第2章 不安

 本人がこれといって何の反発もしなかったこともあり、元子の入内は少なくとも身内にとっては、ほぼ確実に起こる未来と認識されるようになっていた。元子にとって意外だったのは、夫となる一条帝が彼女の入内を悪く思っていらっしゃらないようだ、と嬉しそうに父が語ったことだった。

  「まぁ、そうなんですか」

 嬉しそうな反応をしてみせたものの、内心では早くも未来の夫に対する不信感がじわじわと広がるのを感じた。これまで根拠のない醜聞ばかり耳にしてきたせいか、元子のなかでの一条帝のイメージは愛に生きる男であり、定子以外の女人の存在など歯牙にもかけない不動の精神を持つお人であった。その不動の愛を貫く男が、自分との結婚に乗り気だという。果たして彼は、自分を誠実に愛してくれるのであろうか。

  「そりゃ今上だって男であらせられるのだから、ご自分のまわりに大勢の女人がはべってくれるのをお喜びにならないはずはないよ」

  と、知ったような口を利く頼定をねめつけた元子であったが、実際今上一条帝には定子との愛を二の次にしなければならないほどの切実な問題があった。お世次の問題である。この時期つまり長徳元年(九九五)の時点で、一条帝には自分の皇統を受け継ぐべき子どもが一人もいなかった。にも関わらず、前年自分より年長でありながら処々の事情で東宮の地位にある居貞親王(後の三条帝)のところに、皇子がお生まれになってしまったのである。父円融帝以来の血脈を重んじる一条帝にとって、この出来事は焦燥感を与えるに充分なことだった。このままでは従妹の居貞の子孫に皇統が移ってしまう。それだけは何としてでも避けたかった。そこで女人は定子一人を守り、彼女が懐妊するのをひたすら待ち続けるというこれまでの方針を捨て、新たに何人かキサキを迎えるご決心をなさったのである。そのため元子の入内決定と前後して、藤原公季の娘義子もまた後宮入りすることとなった。

 帝が新たにキサキを迎えるおつもりらしいという噂は、またたく間に宮中に広まった。今上がとうとう中関白家からのしがらみを断ち切ろうとなさっている。それは同年四月に、道隆が子息伊周に関白職を譲ることが叶わないまま逝去し、代わって弟の道兼がその職に就任することになったという事実と合わさり、宮中の権力闘争を泳ぐ男たちに大きな希望を与えた。

 (このままなら上手くすれば、自分にも出世のチャンスが巡ってくるかもしれない)

 殿上の間は俄かに色めきたった。そしてそこに伺候する人々の密かな野心を嗅ぎ取ったかのように、今度は新たに関白となった道兼が自分の娘を入内させようと、内々に打診しているという噂が立ったのである。これはいよいよ…。と、新たな勢力の台頭に宮中の権力図がガラリと変わるのではないかと予感した矢先のことだった。なんとまだ関白職について数日だった道兼が、流行病で急逝してしまったのである。


 「それで、何故この度新たに道長さまが右大臣の職に就かれることになったのです?」

 七月のつごもり、前口上を一切省いた元子は几帳越しに頼定へ問うた。逆さにした高杯(たかつき)に油つきを載せただけの高杯灯台は、客人をもてなすには簡素な光源であったが、密会をする者たちにはちょうど良い明るさだ。本当は兄弟なども呼んで、賑々しく酒宴を催したかったのだが、父が近頃娘に男が寄りつくことをとみに警戒するため、こうして人目につきにくくなる宵の口に、乳母讃岐に無理を言って彼女の局を借りた次第である。

 (これではまるで夜這いだわ)

 何気なく思いついたその発想に、元子は我知らず驚いた。何を言っているのだ、自分は。夜這いなど、それこそとんでもない。この男(ひと)はただの幼馴染。兄の友人で、それ以上でもそれ以下でもない。こんな日が暮れた後にわざわざ内緒で来てもらったのだって、一重に入内する前に宮中の政況を正確に把握しておこうと思ったが故なのだ。

 (だから特別な意味なんて、全くないのよ)

 元子はそう自分に言い聞かせた。とはいえ、暑さに負けて五つ衣姿になっている今の自分の姿は、まるで慣れ親しんだ情人に会うように無防備だ。一方の頼定は、元子のささやかな動揺など知る由もなく、先程から考え込んだまま微動だにしない。

