第4話

 夏はあっという間に始まり、終わっていく。とても短いのだ。それでも僕らはまるで変わらずに夏のひとときを過ごした。海に行った。彼女は泳ぐのがとても上手で僕はいろんな意味で彼女に見惚れた。そんな泳がない僕を小悪魔の彼女は海に突き落とす。僕は溺れかけたところをライフセーバーのガタイのいいにいちゃんに救われることになってしまった、すごくカッコよかったけど。僕は泳がない。水に服が吸われて重くなって息ができなくなりそうだった。だけどこのままだとこのガタイのいいにいちゃんにキスされてしまいそうだから、懸命に息をした。彼女はその時青ざめてオロオロしていた。普通の人だ、当たり前だ。ただの可愛い女の子だ。それでいいのに彼女は必死に平気なふりをする。普通でいようとしない。彼女の中の何スイッチを押してしまったのか。平静を装って人形のような彼女と帰る。


「しおりちゃん、なんともなく帰れてよかったね」


「それはこっちのセリフですよ、いつきくん」



 笑顔がとっても固い。僕は足を止めて、笑わなくていいよ、無理しないで、僕も怖かったからと言った。



「いなくなったら許しませんよ」


「そんなことを言われても、なにがあるかわからないし」


「そこは嘘ついてください。そばにいるよって言ってくださいよ」


「悪いけど約束はしない」


「ひどい」



 いつものように楽しそうなしおりちゃんに僕は言う。



「もしも僕がまた死にかけたら君がキスしてくれよ」


「ぜひとも」


「これくらいで勘弁して」


「甘いセリフ苦手ですね」


「違う。苦いセリフが得意なだけで、甘いセリフが特別苦手なわけじゃない」



 そうして僕は今日も無茶苦茶な言い訳をしながら彼女と歩く。僕らは変わらなかった。年月を感じさせないほど。合コンの時のカップルも別れ、周りは代わる代わる彼女や彼氏をとっかえひっかえしていた。肩男の木村からも紹介された。しおりちゃんがいるから。そう言うとなぜか微笑まれた。


 そして時は流れて3年目の夏。今年は浴衣を着ようというしおりちゃんに合わせて僕も初めて買った。袖を通すのは子どもの時以来で親に似合ってると言われ、友だちではないわねと詮索される。そろそろ家を出なければ、どこに住もうか検索しながら待ち合わせ。夏の海はうるさい。正直僕は花火が嫌いだ。



「いつも待たせてごめん」


「そんなことないよ、少し早く来てるだ、け」


「どうしたの?」



 どうしたもこうしたもない。改めて僕はこの人に惚れているんだと思わされる。いつのまにか花火大会は始まっていたようで花火のあの音にハッとする。



「花火行かないと」


「好きなのか?」


「嫌いですよ。人混みだしやたらと虫もいるし」


「それでも行くの?」


「花火嫌いなんですか?」


「いや…そうだな、嫌いだ。あの体に響く音がどうにも嫌いだ」



 僕が正直に話すと彼女は僕の手を繋ぐ。笑顔になると急に走り出す。引っ張られるまま花火大会の会場へ向かう。彼女の紺の浴衣が僕を引っ張る。僕は引きずられるように嫌で仕方なかった人混みをかけて行く。



「本当にそうなんだ。じゃあ耳を閉じてください」


「だから体に響くんだって」


「でも花火ですよ。大きくて綺麗な夜の花。2人で見たいです」



 僕は聞こえない彼女の心の声を聞こうと必死になる。僕に好きになって欲しいんだろうか。それとも実は好きだから見たいのか、それともそれとも。僕はまたいつかの日のように考えるのをやめた。彼女のためなら嫌いなものでも大丈夫だと思える。お化け屋敷にだけは行かないけれど。

 夜の大輪の花を見て僕らは、



「「綺麗」」



 2人で見てよかったとそう思う。花火を見上げる首が辛くて彼女の方を向いて驚く、彼女は小さな子どもになっていたからだ。いつかの電車の窓から見た水色のワンピースの女の子がいて、隣で目を輝かせている。開いた口がなんと言おうとしているのか僕のことなのに分からない。花火で照らされた顔がこっちを向きそうになる、息を飲んでいるとあの体の奥まで揺さぶるような音がする。僕は知らないうちに見開いて乾いた目を潤していた。隣の彼女はしおりちゃんに戻っていた。僕は目をこすったがすぐにやめた。僕は考えるのをやめようとした、でもやめられなくてだけど終わらないから、僕はもう話をするのをやめようと思う。僕の感じる不思議なことは実際には起きていないかもしれない。僕の話はもう、自分のついた嘘のせいで誰にも僕ですら信じることはできなくなった。とにかく夏は短い。あっという間に秋が来る、秋は君と出会った季節。君が僕の手を握る。僕が君の手を握る。夜の花は光と音がする。静かにたたずむ花ではない。自然ではなく人工物で、僕は少し、いや火薬の匂いとあたりを照らす光とこの体がバラバラになるような音が嫌いだ。そして怖いんだ。僕1人では見ることのできないもの。握る手の感触を確かめながらそれでも僕はもう君の方を向けない。



「しおりちゃん、僕はもう君のいいなりだ」



 音に紛れて呟いた。恋とは時にそういうものだ。惚れた方の負けなのだ。







 〇〇〇〇〇〇







「僕はもう君のいいなりだ」


 隣で手を繋ぐ彼がそう呟く。

 自分のくくりが分からないとき、ありませんか?どこまでが自分でどこからが自分以外か。わたしは空から自分を見ているような感じがすることがあって、まるで夢の続きのように日常の世界を空から眺めているのです。わたしの小さな庭で起こる出来事。わたしを動かしているわたしがいる。大きなわたしは小さなわたしをいつも見ている。わたしはその指示通り動く人形。はてさてどっちが本当のわたし?



