第八章 本多晴子の罠

 藍は高等部の正門まで走った。

「あら?」

 しかし、気配は消えていた。藍が駆けて来たのを見て、警備員が警備室から出て来た。

「どうかなさいましたか、小野先生?」

 その人は警備室の責任者だ。藍はしまったと思った。

(何かあったと思われたかしら?)

 彼女はばつが悪そうに頭を掻いて、

「ああ、すみません。変な人が来ていないかと思って」

と誤魔化そうとした。すると警備員はびっくりして、

「さすが小野先生ですね。先程、正門から中を覗いている男がいたんですよ。問い質したら、逃げてしまいましたが」

「そ、そうなんですか」

 藍はその偶然に驚いた。そして、

(もしかすると、本多さんのストーカー?)

 半分正解だが、まだ藍は真相に辿り着いていない。彼女は警備員に礼を言って、正門から外に出た。そして辺りを見渡してみたが、怪しい人影はない。正門から覗いていた楢久保美好は、杉野森学園から離れ、付近のガソリンスタンドに向かっていたのだ。

(また来るかしら?)

 来たら、こってり説教してやろうと思い、藍は校舎に戻った。


 剣志郎は、藍が正門まで行ってしまったので、しばらく戻って来ないと考え、社会科教員室へと歩き出す。

「剣志郎さん」

 その剣志郎を二階から降りて来た武光麻弥が呼び止める。

「は、はい」

 剣志郎はまるでいたずらを見つけられた子供のようにピクンとした。すると麻弥はその様子を看てクスクス笑い、

「何ですか、そのリアクションは。私って、そんなに怖いですか?」

 剣志郎はその問いかけに苦笑いした。

(そうですなんて、絶対言えないよなあ)

「とんでもないですよ」

 麻弥はその応答にプウッと頬を膨らませて、

「ほら、また敬語。二人きりの時は、敬語は使わないでって言ったでしょ?」

「あ、そうでしたね」

 剣志郎はまた敬語で応じてしまい、あっとなる。麻弥は呆れ顔で、

「ホントにもう」

と腕組みをし、何かを言いかけたが、

「じゃ、また後で」

と急に踵を返して行ってしまった。

「どうしたんだ?」

 剣志郎はキョトンとした。

「学園内で、イチャイチャしないでよね」

 藍が言った。剣志郎は、

「ひっ!」

と飛び上がってしまった。

「失礼ね。何よ、それ?」

 振り返ると、ムッとした顔の藍が仁王立ちしていた。剣志郎は頭を掻いて、

「あ、いや、ごめん、その、何だ……」

「バッカみたい」

 藍はそんな剣志郎を放置して、そのまま彼の横をすり抜け、廊下の角を曲がった。

「はあ……」

 こんな状態はもう身が保たない、と剣志郎は思った。


 異空間である根の堅州国にいる雅は、土御門晴信が動いた事を察知していた。

(奴め、藍に仕掛けるつもりか)

 雅は傷の完治を待たずに現世に戻った。そこは奥多摩の森の一角である。

(藍の気が迷っている。どうしたのだ?)

 雅は藍の心の乱れを感じていた。そして、それは晴信にとって好機となってしまうとも思った。

「藍……」

 雅はもう一度根の堅州国に入り、学園の近くに現れた。

「なるほど」

 雅も学園を守護する竜の気には敵と見做みなされるため、また竜の気が動いた。

(だから奴は学園に仕掛けないのか。ジイさん、さすがだな)

 雅はニヤリとし、学園から離れた。


 晴信もまた、雅が近くに現れた事を知った。彼も根の堅州国から戻った。

(やはり小娘の前にあの男を始末しておくか)

 藍と戦う時に邪魔されるのは困ると思った晴信は、雅の気を探り、追った。

(姫巫女流と黄泉路古神道。どこまでも我が道を邪魔する存在なのか?)

 晴信は歯軋りした。


 藍は次の授業の準備を始めていたが、再び竜の気が動いたのでハッとした。

(また来たの?)

