第十七章 裏の裏

 藍は、怒りのあまり、土御門晴信の奇妙な行動に気づいていなかった。

「逃げてばかりいないでよ!」

 更に間合いを詰める藍。余裕の笑みを浮かべたままの晴信。

「いかん!」

 二人の戦いを見ていた雅は、晴信の企みを見抜いて叫んだ。

「え?」

 藍は雅の声にビクッとして足を止めたが、手遅れだった。

「小野宗家もお前でしまいだ、小娘」

 晴信の顔が狡猾な笑みになる。藍の身体から、二人の倭の女王が弾き出されてしまった。同時に神剣を合体させた秘剣である「姫巫女の剣」も解けてしまい、更に二つに分かれた神剣そのものも消滅してしまった。

(これは、かつて舞バアさんが使った結界だ。気づくのが遅かった……)

 雅は全ての術を封じられてしまった藍を見て、歯軋りした。

「どうして……?」

 藍は神剣が消えてしまったので、仰天していた。

「お前の術は全て他力。よって、我が結界内にいざなえば、その力は失われる」

 晴信がニヤリとして言う。藍はギクッとして晴信を見た。

(これって、以前大阪で戦った時、小山舞が仕掛けていた結界と同じなの?)

 藍は事の重大さに気づいた。汗が背中と額を伝った。

「ようやくわかったようだな? 今のお前は、只の小娘。何の力も持ち合わせておらぬのだ」

 晴信は袂から呪符を取り出しながら言い放った。

「くっ……」

 藍は思わず後退りした。

「しかし、すぐにあやめたのでは、我が恨みは晴れぬ。じわりじわりと殺めてやろうぞ」

 晴信がニッとすると、彼の口の端からどす黒い妖気が噴き出した。

(あれは建内宿禰の妖気? どういう事なの?)

 晴信は建内宿禰に操られている様子はない。しかし、彼の身体からは建内宿禰の妖気がずっと漏れ続けている。藍にはその絡繰からくりがわからない。

「藍、奴から離れるんだ!」

 雅がまた叫んだ。藍はハッとして晴信から離れようとしたが、結界の外に出る事ができない。

「何、これ?」

 見えない壁が行く手を塞いでいるかのようにそれ以上進めない。

「無駄よ。その結界は外からしか通れぬ。中から出るには、それ相応の力が要る。だが、今お前にはその力はなし」

 晴信はニヤニヤしながら藍を見ている。

「はあ!」

 晴信が放った呪符が、藍の額、両肩、両手首、腹、膝、足首に貼り付いた。

「う……」

 藍は呪符によって動きを封じられてしまった。

「くそ!」

 雅は根の堅州国に入り、結界の中に入ろうとしたが、できなかった。

(どういう事だ? 椿との戦いの時、椿の結界の中には入れた。それなのに奴の結界の中に入れない……)

 雅の額にも汗が伝った。

(何故だ?)

 雅は必死に考えた。

(何かある……。それは何だ?)

 焦りばかりが募って行く。

「小野雅、貴様はそこで好いた女が朽ちて行くのを見ているがいい」

 晴信は雅を睨みつけ、高笑いした。

「朽ちて行く?」

 その言葉に、藍と雅はほぼ同時にギョッとした。

「うう……」

 藍の身体に貼り付いた呪符が少しずつ藍の体内に溶け込んで行く。呪符は溶けながら妖気を噴き出して行く。

(何なの、これは?)

 藍は悶絶しそうな痛みを感じているが、身体が動かせないので余計に苦しくなる。全身から汗が噴き出し、痛みで気が遠くなりかけた。


 その頃、仁斎は連絡が取れなくなった遠野泉進の身を案じ、タクシーで泉進がいるはずの神社に向かっていた。

(死んではおらんようだが、危ない状態だな)

 仁斎は窓から空を見上げ、

(東京の守りが崩れれば、奴の野望は現実のものとなってしまうぞ)

 仁斎は運転手を見て、

「そこを右だ」

と言い、腕組みをした。

歯痒はがゆいな。藍のように空を飛べれば良いのだが……)

