第十五章 晴信と晴子と
小野藍は、宙を鋭い角度で飛翔するたくさんの自転車を剣で弾き飛ばしながら、本多晴子が何を考えているのかを思った。
(彼女は何が目的なの?)
晴子は土御門晴信の子供を産むと言っていた。もしそれが彼女の願いであるなら、それはまた恐ろしい事だ。
(まさかとは思うけど……)
藍は、晴子から微かに感じた妖気が気になっている。
(あれは紛れもなく我が小野家の宿敵である建内宿禰のもの。だとすれば……)
藍は、建内宿禰が晴子の身体を借り、この世に転生しようとしているのではないかと考えたのだ。
(そしてまた、あの陰陽師も、建内宿禰の妖気を漂わせていた)
しかし、先の吉野での戦いで、建内宿禰は根の堅州国の不文律で封じられたはずなのだ。藍のかつての許婚である小野雅が言った言葉を、藍は覚えている。
『これで建内宿禰は絶対に現世には戻れない。根の堅州国の不文律で封じたんだ。あいつがどれほど足掻こうと、戻って来る事は不可能だ』
根の堅州国の不文律とは、「他者の力で根の堅州国に押し込まれし者は、現世に帰る事能わず」というものである。例え黄泉の国の最高神と言われている建内宿禰でも、その掟に逆らって現世に戻る事はできないはずなのだ。
「先生、もう息が上がっているの? 年は取りたくないわね」
晴子が嘲るように言う。藍はムッとして、
「うるさい!」
と叫ぶと、襲い来る自転車を次々に叩き落とした。
「キリがないな、藍ちゃん」
気合いで自転車を弾いている遠野泉進は歯軋りして言う。
「いくら落としても無駄よ」
晴子は血走った目で高笑いする。
「藍!」
そこへ竜神剣志郎が駆けて来た。
「くっ!」
晴子は剣志郎の竜の気に気づき、忌ま忌ましそうに彼を睨む。
「邪魔者が……」
剣志郎が藍と泉進に近づくと、二人の気が高まった。光の気の相乗効果である。
「え?」
藍と泉進の動きが急に速くなったので、剣志郎はビクッとしてしまった。
「臨兵闘者皆陣列前行!」
晴子は早九字を切り、呪符を放った。するとその呪符が変化し、式神になった。
「式神まで操るのか!?」
泉進が仰天する。
「じゃあねえ、先生、お爺ちゃん」
晴子はニヤリとし、駆け去ってしまった。
「な、何だ、あれは?」
剣志郎は迫り来る式神に驚愕し、後退った。
「はあ!」
藍が素早く対応し、式神を斬り裂く。
「本多さん!」
すぐさま晴子を追おうとするが、
「藍ちゃんは雅のところへ急げ。敵が何やら始めたらしい」
泉進の言葉にギョッとして足を止める。雅の名を聞き、剣志郎もギクッとした。
「わかりました、泉進様」
藍は剣を地面に突き立て、柏手を打った。
「高天原に神留ります、天の鳥船神に申したまわく!」
藍は光に包まれ、飛翔した。
「わあ……」
それを呆けたような顔で剣志郎が見ていると、
「儂らはあの娘を追うぞ。陰陽師と合流させてはならんからな」
と泉進が告げる。剣志郎はハッと我に返り、泉進を見た。
「行くぞ」
泉進が走り出す。その速さに剣志郎はまた呆けそうになったが、
「ま、待ってください!」
と慌てて追いかけた。
雅と晴信は、睨み合いを続けていた。
「どうした? 何故仕掛けて来ない? 俺が怖いのか?」
雅が挑発する。しかし晴信は、
「愚かな。何故、わからんのだ。我ら陰陽道が栄える事こそが、この国のためになるという事が。私に逆らう事は、天命に背くと同じ」
と言い放った。
「何が天命だ! 闇の魔物の力を借りてここまで生き永らえ、その上闇を利用して神道を滅ぼすなど……。それが天命とは、聞いて呆れる」
雅も負けずに言い返す。その時、二人は藍の接近を知った。
「来るか、小野楓の転生……」
晴信は、そうではないと自分に言い聞かせながらも、楓を恐れていた。そして、楓すら極めていない姫巫女流の奥義を会得している藍も恐れていた。
(だが、私の悲願は日の本の国の神道を滅する事。そして再び、陰陽道の世を築く事。ここで倒れる訳にはいかぬ)
晴信の目が怪しく光る。
(こいつ、やはり藍を恐れているのか? そして、藍の前世である小野楓を)
雅は晴信を睨みつけ、剣を下げる。
(だが、何かおかしい。この男、本当に建内宿禰の呪縛から解放されたのか?)
