第十話 安息日~The SABBATH~ その2
◎◎
昼食は、東の飲食店街でとった。
移動はもちろん路面電車だ。
喫茶オズボーン。
俺の行きつけの喫茶店であり、珈琲とオムライスが美味しいことに定評がある店だった。
「……ちょっと、お花を摘みに」
「向かって右の奥だ。男女兼用だからちゃんと鍵をかけろよ」
「あんったのそういうとこ、大っ嫌いよっ!」
振り向きざまに放たれた怒りの拳を、頭を下げながら回避し(しかし髪の毛が数本巻き込まれて千切れた。どんな腕力をしているんだこいつ……)へらへらと笑いながら手を振ると、彼女は名状しがたい表情を浮かべた後、プリプリと怒りながら店の奥に消えていった。
その間に俺は、店主に注文を済ませて、それからこの交友の最中、ずっと懐に忍ばせていたものをテーブルの上に取り出した。
一見するとそれは、まるで玩具のように見えた。
グリップから小手、そうしてレイピアのハンドガードのような形状に金属光沢のない白い装甲が伸びており、手甲の先端には
その特殊な銃の弾倉に特殊弾頭を一括装填しながら、俺はこれを手渡された昨夜のことを思い出していた。
「玖星アカリくん」
雨宮リリスが、俺の名を呼ぶ。
夜の闇のなか、朝焼けに融けそうな俺の名前を呼ぶ。
「あなたの肉体は、もはやその半分が、混沌の根源に囚われています。人間でいられなくなる日も、そう遠くはないでしょう。そうなれば、リベリオスは暴走し、あなたの中に秘められた禁忌は解き放たれ、人間は、遠くない未来、滅ぶでしょう」
彼女の表情が、俺にはよく視えなかった。
眼が霞み、視力が衰え――そもそも見えている景色が人間であるときとは違う。
それでも、彼女の声が震えていることだけは解った。
そんなリリスが、俺になにかを手渡す。
押しつけるようにして、手渡す。
「流星学園技術部が、総力を結集し作り上げた、新型プロウトビット・オーパーツ――事象偏向弾頭射出装置――
それで、俺にどうしろというのかと彼女に問えば、雨宮女史はたぶん、笑ってこう言ったのだ。
「玖星アカリくん。私たち流星学園上層部は、その全権限をもって――これ以上の生徒会長の出陣を、許可しません」
叛逆機リベリオスの行使を禁止しますと、彼女はそう告げた。
喜ばしいことのように、それが最善だと信じるように。
「……まだ、死なないでください、玖星くん。人類は、あなたを必要としているのですから……!」
だから。
だから、もう戦うなと。
その銃で、身を護るぐらいにしておけと。
彼女は、そう言って――
「アカリー、なんかおいしいもの注文してくれたー?」
背後からかかった副会長の声によって、俺は現実に引き戻される。
ペキュリアーを懐にしまいながら、「おー、お奨めをな、頼んでおいたぞー」と気の抜けた言葉を返す。
戦うことができなくなった玖星アカリは、生徒会長という仮想人格を生みだし、すべての責任を投げ出した。
そしていま、その生徒会長ですら、闘うための権限を剥奪されようとしている。
だけれど。
それでも。
いま俺が前にしているのは、恐るべき敵などではなく。
「……? どったの? なんか暗い表情しちゃって。センシティブなの?」
「いや」
「童貞を拗らせて悩んでるなら、クラスの女子、紹介するわよ?」
「言ってろよ、バーカ」
……そう、いま俺が目の前にしているのは敵ではない。
下世話なことを口にして、馬鹿みたいに笑う、ごく普通の少女、織守ステラ――彼女なのだから。
俺はただ、この安息日を、謳歌したかった、だけなのだから。
「よし! じゃあ、あんたがおすすめしてくれたコーヒーがどんなものか、あたしが試してあげるから!」
「何様だよおまえは」
「決まってるでしょ?」
天下無敵の生徒会長よ。
そう言って、彼女は不敵に、素敵に微笑んだのだった。
◎◎
「そーいえば、アカリ。トラスク博士って知ってる?」
