閑話 キリヤ、走る ~魔狗~
無数の条雲となって、無数の絶望となって、僕らの頭上をすぎさっていく。獣の名を冠する天使のもとへ。
僕らはジッと、待ち続ける。
それでも僕らは待ち続ける。
あのひとの、その号令がかかるまで。
『隊長より副隊長以下、第一次護衛部隊全員に通達。速やかに実験場内に突入。ヘルヴィム及びその随伴機の変異した神話型アグレッサーを拘束し、職員らを迅速かつ安全に避難させ。そして、織守ステラを救出せよ!』
スッと一息吸いこんで、瞑目して、そして吐き出す。
覚悟は、遠く昔に完了していた。
「――はい、拝命しました、先輩」
玖星アカリ先輩。
普段はさえないひとだけれど、こんなときは誰よりも頼りになる。誰よりも正しく真っ直ぐになる。
だから、僕らは応えるのだ。
7名の戦士が。
7命の守り人が。
彼に返し切れない恩を持つ誰もが。
その7名が――僕を含む7名が、彼の号令一下、ドミニオンズのスラスターを全開にして走り出す。
大地を踏みしめ、大地を踏み割り、20メートル超の巨人が、天使が、怖ろしい気配がいまなお充満し
巨大なドーム状のその中央に、五つの異形があった。
猟犬――否、
かつて鋼の天使だったものは、いま全身から脳漿のような得体の知れない液体を滴らせ、流動し、そしてその口元からは、細くねじり曲がった注射器の針のような青黒い舌を、だらりと垂れさがっているのだった。
鋼鉄の防御壁を貫いて、酷い刺激臭が、悪臭がコックピットにまで浸透してくる。
邪悪。
狂犬。
ケダモノ。
小型のバケモノが4体、その中央に一回り大きな化け物が1体。
都合5体。
それが――地球連合のセブンスを、むさぼっていた。
ばりばりと、メギリ、メギリと、鋼鉄の装甲を噛み砕き、腕を引きちぎり、翼を捥ぎ、足を切断して、咀嚼し、美味そうに呑み込んでいる。
バシュ、バッシュ、と、短い破裂音をたて、餌食と化したセブンスから、兵士たちが射出――脱出する。
『WOUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUU!!!!』
吠えるケダモノ。
その細長い舌が空間を切り裂いて走り、兵士たちを絡め取ろうとする。
「……
僕が短く告げると、部下たちがすみやかに速射砲を展開、ケダモノめがけて射撃を開始する。
青黒い体表ではじける、連続する爆裂音。
砲撃を受け、わずかにケダモノたちが体勢を崩し、その舌鋒の狙いがそれる。
僕はスラスターを焚いて飛翔。
空中を舞う憐れな地球連合の戦士たちを、なんとかセブンスの鋼の掌におさめ、反対側に着地。
そのまま地面へとおろす。
「にげて、ください。はやく」
邪魔だから、という言葉は呑み込んだ。
彼らは何度もうなずき、すぐにその場から逃げ出す。
地球連合の兵士、職員たちは、我先にと出口へと殺到し、だんごのようになって実験場の外へ転がり出ていく。
でも、学園の生徒たちは――
「にげて」
僕はもう一度、外部スピーカーで訴える。
それでも、彼らは逃げない。彼女たちは逃げ出さない。
必死で計器に食らいつき、なんとかケダモノの――ヘルヴィムの制御を取り戻そうと足掻く。
そう、このひとたちは、そうなのだ。
誰もが、諦めるということを知らない。
どこまでも、たとえ1%の可能性すらなくとも、彼らは戦いを辞めることはない。
その覚悟があるから、他に行く場所なんてないから、流星学園なんかに集ってきたのだから。
そうして、信じている。
僕と同じように。僕の部下と同じように。
〝僕ら〟のように。
――必ず――
必ず、生徒会長が来てくれると。
そう、信じている。
だから退かない。
ゆえに、僕も足掻く。
斉射を続ける部下たちへ、まったく意に介した様子もなく、4っつの影が、ケダモノ本体に繋がる尻尾を波打たせて疾駆する。
迎え撃とうと、6機のセブンスが抜刀。
激突のタイミングで、BSコーティングされた刃が、神話型アグレッサーへと振り下ろされる。
でも――
ケダモノの姿が、刃が切り裂く瞬間――掻き消えて。
『消え――ガアアアアアアアアアアアア!?』
部下のひとりからの通信が突然途絶える。
機体のカメラを、視線をそちらに向けると、部下がケダモノの1匹に襲われていた。
ケダモノは彼らの背後にいた。
「っ」
速射砲を連発し、ケダモノに捕まったセブンスが損壊するのも構わず砲撃する。
ケダモノの姿が、青い霧を残して、また闇に消える。
この間、僕たちは一度も視線を切ってはいない。
光学機器の故障?