 「頼定さま、ねぇ頼定さまったら。どうなさったの?」

 「ん?あぁ、ごめん。君の質問にどう答えようか思案していたら、これからの自分の身の振り方についてまで考えが及んでしまってね」

 「身の振り方?」

 はて、この従妹は何を言っているのだろう?元子はこの度の除目について、今一度整理し直した。先程述べたように、道長は権大納言から右大臣へ昇進し、伊周は内大臣のまま据え置き。そしてとりあえず太政大臣・左大臣は空席のままにさせることが決定したはずである。あとは確か道長に対して、「内覧の宣旨」が下されたと父が狂喜していた。内覧の宣旨…内覧の宣旨?

 「ねぇ、頼定さま」

 「何だい?」

 「結局内覧の宣旨って、何なんでしょうか?私、今までその言葉を何回か聞いたことはあったけれど、考えてみたらまだきちんとした意味を知らなかったわ」

 几帳越しでこちらの表情までは窺えないであろうが、元子は心もち視線を宙に浮かせながら尋ねた。我ながら己の無知が恥ずかしい。しかし当の頼定は彼女の知識不足をとくに気にする素振りも見せず、あぁそれはねと師匠が門下生に教えるように、淡々と客観的な説明をし始めた。

 「要するに帝が御覧になる公文書を、帝に先立って目を通すお役目さ。無論その内容は国政に関する重要案件ばかりだから、必然的に我が国の政全体を掌握する立場に置かれるんだ」

 「まぁ、本当に重要なお役目なのね」

 「あぁ。だから通常このお役目は、帝の政務を補佐する摂政や関白といった方々が任ぜられるものなんだ」

 「えっ?でも道長さまは…」

 「うん。確かに道長殿がこの度就任したのは右大臣の地位だけれど、同時に内覧の宣旨も賜ったから、実質的にあの方は貴族たちの頂点に立たれた上に、藤原氏長者にもなられたということだな」

 「では、伊周さまは…」

 元子が全てと言い切るのを待たず、頼定はあぁ、そうだよと憂鬱そうに肯定した。そういえば、彼は伊周とその弟隆家兄弟と年齢が近いせいか個人的に親交があり、定子の御前にも度々伺候していると兄から聞いたことがある。だとすれば、今回の伊周の敗北は中関白家と近しい彼からすれば、自分の政治生命の危機に感じられるのだろう。それにしても、と元子は心の中で密かに溜息をついた。

 (他に政権を担うにふさわしい人物は、いなかったのかしら?)

 内覧の宣旨が何たるかをよく知らなかった自分が言うことではないかもしれないが、現に今の朝政は重大な人材不足に陥っていた。先年から猛威をふるっていた疫病は、下々の者たちだけでなく清涼殿に集う公卿たちまで、またたく間に黄泉の国へと連れ去った。四月に逝去した道隆こそ持病の悪化が原因だと言われているが、後に続いた弟の道兼、左大臣源重信・大納言藤原済時・権大納言藤原道頼などは皆悉く疫病にかかり、この四月~五月の間にバタバタと死んでいったのである。元子の身近でも、父の異母弟である朝光が三月の段階で彼らに先んじ、この恐ろしい流行病の前に斃れた。

 (あぁ、叔父さま。本当においたわしい)

 元子一家の住む堀河院の隣閑院(かんいん)に居をかまえていた叔父は、陽気で人当たりが良かったため元子も彼を心から慕っていた。故に彼の野辺送りには是非参列したいと思っていたが、嫁入り前の身で死体から病をうつされては大変と、両親が許してくれなかったのである。だが、両親がこのような警戒心を抱くのはもっともなことで、止まることを知らない疫病の拡大は、年内に予定されていた元子の入内にまで影響を与えていた。様々な人が出入りする関係上、宮中は流行病に感染させられる危険性が高い。現在のような状況下のなかで、わざわざ愛娘を入内させたがる親がいるはずもなかった。従って一応入内すること自体は内々に決定しているものの、具体的な準備にはいまひとつ身が入らない今日この頃なのである。

 (もしこのまま入内できなかったら、どうなってしまうのかしら私?)