 仁斎はもう一度空を見た。


 そして、泉進と剣志郎を倒した楢久保美好は、本多晴子と共に神社の拝殿に呪符を貼っていた。

「この神社の守りを破れば、あの方が戻っていらっしゃるのよ」

 晴子は恋人が帰って来るかのような嬉しそうな表情で言う。

「君達、そこで何をしているんだ?」

 近所の人の通報があったのか、制服警官が三人拝殿の裏に現れた。他の二人は、殴り倒されている泉進と剣志郎の容体を確認し、救急車を手配していた。

「うるさいわね。邪魔しないでよ、おまわりさん」

 晴子は容赦なく呪符を投げつけ、式神で警官三人をたちどころに殺してしまった。

「ぐぎゃああ!」

 警官の遺体は式神が食い尽くした。もはや彼女の操る式神は黄泉の魔物と変わらなかった。

「どうした?」

 叫び声を聞きつけ、残りの二人の警官が駆けつけた。

「まだいたの? 邪魔するんじゃないわよ」

 晴子が再び呪符を投げつけた。それが式神に変化し、腰を抜かした二人の警官を食い殺そうとした時、

「はあ!」

 拝殿の向こうから光の筋が一閃し、式神を斬り裂いた。

「何?」

 晴子はそれを見てビクッとした。

「恐ろしい事だ。あの男の末裔でなければ、このような事をするはずもない只の少女であったろうに」

 光り輝く剣を構えた仁斎が建物の陰から現れた。

「もうこれ以上の所業は許さぬ」

 仁斎は晴子を睨みつけた。晴子はニヤリとして、

「ふーん。小野先生のお祖父ちゃんなんだ? さすがねえ」

と言いながら、後ろに控えていた美好を見る。美好は晴子にゆっくりと頷き、進み出た。

「おらあ、ジジイ! 余計な事すると、ぶっ殺すぞ!」

 美好は木刀を振り上げて仁斎に突進した。

「欲が顔にあふれ出ているような馬鹿者に何ができるか!」

 仁斎は剣を地面に突き立て、フーッと気を高めて行く。

「うるせえんだよ!」

 目を血走らせ、美好は仁斎に木刀を振り下ろした。

「愚か者が!」

 仁斎は木刀を素早くかわし、美好のふところに飛び込むと、

「でやっ!」

掌底しょうていを腹に見舞う。

「ぐおお……」

 美好が白目を剥く。しかし晴子はニッとした。

「そして、こうだ」

 ところが、仁斎は更に右手の人差し指と中指を喉元に突き入れた。

「げほお!」

 美好の口からよだれが噴き出す。そしてそのまま彼は後ろに倒れた。

「これではまだだな?」

 仁斎は晴子の企みを見抜くかのように言った。晴子がビクンとする。仁斎は地面に突き立てた剣を抜き、

「たあ!」

と振るった。剣から発せられた光が美好の身体を貫く。

「ブヘ!」

 光が、美好の身体からどす黒い妖気を追い出した。

「く……」

 晴子が歯軋りをする。仁斎はもう一度晴子を見て、

「これでおしまいだ。後はお前だな?」

と言った。

「ちっ!」

 晴子は不利と悟ったのか、逃げ出した。

「後は頼んだぞ」

 仁斎は腰を抜かしたままの警官に告げると、晴子を追いかけた。


 藍の身体に貼り付いた呪符は半分ほど溶け込んでいた。藍は気絶しそうな激痛に耐えている。

「藍……」

 目の前で苦しんでいる藍に何もする事ができない雅もまた苦しんでいた。その時、何かが見えた。

(何だ?)

 以前に同じ体験をした事を思い出したのだ。

(そうか、辰野神教との戦いの時と同じか?)

 雅は、辰野神教のほこらに閉じ込められた時の事を思い出した。

(つまり、奴の結界は異空間……)

 そこまで気づいた時、雅は別の事に驚く。

「まさか……?」

 彼は晴信の結界を見た。

「これは、まさか……」

 雅の額を伝う汗が増えた。

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