第二十七話 英雄は還らず

 1979年9月。

 一人の少年が、戦場を駆け抜けていた。

 いや──それは戦場などと呼べるものではなかった。

 一方的な、殺戮のキリングフィールドだったのだ。

 アグレッサー。

 黄金の獣。

 人を、文明を、生命を憎悪する最悪の災害。

 崩れ落ちたビル街を駆け抜けながら、廃墟の一つに飛び込みながら、少年は銃を構える。

 アサルトライフル。

 だが、それは豆鉄砲以下の効力しかないことを、少年は思い知っていた。

 すでに彼の戦友たちは、そのほとんどがアグレッサーによって殺戮されている。

 

 それでも、少年は戦う。

 震える手を握りしめ、唇を強く噛み締めて。

 こぼれる涙を、ぬぐいもせずに。

 彼は自分がなんのために戦っているのか、知っていた。

 それを片時も忘れたことはなかった。

 内発的な意志の力に突き動かされ、少年は恐怖におののきながら、それでも再び銃を握りしめる。

 崩れた廃墟の壁面からのぞく。

 遠方に、黄金のバケモノがいた。

 滅びゆく年の南西へと向かって、真正の怪物は、なにもかもを破壊しながら進んでいく。

 まずいと、少年は直感的に理解した。

 通信機が鳴った。

 数少ない戦友たちが叫んでいる。

 少年は走り出した。

 彼の属する部隊の目的はたったひとつ。

 非戦闘員を守り後退する本隊から、アグレッサーの目を背け、足止めすること。

 そのために

 次々に、戦友たちが無駄死にしていく音が聞こえる。

 彼は理解していた。

 これが無意味な戦いであることを。

 待ち構えるのは絶望であることを。

 それでも、少年はアサルトライフルをアグレッサーに向かって構えると、引き金を引いた。

 わずかな手ごたえ。

 そして、悠然と振り返る、巨大なバケモノ。

 その、目玉とも言えないような目玉が、彼をぎょろりと見つめた。

 恐怖に発狂しそうになる。

 叫びだし、逃げ出したくなる。

 すでに股間はしとどに濡れている。

 失禁し、脱糞し、鼻水とよだれと涙を垂れ流し──それでも彼は、化け物の注意を惹き続けることをやめなかった。

 彼は志願兵だった。

 愛する人たちを、家族を、友達を守るために、自ら少年は絶望的な戦場に身を投じたのだ。

 仲間の悲鳴が聞こえる。

 アグレッサーの体表で、小さな火花がはじけた。

 生き残った部隊の仲間が、ほかの場所でも必死で抗っているのだ。

 ほんのわずかな時間を。

 一瞬にも満たない時間を。

 無辜の人々が、一センチでも遠くへ逃げるための時間を。

 大いなる時間稼ぎをするために。

 彼は、そのまま戦い続けた。

 彼は最後の一瞬まで、その精神が暗黒に飲み込まれるまで、ただの一度も、あきらめるということをしなかった。

 自らのちっぽけな命が、たくさんの未来をつなぐと信じて。

 心の底より、悪を憎んで。


「……結局、彼の所属した部隊は全滅した。だが、彼が時間を稼ぎ切ったことで、人類は団結する。彼が守り切った人々の中に、のちの時間軸で、対アグレッサー部隊ハーキュリーを結成する中心人物、アルバート・ウィルマース・ジュニアがいたからだ」


 ゆえに、彼は人類にとって、英雄だったのだと、俺は語った。

 そして、その英雄はもはや、この世界に

 話をすべて聞き終えて。

 ステラは。


「そのひとの名前は?」


 そう、尋ねた。

 俺は、もはや還らない英雄の名を、口にした。


「ナコト」

「え?」

「彼の名は、大十字ナコトコード〝N〟という」


 誰も知らない。

 みなが忘れてしまった生徒会長の名前を、俺は口にしたのだった。

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