第6話
わたしは目を見開いた。
驚くとこんなに目玉が乾くんだなあと、間抜けなことを考えながらその光景を見る。
朝起きたらおばあちゃんが床で眠っていた。もう目が覚めないことも知っていた。祖母の体調は良くなかったのだ。嘘をついたのはそこではなく、祖母といってもわたしのおばあちゃんではない。
いろんな手続きをしながら、弟と妹と今度はどこに行こうか考えていた。いいやもういいんだ。あの電車に揺られていただけの頃とはもう違う。一緒にいなくても大丈夫。わたしは彼らにお願いすることにした。わたしだけでは手に負えません。2人はきょうだいだけれどわたしはきょうだいじゃないから、これ以上面倒見ることはできません。そう言ってみた。またねと手を振った時に見た顔は笑顔で、2人にはなんて声をかけるのが正解だったのかわからない。
大きなわたしは小さなわたしのその光景を上から見下ろしている。小さなわたしは大きなわたしを見上げることができない。
わたしはなんの役にも立たないこの重いを抱えて、大事に抱きしめて、だいじょうぶと声をかけて足を踏み出してきた。
わたしは今まで死のうと思ったことがない。死ぬという行為の意味がわからない。
じぶんでじぶんのいきをとめて
くるしくて
それでなんだっていうの?
なんて嘘。
くるしくてくるしくてばかみたいで
笑っちゃう。しんだらくるしくなくなるのに
そんな重いから死のうと想うのだ。
だけどそれでも死ねないのは苦しめと言われているからだ。別に何か期待しているわけではないのだ。
ティッシュをもらった。
肩がぶつかった。
すいませんと言われた。
ご飯を買った。
あたためますかと聞かれた。
断った。
「お姉さんもおにぎりあたためない派なんでしょ?」
「へ?あ、はいそうですが」
チーン
ヒトがいっぱいいる。
電車に乗ってバイトをして帰る。電車が来ない。
また人身事故。
すごいよなあ、そんな勇気。
いったいどこから湧いて来るんだろうか。
電車の窓際、外の景色が流れるように過ぎて行く。
ヒトがたくさん。
中学校が見える駅。青雲の習字が見える、うまい。降りません。
東屋が見える駅。降りません。
海が見える駅。降りません。
ヒトが小さく見える駅。降りません。
トンネルの中で停止する。なんたらかんたらのため点検をしています。お待ちください。このまま止まってしまったら、隣のおじさんは気が気でない。見た目の割に臆病。
窓の外はまっくら、圏外、トンネル。
このまま動かなかったらどうしようかなんて
止まったことにすら気づかずに眠っているヒトもたくさんいる。
誰もがだれとも繋がらない。
いやだ、来るな、触れるな、寄るな、あっちにいけ。関わりたくない。知らない、関係ない。わからない。怖い。きもちわるい。
わたしはきもちわるい。
お姉ちゃんもそうだったのかな?
お姉ちゃん、答えてくれるのはもう
「お姉ちゃん。どこにいるの?」
わたしをお化けでも見たかのような目で見てくる。目をそらすヒトもいる。
「お姉ちゃんどこいったの?」
「お客様、終点です」
「終わりなんてないんです。まだ終わらない」
「はい?飲んでるんですか?寝るなら帰って寝てくださいね」
いつのまにか眠っていた。久しぶりに。
別にお酒も飲んでないのに、揺られて眠るなんて初めてだ。
こうして1日をいつもにも増して流れるように過ごす。小さいわたしとしてはもう少しあがきたかったけれど、大きいわたしがそれを許してくれない。体が勝手にそう動くの、だから仕方ないの。バイト先にも誰にも祖母の訃報のこと以外触れられることはなかった。1人を除いて。
「しおりちゃん!」
「いらっしゃいませ」
「あ、これ借ります。あのその」
「一週間ですか?」
「はい。だからしおりちゃん、あの」
「100円になります」
「…」
「一週間後の10月20日までにカウンターへ、閉店後も翌日の朝9時までならポストにご返却ください」
「また来るから」
「そうしてくださいね」
思わず笑ってしまった。来てくれないと困りますよお客様。一巻だし続き物だしSFだし、次も借りにくるだろう。
わたしがとくに連絡をしなくなって、季節は確実に冬に向かっていった。彼はあまり自分から連絡して来なかったからそのまま自然消滅するものばかり考えていたのに。
おどろき桃の木、次なんの木だっけ。目は乾かない。加湿器のおかげでうるうるだ。
仕事が忙しいから来れないのに。
そう悔しがっていた彼はピッタリ一週間後に来た。そうして4巻を借りほど月日が経って、会話もしないまま。いやしているけれど。
「これ借ります」
「100円になります」
「一週間で」
「はい」
「しおりちゃん、」
「嘘でしょ、そんな、どこに行くの?」
受け渡しの時に触れた手から流れ込んだイメージがわたしを驚かせる。
