第十四章 本多晴子の力

 小野藍は、シャツのボタンをはめ直すと、背中を向けている竜神剣志郎に声をかけた。

「もう、いいよ」

 恥ずかしそうに言う藍。ドキドキしながら振り返る剣志郎。それをやや呆れ気味に見ている遠野泉進。

「ありがとう、剣志郎。助かった」

 藍は照れ臭そうに微笑みながら言った。剣志郎は顔を赤くして、

「あ、いや、大した事してないから。礼なら、遠野さんに言ってくれ」

 藍はそんな剣志郎をクスクス笑いながら見、泉進に視線を移す。

「ありがとうございました、泉進様」

 彼女は深々と頭を下げた。泉進は苦笑いして、

「結局、肝心の娘を取り逃がしてしまったからな。あまり褒められたものではない」

 泉進が娘といったのに反応し、剣志郎が藍を見る。

「娘って、まさか本多晴子か?」

「ええ。あの子、私の先祖の楓様が封じた陰陽師を蘇らせてしまったのよ」

 藍の言葉に剣志郎は目を見開く。

「先祖が封じた陰陽師? 誰だ、それ?」

 藍は一瞬うんざりしたが、今までの事を説明した。

「ビルの火事、あいつの仕業だったのか? 学園の生徒の中にも、近所に住んでいる者達は慌てて家に連絡していたよ。まさか、本多がそんな事を……。それに、その陰陽師の子孫だなんて……」

 剣志郎は腕組みをして神妙な顔をした。

「何にしても、娘を止めねばならん。恐らく、土御門晴信と合流するつもりだろう」

 泉進が言った。藍は頷き、

「行きましょう」

と剣志郎と泉進を見た。


 その本多晴子は、晴信のいる場所を目指していた。

(晴信様、もうすぐ私が行きます。待っていてください)

 晴子は嬉しそうに走っていた。

(晴信様の御子を私が生めば、この世を統べる方になられる)

 晴子の目は血走り、常軌を逸していた。そして彼女の身体中から黒い妖気が漂い始めた。


 小野雅は晴信と睨み合ったままである。

「どうした、小野雅? もう手だてなしか?」

 晴信が挑発する。しかし雅は動かない。

(妖気を変質させられては、さっきの攻撃は通用しない。それにしてもこの男、建内宿禰の妖気を漂わせているが、奴に縛られている訳ではないのか?)

 雅には、その謎がわからず、晴信に仕掛ける事ができない。

「来ぬのなら、私の方から参るぞ!」

 晴信は無数の呪符を袂から取り出して両手に持ち、走り出した。

「く!」

 雅は晴信との間合いを取るために後退あとずさった。

「臨兵闘者皆陣列前行!」

 晴信は九字を切り、呪符を雅に向かって放つ。呪符は鳥のように舞い、雅に向かった。

(これには妖気を纏わせていない。普通の式神か?)

 雅は漆黒の剣である黄泉剣を出した。

「それでは式神は斬れんぞ、雅?」

 晴信が嘲笑する。呪符は雅の直前で式神に変化へんげし、襲いかかる。

「はあ!」

 雅は立て続けに数体の式神を斬り捨てた。

「無駄よ」

 晴信は一瞬ニヤリとしたが、次に瞬間、ギョッとした。

「ぐおあお!」

 式神は斬られると同時に異空間に吸い込まれたのだ。

「俺を舐めるな、土御門晴信。同じ事をするはずがないだろう?」

 雅はフッと笑って言う。雅は剣に奥義の「黄泉比良坂返し」を仕込んだ。だから、剣に斬られた式神は、なす術なく異空間である根の堅州国に飛ばされたのだ。

「どんなものであろうと、この奥義で根の堅州国に飛ばせぬものはない。お前の方こそ、手立てなしだな、晴信?」

 雅は剣で晴信を指し、言った。


 その頃、傷が癒えて来た藍の祖父である仁斎は、神社の境内にいた。

(土御門晴信。やはりお前はまだ縛られておるのか?)

