第十八章 江戸曼荼羅揺らぐ

 小野雅は、土御門晴信の結界の秘密に気づき、更に焦っていた。

(もしそうだとしたら、奴が出て来るという事か?)

 雅は晴信を見てから、藍を見た。

(このままでは、藍は確実に姫巫女流の後継者から外れなければならなくなる。どうすればいいのだ?)

 雅は、晴信の結界の中の妖気の濃度が上昇しているのにも気づいていた。

「く……」

 藍はその身に溶け込んで来ている呪符から漏れ出す妖気によって、激痛を与えられていた。

(気を失いそう……) 

 妖気による痛みは、藍を苦しめ、疲弊させていた。

(雅……。お祖父ちゃん……)

 藍は歯を食いしばって痛みに堪えていた。そんな時でも思い出してもらえない事を知ったら、竜神剣志郎はさぞかしショックであろう。

(迷っている暇はない)

 雅は意を決して根の堅州国に入った。

「何をするつもりだ、小野雅?」

 晴信は雅の行動に気づき、嘲るように笑い、呟いた。

「藍!」

 雅は結界の中に入る事ができた。

(やはり辰野神教の時と同様か)

 晴信は雅が結界の中に現れたのに驚愕し、

「おのれ!」

と呪符で式神を出し、雅を襲わせた。

「はあ!」

 雅は漆黒の剣である黄泉剣を出し、式神を弾く。そして、

「随分とどす黒い結界だな、土御門晴信?」

と言うと、辺りに漂う妖気を剣に吸い込ませた。剣は禍々しさを増し、一回り大きくなる。

「ぬ……」

 晴信は妖気が希薄になったのを感じ、雅を睨んだ。

「お前は建内宿禰から逃れたと思っているのだろうが、奴の執念はその程度ではないぞ」

 雅はニヤリとして晴信を見返す。

「何!?」

 晴信はその言い様が気に障ったのか、カッと目を見開いた。

「藍、外なる力は使えなくても、お前自身の気は使えるはずだ。光の力で闇を追い出せ」

 雅は藍を見て言った。雅は再び襲いかかって来た式神を剣で弾き飛ばした。

「う、うん……」

 藍は激痛に堪えながら、雅に頷いてみせた。そして、身体の気の巡りを意識する。

「フーッ」

 呼吸が普通にできるようになった。

「ぬ?」

 晴信は藍の気が高まるのを感じ、

「そうはさせぬ!」

と呪符を藍に投げつけた。

「無駄だ」

 雅が言った。その言葉通り、呪符は藍に届く前に燃え尽きた。そして、藍の身体に溶け込んでいた呪符も外に出され、ボオッと燃えて消えた。そして式神もその光の力で消滅した。

「フーッ」

 藍は自分の身体がようやく感覚を取り戻したのを感じ、肩をグルグル回し、首を左右に振った。

「はあ!」

 次に藍は柏手を連続して打った。辺りに神々しい気が満ちて行く。すると周囲の妖気が弾かれ、晴信の結界も揺らいだ。

「く……」

 晴信に対抗するために妖気を強めていた雅も、藍の光の勢いに思わず呻き、彼女から離れた。

「はい!」

 藍はもう一度大きな音をさせて柏手を打った。その音響と気により、晴信の結界は吹き飛ばされた。

「おのれ!」

 晴信は藍と雅から後退り、呪符を袂から無数取り出した。

「次は破らせぬ!」

 数えきれないほどの呪符が宙を舞い、まるで吹雪の如く藍に向かう。その時、晴信の結界によって阻まれていた姫巫女二人合わせ身が復活し、二人の倭の女王が藍に降臨した。更に、神剣二振りも甦り、秘剣である姫巫女の剣も元に戻った。