 しかし、すぐに竜の気は鎮まった。

「何、今の?」

 藍は首を傾げた。

気忙きぜわしいわね」

 ちょっとだけイラッとし、藍は社会科教員室を出た。そして彼女は、晴信が雅を追っているのを察知した。

「雅……」

 藍はギクッとし、走り出した。

「藍……」

 藍が「雅」と呟いたのを、剣志郎が聞きつけてしまった。

(まだあいつの事を……)

 剣志郎は気が滅入って来た。


 仁斎は竜の気が乱れたのを感じていた。

(陰陽師め、まだうろついているのか)

 彼は布団から起き上がり、携帯電話を手にした。

「藍では勝てぬかも知れぬ」

 仁斎は山形の遠野泉進に連絡した。


 藍は廊下を走って職員専用の玄関に着いた。すると、

「小野先生」

と本多晴子のクラス担任の女性教師が声をかけて来た。

「何でしょうか?」

 藍はその只ならぬ様子を感じ取り、声を落として尋ねた。

「本多晴子がいなくなってしまいました。どこに行ったか、ご存知ありませんか?」

「え?」

 藍は仰天した。まさかそんな事になるとは思っていなかったのだ。

(ストーカーが本多さんを連れ去ったの? そんなはずはないわ)

 藍はクラス担任を見て、

「付近を探してみます」

と言うと、外へ出た。

「本多さん」

 藍は責任を感じていた。自分がしっかり最後まで晴子を見ているべきだったと思ったのだ。しかし、それこそが本多晴子の狙いなのを藍は知らない。


 晴信は根の堅州国と現世を行きつ戻りつしながら、雅を追っていた。

(あの男、私に追われているのを気づいたか?)

 雅は晴信が簡単に追いつけないように同じ事をしているのだ。

「おのれ!」

 晴信は現世に戻ると式神を出す。

「奴を始末せよ!」

 そして、式神に黄泉の妖気を合わせた。

「はっ!」

 晴信は式神を放った。


 藍は学園の前の道を走っていた。

(こっちから、本多さんの気を感じる)

 彼女は懸命にそれを探った。晴子の罠とも知らずに。

「この先ね」

 藍は路地の角を曲がり、廃ビルの前に出た。数年前から放置されている通称「お化けビル」だ。しかし、そこにそのような類いは存在しない事は、藍自身はよくわかっている。

「この中?」

 藍は躊躇う事なくビルの中に入った。

「本多さん、いるの?」

 藍は大声で呼びかけた。

「先生!」

 晴子の声が上の階から聞こえる。

「本多さん、どこ?」

 藍は崩れかけた階段を駆け上がる。

「先生!」

 晴子の声が近くなった。

「こっち?」

 藍は三階に着くと、突き当たりの部屋を目指す。

「本多さん!」

 藍はそこに晴子がいると確信し、飛び込んだ。

「先生!」

 ところが、晴子の声はその部屋の隅に貼られた呪符から聞こえていた。

「え?」

 藍は何が起こったのかすぐにはわからない。

(何、どういう事?)

 次の瞬間、その部屋のドアが閉じられ、何かがドスンと置かれる音がした。

「何?」

 藍は慌ててドアに駆け寄るが、ドアは塞がれており、全く動かなくなっていた。

「本多さんなの? どういうつもり? いたずらにしては、大袈裟過ぎるわよ」

 藍は大声で叫ぶ。すると、晴子の声がけたたましい笑い声を発した。藍はギクッとした。

「いたずらじゃないわ、小野先生。貴女にはここで死んでもらうんだから」

「え?」

 藍は声がどこから聞こえているのか探る。しかし、わからない。

「ええ?」

 次の瞬間、黒い煙が部屋に漂い始めた。炎が燃え上がるような音が聞こえる。

(まさか……)

 そのまさかだった。藍がいる部屋は周りが燃えているのだ。すでに逃げ出す事ができなくなっている。

「きゃっ!」

 藍は柄にもない声を出してしまった。壁の一部が炎の熱で弾けたのだ。

「本多さん、どういうつもり? 何故こんな事をするの!?」

 藍は充満して来た煙を吸わないように態勢を低くして口にハンカチを当てた。

「私の先祖のかたきなのよ、先生の家は。だから死んでもらうの」

 晴子はまたけたたましく笑った。

「先祖の仇?」

 藍は煙から逃れながら、いろいろと考えを巡らせた。

(本多さんはまさか……)

 そこまで考えた時、炎が一挙に部屋の中に広がった。熱さと息苦しさで、藍は倒れそうだった。

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