第九話 安息日~The SABBATH~ その1

「アッカリ! 朝よ! 起きなさい!」

「ぐべらっ!?」


 くたくたに疲れ果て、泥のように眠っていた俺を叩き起こしたのは、誰であろう織守ステラ。気勢とともに叩きこまれた、華麗なるジャンピングダブルニーによる腹部への強襲だった。

 ……ようするに膝蹴りを腹に喰らった俺は、まあ名状しがたい悲鳴を上げて飛び起きることになったのである。


「おー、あんた、悶絶しないなんて成長したわねー」

「お、おかげさまで……」


 ダメージの入った腹部を押さえ、ついでにまくり上がりそうになった寝巻を戻して、俺は引きつった笑みで答える。

 苦笑。

 いや、普段の俺なら、ここで怒るぐらいしただろう。

 こんな精神状態でたたき起こされた、不機嫌になるほど俺は

 だから、怒るつもりだった、いい加減、怒鳴るつもりだった。

 そういう腹積もりだった。

 だけれど。


「ふふーん、それよりどうよ、この恰好! 気合入ってるでしょ!」


 そう言って、彼女が豊満な胸を張る。

 その胸が押し上げるのは、水色のチュニック。

 すらりと伸びる脚は七分丈のジーンズを纏っており、それが足元を飾る飴色のグラディエーターサンダルを際立たせる。

 細い紐で下げたショルダーバックをくるくると指先で振り回しながら、彼女は楽しそうに笑っていた。

 笑って、浮かれていた。


 嗚呼、と。


 漏れそうになった感嘆を、むりやりに押し込める。

 流星学園は、いってみれば禁欲的な場所だ。

 生徒たちは常に前線に出向く準備をし、気を張り詰めていなければならない。

 娯楽など、推して知るべしのそんな学園生活で、彼女がこの外出をどれほど心待ちにしていたのかは、その服装を見れば考えるまでもなかった。

 そもそも、学生服かパイロットスーツ、良くてもジャージしか着ていないようなやつなのだ、織守ステラという女は。

 だから、俺はそんな彼女が嬉しかった。

 うれしくて、つい。


「なにニヤケてんのよ、気持ち悪い!」


 ……顔に出ていたらしく、頬を染めたステラに殴られた。

 まったく割に合わないが、、曖昧な笑みを浮かべるにとどめる。


「あー、いや。よく似合っているんじゃない? うん、可愛いよ、可愛い」

「おざなりすぎるわ!」


 テキトーなことを口にして、テキトーに殴られる。

 その素敵な日の朝は、そうしてはじまったのだ。



◎◎



 学園城下都市眞火炉まほろには、街の機能として必要なものが、そして人々が独立的に生活するために必要なものが、だいたい揃っている。

 経済的に孤立しても問題ないような金融の流れ。

 都市一個分の電気をまかない、なお有り余る動力炉。

 万一の場合、自給自足が可能な食糧プラント。

 そういった、いまの時代では当たり前に各主要都市が持ちえるような設備だけでなく(言ってしまえば眞火炉は主要都市と同じだけの設備を有していることになる)、身の回りの品なんかも、普通に売ってある。

 サブカルチャーとしては、各地、各時代のものが所狭しと並ぶ北の図書・電気街。

 服飾品が充実した南のショッピングモール。

 そこからさらに東に行くと、飲食店が立ち並ぶ一角がある。

 ちなみに西は、多くの場合アグレッサーの襲撃を誘導する起点となるため、災害特区〝曠野あれの13区〟としてほぼ隔離されているため、旧ビル街以外のものはほとんどない。もう少し詳しくいうと、復興に裂く予算がない。

