閑話 嵐の前

 流星学園の優秀な整備員たちが、駆けずりまわりながらヘルヴィムの起動準備を整えていく。

 それを煙たがるように、だけれど手を貸さないわけにはいかないという様子で地球連合の人員たちが、しぶしぶ手伝っている。

 地球連合は人類の総意。

 D.E.M.はあくまでアグレッサーと戦うための、そのための人員を育成する組織。

 その主義主張には、どうしても齟齬そごがある。

 だから、微妙に噛み合わない。

 そんな両者の関係性の危うさを眺めながら、あたしはヘルヴィムのコックピットから延びた牽引用ワイヤーへ足を引っかけ、ぼんやりと考えごとをしていた。

 流星学園は、アグレッサーに襲撃された。

 そして先週には、都市部にまでアグレッサーが直接出現しかけた。

 それは、これまでにはなかったことだ。

 生徒会長が守護するこの土地は、皆が安全だと信じていた。

 もちろん周辺の都市を護るため、幾度となくあたしたちは出撃し、アグレッサーを撃退・撃滅してきた。

 でも、眞火炉自体が襲われるということは、そうあったことではない。

 飛び火的に、あるいは被害を最小限にとどめるため意図的に誘導して、この曠野13特区で迎え撃つことはあったけれど、ここまで直接的な襲撃は記憶にない。

 そして、まるでそれを受けたかのように、トラスク博士が来日するという。

 まるで。

 まるで仕組まれたことのように――


「よう」


 考えごとに差し込まれる、ここ一年ですっかり覚えた声音。


「……なによ」


 茶番のように背後からかけられたその声に、振り返りながらもつっけんどにあたしは応じる。そうなってしまう。

 すると彼――玖星アカリは苦笑して、その手に持っていたものを持ち上げて見せた。

 ブリキのコップになみなみと注がれた、湯気を上げる漆黒の液体。

 珈琲だった。


「そう嫌うなよステラ、寂しくなっちゃうだろーが」

「寂しいなんて、あんたには一番似合わないことだと思うけど」


 彼は肩をすぼめ、珈琲を差し出してくる。

 それでも躊躇っていると、


「俺の淹れたやつだよ、豆から選んでいる。毒なんざ入ってないさ」


 そう言って、強引に握らされてしまった。


「……ちっ」


 舌打ちして、そっぽを向く。

 彼に顔を見られないようにそうして、それから、唇を子どものようにとがらせてしまう。

 ……あー、もうー!