 そのような訳はないと思う一方で、万々が一の懸念が頭をよぎる。実際、相手を選り好みしすぎたとか両親が立て続けに亡くなったとかで、婚期を逃した女人の話なら何人か聞いたことはある。自分もう十七歳。適齢期ギリギリである。まして没落の兆候が見え始めている家の娘だ。先見の明がある野心家の公達のなかには、これらの条件だけで恋文を出す価値もない女と判断する男もいるだろう。そう考えると、帝であろうが受領であろうが、言い寄って来てくれた男の思いは有難く頂戴すべきなのかもしれない。でも、やっぱり…。

 (どうせ結婚するなら、やさしくてカッコいい男(ひと)がいいのよね)

 元子は、几帳の向こう側にいる男に今一度視線を戻した。相変わらず頼定は、扇を顎のくぼみに当てて難しい顔をしている。たまには自分が彼を励ましてもいいかもしれない。

 「そう怖い顔なさらないで、頼定さま。まだ伊周さまが負けたと決まった訳ではないのでしょう?」

 「というと?」

  不思議そうな顔をしてこちらを見る頼定に、元子は勇気づけるようにほほ笑んだ。

 「先日あなたがご自分でおしゃっていたように、もし権力が気まぐれな生き物なら、まだ伊周さまにも挽回の機会はあるのではなくて?それは確かに、伊周さまは今上の祖父でもなければおじでもないけれど、もし妹の定子さまが今上の皇子をお産みになれば、次期帝の後見役はあの方をおいて他にはないわ。そう考えると、たとえ今回は後手に回ってしまったとしても、近い将来また伊周さまが優位に立てる日も来るかもしれない。いえ、道長さまのご息女がまだ裳着もすませていない童女で、定子さまが時めいていらっしゃる現状では、むしろその可能性の方が高い。宮中では、そういう見方をする貴族も多いのではなくて?」

 ここまで言うと元子は、どう?というように小首を傾げ、男の反応を窺った。すると当初はポカンとしていた頼定も、やがてクックックッと忍び笑いを洩らしながら、いやぁ参った参ったといつもの闊達な調子で話しを再開した。

 「我が従妹殿は、いつの間にか一角の政治論者になられようだ」

 「もうっ、頼定さまったら馬鹿にして。こちらは励ますつもりで言ったんですよ」

 「いやぁ、ごめんごめん。でも確かに君の言う通りだよ」

  調子を整えるように一息ついた頼定は、軽く扇を広げて口元の笑みを隠すと、それでも目だけは面白そうな表情を残しながら、元子の意見に同意した。

 「確かに伊周殿自身がまだお若く、政治家としての経験も浅いことから、とりあえず今は道長殿に任せて、皇子がお生まれになった後また政を担ってもらえば良いのではないか、と考える者もいないわけではない。恐らく今上もそのようにお考えになったから、今回は道長殿へ内覧の宣旨を下されたのだと思う。ただ問題は、伊周殿のご気性だね」

 「伊周さまのご気性?」

 「あぁ。あの方はこれまで父君道隆殿の後押しを受けてとんとん拍子に出世できてきたせいか、苦労知らずで機を窺うということを知らない。つい先日も、会議の場で道長殿と口論になって衆目を集めたばかりだが、これまでも弟隆家殿と共に度々問題を起こして、その度に中宮さまは今上に取り成しをしなければならなかったんだ。無論今回の除目にもあからさまな不快感を示していて、内裏でも道長殿への敵意を隠そうとしないものだから、近しい人たちは冷や冷やしながら見ているよ。そのうち足元をすくわれなければいいが…」

 「ふーん。伊周さまって短気なお方なのね」

 「あぁ。友人として付き合う分には、少しキザなところはあるけれど、親しい者への思いやりが深くて良い方なんだが…」

 何とまぁ、噂で聞くのと実際に本人を知っている人から話を聞くのでは大違いだ。中宮定子周辺の話は、女人たちの間で度々話題にされることがあるため、伊周のふるまいや容貌についても耳にすることは多いが、その話からイメージする伊周像は、まるで在原業平もかくやと思われる程の完璧な貴公子である。しかし頼定の言うことが事実なら、思った以上に現在定子は危機的な立場置かれていることになる。内覧の宣旨云々はこの際仕方がないことにしても、政治家に必要な忍耐を欠いた兄弟たちが後ろ盾では、道長を相手取って戦うにはいかにも心もとない。

