第七章 楢久保美好
剣志郎は、藍と本多晴子を迎えに行く車中で、無意識のうちに鼻歌を歌っていた。
(俺、何でこんなに浮かれてるんだ?)
自分の能天気加減に呆れてしまう。そして、深くため息を吐き、運転に集中した。
やがて大通りから路地に左折すると、その向こうに小野神社がある森が見えて来た。今まであまり感じた事がなかったのだが、住宅街の一角にあるその森は、神聖な気を放っているような気がする。
(あの竜の事件以降、俺も急に気を感じるようになったな)
それが誇らしい訳ではないが、何となく藍と共通する感じがして、にやけてしまう。
(いかん、いかん。何考えてんだ、俺は?)
また運転に意識を集中する剣志郎であった。
土御門晴信に傷を負わされた雅は、根の堅州国でその傷を癒していた。
(こんな事を続ければ、俺もあの男と変わらなくなってしまうな……)
黄泉の妖気を黄泉の妖気で癒す。黄泉路古神道の術者だからできる事であるが、それは同時に人でなくなっていく道でもあった。
「藍……」
雅は藍の無事を祈っていた。彼自身は、藍を確実に愛している。しかし、先の建内宿禰との戦いで命を落とした京都小野家の後継者であった小野椿への懺悔の思いもあった。だからこそ、藍に自分を諦めて欲しいのだ。自分から藍を突き放す事ができない雅である。
(俺は藍を守るために黄泉路古神道を使い続けた。だから、このままこの身が滅びようとも後悔はない)
雅は塞がって行く傷口を見て苦笑いする。
「黄泉路古神道を使えなければ、俺はとうに死んでいたろうな」
自嘲気味に呟いた。
土御門晴信は、新たな呪符を完成させ、洞窟を出た。
(あの女が小野楓の生まれ変わりであろうとそうでなかろうと、そのような事はどうでも良い事。私の悲願は日の本の神道を滅する事だ)
彼は黄泉路古神道を使い、根の堅州国に入った。
「む?」
根の堅州国は単一の異空間である。しかし、術者は他の術者と遭遇する事はできない。但し、他者の気を感じる事はできる。
(小野雅、早くも傷が癒えたか)
晴信はニヤリとした。
(だが、現世に戻りし時が貴様の命の果てる時だ)
晴信は根の堅州国を進み、現世に戻る。そこは彼が封じられていた社の前だった。
「わ!」
付近を歩いていた人々、そして走っている車のドライバー達が、いきなり現れた晴信に仰天した。
「いずれお前達は私に
社に突っ込んでいた大型トラックは撤去され、警察の立ち入り禁止のテープが周囲に張り巡らされている。
「まずは、続きと行こうか」
晴信は藍の気を探り始めた。
藍と晴子は、剣志郎の車で移動中だった。助手席に乗るのを互いに譲り合う藍と晴子に、軽くショックを受けた剣志郎だったが、
「二人共、後ろに乗れば」
と「解決策」を提示し、車はスタートしたのだった。
「着いたぞ」
元々、歩いても行ける距離の杉野森学園だから、三人はたちまち到着した。
「ありがとう」
藍は笑顔で礼を言ったが、晴子は軽く頭を下げただけで黙ったままだ。
(嫌われてるのかな?)
剣志郎は晴子に微笑みながら思った。剣志郎はそのまま駐車場まで車を進める。
「さ、行きましょう、本多さん」
藍は晴子を促して歩き出す。
「はい」
晴子は嬉しそうに藍の手を握ると、歩き出した。
「え?」
藍はまたドキッとした。
(考え過ぎよね? 私、慕われているだけよね?)
藍は作り笑いをして晴子を見ると、手を振り払う訳にもいかないので、そのまま歩いた。
「あれ?」
そんな二人を廊下から由加達三人組が目撃した。
「本多先輩、どうしたのかしら?」
由加が呟く。波子がクイッと眼鏡を上げて、
「何が?」
「本多先輩、ずっと藍先生を避けていたのよ。理由はわからないけど」
由加は藍と晴子を目で追いながら言った。
「ふーん。じゃあ、良かったんじゃない」
お気楽な祐子が言った。
「でも、手なんか繋いじゃって、何だか怪しいわね」
波子がいたずらっぽく笑った。由加が呆れ顔で波子を見て、
「百合族ってか? そんな訳ないじゃないの」
「百合族って何?」
祐子が興味津々の目で尋ねた。すると由加と波子が口を揃えて、
「ググれ、カス!」
と言った。祐子はその意味すらわからず、キョトンとした。
晴信は、藍の気を追って杉野森学園付近まで来ていた。
「何?」
彼はギョッとした。学園の敷地全体に
「おのれ……」
晴信は藍が学園から出て来るのを待つ事にした。
(この竜の気、凄まじい。おいそれと近づけぬな)
晴信は再び根の堅州国に潜んだ。
晴信が根の堅州国に消えた直後、長身の男が現れた。彼の名は、
(晴子の奴、計画変更だとかメールをよこしたが)
彼は高等部の正門の前まで来て、中を覗き込んだ。
高等部の二階の廊下を歩いていた武光麻弥は、窓の外に見える門のところで、中を覗いている不審人物に気づいた。
(誰?)
それは楢久保なのだが、当然麻弥は面識がないので彼の事は知らない。彼女はすぐさま携帯を取り出し、正門脇にある警備室に連絡した。
「門のところに変な男性がいます。警戒して下さい」
麻弥は過剰過ぎると思ったが、何かあってからでは遅いと判断したのだ。引き続き、窓から楢久保の様子を見る。程なく警備員が警備室から出て来て、楢久保に何か尋ねた。楢久保は何かを言い返し、すぐにそこから駆け去ってしまった。
(良かった、おかしな事にならなくて)
麻弥は、先日の「竜事件」以降、何かと過敏になっているのだ。
(剣志郎さん、また小野先生を見ている事が多いし)
彼女は今日こそ藍と決着をつけようと思っているのだ。
(今日は絶対に逃がさないから)
いつも知らないうちに帰ってしまう藍を、今日は捕まえる気満々の麻弥である。
「くそ、人を犯罪者扱いしやがって」
楢久保はそう毒づくと、足下に転がっていた空き缶を蹴飛ばした。
(晴子の奴、今度はどうするつもりなんだ? 灯油を買っておいてくれだなんて)
楢久保は、最初は確かに晴子のストーカーだったが、いつの間にか晴子の手下のようになっている自分が不思議だった。
(何でもいいさ。晴子と一緒にいられるならな)
彼はニヤリとし、学園から離れて行った。
藍は廊下を歩いていて、竜の気が蠢くのを感じた。
「何?」
藍は晴信が来たと直感し、走り出した。
(竜の気は闇に反応するって、お祖父ちゃんが言ってた)
すると、同じく気を感じた剣志郎が駐車場からやって来た。二人は職員専用の玄関で顔を合わせた。
「何だ、今の?」
剣志郎が尋ねる。藍はどうしようかと悩んだが、
「陰陽師が現れたの」
「陰陽師?」
剣志郎はキョトンとした。
「詳しく説明している暇はないわ。じゃあね」
藍はそのまま外へと駆け出して行く。
「また、何か起こってるのか?」
藍の後ろ姿を見たまま、剣志郎は身震いした。
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