第十二章 藍の危機

 藍はラブホテルの前にいる自分に気づき、動揺していた。

「こ、ここって、その、あの、えーと……」

 いろいろいけない事が頭の中で渦巻く。遠野泉進は大笑いして、

「巫女の藍ちゃんには刺激が強過ぎるな。しかし、だからこそ格好の隠れ場所という事だ」

と言うと、建物の中へと歩を進める。

「せ、泉進様?」

 それを見て、藍は仰天した。

「どこに行かれるのですか?」

「どこって、中にその少女がおるのだろう? 引っ捕まえに行くんだよ」

 泉進は、何を言ってるんだ、と言う顔で振り返る。

「いえ、あの、えーとですね……」

 藍は適当な言葉を思いつけず、どんどん顔を赤くして行くばかりである。

「案ずるな。二人は何もしておりゃあせん。男の方はそのつもりだったようだが、少女の方が一枚上手だ」

「は、はあ……」

 火照る顔を扇ぎながら、藍は泉進を見る。その時だった。

「あ、泉進様!」

 藍は中から飛び出して来た楢久保美好に気づいた。美好はどこで見つけて来たのか、一メートルほどある木の棒を振り上げ、泉進に殴りかかる。

「どりゃああ!」

 さっきまで全く美好に気づいていないような素振りだった泉進は、あっさりそれをかわし、すぐさま反撃に出る。

「はあ!」

 泉進は右の掌底を美好の無防備な背中に打ちつけた。

「ぐは!」

 美好はそのまま吹っ飛ばされ、地面を転がる。藍は思わず、

「凄い!」

と叫んでいた。実際、泉進の掌底の一撃は凄まじく、美好はもがき苦しんでいる。

「愚か者め。人は下衆な考えを持つと、身体中からおぞましい気が吹き出すのだ。いくら声を潜め、気配を消したつもりでも、無駄よ」

 泉進は美好を見下ろして言い放つ。

「へえ、そうなんだ、凄いねえ、お爺ちゃん」

 バカにしたような口調と顔で、パチパチと拍手をしながら本多晴子が現れた。

「本多さん!」

 藍がその姿を見て叫ぶ。泉進も晴子を睨み据え、

「儂は相手が女でも、悪い奴には手加減はせんぞ、お嬢ちゃん」

 しかし、晴子は怯むどころか、腹を抱えて笑い出す。

「受けるわ、お爺ちゃん。私を脅かしているつもりなの? 全然怖くないんですけど?」

 晴子のその物言いに、泉進よりも藍が激高した。

「本多さん、貴女ねえ!」

 藍は晴子に向かって大股で歩き出した。

「わあ、怖いんだ、小野先生ったら。晴子、泣いちゃいそう」

 それでも晴子は余裕たっぷりの笑みだ。

「ぬう!」

 泉進は虚を突かれ、いきなり襲いかかって来た美好の一撃を後頭部に食らってしまった。

「ぐ……」

 さすがの泉進も、予期せぬ攻撃で膝を折り、地面に倒れた。

「こやつ、何かされておるのか……?」

 泉進は自分を見下ろす美好を見て呟く。美好は妙な気を纏っていた。

「泉進様!」

 藍は晴子に近づくのを止め、泉進に次の一撃を見舞おうとしている美好に向かう。

「ダメよ、先生。貴女はここで楢久保さんと愛し合うんだから」

 晴子のその言葉が聞こえた瞬間、藍は動けなくなった。

「私、何度か先生に接触したでしょ? そのたびに少しずつ呪詛をかけてたのよ。わからなかった?」

 何とか動く首を回して晴子を見ると、彼女は嬉しそうにそう語る。

「そして、これが止めよ」

 晴子は制服の下から呪符を取り出す。

「これを貼れば、先生は私の奴隷になるの。そして、このホテルで、楢久保さんとずっと愛し合うのよ」

 藍は戦慄した。晴子はケラケラ笑いながら、藍の額に呪符を貼った。呪符がスウッと藍の身体の中に消えて行く。

(愛し合うって……)