 「定子さまもお気の毒ね…」

 しみじみと元子がそう呟くと、頼定が苦笑しながらもやさしく指摘した。

 「何呑気なこと言ってるんだい、元子。かくゆう君だって、そう遠くない未来に定子さまと似たような立場に置かれることになるんだよ。確かに君は定子さまとは違ってまだ父上はご健勝だけど、失礼ながら兼家公の血を引く道隆・道長殿のご兄弟とは異なり、兼通公の子息顕光殿並びにそのご兄弟は、時流からいささか外れてしまっている。」

 「もうわかっているわ、そんなこと。でもだからといってそれが何なんです?」

 元子は頬をふくらませて、拗ねるように顔をそむけた。摂関家の流れを汲みながらも、自分たち一族がもう摂関家とは呼ばれない家柄になっていることは、この家に生まれ育ってきた元子が誰よりもよく知っている。だからこそ、こうして自分が一旗揚げようと決心したのではないか。それを頼定とて知らぬ訳ではないだろうに、何をこの男は辛い現実をつきつけようとしているのか。怒りながらも言い返す術を知らぬ元子は、むっつりと黙り込んだ。そんな従妹の反応に困った表情をした頼定は、一瞬大きな口を開いて強い物言いをし出すような気配を見せたが、すぐに思い直したのか溜息をついて落ち着いた口調で語り出した。

 「つまりね、元子。中宮や女御という地位は、一見とても華やかな立場のように思われるけれど、後見役のいるいないや男皇子をもうけたもうけないで、その時々の立場が天と地ほどに変わってしまう女人のことをさしているんだよ。例えば、今上帝のご生母東三条院詮子さまをご覧。あのお方は夫である亡き円融帝との仲はしっくりいっておられなかったというが、円融帝ただ一人の皇子である今上をお産みなったことで、父兼家殿やご兄弟からの後押しも受けて、いまや絶大な権勢を誇って政にも強い影響力をお持ちだ。対して、中宮定子さまは長年今上の唯一人のキサキとしてあれほどの寵愛を受けながら、父道隆殿の存命中に皇子をお産みにならなかったばかりに、目下非常に微妙なお立場に置かれることになってしまった。全くお気の毒としか言いようがないが、残念ながら宮中はそうゆうところなんだ。だから、元子。君が入内して見事男皇子を生みまいらせることができるかどうかは未知数だが、男皇子もうけなければ君の一家はますます没落の一途を辿る運命だし、もうけたらもうけたで帝位につくまで気の抜けない日々を送ることになる。君はそのことについて、具体的に未来を思い描くことはあるのかい?」

 意地悪を言おうとしている訳ではないことは承知しているが、こんこんと諭す従妹の言葉に元子は空気が抜けたようにしゅんとした。あえて深く考えまいとしていたキサキとしての日々につきまとう心労に、恐れおののいたのである。頼定の指摘通り、帝の妻として生きることは良くも悪くも運次第だ。日ごろの行いが良ければ、皇后や皇太后になれるとかそのような話ではない。父親の身分がいかばかりか。世継ぎとなる男の子を産めたか否か。結局重要視されるのはそういった事実であり、本人の努力次第でどうにかなる問題ではないのだ。

 「理不尽だわ…」

 ぽつりと呟いた元子に、頼定は心から同情した。脅かすつもりはなかったが、中宮定子の不運を見るにつけ、果たしてこの少女が権謀術数の渦巻く宮中で生きていけるのか、つくづく心配になってきたのである。せめて後見となる家族がもう少ししっかりとした人々だったならば、頼定も他人事のようにこの親戚の行く末を傍観できたのだと思うが、何しろ父顕光はあのように凡庸な人物である上、美男で名高い長兄重家も世をはかなんでいて何処か頼りない。そう考えると、先程は元子にキサキの立場は後見や男皇子で決まるというようなことを語ってしまったけれども、まわりを固める男たちの器量も多分に問われているのだと痛感させられる。

 元子には言わなかったが、定子がこれほどの孤立を深めたのは、父道隆や兄伊周の専横に因るところも大きい。伊周・定子兄妹の父道隆は、酒好きで豪放磊落な性質であった反面押しの強いところがあり、周囲からの非難をものともせず自分たち一家に都合の良い政策を強行し続けた人であった。