突然の大きな声に他のスタッフもいつきくんも驚く。
彼はわたしの手をそのまま握って
東屋に来て
そう伝えてくれた
他のスタッフはセクハラか何かを心配してくれているがいつものように嘘をついてごまかす。
「兄なんです」
危なく姉と言いそうになってしまった。
それはそれで大変だ。
今日も頑張る加湿器の水分が移りそうで
わたしはバイトを早上がりした。
「いつきくん、いつきくん」
「久しぶり、」
東屋にふつうに座ってホットココアを飲んでいる。隣に座ってそのホットココアをもらった。
「さむいね」
「どこに?どれくらい?」
「言わなくてもいいんだろ?わかるんだろ?」
それがね壁みたいになって、今は全然わからないんだよ。間接キスのペットボトルの口も笑ってる。
「僕には何もわからないんだ。嘘をついたんだ、中2の時はわかったような気になっていたけど。しおりちゃんと同じようにヒトの気持ちがわかったりしないんだ。だけど今日さっきはっきりとわかった。君はおかしいよ。気持ち悪いよ。僕には君がわからない。この1ヶ月急に連絡が来なくなって、しても帰って来なくて僕は数少ない友達に君の近況を聞いた。おばあちゃんが死んだって、いることすら知らなかったけど。あと居酒屋でバイトしてるんだね、知らなかったけど」
「うん」
「知らないことがあるのがこんなに腹立たしいと思ったことはない」
「そうなんだ」
「僕も嘘をついていたし、君も嘘をついていたし、だから最初から僕らは何も始まっていないんだよ」
「そうだね」
「君のことを知りたいと思ってはいけないと思っていた。君は僕のことをわかってしまうから。でも僕には君の気持ちがわからないんだ。これは不公平だよ」
そこでいつきくんはわたしにキスをする。いったいどういうつもりなのかさっぱりわからない。
「だけどまず僕には普通がわからない。本当なら空気を読んで気持ちを考えてみんな上手く立ち回るんだろうが、僕にはいまいちそれがわからない。何も話さないことはそんなに悪いのか。話すことがないのに話しかけてそれでどうすんだ。普通の恋人のことを調べたりそうしようと努力してみたけれど、答え合わせなんて僕にはできないんだ。口を開けば嘘をついてしまう、知られたくなくて僕は他人がヒトが苦手なんだ」
「そうだね」
「君は困っただろう?」
「ううん、そんなことない」
「嘘だ。こうして欲しい時にそうできなかった」
「そんなの、みんなそうだよ」
「嘘だ」
わたしはうつむく彼の頭をグーでこんとする。
「完璧なヒトなんていないから」
そう言っても彼はそのままで、変わらなくてもうどうしようもない。でもそれはわたしがのぞんだこと、変わらないでいてほしいと望んだ。わたしは彼の前に立つ。座ってうつむく彼の頭を撫でて抱えて大事にする。
「ねえ、しおりちゃん」
「なに?」
「今僕は何を考えてる?」
「わからない」
「嘘をつくな」
「わからないの。さっきからぜんぜん。急に遠くに行ってしまったみたいで、ぜんぜんわからないの」
そうして頭を抱えているけど変わらない。ぜんぜんわからない。
「わざわざ僕の口から言えってことか?」
「違うの、ねえ話を聞いて」
顔を覗き込む。その目はわたしを見もしない。口が動く。
「君が僕から離れることはないと、勝手に自惚れてた」
「わたしもそう思ってた」
「離れていくことがこんなに辛いと思わなかった。だけど僕もね仕事で遠くに行かなくちゃいけない。断っても断ってもダメでしまいにはお願いされた。そして今までにないくらい褒められたんだ。僕から離れるぶんにはいいかなと思って君に伝えようとした。その頃にはなぜかもう繋がらなくて」
ねえ、大きなわたし。どこかでいつもみたいにわたしのことを見てるんでしょ?
「僕はいろいろ考えたよ。事故か、入院か、家族の訃報は当たってたけど、はたまた僕が悩んでいるのをどこかで知られたのかな、とか。君の気に触ることをしたのかな、とか。もしかしたら僕についてきてくれるかもしれない、とか。一人暮らしになるから一緒に同棲できるかもしれないとか。いろんなことを考えて」
わたしはどう動いてなんて話せばいいの?
「だけど君はふつうに仕事をしていた。僕の気も知らないで、いや知っていて。僕は君の気持ちになれない。前に言ってたよね、誰かの気持ちになってあげるなんてできないんだよ。僕らは」
「あ、あの」
「佐藤さんと一緒にいられて楽しかったよ」
「ねえ、待って」
「佐藤さん僕と握手して?」
待って、お願いだから目も合わせて、顔を見せて、
「いつ、きくん」
触れる指が、声がふるえる。
ぴくっといつきくんが動いて、ゆっくり顔を上げる。
いつきくんは目を見開いた。
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