第26話 信頼
「これで……大丈夫……なんだよね」
どこか呆然としたようにそういって自分の膝の上でスースーと寝音をたてはじめた少女の頭を躊躇いながらも優しく撫でるベジ。
「ああ。そうだと思う」
そんなベジにそう返事をするとまだ倒れたままのセレナのもとへいく。
「おい、セレナ!セレナ!」
寝転がった状態で一向に目を覚まさない彼女に懸命に言葉をかけたり肩を揺らしてみたりするが全く反応がない。
そんな様子に段々不安になってくる。
そもそもセレナ程の悪魔があの少女……確か名前をヘンゼルといった、あの子の中のその人(こういうとなんだかややこしいが)の魔法なんかに囚われたりするだろうか?
そして僕ですらなんとか自力で抜け出せたあの場所から、セレナが今だに抜け出せずにいるというのだろうか。
「なあ。カードから魂がでるには」
「その人自身の意思が必要です」
僕の言葉の答えをを繋いでくれるのは、無表情の少年の腕から抜け出しよたよたとこちらに歩み寄ってくるクマの人形。
何故人形が喋るのかとか、あの無表情の少年は一体なんなのかとか、気になることは山程あれど、今はセレナのことが優先だ。
「確かにヘンゼルの中にいるかの者は眠りにつきました。しかし、彼女に意識は戻っていない……」
そこで一旦言葉を区切ると
「あなたもカードの中で見たのでしょう?心の中の幻想たちを」
というクマ。
その言葉に優しく微笑んでくれたティアナや陰口や悪口を吐き連ねていた大嫌いな連中が頭に浮かんでくる。
「ああ」
「それはカードが見せた幻影。あなたの中の光と闇なのです。タロットカードには良いことも悪いことも書かれていますし、正位置と逆位置という位置によっても意味合いがかなり変わってきます。それがカードの中の世界にも多大な影響を及ぼしているんです」
そういうクマはなんとかベジと少女の元へたどり着いた。しかし着いた途端に膝から崩れ落ちてしまう。
足と胴の繋ぎ目がとれかかり中のワタが見える。そんな痛々しい姿にベジは優しい声音で
「クマさん大丈夫?痛いよね。今お薬を」
なんていいながらクマを片手に抱えこむ。
「大丈夫です。でも、ありがとう、お姉さん。僕をヘンゼルの近くに置いてもらえますか?」
「うん」
そういうとクマを自分の膝の上、少女の頭の上におくベジ。
「ヘンゼル……」
悲しそうにそうつぶやくと、彼女の髪の毛を優しく撫でるクマ。
自分の足がとれかかってしまっていることも、今はどうでもいいらしい。
それにしても先程のクマの話が本当ならセレナはその幻想から抜け出せていないということ。
それはセレナ自身の問題で僕にはどうしようもない。
でも、僕にもなにかできないだろうか。
闇を振り払えた今はなんだか自然とそう思えてくる。
僕はベジに名前を呼ばれてそのおかげで闇の中でも光が見えてーー。
「セレナ!セレナ!セレナ!」
僕は必死にセレナの名を呼んだ。
今の僕の立ち位置にいるのがベジでも、もしくはセレナでも同じことをしただろう。
ベジなら優しく、セレナなら乱暴に、でもどちらも仲間を助けようと必死に。
なら僕だってそうだ。
二人とはまた違うけれど。
「セレナ!セレナ!セレナ!セレナ!……」
何度必死に名前を呼んだのだろう。それすらわからない。
喉がカラカラで声もでづらくなってきてそれでも口を開く。
セレナの瞳が開くまでーー。
まるで死んでしまっているようにピクリとも動かずにいるセレナ。
いつも意地悪く歪められている唇は直線をえがいたまま。長いまつげは白い肌の上でよく映える。でもあの、イタズラっぽくキラキラしている漆黒の瞳がなくてはひどく物足りない。ただのお飾りのようになってしまう。
後手にいるベジとクマの人形はただなにも言わなかった。
ヘンゼルのスースーという寝音だけが聞こえてくる。
二人とも最悪の事態になってしまったかもしれないということを察して、でも言葉にはできずにただ黙りこくっているのかもしれない。
「なあ、もしも……もしも……」
その次の言葉は発するのはひどく躊躇われたが、やがて意を決するとおもむろに
「カードと魂が同化してしまったら、それはもう元に戻らないってことなのか?」
とたずねる僕。
そんな僕にクマは少し悲しげな声音で
「……はい。多分。僕も詳しいことは知らないけれどカードと魂が同化した人々の中で元に戻った人は……」
といい、そこで気まずそうに言葉をきる。
「そっか……。じゃあ、セレナはなんのカードに適合したのかとかもわかる?」