「なに? あたしと一緒に飲むつもりなの? 自分の仕事、ほっぽりだしてきたんじゃないでしょうね?」

「当たるな当たるな、珈琲が零れる。安心していいぞー、俺はおまえほど重役じゃないからな、出来ることなんざたかが知れてる」

「……今回の起動試験の警備部隊、その主任兼隊長があんたじゃなかったけ?」

「お飾りだよ、おまえがこの間の模擬戦で勝たせてくれたからそんなことやらされてんの。ほら、ちょっとは責任感じただろ? だったらそこに座って、少しは休めって」

「…………」


 珍妙な論法で植えつけられた罪悪感は、あたしの心のなかの表現できないなにかを吸い取って急速に生長し、ありえないことに彼の言葉に素直に従うという珍事を引き起こした。

 昇降用のケーブルから降りて、資材の上に座り、珈琲を啜る。

 ほろ苦く、とても熱い液体が口腔に入り、食道を滑り落ちる。

 胃の腑が熱くなり、身体にほのかな熱が灯って、鼻腔からは香ばしい匂いが抜けていく。

 ふっと、身体の力が抜けるのが解った。


「悪くない味だろ? 温まるぞ」

「あんたと飲むと味が悪くなるわ、どっか行きなさいよ」


 うそ、そんなことぜんぜん考えてない。

 ……話し相手が欲しかったのは、事実だったのだから。


「不安か、ステラ」

「……なんでよ」


 なんでそれが解るのよ、という内心を、なんであんたにそんなこと聞かれなければいけないのよと、棘で飾る。

 それでも彼は動じない。

 珈琲を口に入れながら、ジッとあたしを見詰めてくる。

 その瞳の色は特別で、まるで黒曜石のような輝きがある。


「この機体の設計者はドクター・トラスクじゃない。地球連合の手によるものだ」

「知っているわ」

「じゃあ、こいつは知ってるかな? この機体の輸送のために第八艦隊が運用され、そして海の藻屑になっていること」

「…………」


 知っている。

 知らないわけがない。

 何故なら、その沈んだ第八艦隊を、そしてそのあと流星学園の防衛ラインまで迫った無数のアグレッサーを撃退したのはだから。

 だから知っているし、それは知っていちゃいけないことだった。


「ハッキングかけたろ、雨宮女史の端末に」

「なんのことかしら。ぜんぜんわからないわ」

「とぼけるなよ、別に責めちゃいない。盗み見られるほうに落ち度があるんだ。……だが、大概にしておけよ、ステラ。おまえは学生たちの精神的支柱だ、危ない真似は控えろ。今日みたいに、生徒会長に会いたいがためだけで危険に手を出すな。自分を、もっと大事に扱え」

「――っ、あんたに!」


 カランと音を立てて、ブリキのコップが地面に転がる。

 黒い液体が、照明に照らされた地面に夜の闇を作る。

 気が付けば、あたしはアカリの襟首を掴みあげていた。

 周囲の視線が、集まるのが解った。解っても、言葉を止められなかった。

 完全に頭に血が昇っていた。


「あんたになにがわかるのよ!? あたしの! あたしの、あの人への想いのなにが!」

「……そうだな、俺にひとの心は、解らんかもしれん」


 だけれどと、彼は言う。

 その黒曜石の瞳が、奇妙な照り返しとともに、あたしを見つめる。


「死ねば、会長にもあえなくなることぐらい、わかるだろう?」

「――――」

「なにを為して、なにを残すか、それはおまえの自由だし、生徒会長に会いたいという思いを否定したりはしない。だが、それとこれとは話が別だ。自分のことを大事に出来ないやつが――どうやって、人々をまもる……?」

「――――」


 守る。

 そう、あたしは守るんだ。

 大切な人を。

 大切なものを。

 そう、だ……


「…………」


 腕から力が抜ける。

 アカリがあたしの手に触れて、そっと自分から引きはがす。


「ステラ」


 名を呼ばれて、見上げる。

 見上げた彼の表情は、光の加減からか、陰影の所為か、とても奇妙なものだった。

 泣いているような、喜んでいるような、恨んでいるような、哀しんでいるよな、怒っているような、笑っているような、そのどれとも違う、百面相のような奇妙なかおで。


――それだけだ」


 うだつが上がらない男。

 道化を演じる愚者。

 自称、無能な嘘吐き。


 馬鹿みたいな、不名誉でしかない綽名で呼ばれる眼の前の男が、そう口にしたその瞬間だけ、あたしには。

 あたしには、まるで〝彼〟のように。

 そのおかしな表情が、生徒会長のあの仮面と同じであるように、あたしには、そう思えてしまった。

 玖星アカリ。

 先日赴任してきた景崎蒼真とともに、大陸で起きた未曾有の大災害〝番人クストデス事件〟を切り抜け、その責任を取って最前線であるこの学園へ飛ばされてきた少年。

 彼は今日も――〝ボロ〟を出さない。

 あたしは――この男が生徒会長とかかわりがあるという確証を、いまだ得れずにいた。


「ステラ」

「……なによ」


 もう一度、彼があたしの名を呼んで。

 あたしはつっけんどに応じて。


「あんま、無理すんなよ」


 そのセリフにあたしは。

 その微笑みにあたしは。


「誰にもの言ってんのよ、バーカ!」


 すこしだけ笑って、あっかんベーで、答えたのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る