第十三章 急接近の二人

 貞操の危機。小野藍は生まれて初めてそれを感じていた。

(姫巫女合わせ身は、処女だからなせる術って思っていたけど、それは先人達が一族の女性を守るために考えた嘘だってお祖父ちゃんに聞いた……)

 例え辱められても、姫巫女流は大丈夫。藍はそう思う事にした。そして必ず、雅が助けに来てくれると信じる事にした。

「あらあ、先生ったら、結構おっぱい大きいのね」

 本多晴子は、藍のシャツのボタンを外しながら言う。

「へえ、そうなんだ」

 浴室から、バスローブを羽織った楢久保美好が出て来た。

「楢久保さん、先生の服、脱がせてあげて」

 晴子は嫌らしい笑みを浮かべて言った。

「おう」

 美好は歯を剥き出しにして笑い、藍に近づいた。


 一方、剣志郎はまだホテルの入り口で迷っていた。

(藍がこんなところにいる訳ないよ)

 立ち去りかけた彼を、

「おい、お前」

と呼ぶ声がした。剣志郎はギョッとして振り返った。

「こっちだ、こっち」

 声のする方へ入って行くと、そこには遠野泉進が倒れていた。

「ああ!」

 剣志郎は先々月世話になったその老人の顔をすぐに思い出し、駆け寄った。

「どうしたんですか、遠野さん?」

 泉進は剣志郎の手を借りて立ち上がると、

「そんな事はどうでもいい。藍ちゃんが危ない。儂を背負ってくれ。案内する」

「え?」

 藍が危ない。その言葉に剣志郎はビクッとする。

「わかりました!」

 すぐさま泉進を背負う。

「こっちだ」

 泉進の誘導で、剣志郎はホテルの中に入って行った。


 土御門晴信は、雅の焦りを嘲るように笑い、

「小野楓の生まれ変わりの女が、それほど心配か?」

 雅はそれには答えない。漆黒の剣である黄泉剣を出す。

「また同じ目に遭いたいのか、土御門晴信? 闇の力に頼る限り、お前は俺には勝てないぞ」

 雅は剣を下段に構えた。晴信は呪符を放ち、

「それはお前とて同じ。私の力を押しのける事はできても、私を倒す事はできまい?」

 雅はピクンとしたが、何も言い返さない。晴信の放った呪符が式神に変わる。

「同じ事だ!」

 雅は黄泉剣の妖気を建内宿禰のものに同調させる。

「陰陽道とは、光と闇を束ねる流派。すなわち、これに勝る流派はないのだ」

 晴信が叫ぶ。雅はギリッと歯を軋ませ、

「戯れ言を!」

と式神を斬る。しかし、式神は再生した。

「何?」

 雅は目を疑った。

(どういう事だ? 何故式神が再生した?)

「お前が妖気の質を変えたのはわかった。だから私も変えたのだ」

 晴信はニヤリした。

「……」

 雅は再び襲いかかって来た式神を、

「黄泉比良坂返し!」

と唱え、異空間に飛ばした。

「その術も、何度も繰り返せぬ事もわかっておる。手詰まりだな、小野雅?」

 晴信は勝ち誇ったように言い放った。


 藍のシャツは全てボタンを外されて、ブラジャーが剥き出しになっていた。

「先生、いくら教育者でも、もう少しお洒落した方がいいよ。美人なんだから」

 晴子が藍のセンスを笑った。

(うるさいわね! そんなの、大きなお世話でしょ!)

 確かに藍の身に着けている下着は、何の装飾もない白。今時、中学生でも着けないような類いだ。

「でも、神聖な感じがしていいよ、晴子」

 藍の肌の美しさに目を奪われている美好が言った。藍は全身総毛立ちそうだ。

(こんな奴に……)

 また目尻に涙が滲んでくる。

(雅、助けて!)

 もう一度、心の中で叫んだ。その時、

「楢久保さん、後はお願いね」

 突然、晴子は部屋を飛び出して行った。美好はキョトンとしたが、

「ヒヒ、晴子の奴、先生があまり奇麗だから、嫉妬したんだよ。可愛いよな」

舌舐したなめずりしながら藍を見る。

「でも、これで二人っきりだ。もう恥ずかしがる事は何もないよ、先生」

 美好はすでに晴子の術で雁字がんじがらめにされている。だから、後は自動的に藍を辱めるようにされているのだろう。

(あんたがいる限り、私は恥ずかしいわよ!)

 藍は何とか術を破れないかと思ったが、身体が動かせないので、気を巡らせる事もできない。

「さあ、今度は下だね」

 美好は藍のパンツのホックを外そうと手を伸ばした。

「藍!」

 するとそこへ、泉進を背負ったままの剣志郎が飛び込んで来た。

(え? 剣志郎?)

