第十一章 妖気の質

 小野雅は、土御門晴信の放った式神を待ち構える。

「ぐあおう!」

 三体の式神が雅に一足飛びに襲いかかる。

「黄泉醜女!」

 雅は右手の指全てから黄泉の魔物を放つ。晴信はそれを見て笑う。

「愚かな……。お前はまた同じ手を使うのか?」

 しかし、雅は黄泉醜女に仕掛けをしていた。

(奴の妖気が俺の思っている通りなら、これは効くはずだ)

 雅はフッと笑った。

「ふううおお!」

 黄泉醜女は式神に取り憑いた。

「同じ事だ」

 晴信がほくそ笑む。しかし、次の瞬間、晴信は愕然とした。

「ぐあごお!」

 式神が黄泉醜女に取り込まれ、消滅してしまったのだ。黄泉醜女は三体の式神を完全に取り込んでしまうと、晴信に向かった。

「おのれ!」

 晴信は呪符を取り出し、それを剣に変えた。

「如何なる術だ?」

 晴信は眉間に皺を寄せ、黄泉醜女を睨みつける。

「言ったはずだ。闇の力に頼る限り、姫巫女流には勝てないと」

 雅が一歩踏み出して言った。晴信は歯軋りして、

「お前は闇の力の使い手であろう!」

と激怒した。そして剣で黄泉醜女を斬り裂いた。しかし、黄泉醜女は再生し、再び晴信に襲いかかる。

「ぬう!」

 晴信は後ろに飛び、黄泉醜女から離れた。

(これは如何なる事だ?)

 自分が雅に仕掛けた事をそっくりそのままやり返されたので、晴信は混乱していた。

「お前は何か思い違いをしているようだ。 黄泉路古神道はあくまで姫巫女流の亜流。別の流派ではない。そして、前にも言ったが、お前の黄泉路古神道はまだ入口で彷徨さまよっている程度のものだという事がまだわかっていないようだな」

 雅は続けて黄泉醜女を放つ。

「何!?」

 晴信は襲いかかって来る黄泉醜女に妖気を纏わせた式神を放った。

「これならばどうだ!?」

 しかし結果は同じだった。式神は黄泉醜女に取り込まれてしまった。

「うぬ……」

 晴信の額に汗が伝わる。

「くう!」

 彼は黄泉醜女の襲撃をかわすために根の堅州国に逃げ込んだ。

「逃げたか……。引き際がいいな」

 雅の戦法は、激情型の小野源斎のような相手か、プライドの高い小山舞のような性格であれば、完全に追い込めたはずだった。

(土御門晴信は、元々は親すら知らない孤児だったと聞いた。その頃の経験が、只の術者と違うところだな)

 雅は晴信の戦い方に戦慄した。

(命を賭してまで戦いを断行する事はしない。奴には大きな望みがある。ここで倒れる訳にはいかないという事か)

 雅は黄泉醜女を戻し、自分も根の堅州国に入った。そのまま現世にいると、晴信の不意打ちに対応できないからである。

(やはり、奴の力の根源は建内宿禰だ。奴の妖気に似せて黄泉醜女を作ると、妖気の強さで勝る俺の方が優位か。しかし、このままでは勝てない)

 晴信の妖気を上回る事ができても、晴信を倒せる訳ではない。

「藍に頼るしかないか」

 雅は苦笑いした。


 藍は行方をくらませた本多晴子と、彼女の手下と成り果てている楢久保美好を追っていた。彼女は晴子の気を探っていたが、途中で全くわからなくなってしまった。

「どこへ行ったのかしら?」

 藍は大通りに出ていた。しかし、晴子と美好の姿はどこにもない。

(まさか、土御門晴信のように黄泉路古神道が使える訳ではないわよね)

