番外編 ヘンゼルとグレーテル〜グレーテル〜
自分は弱い。
他人にどう思われているかばかりを気にして勝手に傷ついて、逃げ出す。
なにかちょっとしたことでも涙がでて、止まらなくなって、それを自分ではどうすることもできないんだから。
ーー弱くて泣き虫なお前なんて俺らの仲間になれるわけないだろ!ーー
ーーあっちいけよ、ゴミ。きたねえーー
ーーお前はなんでいつもそうなの、恥ずかしいーー
ーー負けたらたら終わりだっていつも言ってるじゃない!ーー
頭の中に溢れだしてくるその声やそこから生まれる感情全てから逃げたくて僕は涙を流す。
溢れて流れて零れて落ちて······。
けれど、どれだけ涙を流しても心の傷だけは消えてくれない。
時節ズキズキと傷んでは僕にあの嫌な場面をフラッシュバックさせるんだ。
不意にもう限界だと悟る。
だから僕はーー。
「よしっ。飲み物と食べ物は持ったし、時間がかかっても多少大丈夫。······なはず」
リュックサックをギュッと強く握ると真っ直ぐ前、暗くて鬱蒼としていて冷気が漂ってくる、明らかに悪いやつが棲んでいそうな、そんな森を見つめる。
この森のどこかに魔女がいるはず。
そう、魂を吸う魔女がーー。
その魔女の話を知ったのはついこの間。
近所の子供達を牛耳ってる親分ことタリカと、その子分の中で一番気の弱いブレットが魔女に魂を吸われかけたという話をたまたま聞いたのだった。
その話によれば、黒いローブを身にまとったその魔女はかなりの巨体であり凶暴で残忍なやつでどんな奴とのケンカも負けたことがないタリカが魂を吸われかけて負けてしまったらしい。
しかしそれも一瞬のこと。
すぐに形勢を逆転させて、タリカが魔女をねじ伏せたんだとか。
しかしその話を盗み聞きしてすぐに、タリカが勝ったなんて嘘だと気がついた。
タリカは自分が負けたなんて認めないし、なにより負けたなんてことがあればすぐに話をねじ曲げてしまうから。
だから、タリカが魂をとられかけたって話だけはきっと本当なんだと思ったんだ。
それなら、その人なら、僕の魂を、弱い心をとってくれるんじゃないか。
そう思った。
それで今、僕はこうしてこの森へ探索にはいろうとしているんだけど······。
「こ、怖い······」
そう呟いて震える手を抑え込む。
「って、僕また独り言ばっかり······。この間タリカ達に『独りで喋ってやんの』ってバカにされたばかりなのに」
そういってからまた独り言をもらしていたことに気付きため息をつく。
「僕ってなんでこうなんだろ」
そういいながら。
「よしっ!」
やがて一人気合をいれると森の中に足を踏み入れた。
暗く陰鬱で一切光のささないその場所は本当に不気味で、僕は十分もしないうちにすぐさまうちへ帰りたくなってきた。
「そうだよ。別に今日どうしても会わなくちゃいけないわけじゃないし。もうそろそろ帰らないと母さんが心配するかも。それによく考えたらタリカたちに呼び出されてたんだった。……どうせまた金を貸せって言われるんだろうけど」
そんな独り言に自分で言ったことながら悲しくなってきてどこかシュンとしたように来た道をそのまま引き返していく。
こんなどこもかしこも同じような風景の森の中で元来た道を戻ることになったら大変だろうな。そう思った僕は……。
「このパンくずを辿っていけば村に帰れるんだった!」
そう、歩いている最中ポロポロとパンくずを落としていっていたのだ。
それを辿れば迷うことなど一切ない。
「昔よく母さんに読んでもらった絵本にでてきたヘンゼルとグレーテルみたいでいいよね」
なんて一人どこかウキウキしたようにそんな言葉をもらしながら、パンくずを辿って歩みを進める僕。
「よーし、この調子この調子!」
パンくずを辿って歩いていると自然と周囲の鬱蒼とした森に目がいかなくなるから怖くなんかなくてむしろ楽しみながら先へ進むことができる。
なんだかひどくワクワクした気分になってきた。
なんだ。僕って意外とできるじゃないか。こんな恐ろしい森を、タリカたちでさえ怯えていたような森を、怯むどころか楽しみながら歩けているんだから。
なんて思ったその矢先。
木々の間からパッと人が現れる。
その人は僕と同じくらいの背丈だけれど黒いマントを身につけてフードを深くかぶっているため性別などはよくわからない。
あんなところでなにをしているんだろう。
そう思いながらパンくずを辿って自然とその先にいるその人の元へ向かう。
あともう少しでその人の元へつく、というところでその人は膝からばたりと倒れ込んだ。
「ええっ!?だ、大丈夫?!」
慌てて駆けていくとその人を抱きかかえて肩を揺らす。
するとハラリとフードが落ちて……。
「か……可愛い……」
ついそんな声がもれてしまうくらいにその子は可愛くて僕は途端に体が熱くなってくるのを感じた。
白銀色の巻き毛と左目だけが隠れた長めの前髪。まつげは髪と同じ白銀色をしている。
ピンクローズ色の唇はハアハアと荒い息を刻む。
抱え込んだ体は本当にやせっぽちでか細くて……。
「栄養失調かな……」
父は村の医者なので少しは病のことや人の健康に関する事を知っているつもりだ。
その知識の中から手探りで見つけ出したのはそんな答えだった。
顔色は青白く、細い体は寒さに震えている。
それに、僕自身の体だけじゃなく、この子の体も熱くなっていることに気づく。
「熱も……かな……」
とりあえずその少女の頭をゆっくりと自分の膝の上におき、リュックサックの中から食料とマッチをとりだす。
よし、これで……。
「……ここは……」
「あ、えっと、森……だよ」
「……でも暖かい……」
そう呟いてからハッとしたようにこちらを向く少女。
その視線の先には赤々と燃える炎ときっと真っ赤になっているであろう僕の顔がある。
少女はゆっくりと上半身を起こすと
「あなたも魔法が使えるの?」
という。
「え?う、ううん!僕は魔法なんて使えないよ!そんなすごいこと……何一つ……」
そこまでいってからなに初対面の女の子にこんな暗いことをいってるんだろう、と気づき、先程即席で作った目玉焼きとベーコンの乗っかったパンを少女に差し出す。
「よかったら食べて。君、栄養失調だと思うよ。」
「栄養……失調?……」
「栄養が足りてないってこと」
「…………」
少女はただ何も言わずにどこかぎこちない様子で僕からパンを受け取る。
「あたたかい……」
そう呟くとおもむろにパンを頬張る少女。
頬張った瞬間に見開かれるスミレ色の瞳。
まずかったのかな……。なんて心配になるも、少女はすごい勢いでパンをモグモグと食べていく。その様子がなんだか小動物のように思えて僕はフッと笑みをこぼした。
やがて少女はパンを食べ終えると改めて、というようにこちらを向いて正座して深くお辞儀した。
「い、いやいや、そんなことしなくても」
誰かに感謝されたのってもしかしたら初めてかも。
それになにより、こんな可愛い子と一緒にいるのも初めてだ。
目の前で燃えている炎だけじゃない、心のうちからあたたまるようなそんな感覚に笑みがこぼれる。
「あなたは何故ここに」
「君はなんでここに」
お互いに同時に同じようなことを質問して、なんだかそのことがひどく可笑しくて僕はクスリと笑う。
けれど少女の方は特に表情を変えることもなく、僕が笑ったことに対して不思議そうな顔をしている。
「僕からいっても……いいかな?」
やがてそう口を開く僕。
僕がここに来た訳はひどく情けないものだから少女の後では余計に話しづらくなりそうだ。
だから先に話しておきたい。
少女は何も言わずにコクンと頷く。
「……実はね……。ほら、この森には魂を吸う魔女がいる、なんて話あるじゃない?だからね、僕は……」
焚き火を前にして、少女を前にして、芯から温まっていた体が少しずつ冷めていくような感覚。
「僕の弱い心を盗って欲しくてここに来たんだ」
パチパチと焚き火のはぜる音だけがあたりを包む。
少女は何も答えない。
だから僕はそんな沈黙を埋めるように言葉を続けた。
「僕はいつも村の子供たちからいじめられててね」
いじめられてる、なんて初めて形にしたけれど、ひどく胸が痛い。実際そうなんだからそういうほかに何もないのに。なのに……。
「それで僕は母さんにいつもそのことを叱られていて」
精一杯に浮かべた笑みはきっと完璧な苦笑い。
「母さんよく言うんだ。『いじめられてるなんて情けなくて惨めだから父さんには絶対にいうな』って」
ズボンをギュッと握りしめる。
「あ、えっと、父さんは村で一人だけの医者なんだけどね。最近別の村から違うお医者様がやってきて、だから、僕のせいで父さんの評判が落ちてお客様をとられたら困るって、母さんはよく言うんだ」
「……忌み子……」
ふいに少女がポツリとこぼした言葉にハッとする。
「ほんと、その通りだよ。僕は忌み子。心も弱くて脆くて、僕はそんな心を、無くしてしまいたいなんて思ってるんだ。それでこの森に来て魔女を探していたんだけどこの調子じゃいないみたいだね。村の子たちが魔女に会ったって騒ぎたてていたからてっきり本当のことかと思った。」
なんていって笑ってみせると少女は片目しか見えていない、スミレ色の澄んだ強い瞳でこちらを見上げた。
「魔女はいる」
「え?見たことあるの?」
驚きで思わず身を乗り出してしまい、危うく服を焚き火で焦がすところだった。
「……私が……そう」
「…………ええっ?!君がそうなの?!」
「ええ。確かに最近ここらの村の子のような少年二人と会ったし」
「魂も……吸ったの?……」
恐る恐るそうたずねると少女は相変わらず一切表示を変えずに、
「ええ。もちろん」
と答える。
その言葉になにも言葉を発せずにいると
「でも正確には魂を一度抜き取って適合者であるかをみただけ」
という少女。
なんだか末恐ろしいことを言ってるなあ、なんて思いつつ
「適合者ってなに?」
とたずねる。
「それは……」
そこで途端に口をつむぐ少女。
「僕には言えない?」
どこか悲しげな響きを帯びてしまったその言葉に少女は少しためらっているようにゆっくりと頷く。
「そっか。なら、仕方ないね。」
そういうと僕は立ち上がった。
「ねえ、良かったら君も来ない?僕の住んでる村、結構いいところなんだよ。っていってもさっきの話聴いてたらなかなかそうは思えないかもだけど……」
なんていって苦笑すると、少女は俯いてポツリと言葉を漏らす。
「私はここからでられないから」
「え?そう……なんだ。魔法かなにかとか?」
「………言うなれば呪いよ。」
そういうと少女は悲しげな瞳をしておもむろに左目を覆っていた前髪を上にあげた。
「…………っ!」
そこには右目と対になるはずの綺麗なスミレ色の瞳などなく……。
「これはね、〝華の貴婦人〟の証なの」
本来瞳があるはずのそこはくぼみがあるだけ。そしてその周囲には鮮血のような色で複雑な花を模したような文様がえがかれている。
「私はその人から使命を託された。そしてその人は今ここにいるの」
そう言って彼女は自身の左目をさす。
「その人っていうのは……」
「よくは知らない。けれど、私はその人から使命を託され今ここに魔女として存在しているの」
「そう……なんだ」
「ええ。このことも本当はその人が見知らぬ者に教えてはならぬ、なんて言っていたのだけどね」
「だけれど?」
「あなたは他人のような気がしなくて……知って欲しいと思ったの」
そういうと女の子は初めて僕には笑みを見せた。
「こんな気持ち何年ぶりかしら。ずっと忘れていたわ」
そんな言葉になんだか僕まで嬉しくなる。
そして気づいたらこんな言葉を発していた。
「僕、君と一緒にいたいな」
そんな言葉に暫しの沈黙がながれる。
「あ、えっと、今のはなんていうか」
「私も」
「え?」
「あなたとなら退屈しなさそう」
「じゃあ」
「ええ」
「え?え……一緒に……いていいの?」
「ええ。でもその前に一度適合するか見させてもらわないと」
「さっき言ってたのだね」
「ええ。その人が先程からうるさいの。あなたは素質があるみたいだし……」
「そうなんだ」
よくわからないけど、その適合するかどうか、というのをやれば僕は彼女と一緒にいていいらしい。
それって……それってすごく幸せだ。
ハッキリと言葉にされたわけでもないし、僕の勘違いかもしれないけど、僕は今彼女に必要とされているんだ。
「それじゃあーー」
そう言って彼女は手をかざした。
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