 藍は思ってもいない登場人物に驚いてしまった。

「何だ、てめえは!?」

 美好は剣志郎を見て目の色を変える。そして、背中の泉進に気づいた。

「ああ、ジジイ、てめえ、まだ生きてやがったのか!?」

 美好は藍から離れ、剣志郎に飛びかかって来た。

「おっと!」

 剣志郎はその突進をかわし、泉進を下ろす。泉進はすっと藍に近づき、自分の着ていた装束の上っ張りをかけた。

(泉進様!)

 藍はとうとう泣き出した。とは言っても、声は出せなかったが。

「お前、自分が何をしているのかわかっているのかよ!?」

 剣志郎は藍が服を脱がされかけていたのに気づき、激怒していた。

「うるせえ! てめえには関係ねえんだよ!」

 美好はもう一度剣志郎に掴みかかる。

「関係なくないよ!」 

 剣志郎は美好の腕を取って捩じ上げる。

「ギエッ!」

 そして続けざまに首の後ろを手刀で叩いた。

「うう……」

 美好はたちまち気を失い、そのまま床に突っ伏した。

「何考えてるんだ……」

 剣志郎は乱れた服装を直しながら、美好を見下ろして呟いた。そして、藍に目を移す。

「大丈夫か、藍?」

 しかし、藍は無反応だ。

「どうしたんですか、藍は?」

 剣志郎は泉進を見た。泉進は藍を見たままで、

「呪詛をかけられて、身動きができないばかりか、声も出せなくなっている」

「え?」

 剣志郎はギクッとして藍を見た。

「その前に、こいつにかけられた術を解くか」

 泉進は九字を切った。

臨兵闘者皆陣列在前りんぴょうとうしゃかいじんれつざいぜん!」

 その途端、モアッと煙のようなものが美好の身体から立ち上り、消えた。

「これであの娘とのつながりは切れた」

 泉進は再び藍を見る。

「藍ちゃんの身体の中に呪詛が埋め込まれている。それを追い出す方法は一つ」

 泉進は剣志郎を見た。剣志郎は思わずビクッとする。

「お前の中の竜の気で、呪詛を追い出すのだ」

「ええ?」

 剣志郎は仰天した。そして、

「追い出すって、どうやってですか?」

「藍ちゃんに気を送り込むのだ」

 泉進は真剣な表情で剣志郎を見ている。

(え?)

 今度は藍がギクッとする。

(何言ってるんですか、泉進様?)

「送り込むってどうやってですか?」

 剣志郎は訳がわからないらしい。泉進は溜息を吐いて、

「決まっておろう! 接吻で送り込むのだ!」

「えええ!?」

 剣志郎は大声を上げてしまった。

「せ、接吻て、その、あの……」

 見る見るうちに顔が茹で蛸のようになってしまう。藍も驚愕していた。

(泉進様、何て事を!)

 しかし、藍にはどうする事もできない。

「早くせんと、呪詛が藍ちゃんと完全に同化してしまうぞ」

 泉進が急かす。剣志郎は焦る。藍はビクビクする。

「何をしておる! 迷っている場合ではないぞ!」

「は、はい!」

 剣志郎は決心し、藍に向き直った。

(あ、バカ、止めなさいよ!)

 藍は必死に抵抗しようとするが、小指すら動かせない。剣志郎は藍をゆっくりと抱き上げた。

(ああ……)

 藍は覚悟を決めた。剣志郎の顔が近づいて来る。

(仕方ないわ。あの時はそうなってもいいって思ったんだもの)

 藍は、邪馬台国ツアーで行った九州の病院での出来事を思い出していた。

「うわ!」

 その時、いきなり剣志郎の竜の気が暴れ出した。藍の気に近づき過ぎたため、一気に波動が高まったのだ。そのせいで、藍の身体の呪詛が弾き飛ばされて消えた。

「は!」

 藍は自分の身体が動かせるのに気づいた。剣志郎は藍が首を巡らしたのに気づき、

「え?」

と思わず手を放したので、

「キャッ!」

 藍はそのままベッドに倒れてしまった。

「ちょっと、剣志郎、いきなり放さないでよ!」

 藍は起き上がって怒った。すると剣志郎は顔を背けて、

「藍、見えてる……」

と蚊の鳴くような声で指摘した。

「え?」

 藍は、泉進のかけてくれた上っ張りが落ちて前が丸見えなのに気づき、真っ赤になった。


 晴信は、晴子の策が失敗した事を知った。

(しくじったか……)

 雅もまた、藍が淫の気から解放されたのに気づいていた。

「これで集中できるな、お互い?」

 雅は晴信を見てニヤリとした。

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