第十四話 叛逆機、出撃不能 ~されど輝く星は未だ絶えず~

◎◎



『――――』


 通信機がなにかの音を伝える。

 その間も、その場にいた人間のすべてが、その光景から眼を逸らせずにいた。

 あまりに冒涜的なそれは、目を逸らすという行為すらも忘却させてしまったのだ。


 立ちのぼる。

 ヒビ割れる。

 ねじ曲がる。

 砕け散る。


 ヘルヴィムの周囲の大気が、地表が、水分が、土壌が、空間すらが歪曲し、その隙間からなにかおぞましいものが這いだしてくる。

 瘴気。

 不定形の、青黒い噴煙のようなものがもうもうと吹き出し、その鋼の身体を覆っていく。


『――ちら――ラ』


 その煙は、異様に粘度が高く、けがらわしく、不浄で、触れるものすべてを侵す、魔性を帯び。


『――こちら――ロット――、応答――返事――』


 ヘルヴィム本体だけではない。

 まるでその尾に続くケーブルを電流が走り抜けるように、随伴機4体にも、不浄の瘴気は絡みついていく。

 立ちのぼる。

 曠野から――

 流星学園の敷地から――

 無数の、穢れた、死にも等しいねじけた悪意が噴出する。

 それは、残滓。

 僅かな期間に熟成された、あのときの――ウィルバー・ウェイトリーの最後の兄弟の、その怨念が凝り固まり、この地にこびりつき、そして招いた災厄だった。

 ベースキャンプ内に設えていたDR侵蝕度計測器が、ド級の警報を発する。

 それが意味するのは負位置の侵蝕度。

 侵蝕度マイナス【1929.3】!

 憎悪が、いま、顕現する。


『WOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOWUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUNNNNNNNNNNN!!!』


 吠えたてる憎悪。

 叫び狂う狂犬。

 その姿に、もはやセブンスの面影はない。

 ぐにゃりぐにゃりと変質する、無数のアギトを持つ原形質にも似た、だけれどもっと醜悪な存在として、その化け物は動きだす。

 暴れはじめる。

 手始めにとばかりに、その爪牙を振り上げ、たたきつける。

 実験場の、職員たちへ!


「やらせるな! 火器の使用を認める、撃ち滅ぼせ!」


 いち早く正気に戻ったのか、件の高級士官が命令を飛ばす。 

 それは速やかに伝達され、地球連合のセブンスたちが動き出し、ヘルヴィムだったものに銃器を向ける!

 ――ふざけるな!

 そのなかには、そこには彼女が――!


『――いい加減応えろっつってんのよ、スットコドッコイども!!』


 そのとき、指令所に響き渡ったのは雷鳴の如き、そしてなにより清廉なる怒号だった。


『こちらテストパイロット。現状を把握したい、速やかに説明を求む!』

「――!」


 聞きなれたその怒鳴り声に、俺は咄嗟に飛びつく。

 地球連合の通信官からインカムを強奪し、その名を呼ぶ。

 

!?」

『――っ、その声はアカリね? なにが起きているの、現状を教えて!』


 知りたいのはこちらの方だという疑問よりも、それよりもなにより先に、俺はその言葉を叫んでいた。


「無事なのか、ステラ!?」


 彼女が乗るヘルヴィムは、いままさに、邪悪ななにかへと変貌しようとしている。

 なら、ならば、それに乗る彼女は。

 ステラは。


『無事に決まってんでしょうが、あたしを誰だと思ってんのよ! いいから、なにが起きてるのか教えて。こっちは機器が全部ダウンして真っ暗闇なのよ! 視野が確保できない!』


 勇敢。

 彼女を一言で表すならばそれだった。

 異常事態が起きていることを知りながら、ひとつたりとも臆することをしない。

 ただ真っ直ぐに、彼女であり続ける。

 俺は、その頼もしさに胸を打たれながら、なんとか状況を説明する。


「単刀直入に言うぞ? いまその機体は――アグレッサーになろうとしている」

『なんですって?』

「理由は解らん。だが、ヘルヴィムを母体として、邪悪が産まれ堕ちようとしているんだ。ステラ、そこは危険だ、今すぐ脱出してくれ!」

『…………』

「どうした? なんで黙って」


 なん、だっ……て?


『制御系からしてぜんぶ機能停止してるのよ。この通信だって、携帯端末からやっている。でも、そう、これがアグレッサーに――人間の敵になろうとしている……』


 ステラはぶつぶつと、冷静に、呟くようにそんなことを言う。

 だが、俺の内心はとてもじゃないが冷静ではいられなかった。

 彼女が邪悪に呑みこまれる。

 そんなことは、あってはならないのだ。

 既に周囲では、地球連合の職員たちが怒声を張り上げ、ヘルヴィムの周囲を警護していた部隊に指示を飛ばしている。

 


「クソッタレが」


ああ、ちくしょう! 理解したぞ、そういうことか!

つまりは、このために、このためだけに、邪神たちの副王は流星学園へと干渉したのだ。

 織守ステラ。

 彼女を、人類から奪い去るために!