 例えば定子を立后させた時も、まだ当時皇后の座には先帝円融帝のキサキであった藤原遵子が居座っていたのだが、どうしても愛娘を皇后にさせたかった道隆は彼女へ〝中宮″なる新設の地位を与え、同じ藤原一門からも強い反発を受けた。何故なら、それ以前まで〝皇后″と〝中宮〟は名称こそ異なっていたが、どちらも共に帝の正妻の総称であるという解釈が一般的で、実質的には正妻の立場にある唯一人の女人を指した地位と見なされており、同時に二人存在するなどありえない事態だったからである。それならば遵子を先帝の正妻格たる皇太后の地位に押し上げた後、改めて定子を皇后に据えれば万事穏便に済んだのではと考える人もいるかもしれないが、残念ながら当時すでに皇太后の座は一条帝生母詮子でうまっており、もともと数の少ない〝正妻席″は満席状態だったのだ。

 従って道隆からすれば、娘の中宮就任は方々へ角を立てず自分の野心を貫く妥協案だったのかもしれぬが、他の貴族社会を生きる人々からずれば、彼の行動は権勢を笠に着た暴挙にしか映らなかった。またこのような父の剛腕を間近に見て成長した息子たちは、思い上がりの強い若者へと成長し、時には王権をないがしろにするようなふるまいまでするようになってしまった。やんちゃで気骨があり喧嘩好きな四男隆家などは、まだ生来の真っ直ぐな気性が愛嬌を感じさせ、摂関家の子息としての前途が嘱望されているが、嫡男の伊周は漢籍に通じる文化人としての定評があるものの、短気で自尊心が高いことが災いして、近頃では殿上の間で槍玉に挙げられるようなことばかりしていた。

 その最たる出来事が、この年の三月に起こった宣旨改ざん事件である。自身がもう余命幾許もないことを悟った道隆が、「私が病気の間は、息子伊周に内覧を代行させて下さい」と願い出たのに対し、今上がそれをお聞き入れになり、宣旨を作成するよう命じられたときのことであった。あろうことか伊周は母方のおじ高階信順と謀って、詔勅の「関白病間」という一文の「間」を「替」に書き換え、父から自分への政権交代を画策しようとしたのである。この「間」から「替」の書き換えは、たった一文字の改ざんだったが大きな意味を持っていた。すなわち「間」という文字だった場合は、単純に道隆が病気である〝期間〟は代わって伊周が行えということになるが、これが「替」になると、道隆が病気であるために〝交替〟しろという解釈になり、いつの間にか伊周が内覧の地位を受け継ぐことになってしまうところだったのである。幸いにもこの時は、文書作成に当たった中原到時が不審に思い、信順の指示を拒否したため大事には至らなかったが、ご自分の意向を無視した伊周の謀略には、当然今上も不快感を覚えられたはずである。

 そしてこのような中関白家のふるまいに、頼定は他氏族を追い落とし、高位高官を独占してきた藤原氏の増長を感じると共に、野望と保身に奔走する親兄弟たちの中心にあって、夫帝との純愛を静かに育んでいる定子に対する憐みの念を抱いた。こうなってみると、元子や義子を定子の対抗馬にさせるという道長のやり方は、確かに一見遠回しであざといものにみえるが、貴族社会と宮中全体の力関係を考慮すれば、真に見事な手腕であると言わざるを得ない。少なくとも道長は、自分の一家の繁栄ばかり優先して他者の台頭を阻んだ兄道隆とは異なり、後日自分が公の場で糾弾されないよう事前に手を打っているのだ。いざ自分の娘が入内する時にも、言い訳ができるように。あなた方にもチャンスは与えましたよ、と。それは、他のキサキが先に男皇子をあげる可能性を危惧すれば、大きな賭けである。しかし、本来権力を手中に収めようとするならば、そのくらいのリスクは負うべきではないだろうか。そして道長は、まるで囲碁をさすように盤上をさりげなく自分の碁石でうめようとしている。頼定は、自分の身体にうっすらと悪寒が走るのがわかった。いつか日か何もかも、あのお方の思うままの世の中になってしまうのではないか。誇張ではなく、本気でそうなりそうな気がした。だとしたら…

 だとしたら、この幼馴染の少女の未来は一体どうなってしまうのだろう…?



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