番外編 ヘンゼルとグレーテル〜ヘンゼル〜
ーーとある森にてーー
「汝、我が力を宿すべき者なり」
一人の少女の目の前に黒いマントに身を包んだ男とも女ともとれぬ者があらわれた。
不気味なことに、鬱蒼とした森の中でただ一人でいる少女よりもその者のほうがよっぽど場違いに見える。
それもあいまってその者はより恐ろしくおだろおどろしく少女の目に映った。
「え?……一体、何を言ってるの?……。いや!来ないで!!」
その者から発せられる異様な雰囲気に少女はなにかを感じとり必死に悲鳴をあげる。
しかし鬱蒼とした森の中ではその精一杯の助けを呼ぶ声も木々と木々の間にあるうまらない深い闇に吸い込まれていくようだった。
「拒んでも無駄よ。これはいわば宿命。逃れられぬ運命。受け入れよ、娘。どうせ行き場もないのだろう」
その者は両手をバッと広げた。
黒いマントの袖口には血しぶきのようなものが点々とついている。
しかしながら、少女の脳は状況を整理するのに精一杯でそんなこと気づきもしなかった。
それになにより、その者に自分の境遇をいい当てられたことに僅かながらの怒りと胸が張り裂けそうな程の悲しみと悔しさを感じていた。
『かの森には魂を吸い取る魔女が住むという。森に迂闊にはいれば最後、でてくることは不可能なのであるーー』
幼い頃祖母によく読んでもらった伝承の一節がふと頭をよぎり少女はきつく唇を噛み締めた。
『ここで少しだけ待っててね』
『すぐ戻るからね』
そういって少女を森に置いていった彼女の父と母。今度はその二人の姿が少女の脳裏に浮かぶ。そして、父と母の言葉を少女が理解したときそれはたちまち強い怒りの炎となって先程まで溢れる程あった恐怖を消していった。
少女に強く睨みつけられ、その者は笑い声をあげた。
それはあまりにも不気味な笑い声で、ただでさえ動物がいない気味が悪く恐ろしい森がよりその印象を強めたように感じられた。
「図星か。それにしてもその顔、いいな。それでこそ、我の後継者よ」
「……私は魔法だって使えるのよ。あんたなんて一瞬で消しさってやる!この化け物!!」
少女の怒りは真っ直ぐにその者に向かった。
実の両親に捨てられたという行き場のない怒りが彼女を支配していたのだ。
「我と契約せし者よ、願わくばかの者を焼き払え!!」
少女の白銀の髪が舞い踊る。
強いスミレ色の瞳に激しく燃え盛る炎がよく映った。
次第にその炎は業火の域へ達した。広がってしまえば森全部が焼け落ちてしまうような強さであったが、炎はその者の周囲に留まったまま燃え続けた。
理不尽、裏切り、怒り。全ての感情を燃やすようにーー。
それから暫くすると炎は少しずつ勢いをなくし始めた。
その頃には彼女の中の怒りの感情はなりを潜め強い悲しみと絶望が彼女を包み込んだ。
ガクンと膝から崩れ落ちた少女は一粒の涙を流した。
その時
「やはり。興味深いな、汝の力。その年端でそれほどの魔法を操るとは。より、気に入った」
業火があがった場所に傷一つなく立っているその者。
顔をあげた少女には見えない顔がニヤリと不気味に笑ったような気がした。
けれどもう、怖いという感情はでてこない。強い悲しみからくる倦怠感で崩れ落ちたままその場から動くことなどできなかった。
「汝、使命を賜りてそれを遂行することを誓え」
「…………」
少女はただ虚ろな瞳で空を見つめていた。
先程の魔法で生気全てを使い果たしようにもみえた。
「汝、このままここで犬死する気か?それでいいと真に思うておるのか?」
その者は彼女を試すように言葉を紡いでいった。
「…………ない」
少女の口が微動だながら動く。
それを見てその者は不気味な笑みを深くした。
「生きる意味が欲しいか」
その問いかけに少女は虚ろな瞳をしながらもその者を見上げた。
「ならば、与えてやろう」
もう少女に怖さからくる逃げたいという意思も怒りからくる攻撃意思もなかった。
そんな虚ろな少女にその者はさらに言葉を紡ぐ。
「我、ここに汝を後継者と任ずる。」
その言葉が発せられた途端、その者は黒い影となって、少女へ迫った。
少女はそのことに若干驚きはしたものの逃げようとはしなかった。
彼女はまだ8歳程の人間の子で、親に捨てられたということは死を意味しているも同じだった。
そのことからくる虚無感は恐怖すらも凌駕するのであった。
影は真っ直ぐに、彼女のスミレ色の瞳へ向かった。
「いっ……うっあああぁぁぁぁぁぁ!!」
影は一気に彼女の瞳に収束していく。
あまりの痛みに少女は悲鳴をあげた。
『我の全て、そなたに預けようぞ』
何が起こったのかなんて最初はわからなかった。
けれど、目覚めた時には全てがわかった。
もう、私は、私でなくなったのだとーー。