 仁斎は晴信の動きを感じ取っていた。

「まさかとは思うが、奴め、そのような事を企んでおるのか……」

 仁斎は歯軋りし、境内を出た。そして、携帯電話を取り出し、泉進に電話した。

「今どこにいる?」


 泉進は、藍達と共にラブホテルを出て来たところだった。

「今藍ちゃんとラブホテルを出たところだ」

 藍は泉進のその応答にビックリした。剣志郎は蹴躓けつまずきそうになった。

「勘違いするな。何を怒っておるのだ?」

 泉進は仁斎が憤激しているのを面白がっていた。

「わかった、わかった。彼奴あやつの企みはそれとなく感じてはいる。まあ、休んでろ」

 更に怒る仁斎を無視し、泉進は携帯を切って袂にしまった。

「では、行こうか、藍ちゃん」

 泉進はサッと駆け出す。老人とは思えない脚力に驚いた藍だが、

「はい」

と続いた。剣志郎は唖然としていたが、

「何してるんですか、そんなところで!?」

という金切り声を聞き、ギョッとして振り返った。するとそこには、目に涙をいっぱい浮かべた武光麻弥が立っていた。

「た、武光先生!」

 剣志郎は頭がパニックになりそうだ。

「どうしたんですか、武光せんせ……」

 そこまで言いかけた時、ツカツカと歩み寄って来た麻弥の平手打ちが剣志郎の左頬に炸裂していた。

「不潔です! 関係ないとか言いながら、授業の合間にこんなところで小野先生と!」

 麻弥は泣きながら怒っていた。剣志郎は何とか弁明しようと思ったが、今の状況ではどう説明しても嘘にしか聞こえないとも思えた。何しろ、自分は紛れもなく、藍と一緒にラブホテルから出て来たのだから。これをどれほど細かく説明しても、麻弥に聞いてもらう事はできないだろう。

「これは理事長に報告しますから、そのつもりで!」

 麻弥は呆然とする剣志郎に背を向け、そのまま杉野森学園高等部に戻って行ってしまった。

(理事長に報告するって……)

 藍と自分の事をよく知っている安本理事長は、麻弥の報告を鵜呑みにはしないだろうが、それにしてもまずい。剣志郎は項垂れるしかなかった。

「ちょっと、どこにいるの? 急いで来てよ。貴方の力が必要なんだから」

 しかし、藍からの連絡でそう言われ、剣志郎は何となく気力が戻った。

(今は俺の事より、本多晴子の事だ)

 剣志郎は路地を駆け出した。


「本当に剣志郎が役に立つんですか?」

 藍は携帯をしまいながら、泉進に尋ねた。泉進は大きく頷き、

「もちろんだ。晴信は何故か杉野森学園に入って行かなかった。藍ちゃんが学園内にいるのを知りながら。どうしてだと思う?」

「竜の気、ですか?」

 藍はハッとして泉進を見る。泉進はニヤリとして、

「その通り。先程のホテルの件もそうだが、闇の気は竜の気を嫌うようなのだ。と言うより、竜の気を恐れているのだろう」

「だとすれば、剣志郎の気は切り札になりますね」

 藍が言うと、泉進は大笑いして、

「案外役に立ちそうだな、あの唐変木は」

「と、唐変木ですか……」

 藍は苦笑いした。当たっているかも知れないと思いながら。

「あら、先生にお爺ちゃん。意外に早かったわね」

 路地の陰から晴子が姿を現した。

「本多さん!」

 藍が近づこうとすると、

「いかん、近づくな」

 泉進が藍の腕を掴んで引き止める。そして空を指差し、

「見ろ、あれを!」

「え?」

 藍はキョトンとして泉進の指差す方を見た。するとそこには、無数の自転車が浮かんでいた。

「何、あれ?」

 藍には理解不能だ。晴子はニヤリとして、

「忘れたの、先生? 晴信様が封じられていた社にトラックを突っ込ませたの、私なのよ?」

「く!」

 藍はその言葉にイラッとし、晴子を睨む。晴子は高笑いして、

「だから、自転車を宙に浮かせるのなんて、簡単なのよ!」

と言うと、藍と泉進目がけて自転車を飛ばして来た。

「臨兵闘者皆陣列在前!」

 泉進は九字を切って気を高めると、

「えや!」

と気の塊を飛ばし、自転車を弾き飛ばした。

「神剣、十拳剣!」

 藍も剣で自転車を弾く。

「いつまで続けられるかしらね」

 晴子はそれを愉快そうに見ていた。

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