「土御門晴信、許さない!」

 迫り来る呪符の吹雪を藍はたった一振りで消滅させてしまった。

「何!?」

 晴信はその様子を見て仰天した。

「はああ!」

 藍は剣を上段に構え、晴信に突進した。

「ダメだ、藍! 今奴を斬ってはいけない!」

 苦しそうな息をしながら、雅が言う。

「え?」

 藍は思ってもいない事を雅に言われ、彼を見た。雅は藍の光の力が辛いようで、藍を手で制し、

「晴信は建内宿禰の依り代になっている。奴を斬れば、妖気が一気に噴き出し、建内宿禰が出て来てしまう」

「どういう事?」

 藍は更に雅に近づこうとした。雅は苦笑いして、

「それ以上近づかれると、俺も死んでしまいそうだ。そこで聞いてくれ」

「え?」

 藍は雅の言っている事がわからず、キョトンとしてしまった。

「晴信は根の堅州国の出口にされようとしている」

 雅は藍から離れ、晴信を見た。

「何を言っておる? 私はあの物の怪とは繋がりはない」

 晴信は怒りの形相で雅を見た。

「お前がどう思おうとかまわんが、俺の言った事は嘘ではない」

 雅は藍から離れたお陰で身体が楽になったのか、晴信を睨み据えて言った。

「戯れ言だ! 私はあの物の怪の力を取り込み、我が力としたのだ。今は関わりはない」

 晴信は雅に反論した。すると雅はニヤリとして、

「ならば、お前のその口の端や鼻の穴から漏れている黒い妖気は何だ?」

 晴信はその言葉にギクッとし、自分の口に手を当てる。

「それは奴の妖気だ。お前は骨の髄まで奴に利用されているんだ」

 雅は黄泉剣を消し、晴信を指差した。

「……」

 晴信は何かに思い当たったようだ。

「おのれ、あの物の怪め、私の呪符に何かを仕掛けたな!」

 晴信は持っていた呪符を全て袂から出すと、

「えい!」

と気合いを入れ、全部燃やしてしまった。

「やっとわかったようだな? 建内宿禰は人を利用はするが、味方にはならない。よく覚えておけ」

 雅は晴信を叱りつけるように言い放った。

「以前、お前と同じように、建内宿禰の力を譲り受けた小野源斎は、最後は建内宿禰に身体を乗っ取られ、死んだ」

 晴信は、源斎が敗れたのは知っていたが、その事実は知らなかった。

「すごいねえ、お兄さん。そこまで見抜くなんて」

 女の子の声がした。

「本多さん!」

 藍は声の主を見て叫んだ。そう、それは本多晴子であった。そして、その後ろから、仁斎が現れた。

「お祖父ちゃん!」

 藍はびっくりしていた。

「大丈夫なの、寝てなくて?」

「大丈夫だ。どいつもこいつも、人を病人扱いしおって!」

 仁斎は雅に目で合図をした。雅はそれに応じて頷く。

「なるほど、その娘にも妖気が漂っているようだな?」

 雅は晴子を見て言った。晴子はニヤリとして、

「そうよ。私は建内宿禰様のためにこの東京を守護している江戸えど曼荼羅マンダラを壊すの」

「何?」

 晴信は驚いて晴子を見た。

「お前は我が子孫。我が願いを叶えるためではないのか?」

 晴信の言葉に晴子はゲラゲラ笑い出し、

「何言ってるのよ、ご先祖様? 貴方は一度小野楓と土御門宗家によって封じられた負け組なのよ。役目を果たしたら、消えて頂戴」

「何だと!? お前は我が子を産むのではなかったのか?」

 晴信が言うと、晴子は身震いして、

「気持ち悪い事言わないでよ、オジさん。そんな訳ないでしょ? 私、まだ十八歳よ」

 晴信は打ちのめされてしまったのか、何も言い返さない。

「という事だ。建内宿禰は、その陰陽師ではなく、この小娘を使うつもりだ」

 仁斎は鋭い目で晴子を見た。晴子はニッとして、

「さすが、小野先生のお祖父ちゃんね。鋭い!」

と拍手してみせる。

「でも、ちょっとお間抜けね」

「何だと!?」

 仁斎はムッとした。藍と雅もハッとして晴子を見た。

「江戸曼荼羅の要はもう崩れるわ。私の仕掛けたトラップでね」

 晴子は甲高い声で笑った。

「どういう事!?」

 藍が怒鳴った。すると晴子は笑いを堪えながら、

「お祖父ちゃんが調べた時は、まだ呪符は作動していなかったの。さっき動き出したわ」

「何ですって!?」

 藍と仁斎は顔を見合わせた。

「それから、さっきもう一人のお爺ちゃんがいた神社の呪符も、そろそろ動き出すわよ」

 晴子は再び甲高い声で笑い出す。

「ほらほら、江戸曼荼羅が壊れちゃうよ、小野先生。何とかしないと」

 藍は晴子を憎らしそうに睨み、

「貴女は自分が何をしようとしているのか、本当にわかっているの!?」

「もちろん、わかっているわよ。東京が破壊され、日本が闇に閉ざされるの」

 晴子は嬉しそうに語る。藍は歯軋りした。

「ぐお!」

 その時、晴信が苦しみ始めた。

「どうしたの?」

 藍は晴信に駆け寄った。晴信は膝を着き、

「確かに私はあの物の怪に操られたままのようだ」

と自嘲気味に言った。晴信の口、花、目、耳から妖気が噴き出し始めた。

「始めおったか!」

 仁斎が晴信に駆け寄ろうとすると、

「お祖父ちゃんはダメ。邪魔しないでね」

と晴子が式神を出して襲わせた。

「くそ!」

 仁斎は素早く十拳剣を出し、対抗する。

「泉進、何をしているのだ!?」

 仁斎は遠野泉進に毒づいた。


 その遠野泉進は、意識を回復し、救急車を追い返して、剣志郎と共に神社に貼られた呪符を剥がしていた。

「うわっち!」

 剥がすと燃える呪符に難儀しながら、剣志郎は奮闘していた。

(藍、頑張ってくれ)

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