第二十話 現状把握
流星学園には、地下区画が存在する。
いくつかの部分は学生にも開放されており、試験機の開発や雨天時のトレーニング施設、そして春先の神話型アグレッサーの出現に伴い、避難所にも指定されている。
しかし、その大部分はアクセス権限を持たないものにとって、ブラックボックスも同然で、地下領域がどれほどの広さを持つのか、正確に知悉している学生はほとんどいない。
それは教員であっても同じことであり、クリアランスが一定に達していない者にとっては、存在していることさえ知らない区画がいくつもあるのだ。
生徒会長の部屋など、その代表的な例だろう。
誰もがあることは知っていて、しかし辿り着いたことがあるものはいない。
それも当然で、彼の部屋は次元的、空間的に隔離──隔絶されているのだから、常人に侵入しろというのは、あまりにも無理難題なのである。
そんな生徒会長室に、いま5つの影があった。
「本日お集まりいただいたのは、他でもありません。可及的速やかに判断すべき議題が発生したからです」
そう口にしたのは、眩しいブロンドの女性──
彼女は会長の机と椅子しか存在しない空間を、その赤みのかかった瞳でぐるりと見渡す。
ヘラリと応じたのは、蒼に近い髪色を持つ右目に傷のある教師、
彼は茶化すような物言いをつける。
「議題ねェ……まるで円卓を集めたような物言いだな、聖女さんよ」
「いつの時代の話ですか……わたくしは聖女ではありませんし、もはや円卓は存在しません」
「そりゃ寂しい話だ。あんたにラバン教授、キルリアの嬢ちゃん、アーミティッジ家の跡取りに先代バルザイ、ノイズのクソ野郎。それにそこのマッドサイエンティスト。これでも俺たちは活躍した方だと思うんだがね。すくなくとも、世界ぐらいは救った自負がある」
「にょははははははは!」
世界を救ったという彼の
白衣の狂科学者──エグザム・トラスクが腹を抱えて笑っていた。
「
「ただのロボトミーじゃねーか!? やだよ、俺は俺のままで居たいよ!」
「元から痛いやつなのであるから、居ても
「誰がうまいことを!」
ぎゃーぎゃーと子どものように騒ぎ戯れる、人類最高峰の知能と、D.E.M.本体からの使者を自称するセブンス運用のプロたる学園講師。
長い付き合いからくる気安さだが、雨宮女史は、それを冷ややか視線で眺め、溜め息をつく。
「……まともな人間がいませんね」
「そりゃあ、いないだろ、この中に正常な奴なんて」
ぴたりと騒ぐことをやめ、冷え切った眼差しをみせる蒼真。
対してトラスクは、それを非難するようにモノクルのチェーンを揺らした。
「おっと、これは心外なのであーる。吾輩はともかく……ほれ、そこな娘など──」
彼が指差したのは、小柄な黒髪の学生だった。
中性的な顔立ちに、眼鏡をかけている、学ランの人物。
十六夜キリヤ──彼であり、彼女。
「僕は、気にしない……から」
キリヤくんはそう呟くだけで、表情を変えることはない。
だけれどそれは、十分にこの場の全員を反省させるに足るものだった。
ここいるものたちはみな、自分が正気ではないことを理解している。狂っていることを知っている。
それでも。
それでも──
「みな、嘆くのはやめよう。俺たちは、人類といのちのために尽力すると決めたのだから。雨宮女史──いや、リリス。さっそくですまないが、情報を提示してくれ」
俺──玖星アカリは、キリヤくんの頭をそっと撫でながらそう言った。
キリヤくんは目を細め、俺が撫でることを許してくれる。
それを見て、他の者たちも穏やかさを取り戻す。
リリスが、仕切り直すように声を上げた。
「では、こちらを見てください」
彼女は左手に装着した端末を操作し、フォログラミックを空間に投射する。
いくつかの可視化された情報が、グラフや厳密な数値となって流れていく。
リリスが注釈を加える。