 身体は全く動かせないが、汗は全身から噴き出して来る。

「おりゃ!」

 その間も、美好は泉進を木の棒で滅多打ちにしていた。泉進は亀のように丸まって頭を防御しているが、それにも限界がある。

「楢久保さん、もうお爺ちゃんはいいわ。それより、小野先生を気持ちよくしてあげて」

 晴子がニヤリとして言う。美好は木の棒を放り投げ、藍を見る。

「そうだな」

 その目はもはや野獣の目だ。そして、晴子の操り人形の目でもある。

「く……」

 藍は声も出せないのに気づく。美好はそんな藍に近づくと、スッと彼女の身体を抱え上げる。貧相な身体の割に力があるのも、晴子の術のせいかも知れない。

「奇麗だなあ、この人」

 美好は藍の顔と首筋を舐めるように見つめる。藍は全身に蕁麻疹じんましんが出そうになった。

「汗掻いてるよ。興奮してるのかな?」

 美好はニッとして晴子を見やる。晴子はフンと鼻を鳴らして、

「そんな事はどうでもいいわ、楢久保さん。早く先生を運んで」

「ああ」

 藍はホテルの従業員達がどうして気づかないのだろうと不思議に思ったが、ホテル全体がすでに晴子の術中なのだ。

「先生、気持ち良くしてあげるからね」

 美好は藍の耳に口を付けるようにして囁いた。藍は泣きそうだった。

(雅……)

 そんな時にも、彼女が思い浮かべるのは小野雅、かつての許婚である。


 その雅は、異空間である根の堅州国にいた。しかし、彼にははっきりと藍の助けを求める声が聞こえた。

「藍?」

 彼はすぐに現世に戻った。そこは藍と泉進が出会った通りだ。付近を歩いていた人達は、突然現れた雅に仰天した。

(これは、陰陽道の気? 何だ?)

 雅が路地に入り、その気を辿り始めた時、

「そこか!」

 土御門晴信が現れた。

「く!」

 雅は素早く反応し、晴信から離れる。晴信はニヤリとし、

「我が末裔が、楓の生まれ変わりの女を勾引かどわかしたようだな」

「何?」

 雅はその言葉に眉をひそめた。そして、藍の気を取り囲む淫の気に気づく。

「おのれ!」

 下衆な考えを巡らせた者がいる事を知り、雅の目が怒りに燃える。

「なるほど。お前はあの女に惹かれておるのか。面白い」

 晴信の顔が邪悪にゆがむ。雅は歯軋りした。

「ならば、尚の事、お前をあの女に会わせる訳にはいかぬな」

 晴信はたもとから幾枚もの呪符を取り出した。


 その頃、藍が晴子を追って学園の外に出て行った事を警備員から聞いた剣志郎は、彼女の身を案じて辺りを探し回っていた。

(何だか嫌な予感がするんだよな)

 剣志郎は自分の中に僅かに残った竜の気を頼りに、藍の行方を追った。

「こっちか?」

 何となく藍の居場所がわかる気がして、剣志郎の胸は高鳴った。

(藍を感じられる?)

 そう思い、顔を赤らめる。

「え?」

 そんな妄想を繰り広げていた時、剣志郎は藍の叫びを聞いた気がした。まさに雅が感じたものと同じだ。

「藍!」

 叫び声が聞こえた方向へと走る。そして、辿り着いた場所。

「まさか……?」

 剣志郎は、つい先程藍が見上げていたのと同じ建物を見上げる。

「ここって……?」

 我が目を疑う剣志郎である。

(いや、まさか、藍がこんなところに入るなんて……)


 その藍は、美好によって、ホテルの一室に運ばれ、ベッドに寝かされていた。

「さあ、楢久保さん、シャワーを浴びて来て」

 晴子の命令とも要請ともとれる言葉に、美好はニヤリとして、

「わかった」

と嬉しそうに浴室に向かう。晴子は首すら動かせなくなった藍を見下ろし、

「さあ、先生、私が手伝ってあげる。服を全部脱ぎましょうね」

と耳元で囁く。

(雅!)

 藍の目尻から僅かに涙が零れた。

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