第二十一章 黄泉比良坂

 雅は、妖気を一気に高めた土御門晴信を見て、

「子孫のために我が身を犠牲にするか……」

 彼は晴信が自分と重なる気がした。

(守るべき者のために自ら滅びの道を選んだのか?)

 雅は晴信を哀れんだ。そして、自分自身も晴信とさして変わりのない立場にある事に思いを致した。

(黄泉路古神道を修得した者が辿る道だ)

 雅は、小野源斎や小山舞達と戦った頃より、自分が強くなった事を感じている。同時に、身体の中を巡る妖気も多くなって来ている事にも気づいていた。

(以前は、藍が光の力を使っても、苦しくなる事はなかった。俺自身、確実に闇に取り込まれているという事か)

 皮肉を感じた。もし、黄泉路古神道に手を染めていなければ、藍の許婚であったろう。そして、あの京都小野家の椿も死ぬ事もなかったかも知れない。だが、それ以上に小野源斎の野望を阻止し、その背後で蠢いていた建内宿禰を根の堅州国に押し戻す事ができなかっただろう。そして、両親の仇である小山舞の企みを打ち砕けなかったかも知れないのだ。

(どちらにしても、後悔はない)

 雅はこのまま闇に呑み込まれ、朽ち果てても良いと思っていた。

「だが、晴信、それでは奴に力を貸すだけだぞ」

 雅は過去の思い出を振り払い、叫んだ。

「黙れ。お前如きに何がわかる。私はあの土御門家の者である。このまま、我が子孫を闇に落とす訳にはいかぬ!」

 晴信は晴子の腕を掴むと、結界の外に放り出した。

『何をするか、晴信!?』

 建内宿禰の声が轟く。すると晴信はニヤリとし、

「黄泉の入り口を開かせはせぬ。お前はこの私と共に闇に帰るのだ、物の怪!」

と言い放った。

「本多さん!」

 藍が剣をベルトに差して晴子に駆け寄る。晴信に放り出された晴子は、地面に倒れ伏していた。

「こっちへ」

 泉進も駆け寄り、二人で晴子を結界から離れたところに運んだ。

「本多」

 竜の気が身体に戻った剣志郎は、躊躇いながら晴子に近づいた。

「心配せんでいい。この子には妖気はない。近づいても何も起こらんよ」

 泉進の言葉にホッとし、剣志郎は晴子に歩み寄った。

「この嬢ちゃんはお前に任せる。これから儂と藍ちゃんは、いよいよ化け物退治だ」

 泉進は先程より濃度を増している結界内の妖気を睨みつけて立ち上がる。

「そ、そうですか……」

 剣志郎は泉進を見上げた。

「行くぞ、藍ちゃん」

「はい、泉進様!」

 藍と泉進は、黄泉比良坂越えが作り出す結界に向かって走る。

(晴信はあの子を助けるために我が身を犠牲にし、建内宿禰を押さえ込もうとしているのだろうが……)

 雅は歯軋りした。

(それこそまさに、奴が思い描いていた通りの結末だ。いや、奴はもしかして、どう転んでもいいように動いていたのか?)

 雅は黄泉比良坂に漂う建内宿禰の妖気を睨む。

(何という執念だ……)