「先月、地球連合の新型セブンスをもとに受肉した神話型アグレッサー、呼称〝ティンダロスの猟犬〟について判明した事実です」
提示された情報の渦をいち早く見て取り、エグザムが苦々しい顔をした。
「これは……アグレッサー本体のデータを取ったものであるか?」
「まさか。あれは解析しようとすれば自爆します。これは、残されたセブンスの残骸を解析したものです」
「で、あるか……ならば結論を述べるまえに、玖星アカリ。ひとつ吾輩に事実を教えてほしいのであるが、よかろうもん?」
眉間にしわを寄せたまま問うてくるトラスクに、俺は了承の意志を示した。
質問の意図も、内容も予測できたし、それをこの面子のなかで黙っている理由が思いつかなかったからだ。
実際、彼の質問は予想通りのものだった。
「神話型アグレッサーと、アグレッサーの違いとはなんであるか、ひとつ教示願いたいのであーるぞなもし」
「…………」
それは、この場にいたものすべてが確認したかったことだったのだろう、視線が集中するのが、肌で感じられた。
俺は一度瞑目し、一呼吸おいて、答えた。
「アグレッサーは……一言で例えるのなら、有機的な機械だ」
あれは、おおよそ命と呼べるものを備えてはいない。
もっと厳密な定義をするのなら、単純なアルゴリズムによって構成された自動的な機械に過ぎない。
「対して神話型アグレッサーは、アプリケーションプログラム──もう少し言えばAIに近い。この宇宙には存在しない単一元素によって構成される、オリジナルから別れた明確な意図と理由を持つ邪悪……」
それは邪悪であるがゆえに、邪神であるが故に逆説的に命を持たない。
あれは生命ではない。
「だが、機械でもない。ひとつの目的のための原動力を抱えている。俺はそれを、便宜的に〝
そうしてそれは、生命と邪神を区別するうえでも同じことが言えるのだが……それについて論ずるのは、別の機会に譲るとしよう。
いまは俺の答弁を踏まえた上で、人類至高の才を持つ男が、どんな結論を導いたのかのほうが興味深かった。
俺が視線を促せば、彼はゆっくりと首を振ってみせた。
「結論であるが」
「この個体は──死滅していないのである」
嗚呼。
それは、それは解っていた。
俺はそれを知っていた。
猟犬は、いまだ消えてはおらず──
「エフィルであったか……それと思わしきものが残存している。つまり、あらたな神話型アグレッサーを招きよせる要因足りえるのである」
彼の言葉に、その場にいた全員が沈黙した。
先程までのものとは違う視線の棘が、全身へと突き刺さるのが痛感できた。
キリヤくんすらが、俺を睨みつけているのだから。
そうだ、俺はあれを殺せなかった。
ディバイオスという破邪の剣を手にしながら、邪悪な侵略者にとどめを刺せなかったのだ。
なんと浅ましく、なんとエゴに満ちた弱さなのか……
俺は、意図的に手加減したのである。
「すべて、俺のわがままだ。すまない……」
謝意とともに頭を下げれば、誰かは顔を背け、誰かは舌打ちをし、誰かは冷笑を浮かべた。
「…………」
学ランの〝彼女〟だけが、その
「すまない」
もう一度だけ、俺は呟いた。
『おまえには、傲慢さが足りていない』
俺のなかで〝生徒会長〟が、哀しそうな声音で、そう呟くのが解った。
この数時間後、ティンダロスの猟犬を誘因とし、日本上空に大量のシアエガが襲来。同時刻、米国をアグレッサーの軍勢が襲撃する。
米国での死者は72名──72
俺──生徒会長が。
いや──玖星アカリのエゴイズムが、日本の守護を優先した結果生まれた、それは看過せざる犠牲だった。
彼らに対し、俺は償うべき言葉を持たない。
生徒会長、あなたはやはり間違っている。
あなたを俺を、優しいと言った。
だが──
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