雅はその謎を解きあぐねていた。
飛翔する藍は、雅と晴信の凄まじい気のぶつかり合いを感じていた。
(実際に打ち合ってはいないけど、凄い……)
やがて彼女の視界に雅と晴信の姿が入った。
「雅!」
藍が叫ぶ。雅がその声に反応して彼女を見上げた。晴信も鋭い目で藍を見上げている。
「来たか、宗家の小娘。待っていたぞ」
晴信は何故かニヤリとした。
その頃、小野仁斎は、晴信が封じられていた社の前にいた。
「やはり、そういう事か」
仁斎は眉間に皺を寄せ、社を見上げた。社からは、禍々しい妖気が間欠泉のように吹き上げている。
(あの陰陽師を封じた結界を破る事によって、現世と根の堅州国が融合し始めている。何という事だ……)
仁斎の額を汗が伝わった。
(げに恐ろしきは、建内宿禰の執念よ。まさかその手で来るとはな)
仁斎は小野神社へと歩き出す。
「我が代で小野宗家を滅する訳にはいかぬ」
仁斎は早足で神社を目指した。
一方、泉進と剣志郎は、晴子を追って、路地を走っていた。
「こっちだ」
交差点に来ると、泉進が素早く晴子の行き先を読み、角を曲がる。
「はい!」
剣志郎はヘトヘトになって泉進を追っている。
(さすが、修験者だな。全然疲れていないぞ)
泉進の壮健ぶりに剣志郎は仰天していた。
「ここは……」
二人が辿り着いたのは、その辺りでは有名な神社だった。
「やはり、彼奴の目的は、神社であったか」
そこは、明治の世に晴信が呪殺した神道家がいた神社である。
「もしかすると……」
泉進は袂から地図を取り出した。
「どうしたんですか、泉進さん?」
剣志郎が呼吸を整えながら、覗き込む。
「あの娘、小山舞が成し遂げられなかった東京の霊的破壊をなそうとしておる」
「小山舞!?」
剣志郎はゾッとした。かつて自分が計らずも助けてしまった藍にそっくりな女の事を思い出して。
「豊国一神教のやろうとしていた事は、元を辿れば、建内宿禰のやろうとしていた事」
泉進は地図を袂に戻し、歩き出す。
「どういう意味ですか?」
剣志郎が追いかけながら尋ねる。
「すなわち、晴信もあの娘も、建内宿禰の術中という事だ」
泉進は鳥居を潜りながら言った。剣志郎は思わず立ち止まってしまった。
「何だ、寝ていなかったのか?」
泉進は仁斎からの電話に出た。
「当たり前だ。小野宗家の一大事に、布団の中で震えておれんわい!」
仁斎の怒鳴り声が、受話口から聞こえる。
「何にしても、黒幕は建内宿禰だ。儂は今裏鬼門を支える神社の一つに来ている」
泉進が辺りを見回しながら告げた。
「儂はもう一つの要に向かう。とにかく、そこは何としても守ってくれ、泉進」
「言われるまでもない」
泉進は携帯を切り、袂にしまう。
「さあて、これからが本番だぞ、竜の子よ」
泉進は剣志郎を見てフッと笑った。剣志郎は「竜の子」と呼ばれ、キョトンとした。
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