 雅は建内宿禰の企みの深さに戦慄した。


 その頃、剣志郎と藍がラブホテルから出て来たところを目撃してしまった武光麻弥は、理事長室にいた。

「そうですか」

 理事長の安本浩一は、興奮して訴える麻弥の話を冷静に聞いていた。

「教育者としてあるまじき行為です。小野先生と竜神先生を厳罰に処してください」

 麻弥はいつもの可愛らしさはどこかに忘れてきたのかというくらい、怒りの形相である。

「しかし、小野先生と竜神先生がそのような場所から出て来たという事が、どうにも信じられないのだがねえ、武光先生」

 安本の傍らで聞いていた事務長の原田裕二が口を挟んだ。すると麻弥は怒りの矛先を原田に向け、

「私が嘘を吐いているとおっしゃるのですか、事務長!?」

「ああ、いやいや、決してそんなつもりはないよ、武光先生」

 原田は麻弥の迫力に気圧されながら答えた。安本は溜息を吐いて、

「いずれにしても、お二人から事情は聞きましょう。それから、処分を考えます」

「そんな悠長な事を仰らないでください、理事長! あの二人は、あんな破廉恥なところで……」

 とうとう麻弥は泣き出してしまった。安本は原田と顔を見合わせた。


 藍と泉進は、結界を打ち砕こうと剣撃と九字を繰り出していた。

「やめよ! この始末は私がつける。手出し無用だ」

 晴信が藍と泉進を睨みつけて怒鳴った。そして、

「はああ!」

と気合いを入れると、更に妖気の濃さを高め始めた。

「凄い……」

 雅は唖然としていた。

(やはり、建内宿禰はこの男を最後の切り札としていたのか? 源斎や舞バアさんとは比べ物にならない)

「雅、見物していても仕方ないぞ。お前も気づいているのであろう、建内宿禰の最後の罠に」

 仁斎が雅に近づいて囁いた。雅はハッと我に返って、

「さすがだな。ジイさんも気づいていたのか?」

「わからんでか。あの化け物との関わりは儂が一番長いんじゃ」

 仁斎は雅をムッとして睨んだ。

「一度あの娘を使うと見せかけ、本当はこの男が本命。建内宿禰は土御門晴信に本気を出させたかったという事だ。もちろん、晴信が途中で倒れた場合は娘でも良かったのだろう」

 仁斎はそう言うと、晴信を見た。雅は頷いて、

「どうしてこんな回りくどい方法を選んだのかと思ったが、それが狙いだったんだな」

と同様に晴信を見た。

『藍よ、結界の流れを見切りなさい。さすれば斬り込めよう』

 もう一人の倭の女王の台与が告げる。藍はやや後ろに下がり、

「はい」

と応じた。そして剣を正眼に構え、結界をジッと見つめる。泉進はそれに気づき、九字を切るのを止めた。

「はああ!」

 藍の身体の光が剣に集まり始める。光は濃く強くなり、刀身がより輝き始めた。

「ぬう?」

 晴信は藍の異変に気づき、彼女を見てギョッとした。

(か、楓?)

 晴信の目には、藍と楓が重なって見えた。

「そこ!」

 藍はほんの刹那緩くなる結界の間隙を縫うように剣を滑り込ませ、斬り裂いた。

「うおお!」

 結界はそこからほつれ始めた。妖気が噴き出すかと思われたが、藍の振り下ろした姫巫女流古神道最強の剣である姫巫女の剣の光の力が勝り、妖気は破れて消えて行く結界と共に消失して行く。

「おのれ!」

 晴信は妖気の消失を補いように更に身体から妖気を繰り出す。しかし、それはまさしく焼け石に水で、藍の放つ光の前には無力だった。

「これは……」

 仁斎もまた、藍に楓を見ていた。彼は楓に抱かれて宗家の庭を散策した事がある。その記憶は微かなものだが、その時の楓が放っていたのと同じ穏やかな気を感じたのだ。

(楓様がお力を貸してくださっているのか?)

 仁斎はその光景に思わず見とれてしまった。

『何と!』

 楓を感じたのは、二人だけではない。建内宿禰もまた、楓を感じていた。

『これは如何なる事ぞ』

 藍の後ろにいる卑弥呼と台与。そして楓。

(もしや、この波動は?)

 雅は仰天していた。彼は、倭の女王二人と楓の他に椿の気を感じていたのだ。

(椿……)

 椿が藍に力を貸しに来てくれた。それを感じ、雅は目を潤ませた。

(楓様……。椿さん?)

 藍もまた、彼女達の気を感じていた。

『建内宿禰よ、姫巫女流の強さは人。決して挫けぬ、そして諦めぬ人の思い!』

 卑弥呼が叫ぶ。

『滅せよ!』

 台与が叫ぶ。

『そのような事が……』

 藍の剣が放つ光が、建内宿禰を圧倒し始めた。

『そのような事が……。認めぬうっ!』

 光は辺りを包み込み、全てが輝きの中に消えて行く。穏やかに、ゆっくりと。

『おのれえええ!』

 建内宿禰の断末魔が聞こえた。やがて、光は小さくなり、戦いの終息を告げた。

「私は……」

 晴信の妖気も消えた。彼の容貌は人に戻っていた。

「滅さずにすんだか」

 仁斎はホッとしたように呟いた。

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