 そんな東西南北のすべてが、レールラインで結ばれており、路面電車・バス・地下鉄などで簡単に移動できる。

 一個の完成した都市として、眞火炉は存在するのだ。

 さて、そんな眞火炉の南側――即ちショッピングモールで、我らが天下無敵の副会長様は、それはそれは大いにハッチャケていたのである。


「ね、ね! 見てよアカリ! この服チョー可愛くない?」

「え? あー、いいと思うよ、俺は?」

「じゃあじゃあ、こっちは? このレースの多いの、結構あたしに似合うと思うんだけど!」

「あーと……に、似合う、似合う。でもな、俺は思うわけだよ。ステラはもっと、スマートな服を身につけた方がいいんじゃないかって。何よりちょっと、買い過ぎじゃないかって――」

「このジャケットはキザイア製!? 新作出てるじゃない、ちょっとアカリ、これ欲しいんだけど!」


 ……と、まあ、終始そんな感じだった。

 ハイライトは、アクセサリーショップを訪れたとき。

 普段の彼女からは想像もできないような優柔不断さを見ることができた。


「…………」

「なにを迷ってるんだ、おまえ?」

「えっとね、アカリ。さっきのお店で、お金使いすぎちゃって」

「おろせばいいじゃないか。おまえ、学園からバカみたいな額の奨学金貰ってるだろーが。しかも返金しなくていいやつ」

「そうなんだけど、その、あたしとしては無駄遣いしたくないっていうか」


 さっきまでのは無駄遣いではなかったと申すか、ステラ様。

 俺は両腕に下げた大量の紙袋を見詰めながらため息を吐く。中身は言うまでもなく、ステラの買いこんだ衣類である。

 そんな俺の様子な気にも留めず、彼女は二つのアクセサリーをジッと見比べているのだった。

 ひとつはペンダント。中央に青い宝石がはめ込まれた、星形の衣装が凝らされたホワイトゴールドのペンダント。

 もうひとつは指輪だった。

 シンプルなデザインで、小さな縞瑪瑙が中央に収められている。それが一揃い、そこには並んでいる。


「……迷うもなにも、指輪はペアリングじゃないか。用途がないだろ、それ」

「むー……生徒会長にプレゼントできないかしら」

「あー、さいで」


 ほんとうに好きだなおまえ、生徒会長のこと。

 その生徒会長はきっと、人間を総体でしか見れない奴なのにな。


「――――」


 そんな風なことを考えて、思わず奥歯を噛みしめる。

 すべての義務を彼に投げ出しておいて、俺は何を考えているのだろうか? 胸の中にわだかまる、嫌気がさすこの想いは……ああ、確か、嫉妬と呼ぶものでは、なかったろうか?

 では、俺は。

 俺は、彼に――


「なあ、ステラ」

「なによ」

「おまえは、どうして生徒会長のことをそんなに――」

「?」

「……いや、なんでもない」


 俺はかぶりをふる。

 不思議そうに俺を見つめる彼女の瞳が、あまりにきれいで。俺が口にしようとした言葉が、あまりに醜くて。

 なにも言えなくなって、言葉を呑み込む。

 かわりに、


「ああ、そうだ、ステラ。そんなに欲しいのなら、そのアクセサリー」


 俺が買ってやるよ。

 気が付けば、そう口にしていた。


「うっそ、ほんと? あんた、熱でもあるんじゃないの?」


 目を丸くして、ステラ俺の額に手を当ててくる。

 本当に驚いているのか、普段の荒々しい手つきではなく、妙にやさしいタッチだった。

 俺は苦笑し、その手を下げさせ、言う。


「あのな、俺は恩知らずじゃあない。これでもしっかり恩をを感じている。模擬戦、ほんとうに助かったんだ。だからさ。たまには俺に、甲斐性を示させてくれよ」


 そんな言葉を投げかけ、有無を言わせず店員を呼ぶと、彼女は困惑した表情になって。

 それから俺のすねを、軽く蹴った。


「痛いです」

「ふん! アカリのくせに男らしいこと言った罰よ!」

「……理不尽すぎませんか、それ?」


 苦笑する俺の横で彼女は。

 なんだかうれしそうに、微笑んでいるのだった。


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