「大丈夫」



 そう呟いては生きていく。わたしはいったいなんだろう。どうしたいんだろう。



「わたしがいるじゃないですか、怖い時も不安な時も悲しい時も病気の時も、わたしはあなたのところへ行きます」


「いかなる時もってやつか」


「そうです、誓います」


「僕も誓いますよ?隣には君がいて君の隣には僕がいる」


「へへ、よろしい」


「ねえ、しおりちゃん君の怖いものってなんだい」



 やっとこっちを向いたいつきくんにわたしは考えていた答えを告げる。



「おばけかな」


「まさか僕の心を読んだ?」


「えへへ、お化け屋敷だけはわたしも手を引かれたって絶対行かないからね」


「ぐう、行かないよ。僕も怖くて行けないけど、怖がるしおりちゃんは見たい」



 なんだこの二択、と唸るいつきくん。いつきくんは面白い。表情がコロコロ変わる、でもそれもわたしといる時だけ。いろんな友達を紹介してもさして変わらなかった。ヒトとの出会いで人間変わるなんていうから試したけど、彼は彼のままだった。わたしだけ特別、そう思うと心が跳ねる。わたしがこの人を変えている、そう感じるたびにわたしの動かなかった心も動く。そうしてドキドキしていると隙ができるから最近は慎重になっている。好きということは隙だらけになるということだ、なんてね。


 歩いて帰る、普通じゃないわたしたちは出店にも寄らない。実は買いたいものもあったのだけれどいつきくんに合わせた。と思ったら手を引かれて1つのお店に入る。奢ってくれたそれはわたしの思っていたもので、どうしてと聞きたかったが手を繋いでいたので黙った。無心になって頬張る。いつきくんは頼まないのかな?顔を覗くと俯いてなにやら考えているご様子。



「あ!」



 そう声を出すと案の定顔を上げる、その口に突っ込んでみる。



「ひほほはん?」


「あははは、いつきくんもどうぞ?」


「もぐもぐおいしいです。なんかしおりちゃんって励まし方が乱暴」


「今気づいたの?小悪魔って言われたからそうしようと心に決めました」


「悪魔だ、君は」


「いつきくんは堕天使かな」


「ひどい!」



 電車でいつきくんの最寄り駅まで行く、東屋が見える。わたしは実は彼に隠していることがたくさんある。だけどねいつきくん。嘘っていいものなんだよ。知らない方がいいことってたくさんあるから。だからきっとね、いつか話す時が来るまでわたしがもうどうでもよくなるまではずっとこのまま、離せない。



「またね」


「また、いつきくん」


「あ、えっと、浴衣。可愛いよ」


「おお?ありがとうございます」


「お、お休みなさい」



 なんと、わたしとしたことが。言った直後に走られた。逃げられてしまった。



「かっ、かっこいいよ!」



 くすくす、

 花火大会終わりの少し混んだ電車内でさすがのわたしも恥ずかしかった。だから余計に口の中の甘い残り香が嫌でわたしの最寄り駅でアイスコーヒーを飲み干す。ブラックで。



「頭の中がお砂糖なのはいつきくんのほうだよ」



 誰もいない駅で1人。

 いやもう1人、



「ねえ、お姉ちゃん」


「そうね、でも返事しなきゃよかったんじゃない?」


「だってなんか悔しくない?」


「そういうとこ可愛げあっていいのに」


「ねえお姉ちゃんはさ、本当にもう戻ってこないつもりなの?」


「だってそっちにいてその力があると生きづらいでしょう?」



 お姉ちゃんは時々わたしの元に姿は見せないけどこうしておせっかいをしてくる。



「お父さんもお母さんもそこにいるの?」


「潮里が思ってるよりいいところよ」


「だってみんな考えてること分かるんでしょ?全部?」


「そう、全部。だからここにいるの」


「お姉ちゃんはいつきくんが考えてること全部わかるんでしょ?」


「もち!」


「わたしも全部わかるようになりたい」


「あれ?少しは分かるんでしょ?」


「でも全部じゃない」



 小さい頃はお化けだと思ってとてもとてもとても怖かった。でも今は違う。歳を重ねるごとに彼女も成長していきずっとお姉ちゃんのままだ。なんたら思念統率ほにゃららかんたらというところへお父さんとお母さんとお姉ちゃんはさらわれた。その力があったからだけど、



「詩織は今のままがいいよ」


「そうかな、ありがと」


「また来るね、あ、詩織?」


「何?あ、やめて言わないで」


「あー読まれちゃった」


「「浴衣可愛いよ」」なんて!」


「いつきくんも可愛かったね」


「な!お姉ちゃん、狙っちゃダメだよ!」


「またねー」


「お姉ちゃん!?」



 呼びかけても返事がなくなる。お姉ちゃんは行ってしまった。いつきくんと出会ってしばらくぶりにお姉ちゃんがまたちょくちょく来ては好きなだけ喋るようになった。



「花火か、なんで嫌いなんだろ…」



 いつきくんのことをもっと知りたい。だって、だって。


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