる?私がまだ敬語キャラだった頃」


「覚えてるよ、あれキャラ作ってたんだね」


「うっとりして見惚れてたね、いつきくん」


「それは、確かにそうだけど」



 8割型はしおりちゃんに見惚れていたんだよ。あんなに勢いよく触れられて、心が奪われる感覚なんてもうどこでも経験できないだろう。本当に初めは衣装なんかではなく空から落ちてきた女の子だと思ったよ。だから星の髪飾りをつけているんだと思った。



「ほとんどしおりちゃんに見惚れてた」


「これ欲しかったんじゃないの?」


「当たり前でしょ、なんだと思ってるんだよ」


「アイドルの衣装が好きなのかと…」


「違う!それに大事なものなんじゃないの?」


「そんなには、まあでも持っててほしいかな」



 そこで区切って大きな声で僕にいう。



「高橋いつきくんが好きです」



 あ、幸せだ。この人に好きだと言われることが幸せだと思った。



「僕も、佐藤しおりちゃんが好きです」


「ありがとう。さて、都会に戻って遊びますかね」



 もう1日を都会で過ごし職場におみやげを買った。通訳さんもなにやら紙袋がいっぱいだ。お別れも泣かずに手を振ってバイバイ。やっぱり僕らはもっといろんなことをすればよかったと思う。こんなに長く離れなくてはいけないなんて思ってもなかった。


距離とは

キョリとは

人がいるから相手がいるから物があるから

うまれるものだ

ひとりでは決してキョリはできない

自分がどこにいて

相手がどこにいて

その間のキョリ

相手を感じるとうまれるものだ

何かとのキョリがまとわりついている

誰かとのキョリがつながっている

遠くても近くても

キョリがある

ひとりじゃない

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