「させるかよ、二度と、二度までも、ふたたびそんな真似をさせるものか――雨宮女史!」


 名を呼べば、彼女は真摯な表情で頷いて見せる。


「緊急時の理事長代理権限を発動します。玖星アカリくん。この瞬間からきみに、現状打開のため、一時的に全部隊の指揮権を委譲します。流星学園の総力をもって――あなたたちの朋友を取り戻しなさい!」

「応!」


 頷くとともに、携帯デバイスを展開。

 実験場の周囲で警護に当たっていた、異変に直面しても冷徹に命令を待ち続けていた学生たちに指示を飛ばす。


「隊長より副隊長以下、第一次護衛部隊全員に通達。速やかに実験場内に突入。ヘルヴィム及びその随伴機の変異した神話型アグレッサーをし、職員らを迅速かつ安全に避難させ。そして、織守ステラを救出せよ!」

『――はい、拝命しました、先輩』


 応じた声は、小さく、だが確かなもの。

 この部隊の副隊長、生徒会書記であるひとりの人物。

 十六夜キリヤが、平時と変わらぬ声で答える。


『人員を避難。そして、副会長を、取り戻し、ます』

「……頼んだ」

『頼まれ、ました』


 指揮所の外で轟音。

 モニターを見れば、7体のセブンスが陣形を汲んで飛翔していく。

 俺は端末に怒鳴る。


「ステラ! いま学園のセブンスがお前を救出に向かった! だが地連のセブンスは如何に構わずアグレッサーを殲滅するつもりだ! なんとかして脱出できないか!?」

『ムリ言わないでよ、いまこうやって静かにさせてるだけでも限界! ホールバーグ炉心もエネルギーの供給をやめないし、駆動系に限界上の過負荷をかけて、それでも動き出そうとしてる! それに、っ、これちょっとマズ――』

「ステラ? ステラ!?」


 通信端末は、それ以上なにも伝えてこない。

 ただノイズを走らせるだけで、彼女との通話は断裂してしまった。

 ベースキャンプ内のモニターに視線を移すと、おもむろに動き出したヘルヴィムだったもの――化け物が、戦端をひらいた地球連合のセブンスに踊りかかるところだった。

 その随伴機4体も、同時に異形と化し、周囲を破壊し始める。

 職員たちが、生徒たちが瓦礫に巻き込まれる!


「くっ――地球連合さん、こっちは俺達に任せて、あんたらは兵を引いてくれ! 避難誘導を最優先にしてくれないかっ?」


 地連の職員たちに俺はそう言葉を投げるが、彼らはちらりと此方を見るだけで、動こうともしない。

 リリスが難しい顔で立ち上がり、彼らに言う。


「地球連合の皆さん、まずはお仲間の避難と――そしてあなたがたも退避を。ここも戦場になる恐れがあります。指示系統の壊滅だけは避けなくてはなりません。とかく、逃げましょう」


 涼やかに雨宮リリスがそう語り、それを聞いて、兵士たちはようやく顔を見合わせる。

 代表して口を開いたのは、俺を侮蔑していたあの高級士官だった。


「逃げる? おかしなことを言う方だ。我々は逃げない。我々は倒す。邪悪を打ち倒す。その為の地球連合、その為のセブンスだ」


 それに、と、彼は言った。

 それに、と。


「それに――? アグレッサーのセブンスに対する干渉など、これが世界で初めてでは?」

「――――」


 俺の脳裏で、なにかがはじけ飛ぶ音が聞こえた。

 ギリリと意識せず奥歯を噛み締め、拳を固く握る。

 その手を振り上げかけて、肩を掴まれる。

 振り払い、振り返り、睨みつければ、そこにいたのは、空色のスーツに雪花石膏の肌を持つ、黒髪の女性だった。


「……なんのつもりだ」

「それは私の台詞です。私は、流星学園理事長代理ですよ? 私は言いました、避難すべきだと」

「俺に、逃げろと?」


 ステラを置いて?

 キリヤくんたちを戦いにいかせて?

 これだけの人間が、これからどうなるのかを見捨てて?


「曲がりなにも俺は指揮官だ、隊長だ、主任だ。防衛を、任されている。それはできない。我先に逃げだすことなどできない」

「ならばこそ、指示を出すあなたは安全な場所に居なくてはいけません」


 ふざけるな、いまここを離れたら、こいつらはなにをする?

 ステラを殺すと言ったこいつらが。

 ――



「……解った、避難しよう。雨宮女史、一緒に来てくれ」

「はい」


 真っ赤に塗り潰される脳内。

 俺は冷え切った言葉を吐きだし、リリスと連れ立ってベースキャンプから出る。

 キリヤくんの部隊に、もう一度追加の命令を出し、そうして俺は、リリスの胸ぐらをつかみあげ、吠えた。


「俺は誰も見捨てない! もはやだれも殺させない! リベリオンで出撃る。権能ちからを、返還よこせ!」


 いますぐにでも、最後に残ったちりのような理性の、その手綱を離せば喉笛を食いちぎる狂犬のように、俺は真紅に燃え上がる瞳で彼女を恫喝した。

 リリスは。


「できません。何故なら、いまあなたをあの叛逆機――混沌の端末に乗せれば、間違いなく」



 ――世界が、亡ぶからです。



 彼女は、どうしようもない正論を、これ以上ない正論を、口にした。

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