無表情のまんま、固まったまんまのセレナをひどくもの悲しい気持ちで見つめながらそうたずねる。
「おそらく恋人でしょう。残りの二枚は教皇と恋人でしたし、あなたは教皇の適応者なので」
そういうクマにベジが賛成の声をあげる。
「うん、そのはずだよ。私がとった二つのカードは恋人と教皇だったから。だから」
「そっか……」
どこか虚しくそう答える。
適応するカードが恋人だと知っても、どうしようもできない。
そんな自分が歯がゆくてヘドが出そうになる。懐にある短剣。せっかくベジとセレナを守れるようにってもらったのに。
なのにこれじゃあ、全然意味ないじゃないか。
ふいにホロリと涙が溢れる。
涙はセレナの陶器のような肌に落ちるとツーッと首筋のほうに伝っていってそのまま消えてしまった。
まるでセレナの命の灯火みたいに、って何不謹慎なこと考えてるんだよ、僕は。やめろよ。
慌てて頭をブンブンとふる。
「……ニ……コ……」
「え?……」
ふいに僕の頬に触れる手。
どこか愛おしむように撫でてくる細い指先。
ゆっくりと開かれていく、長いまつげに縁取られた漆黒の瞳。
その様に驚いて危うく息が止まりそうになる。
「セレナ、お前元に」
「……坊主?……」
その言葉を発すると途端先程まで見せていたひどく優しい愛おしむようにような瞳が一気に冷たく意地の悪いものに変わっていく。
「なんであんたがいるのよ!」
どこか怒ったようにそういってくるセレナ。その言葉を理解するとふつふつも腹の底から怒りが沸き起こってくる。
こっちが、どれだけ心配してたかも知らずに……。
しかもなんでそんな急に怒られなくちゃいけないんだ!
「ふざけるな!こっちがどんだけ心配したかも知らずに!!」
気づいたらそう怒鳴っていた。
けれどすぐに後悔の念が湧き上がってくる。
それはセレナの頬を一粒の涙が伝っていったから。
「こっちはニ……あんたとは全然違うやつが生きてそこにいてくれてるように見えてそしたら実はあんただったから、だから!」
涙を零しながら必死にそう言葉を紡ぐセレナに申し訳ないという気持ちで胸が張り裂けそうになる。
どうすればいいんだ。
泣いてる女の子への対処法なんてーー。
と必死に考えこんでいたらセレナがポツリと
「……ごめん。動揺させたわね。もう大丈夫だから」
という。
暫くすると体を起こし体育座りの状態で膝に顔をうずめるセレナ。
「今日はここで寝ましょ。どうせ誰も通らないだろうし」
そういわれて改めてあたりを見やるともう日も暮れて月が顔をだしはじめていた。
「そうだな。……僕の方こそごめん。色々……。あと、ここだと人が来た時邪魔になるし林の中の方で」
「はあ?あんた、私らがそうこうしてる間ここを通ろうとしてるやつら見たの?」
セレナが顔をあげ、いつもの調子でそういう。
もうその頬に光るものはなくいつもの意地の悪い表情がとってつけたようにあるだけ。
「いや……見てないが……」
「進んで偉そうで傲慢で世界の王様気どってる連中の王国に行くやつなんてそうそういないのよ。そもそも王族以外直接入国禁止なんてめんどくさい上に腹立つ法律しいてるわけだしね。そりゃ誰も来たくなくなるわ」
セレナは諸々の鬱憤をぶつけるように、息をする間もなくそう言葉を紡ぐ。
「って……ほら。もう皆んな寝てんじゃないの」
「え?……」
そういって振り返るとヘンゼルとクマの人形を膝に抱え込んだままガクンと頭をたれたベジがいた。
皆一様にスースーと寝音をたてている。
ベジは確かにこの時間にはいつも寝てたが、今は緊急でしかもセレナが危ない時なのに寝てるなんてなにかおかしい気もする。
「さっきまで起きてたのにおかし」
そこまで言ったところで強烈な眠気が襲ってきて思考が働かなくなって瞼が徐々に閉じられていく。
これってーー。
最後に見たのはセレナの
「あんたもおやすみ、坊主。…………ありがとね」という言葉と切なげな笑顔だった。
セレナがカードの中で何を見たのか知らないが、僕の予想が当たっていたとして、もし昔の大切な仲間たちと出会っていたのだとしたら……。
それは、そう、仕方ないなと思った。
僕も今日は色々と考えたいことがあるし。
そういう時は一人になりたいもんな。
なんて、そんなことを思いながら眠りについた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます