第5話
あなたに会えてほんとうによかった。わたしは本当にそう思うのに、
「しおりちゃん、いってきます」
「いつきくんお仕事頑張ってくださいね」
今感じている幸せも長く続かないなら、いっそ壊してしまいたくなる。
わたしのことを見ているわたしは、上から自分を見下ろしている。お姉ちゃんは小さいころにそのまま2つに別れてしまったんだと、離れていってしまったんだという。地面の自分と空の自分に、そして両親とお姉ちゃんは事故にあって死んだ。遺産相続されてお金がたくさん動いた。残ったわたしたちはたらい回しにされて、やっとおばあちゃんのところで落ち着いた。
電車の揺れはわたしにいろんなことを思い出させる。がたんごとんとがたんごとんとゆられて今度はどこに行くの?どこに行けばいいの、それともこのままゆられていればいつかどこかにたどり着けるの?
「次は終点〇〇。お忘れ物のないようにお乗り換えくださいー」
降ります。この駅はわたしの職場の最寄り駅だ。わたしはビデオ屋さんでアルバイトをしながら他のところでも働いている。だけど今日はそこには行かない。3年目にして初めて誕生日を祝うことになった。やっとバイト先に来てくれたいつきくんのレンタルカードを作ったとき、彼の夏生まれという嘘がバレて、本当の誕生日を教えてもらった。9月1日なんてもうすぐじゃない、急いでわたしは当日の休みをもらった。祖母の体調が良くなくて、なんて嘘をついて。
「いつきくん、何が欲しいのかなあ」
トイレの鏡で髪をいじりながら正面の自分に聞いた。いやいつきくんに聞かなきゃ意味がないんだけど。ショッピングモールの8階から順に降りていくことに決めた。電子機器、パソコンとかカメラとかギターとかベースとか、本にマンガに文房具。紳士服、婦人服、雑貨とインテリア。そこのクッションに身を任せてわたしは休憩した。うーん、誕生日会の話が出たときに見えたのはわたしの顔だけだったから一緒に過ごそうとしか。プレゼントのイメージが全然なかったなあ。なんかもうこのクッションでいいかなあ、とぼんやりする思考に入りかけていく。立ち上がり、スカートをパンパンとする。またエスカレーターを下る。鏡に自分の横顔が映る。上へ登っていくエスカレーターにはカップルが映る。次はキッチン雑貨にマッサージ機器、最後に化粧品と特設コーナーにわたしの好きなゆるキャラのコーナーが出ていた。なんでわたしは正面玄関から入らなかったんだ。自分の買い物を済ませて側のカフェへ入る。新作の甘いやつを飲みながらまた考える。1人で楽しんでる場合じゃない、プレゼント見つからなかった。あと3日。こんなにゆっくり探せるのは今日しかないのに、あとはバイト帰りになってしまう。
「よう、潮里!」
「あ、木村くんにみりあちゃん」
「1人?」
「うん。2人付き合ってるの?いつの間に?」
あきらかに恋人同士の距離感でわたしのテーブルを囲むから、立って歩いた。
「なんか樹と潮里のラブラブっぷり見てたらなあ」
「みんな羨ましがってるよー」
「そうかな?」
「でも俺がキューピットだからな!樹の背中押してやったんだ、なんだっけか2人ケンカしてたんだろ?目玉焼きのソースがなんたらって」
「ソース?しょうゆの話かなあ」
「一緒に料理とかするの?いいね、うちらもやろう!」
「俺と?お前に任せるよー、あやっぱダメだお前に任せたら辛くなる。辛いもん好きすぎ」
「えー?あんたが甘党なんでしょ」
「あの、じゃあわたしはこれで」
一緒に料理か、それもいいかもしれない。去年のバレンタインの様子を見る限り甘いものが苦手なようだから、甘くないように工夫をして。材料を買って、そしてメッセージカードも買ってみた。家に帰ってふと思う。なんでバースデーカードにしなかったんだろう。ときどき大きいわたしに従いすぎて無意識になってしまうことがある。体が勝手に動いてしまって。いや勝手に体を動かされてしまって、小さなわたしは困る。せっせとカードを作るわたしをななこはじーっと見てくる。これはダメだよ。あっちでさゆりともときと遊んでおいで、そういって注意をそらす。 ふと視線を向けるとおばあちゃんとさゆりがビーズで何かをつくっている。わたしはそれも一緒に作ってプレゼントとして入れた。ちょっと幼稚なプレゼントだと思ったけど、わたしたちにはお似合いだ。
「できた!」
「おねえ、それプレゼント?」
「あら、結婚したい人か考えなよ」
おばあちゃんはしきたり人間だ。
「友だちにあげるの」
「絶対うそだね」
生意気な弟とかわいい妹、そして大きくなってきた猫のななこ。子猫だったななこを1番かわいがっていたのはおねいちゃん。懐かしいなあ。撫でればにゃーおと長く一声鳴く。
誕生日の日、仕事終わりの作業服のいつきくんを捕まえた。誕生日おめでとう、プレゼントをあげた。そしてもう1つのプレゼントとして一緒に料理をしようと伝える。
「ありがとう、しおりちゃん」
「こどもっぽくてごめんね」
「いいよ、だけど、どこで作るの?ケーキ」
「あ、」
場所なんて考えてなかった。お互いの家すら知らない、家族構成すら嘘をついているのに。家には入れられない。わたしはいったいどこで彼と料理している姿を想像していたんだろうか。彼が心の中でわたしを少しバカにする。
「その材料どうしよっか、そうだ、公園は?」
わたしならのってくるだろう?そんなわけないでしょ。
「誰かに見られたら恥ずかしいです」
「へえ、しおりちゃんでも恥ずかしいことあるんだね」
「いちゃいちゃするのはいいですよ」
困ってしまういつきくんが面白い。今までの人とは比べ物にならない反応が返ってくる。少し前のわたしに教えてあげたい、あなたの知らないことが知らない人がたくさんいて、たくさんたくさん教えてくれるということを。こんな自分がいると教えてくれる人がいることを。
「あの、」
「なに?」
「家に、行きたいです」
「いいよ。実は今日おふくろいないんだよ、旅行」
知ってる。本当はお父さんの看病で病院、そのあと病院近くの友だちの家に行くことも。さっきバカにした時に考えてた、その先の言葉も。
「男の家に上り込むのか?」
「はい!」
「しおりちゃんはそういう子だもんね」
「はい!」
わたしは勝手に覗いているだけで、彼の口からはやっぱり何も言ってはくれない。彼は変わらないのだ、変わってくれたところも変わらないでいてくれたところもある。わたしは彼の全てが知りたい。嘘もほんとうも。だからお姉ちゃん、わたしはほんとうにそういう子なのかもしれない。わたしが幸せでも彼は幸せじゃないかもしれない。たとえどっちも幸せであっても、この不思議なバランスでやっと繋がっているこの糸を。
わたしは切りたいのかもしれない。
「お邪魔します」
「どうぞ」
さらっと言っちゃって、緊張してるくせに。
「といっても簡単なロールケーキを作ります。ロールケーキを解体してフルーツとかいろいろ入れてまきなおす。そして周りをチョコクリームで塗って、フォークで線を書きます。すると木にそっくりのケーキになります」
「おお!ブッシュドノエル作るのか」
「ご存知なんですね」
「なめんなよ」
「ふふふ」
「睨んで笑われるなんて」
彼の手の器用さに驚く。いつかの心の声で聞いたけど、工場で細かい部品を作っていると。実際に見ることはないから。キッチンのどこに何があるのか把握しているのもすごい。ホイップを作る手が手馴れている。
「お菓子作り好きだったりする?」
「嫌い」
「嘘をおっしゃい」
「甘いものは嫌い」
「それはほんとね。去年のチョコ甘かったよね。ごめんなさい」
「謝らなくていいよ、必要ない」
「お菓子作りは嫌いじゃないでしょ」
「物作りが好きなんだよ」
そう言いながらも恥ずかしいと耳が赤くなるいつきくんは、お菓子作りなんて男が。なんてことを考えているんだろう。この間も電車の中で耳が真っ赤だった。
「恥ずかしいことないのに。料理できる男子なんて今は胸張っていいことなのに」
「恥ずかしいなんて言ってない」
「そうだっけ?言ってたよ」
なんて。
おいしい。幸せ。
なんて。
「おいしいね、しおりちゃん」
「うん」
「でもこんな時間に食べたら太っちゃうね」
「いつきくんこそお腹に肉ついてきたよ」
「うるさい」
「あー、手出して」
「手?」
そっと差し出されたお手のような手を叩いた。
「暴力反対」
「ふふふふ」
ほらみんなで手を叩こう
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