「このあたりには恐ろしい魔女がでるらしいぞ。まあ、俺にかかればそんなの余裕でコテンパンにできるけどな。お前、俺様の活劇ちゃんと見てろよ」
「じ、実は僕今日用事があるんだよねえ。だから」
「うるせえ。いいからこい!俺の子分の中でも特に弱いお前にはいい訓練になる」
騒がしい声に誘われ森の中枢付近にやってくると二人の男がいてあーだこーだと言い合いながら森の奥へと進んでいるところだった。
数年前のあの出来事以来本来の機能を失った左目をそっと労わるように開眼する。それから左目を覆い隠していた白銀の髪をよける。
するとあの声が聞こえてくるーー。
『久しぶりだな。汝、きちんと仕事はしているのであろうな?』
左目の奥底から溢れ出し脳髄に響くこの声は三年ほど前に出会った謎の者の声。
彼とも彼女ともとれないこの者に対して私は嫌いとも好きともとれない感情を抱いている。……ように思える。
あの日以来私にハッキリとした感情が生まれたことは一度もなく、虚ろな目にうつるのは淀んだ景色ばかり。
幼い頃輝いてみえた世界など、もうどこにもない。
『あの者は愚者の素質があるな。しかし、もう一人の方はさっぱりだ』
自分で意識せずに視線が厳つく意気揚々としている男と細っぽく怯えてる様子の男を行き来する。
「わかったわ」
それだけいうとあげていた前髪をおろしもう私のものではなくなった左目をそっと閉じる。
この間水たまりにうつしてみた左目がまた頭をよぎって、それを脳裏から払いのけるようにこちらに向かってくる男達の元へ向かう。
おぞましい。
そんな言葉がぴったりのそれ。
スミレ色の瞳があったその場所には漆黒の闇をたたえたくぼみがあり、その周囲には彩りをそえるように鮮血の色で花びらの文様があった。
ああ……結局また思い出してしまった。
そう思いながらゆっくりとローブの帽子を深くかぶる。
まるであの日の謎の者みたいに。
「誰だ、お前!!」
「ひいっ!きっと魔女だよ!逃げようよ」
「うるせえ、黙ってろ。こいつが魔女ならちょうどいい。俺が手本を見せてやらあ。それにしても噂の魔女さんがこんなチビッ子とはな。あれだな。噂にいろいろついたな」
「色々っていうか……。それをいうなら噂に尾ひれはひれついてる、じゃ?……」
「う、うるせえ!」
なんでこんなに賑やかなのだろう。
私もたまに謎の者と話すことはあれど、それは実に短く簡素なものだ。だから、何故この人たちがこんなに楽しそうに話しているのか、わからない。
でもまあ、そんなこと今はどうでもいい。
右手を厳つい男の前に突き出すと流れるようにスーッと左から右に手を動かす。
たったそれだけ。
それだけでいい。
「ゔっ……」
胸をおさえて苦しげな声をあげる厳つい男。
「なっ、大丈夫?!」
怯えていた男が慌てた様子でそういう。
男の胸もとあたりに手を伸ばすと心の臓をつかむようにギュッと手をにぎりそのまま自分の元へともってくる。
それから右手を脇で縦に動かす。
するとズラーッと何枚かのカードが並ぶ。
そのうちの一つが黄金色に光る。
『愚者』のカードだ。
それを手に取ると自分の元へ持ってきたままだった左手の拳をひらき、カードを手の上にもってくる。
手の上で淡く光る赤色の塊は、この者の魂。愚者の素質がある者は必ずと言っていいほど赤い魂をしている。
その魂に反応したカードはーー。
「ダメ」
一言だけ呟くと先ほどとは逆の手順で手を動かし厳つい男に魂を返す。
「ゴホッゴホッ……」
「大丈夫?!」
倒れこんだ男を労わるもう一人の男。
その様子を見ながら、人間と人間というのはやはり不思議なものだ、などと思った。
私が謎の者から任せられた任務。
それはアルカナのカードに適応する者を見つけだし、その者の魂をカードに封じ込めること。
アルカナのカードは全部で22。そして、そのうち12個は歴代の〝華の貴婦人〟が集めたものである。
〝華の貴婦人〟というのは、今私がやったような、素質のある者から魂を奪いカードに封じ込める特別な者のことで、謎の者もまた然り、だ。
もっとも素質があっても適応者であるわけではないから先程の者のようにほとんどの者はダメ、だが。
何故カードを集めるのか。目的は?意味は?
何度か謎の者にたずねたが、明確な答えは得られなかった。しかし、
『あの方のため』
よく謎の者はそういうから、この行為は『あの方』の為の何かなのだろう。
もっともあの日マーラという少女の人生は終わったのだから、今の屍同様の誰でもない私には関係ないのだが。
そうやって、変わらない日々が続いていくのだと思った。
けれど、そんな日々もある日を境に終わった。
そう、彼、私の半身となる彼が現れてからーー。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます