第三十三話 火を運ぶもの ~サマエル~
邪悪が……いや、哀れな直轄者が、恐怖に絶叫した。
放たれた破壊の光輝。
俺はそれを、避けずに受け止める。
装甲がえぐれ、霧となって消滅する。
さらなる追撃。
サマエルの
無名の霧。
暗黒の、たなびく気体状の刃金。
そこに、無数の赤い瞳が。
バチ、バチ、バチと音を立てて、血みどろの眼球が次々に見開かれる。
『ありえない……ありえない!? たとえ直轄者であろうと、神の分御霊を授かったものでも、これほどの神威を示すなど!? これは、これではまるで……まるで悪夢ではないかッ──!』
破壊の光輝は、再び俺を吹き飛ばす。
で?
だから、なに?
「はい、もとどおり」
『あ、ああ、ああああああ!? なぜ、なぜなんだ!?』
なぜ。
そのなぜという問いを、俺は呪いに変える。
「それは、俺のセリフだ、くそったれ」
なぜだ?
なぜおまえたちは。
人間は。
「その気高さを──たやすく捨て去ることができる!?」
光射す世界に生きる幸運を。
その尊さを。
過去何千億もの人間が紡ぎ、願い、叶えられなかった幸せを、たやすく否定する!?
「愚かだ、お前たち直轄者は、あまりに愚かすぎる……!」
『──うぐぁ!?』
戸惑う直轄者の頭部を、空間転移してつかみ取ると、そのまま俺は超加速を実行。
音速を超えてその巨躯を引きずり回す。
『や、やめ』
何度も何度も、何度も何度も何度も、触手は俺の肉体をたたくが、そんなものは痛くもかゆくもない。
怒りが、絶大な力が、すべての感覚をマヒさせる。
移動を終えた俺は、そのバケモノを、目的の場所へとたたきつけた。
陸地。
圦須口。
ガーデンのすぐそば。
装甲列車のプラットホームに、100メートルの巨体をたたきつける。
『ぎゃあああああああああ!?』
殴る。
頭部を、羽を、肉を、骨格を、筋を、血管を、なにもかもを。
躊躇なく、分別なく、精密に、乱雑に。
俺は、何度も殴り続ける。
殴り、引きちぎり、両手でつかみ上げ、地面にたたきつける。
踏み潰す。
踏みにじる。
腕に絡みつく触手をむしり、ブチブチと無造作に切断。
逃げ出そうとしたイマージュの頭を踏みつけ、その背中にそびえる右の翼に手をかける。
ミチリ、ミチリと音を立て、いっぱいまで引き延ばされたそれは、やがて弾性の限界を迎え裂断された。
ブジュルと、青緑色の血液が噴出する。
サマエルが、翼だったものを投げ捨てながら、夜天へと向けて咆哮した。
『VOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO!!!!』
『やめ──もう、やめ──やだ、しにたくない──』
直轄者がなにかを言っている。
死にたくない?
死にたくないだって?
いまさら、死にたくないだと?
ああ、直轄者よ、おまえは哀れだ。
なぜならその願いは、あまりにも無意味だから……!
「……滋由ジュウゴ。お前は直轄者になった時点で、ひととしての命を失った。魂の輝きを喪失した。もはや、それは取り戻すことができず、おまえは生命とは呼べない邪悪に零落した。おまえにいまあるのは、〝
『あ、あああ、あああああああ……』
だから、殺すことにする。
だから、すりつぶすことにする。
出来ないはずのことを、死を持たないものを、俺は殺す。
もっと前の俺なら。
さっきまでの、生徒会長だったのなら。
そうしたはずだから。
「……恨め、
俺は邪神を殺せない。
邪神は、混沌へと還すだけだ。
それは、俺もまた邪神だから。
邪神は家族だから。
おまえもそうだ、絶大なる七帝。
すべての旧支配者、すべての邪神の頂点に立つ、七つの俺の同胞よ。
その末弟、クトゥルフよ。
おまえも、俺は殺せない。
俺は、もはや殺せない。
南極を消し飛ばした日、そうなってしまった。
だから、人間のために戦うのだ。
だから、それでもといって殺すのだ。
人間に害するものは、すべて殺すのだ。
『わ、私はぁあああああああああ! 復讐を遂げるまでは──死ねないいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!!!』
最後の悪あがきだろうか。
イマージュの全身から光輝が噴き出す。
それは俺の全身を破壊するが、なに、ちょっと混沌に戻るだけ。混沌浸食係数が、増えるだけ。
ふと、霧のように揺蕩う俺の身体の一部が──眼球の一つが〝それ〟を見つけた。
引きはがす。
装甲列車から──800ミリメートル列車砲を。
突き付ける、腹に。
そこにある、巨大な口腔に、牙を割り砕いて突き入れる。
俺は、きっと笑っていただろう。
「同化──掌握──回帰──射出」
この世界のすべての機械は、兵器は俺が源だ。
ナイアルラトホテップこそが、世界の科学を、軍事を導いた。
だから、これも俺だ──その認識が、列車砲を俺と同化させる。
即座に列車砲を吸収し、混沌を吐き出す破壊の具現へと変化させる。
一発、二発、三発、たまらなくなって、何度も引き金を引く。
響き渡る轟音。
すべて、すべて破壊されていく。
『あ、あああ、あああああああああああああああああああああ』
それでも。
それでも邪悪は死ねない。
邪神は、こんなことでは死ねない。
そもそも死ぬ命がない。
滅びるだけ。
そして、それを可能にするものは、唯一だ──
「開け──遥かなる扉」
サマエルの胸部装甲がはじかれたように裂けて砕ける。
拓いた。
そこにあるのは、無窮の暗黒だった。
混沌庭園そのものが、そこにあった。
「……疑似・輝くトラペゾヘドロン」
左手に、超重力が収束する。
俺はマイクロブラックホール──いな、重力源そのものと化した右手を、そこへと突き入れた。
「
禍々しい暗黒の電が吹き荒れる。
そのさなかに、わずかな正常な、銀の輝きが瞬く。
それは第四の印──巨大な五芒星へと変じて、すべてをつなぎとめる。
これは最後の枷。
決然たる凄烈なる意志。
俺に誓約を与えてくれたひとが、教えてくれた優しい想い。
それが、完全に開放されれば世界を崩壊させる究極の邪悪をつなぎとめる。
時が停止する。
「
先在。
静寂。
叡智。
真理。
混沌を制限すべく、四つの正しき光が周囲に展開される。
俺をむさぼり、今まさに放たれんとする混沌が、純粋な滅びの形へと精錬されていく。
サマエルが、ゆっくりと左手を引き抜いた。
そこに。
その手の中に。
極小の炎が。
燃え盛るともしびが──
『あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!?!?』
時が動き出し、すべてを理解した直轄者が狂った悲鳴を上げる。
悲鳴を上げた。
絶望を叫んだ。
理解したのだ、これがなんであるかを。
だが、もはやもう遅い。
滅びは既に、この世界へと──現出したのだ。
邪悪が、絶叫と恐怖を絶え間無く放出しながら、俺へと最後の特攻を敢行する。
破れかぶれ、死に物狂いの一撃。
幾数条の幾百の幾千幾万の触腕が俺に向け飛来し、打ち付け、討ち滅ぼさんとする。無条数の雷光がこの身に殺到する。
だが、それは無駄だ。
形ないものを、どうやって破壊するというのだ。
それを可能とするものは、ただ、これのみなのだから。
左手の中の種火が、かっと燃え上がる。
それは、黒い炎。
この世には存在しない、目映く輝く漆黒の炎。
「アフ、ヘマハ、マシト――『
俺の脳裏を、怒りが、憤怒が、破壊衝動が、絶望が支配する。
この世のすべてを一切原初の虚無へと還せという当たり前の思考が走る。
もういい、すべて壊してしまえ。
世界など知ったことか。
何もかも殺戮して、虚無に帰してしまえばいい。
全部、全部消えてなくなればいいのだ……
俺は、その赤い、黒い、絶望の中に飲み込まれかけて──
『──違うわ。あなた育むものになったのよ。心を覚えて、これから育んで、すべてを守る……いまこそ名付けましょう、あなたに──玖星アカリという輝きを』
その遥か、はるか悠久の過去より響いた声が、繋ぎとめた。
「……ああ、忘れていないよ。約束したんだから。俺は俺だ。だから──」
あいつがいる世界を、滅ぼせるわけがないじゃないか。
目を閉じ、開く。
浮かび上がる、彼女の、不機嫌で だけどどこか、優しい頬笑み。
狂気の吹き荒れる中、俺は正しく間違って。
『私は、ただの世界を呪って──復讐を──』
「ああ、それも間違っちゃいない。でも、おまえたちはいつもそうだ。何も見えなくなって、誰かのために命を手放す。そんなの──悲しすぎるだろうが」
そして、『ディーの火』が解き放たれる。
「滅びよ、かつて人間だったものよ! この宇宙の理より拒絶され──無窮の闇黒に受けた偽りの生を、せめて死の混沌に還すがいい!」
それは崩滅の火。
開闢と終焉を仕る。
「
この世のすべてが、暗黒の焔輝に包まれた。
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