 そんな最悪の想像までしてしまう。

「おお、藍ちゃん、良かった」

 そこへ、羽田からタクシーでやって来た遠野泉進が現れた。

「泉進様!」

 藍の顔が明るくなった。

「仁斎はどうした?」

 泉進はタクシーを降りて藍に近づく。

「怪我をしましたが、もう大丈夫です」

「年寄りは関わらん方がいい」

 泉進は真顔で言ったが、藍は思わず吹き出した。仁斎が聞いたら、さぞ怒るだろう。

「何がおかしいんだ?」

 泉進が睨んだので、藍は慌てて笑うのを止め、

「いえ、別に」

と言うと、今までの事を説明した。

「土御門晴信が蘇ってしまったのは仕方がない。しかし、始末が悪いのは、奴が引き摺っているものだ」

 泉進は腕組みをして歩き出す。藍はそれに従い、

「引き摺っているもの、ですか?」

「気がついているのだろう、奴が出している妖気に?」

 泉進は立ち止まって藍を見やる。藍はハッとして、

「建内宿禰の妖気、ですね?」

「さよう」

 泉進は再び歩き出す。

「奴の執念には舌を巻くな。まだこの世に戻ろうとしているのだからな」

「でも、雅は、もう絶対に戻って来られないって言ってましたよ?」

 藍が反論すると、泉進はニヤリとして、

「藍ちゃんも相変わらず『雅一筋』じゃな」

「や、やだ、泉進様、そういうつもりでは……」

 藍は顔を赤らめて口を尖らせる。泉進は大笑いしてから、

「雅の言う通りだとは思うが、何しろ相手は黄泉の国の親玉だからな。思わぬ裏技を知っているのかも知れんぞ」

「裏技?」

 ゲームじゃないんですから。藍はちょっとだけ呆れてしまった。しかし、建内宿禰はまさしく「裏技」を使って来るのである。


 晴子と美好は、裏通りにあるラブホテルに入っていた。美好は興奮している。しかし晴子にはそんなつもりはない。彼女は藍の追跡を振り払うために入っただけだ。

(小野先生は男を知らないと聞いた。だから、淫の気が蠢いているここは、先生には死角になるはず)

 晴子は先祖代々陰陽道を伝えて来た一族だけあり、結界や呪符だけではなく、気にも精通していた。

「晴子、俺……」

 美好は晴子に襲いかからんばかりである。

「だめ、楢久保さん。それは全部終わってからって言ったでしょ?」

 晴子は小首を傾げて上目遣いに言う。美好はその可愛さにノックアウト寸前である。

「わ、わかった。じゃあ、どうしてここに入ったんだ?」

 男なら誰でも抱く疑問である。

「あの先生を撒くためよ。あの先生、処女なの」

 晴子の目が凶悪に輝く。

「処女?」

 美好はニヤリとした。彼は晴子の術中なのだ。

「そうよ。楢久保さんは、男を知らない女性が好きなんでしょ?」

 晴子は更に邪悪な気を漂わせて言う。美好は、

「ああ。でも今は晴子が一番……」

と言ったが、晴子の右手の人差し指が彼の口を塞ぐ。

「今は、小野先生を一番好きになって、楢久保さん」

 美好の目つきが変わる。操り人形の目である。

「ああ、わかったよ」

 美好も凶悪な目になった。晴子はそれを見てフッと笑った。


「こっちじゃ」

 泉進は藍に教わった晴子の気を探り、藍を先導していた。

「どうしてわからなくなったのか、すごく不思議なんですけど」

 藍は言い訳に聞こえるかも知れないと思いながら、泉進に説明する。

「途中でいきなり本多さんの気が消えてしまったんです」

「いきなり消えるなんて事はあり得んぞ。黄泉路古神道でも使わない限りな」

 泉進も同じ事を考えたので、藍はギクッとした。

「まさか……」

「いや、そうではない。なるほど、その少女、かなりの悪だな。藍ちゃんの弱点を突いて来たようだ」

 泉進は晴子の気がどこに隠れたのか見抜いていた。

「私の弱点?」

 藍はキョトンとして泉進を見る。泉進は大きく頷き、

「ここだよ」

と目の前の建物を見上げる。藍もそれに釣られて見上げ、赤面した。

「こ、ここ?」

 そこは、晴子と美好が入ったラブホテルだった。

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