喫茶店を出て、帰路についている最中、ほとんど唐突に、ステラはそんな事を言いだした。
トラスク。
エグザム・トラスク。
現行稼働するすべてのセブンス、その雛形を作った男であり、同時に人類学、神学、機工科学の権威中の権威。
学問を全て踏破したとまで言われる彼は、そのあまりの才能から
そんな有名人のことを、仮にも七型決戦兵器に携わる学園の生徒である俺が知らないわけがなかった。
「まあ、知ってる」
「来週、訪日するらしいわよ」
「……本当か?」
なによ、あたしを疑うの? と、ステラ。
いや、そういうわけじゃないと言い訳しつつも、俺の内心は複雑だった。
トラスクが学園を訪ねてくる理由があるとすれば、それはひとつしかない。
あれは人類屈指の天才だ、付随して様々な計画が動くだろう。だが、目下地球連合に拘束されているらしい彼が、わざわざ逃げ出してまで流星学園にやってくるにはそれ相応のわけがあるはずで、そしてそれは間違いなく邪悪にかかわることであり――
「――?」
と、そこまで。
そこまで思考が飛躍したときだった。
なにか奇妙な違和感が、俺の脳髄を走り抜けた。
ありえないこと、あってはならないこと。
普段ならば気が付かないほどの極微の違和感。
人間であれば気が付けないその異常に――しかしすでに半分は人間ではない俺は気が付く。
ゆがみ。
ひずみ。
歪曲。
こちらを向いて、得意げにトラスク来訪について語るステラの前方の空間が、たわむ。
溢れ出す。
現実ではないものが。
空虚と夢幻で織り上げられた絶望が。
ピシリッ!
音を立てて罅割れる空間。
なにかが、なにか悍ましいものがその場所から這い出そうとしていて――!
「ステラああああああああああああああああああああ!!」
俺は咄嗟に、懐へと手を突き入れながら、叫ぶ。
彼女の動きは迅速だった。
ネコ科動物のように一瞬でその場から跳躍し、俺の後方へと着地。
同時に、俺は引き抜いたそれのトリガーを引く!
風変わりな銃が、事象偏向弾頭を亜音速で射出する!
GYAGYAGYAGAWN!!
三連射された特殊弾頭が〝空間〟に着弾し、そのひび割れをねじ切っていく。
いままさにこの世に産まれ堕ちようとしていた悪夢が、渦動し湾曲しながら消えていく。
通常型アグレッサー。
その金色の爪牙は、この世界の誰かを傷つける直前で、夢幻の世界へと送還された。
思わず、安堵のため息をつきながら、ステラの無事を確認するため振り向こうとして、
「――相変わらず、詰めが甘いし優しすぎるな、おまえは」
その低く嘲るような声とともに、更なる銃声が轟いた。
「ステ――」
「――あ、あっぶないわね!? っていうか、え? これなにが起きてるのよアカリ!?」
嗚呼……彼女は無事だった。
正確には、彼女へと伸びる金色の食腕は、事象偏向弾頭によって拘束され消滅していくところだった。
……取りこぼしが、いたのだ。
そしてそれを、いま射抜いたのは――
「――よぅ、久しぶりだな、ヴィブルニアス?」
「……それはもう、俺の名前じゃないんだよ――
群青を束ねたような短い髪に、右目をまたぐ傷痕。
蒼い瞳、こけた頬と、対照的に鍛え上げられた肉体を包む蒼色のスーツ。
流星学園で開発された、もう一丁のペキュリアー・ガンを片手にその男は――俺のよく知るその男は、皮肉気な表情でそこに立つ。
彼は唖然となっている俺と、そして状況を理解していないのか首をかしげているステラを交互に見て、破顔して、こう告げたのだ。
「ともかく、久しぶりだぜ、アカリ。俺の元相棒どの。そして、エース・オブ・エースこと副会長さん。俺の名前は
――今日からおまえたちセブンス乗りの、教官になる男だ。
そうして終わる。
彼の登場をもってして、俺の安息日は、
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