第六章 闇対闇

 小野雅は、背後から迫る敵意に満ちた気を感じていた。

(奴め、余程俺の事が気に食わないようだな)

 雅は右手に出した漆黒の剣である黄泉剣の剣先をツツッと上げ、正眼に構える。

(闇の力に頼る限り、貴様は藍には勝てない。まだわからないようだな、土御門晴信)

 次の瞬間、宙を切り裂くような音がし、雅の頭上に巨大な黒い物の怪が現れた。式神である。雅は後ろに跳んだ。

「ぐおお!」

 式神はドスンと地面に降り立つと同時に、その鋼のような筋肉を利用して一気に雅に迫る。

「ちっ!」

 雅は式神を右薙みぎなぎに斬り裂く。

「ぐうわお!」

 式神は真っ二つになったが、闇の力で復元し、もう一度雅に襲いかかる。

「ならば!」

 雅は黄泉剣を投げ捨て、式神を右手の人さし指で指し示す。

黄泉比良坂よもつひらさか返し!」

と呪文を唱える。すると雅の右手の指先に真っ黒な空間が現れた。

「ぐわああ!」

 式神は為す術なく、その空間に吸い込まれ、消えた。

「聞こえているな、土御門晴信。この程度の呪符で仕留められるほど、俺は弱くはないぞ。本気で来い」

 雅は晴信を挑発した。


 晴信は、放った式神があっさり消されたので、洞窟から出て来た。

「思ったより力があるようだな。しかし、所詮私の敵ではない」

 晴信はニヤリとした。そして、また新たに作り出した呪符を放つ。

「今度は先ほどのようには行かぬぞ、小野雅」

 呪符はまた鳥のように飛翔し、雅を目指した。


 藍は祖父仁斎の様子を看に行き、もう大丈夫だと言われたので、本多晴子を伴って、杉野森学園に戻る事にした。始めは嫌がった晴子だったが、藍が説得すると何とか承知してくれた。

(こんな大人しくていい子をつけ回すなんて、とんでもない男ね)

 藍はその男に会ったら、こってり説教しようと思っている。腕力で敵わないとは思っていないところが、如何にも藍らしい。

「あ、そうか」

 藍はバイクで戻ったのではない事を思い出した。そして、

(あいつ、今空き時間だったな、確か)

と剣志郎の携帯に連絡した。


 剣志郎は、藍の携帯から連絡をもらい、慌てふためいてトイレに駆け込んだ。彼は廊下を歩いていたのだが、前から今付き合っている武光麻弥がやって来たからだ。彼女から完全に逃れる唯一の手段は、トイレなのである。

「はい」

 剣志郎は個室の一つに入り、携帯に出た。

「あ、今大丈夫?」

 藍の声が聞こえる。

「あんまり大丈夫じゃない」

 剣志郎は小声で応じる。

「何? 声が反響してるんだけど? どこにいるの?」

「トイレ」

 剣志郎は正直に答えた

「やだ、何てとこで出るのよ。じゃあ、かけ直して」

 藍はサッサと通話を切ってしまった。彼女はどうやら剣志郎が用を足している最中だと思ったらしい。

(誤解なんだけどなあ)

 剣志郎はため息を吐き、個室を出ると、トイレからも出た。廊下を見ると、幸い麻弥の姿もない。それでも警戒を怠らない彼は、そのまま廊下を走って戻り、社会科教員室に駆け込んだ。今は他の教師達は全員授業中だ。

「よしと」

 剣志郎は安心して藍にかけた。

「ごめんね、悪いタイミングで電話して」

 藍は出るなり謝罪した。剣志郎は苦笑いして、

「別にいいよ。で、どうしたんだ?」

 藍は手短に事情を説明した。

「俺に迎えに来いって言うのか?」

 剣志郎はちょっとだけ呆れている。でも、本多晴子が一緒なら、それも仕方ないと思った。

(それにしても、本多はどうして学園を抜け出したんだろう?)

 その辺りの事情を藍は説明していないのだ。

「嫌なら別にいいよ。じゃあね」

 藍は通話を切ろうとした。

「ああ、行くよ。行きます。喜んで迎えに行きます」

 剣志郎は慌てて言った。電話の向こうで藍の笑い声が聞こえた。

 剣志郎は事務長の原田に事情を話し、学園を車で出た。

(こんな事で呼びつけられても嬉しい俺って……)

 何となく情けない気持ちになる剣志郎である。


 携帯を切り、ポケットにしまう藍をジッと見ていた晴子が、

「小野先生と竜神先生って、付き合ってるんですか?」

と唐突に尋ねた。藍はビクッとして、

「そんな訳ないでしょ。竜神先生はね……」

 そこまで言いかけ、

(そっか、剣志郎と武光先生が付き合っているのって、内緒なんだっけ)

 藍は苦笑いして、

「竜神先生は、高校時代の同級生だから、電話したの。付き合ってなんかいないわよ」

 すると晴子は、ニコッとして、

「そうなんですか。良かった」

と妙に嬉しそうな顔をする。藍はキョトンとしたが、

「何だ、本多さん、竜神先生の事が好きなの?」

「ち、違いますよ! そんなんじゃありません!」

 晴子の全力の否定に、藍は剣志郎を哀れんだ。

(そこまで強く否定されるって、ちょっと可哀想ね)

 そんな事を思い、ニヤついていると、

「私は、小野先生が好きなんです」

と晴子が言い出したので、藍はギョッとした。

「え?」

 さっき抱きついたのは、そういう事なの? 藍はドキドキして来た。彼女は、高校時代から、男子より女子にモテていた。当時はそれも嬉しかったのであるが、中には結構本気な女子もいて、面食らった事もあった。

(私って、そういう気のある人に好かれるタイプなのかしら?)

 真剣に悩みそうになる。すると藍の表情に気づいたのか、

「ご、ごめんなさい、先生。私……」

 晴子が謝った。藍はそれによって我に返り、

「あ、いえ、私の方こそごめんなさいね」

 二人は何となくおかしくなって、笑い合った。藍はまだ気づいていない。この事件の黒幕は、晴子である事に。


 雅は、晴信が次に放った式神の動きを察知していた。

(来るか?)

 彼は空を見渡す。しかし、気配は近づいて来ない。

(どこだ?)

 雅は辺りを探り直したが、接近して来る気を感じられなかった。式神は、忽然と姿を消してしまったのだ。

(そんなバカな……)

 雅は戸惑っていた。その時である。

「ぐあああ!」

 いきなり足下の土を吹き飛ばし、式神が現れた。

「何!?」

 雅は虚を突かれた形になり、式神の鋭い爪で腹を切り裂かれた。

「ぐふ!」

 口から血を吐き出し、雅は片膝を着いた。

「地中から……」

 完全に意表を突かれた雅は、痛みと悔しさで顔を歪めた。しかも、式神の爪には、黄泉の妖気が含まれており、雅の腹部を溶かし始めていた。

「くそ……」

 黄泉路古神道の術者は、通常の人間に比べれば、妖気に耐性があるが、それにも限界はある。

(目が、霞む……)

 雅は頭を激しく振り、もう一度式神を見る。

「がああ!」

 式神は奇襲が成功したのを喜んでいるのか、雄叫びを上げた。

「おのれ、晴信め」

 雅は流れ出る血を止める事もできずにいる。

退くしかないのか)

 雅は根の堅州国に消えた。


 晴信は、雅が「逃走」した事を知り、フッと笑った。

「貴様如きがどう足掻こうとも、私に勝てるはずがないのだ、小野雅よ」

 晴信は高笑いをした。そしてきびすを返すと、洞窟の奥へと戻って行った。

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