でも、有視界でも捉えているのに……?
『十六夜副隊長!』
悲鳴のような指摘に、僕は咄嗟に後方へと刃を振るった。
ガギィィィンと、鋼と鋼が衝突する音が鳴る。
神話型アグレッサーの1体が、またも気配なく、そこにいた。
咄嗟に飛退き、部下と合流する。
『RUGUUUUUUUUUUU……』
しみだすように、青い煙が流れ、試験場の至る所から――瓦礫、整備機器、セブンスの残骸――その全ての、鋭利な先端から、奴らはにじみ出るようにして現れる。
尻尾でつながる五体のバケモノ。
まるで地中からしみ出す五指、五つの牙の塔のように、異形がはえて。
そして、その中央にある巨体が、身を撓める。
――その動作は、限界まで圧縮された
周囲のすべてを切り裂きながら、化け物の鋭くとがった舌が、その全身が変貌した槍のような瘴気が僕らへと飛来する。
セブンスの機動力を以てしても躱しようのない速度。
ジグザグに走る魔狗!
その一撃が、僕を貫こうとして――
『ふっざけんなああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!』
誰かが、叫んだ。
清廉な、凛とした声が、瘴気を切り裂いた。
猟犬が描く、破滅の軌跡が、突如ぐちゃぐちゃに変化し、虚空へと上がって、そして地面へと叩きつけられるように落下する。
もうもうと土煙が立ち込め、それが晴れたとき、一番おおきな獣は、苦しむように身をよじりはじめた。
――織守ステラ。
彼女の仕業だと、彼女の御業だと、僕は天啓のように悟った。
「先輩!」
咄嗟に通信機へと怒鳴る。
『――そうだ、ステラは、まだ取り込まれていない! なんとしても救いだすぞ!』
「――――」
彼の言葉を聞いて、僕らは奮い立つ。
彼が命じたからじゃない。
織守ステラにも、僕らは大きな恩があるからだ。
なによりも、僕らは仲間を見捨てない。
だから、全員が奮い立つ。
でも、こちらの予想を超えて、アグレッサーは暴虐だった。
『GURUWUUUUUUUUUUUU!!』
のた打ち回っていた巨大な一頭が、ゆっくりと身を起こす。
その上下ふたつの咢が開き、舌が伸びる。
黄ばんだ
『RUBWUAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!』
その個体の雄叫びを号令としたかのように、4つの影が走る!
一瞬で姿が、青い霧を残して消え去り、僕らの背後――否、真下から牙をむいて襲い掛かる!
二名が足をとられ、残りの4体が後退。
即座にアグレッサーの固体を打ち滅ぼすべく銃器を向けるが、そのときにはもうやつらは姿を消している。
「これじゃ、だめ」
そう、ダメだ。
打つ手がない。
完全に、あちらの
僕らの周囲から、青い煙が立ち上る。
4体のケダモノ。
尻尾で連結された魔獣。
包囲され、そしてまたも最大の1体が、身を撓める。
もう一度あの攻撃を放たれれば、先ほどみたいな幸運はあり得ない。
如何に織守ステラでも、できないことはできない。
なんとか、僕がなんとかしないと。
あのひとが来るまでは。
先輩が、生徒会長が。
玖星アカリが来るまでは――
『――あー、テステス。本日は悪天候なり、荒天なり、嵐なり。つまりはエブリデイ波瀾万丈であるからして!』
唐突に、何処からか通信が割り込んできた。
場違いに明るい、底抜けな声音。
愉快そうな、なにもかもを楽しんでいるような、そんな声。
その声が、言う。
『ハローワールド! 奮戦しているような、そうでもないような、しかっし骨太元気に頑張っているようであるな、若人たち! ボクの名は、トラスク。ドクタァアアアアアアアア、トッラアアアアアアアアアアアアアアスク! この暗黒の時代を照らす叡智の輝きにして、一切合財、超天才! そしてぇ――』
君達に、これから希望の灯火を手渡すものだ。
『さあ、命令をくだしたまえ、指揮官どの。隊長殿、道化どの、道化演じる玖星アカリ! 君が君の部下に、必要なオーダーを命じるのだ!』
その言葉に。
その理解不能な、訳の分からない言葉に。
彼は。
玖星アカリは。
『――60秒だ』
こう、言ったのだ。
『60秒、生き抜け』
その刹那、僕らのやるべきことは決まった。
決定した。
確定した。
ケダモノの、致命的な一撃が放たれる――
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