第14羽 幽谷の浴場 4

 空は夕暮れ。世の人々が動き始める頃、1台の車が『小鳥ホテル いただき』の駐車場に入ってきた。青い大型のセダン。大峰さんの迎えの車である。


「それでは皆様、またいつか」

 軽く一礼をすると、青いワンピースは背を向け、玄関から去って行った。残された僕といわお滝緒たきおの三人は、互いに納得の行かない顔を向け合い、しかし何を言うでもなく、黙り込んでしまった。


 沈黙を破ったのは、巌。

「しょーがねえ。俺も帰るとするか」そして滝緒に目をやる。「で、たきおんは市役所に戻らなくていいのか」

「あーっ!忘れてた!」

 滝緒は慌ててヘルメットをかぶると、ふいに僕の顔を見つめた。


「それじゃ、また、また来るから」

「ああ、いつでもおいでよ」

「また来るから、くれぐれも変なこと考えないように」

「変なことって何だよ」


「変なことは変なことよ。いいね、絶対だからね」

 滝緒はそう言って背を向けると、巌の尻を一発蹴り上げて外に飛び出して行った。

「ガキかよ、あいつは」

 尻を抑えながら、巌も出て行った。


「さて、と」

 僕は小さくため息をついた。玄関はどうしよう。開店時間まではあと2時間ほどだが、今日は予約が入っていない。どうせ飛び入りも来ないだろうし、鍵を閉めておくか。玄関と風除室の扉を施錠し、玄関ホールの照明を消して、僕は鳥部屋のドアを開けた。


「聞いてたかい」

「はい、聞いてました」

 セキセイインコのリリイが緑色の羽を広げた。




 セキセイインコはオーストラリア原産の小型のインコで、最もペットとして普及しているインコである。他のインコに比べて繁殖が容易で、雛から育てるにしても比較的丈夫で飼いやすい事がその理由としては挙げられる。全長は20センチ強あるが、半分は尾の長さである。飼育されているセキセイインコには多彩な羽の色があるが、リリイは頭が黄色く、身体は原種に近い緑色であった。




「それでは第135回定例会議を始めます。今回の議長は私リリイが務めます。議題は青いお嬢さんの持ち込んだ謎の温泉についての話。異議はありませんか」


「異議なし」

 伝蔵とパスタとミヨシが応えた。

「異議はないけど、餌と水替えてくれへんかな」

 トド吉が羽を挙げた。

「了解了解」

 僕は皆の餌と水を替え始めた。リリイはモモイロインコのミヨシに話を向ける。


「では単刀直入に、今回の話はあり得ることなの」

「温泉に浸かっただけで末期ガンが治るなんて、地球ではオカルト話でしかないわね。我々の技術があれば可能だけど」


「我々の技術は地球人にそのまま使える?」

 リリイは十姉妹のトド吉に話を振った。


「そのまんまは無理やで。けどワイらレベルの技術水準がなかったら、末期ガンの完治なんてそもそも無理やないか」

「そうね。地球人のガンはそういう病気よね」

 ミヨシもうなずいた。


「何か伝承にヒントはある?」

 リリイはパスタに尋ねた。ヨウムのパスタは少し首をひねった。

「病に効く泉や温泉の話は、それこそ古今東西枚挙にいとまがないです。ただ浴槽があって、銘板に効能書きがあるというのは、イタリアのポッツオーリにかつてあったと伝わる浴場の伝説に似ています。これはあのウェルギリウスが作ったとされるものなのですが」


 ブルーボタンインコの伝蔵が咳払いをした。パスタははっと我に返った。

「あ、すみません。ウェルギリウスというのは伝説の大魔導士で、あ、いえ、実在のウェルギリウスは古代ローマの詩人なんですが」

「要するに」伝蔵はパスタの言葉を遮った。「魔法の風呂という事なのだな」

「そ、そうです」


 パスタはしゅんとしてしまった。そんな責めるような言い方しなくても、とも思ったが、彼らには彼らの文化があり、お約束もある。口出しはしないが吉である。


「つまりは技術的には不可能レベルの、魔法でもなければ実現し得ない出来事が起きた、と称する者がいるという訳だ。見過ごして良いものか。どうする議長」


 伝蔵の言葉に、リリイは丸い目をぱちくりさせた。考えているのだ。

「詳細が知りたいですね。また聞きだけでは判断に困ります」


 リリイの視線は僕を見ていた。え、何だそれ。

「僕はいやだぞ、こんな気持ち悪い話」

「それほど気持ち悪い話だとも思えませんが」


「いや気持ち悪いって。お化けとか妖怪とか、またそういう感じの話になりそうじゃないか。ていうか、そもそも君らの仕事だろ」

「大丈夫です、バックアップはしますので」

「全然大丈夫じゃない!」


 そうは言ってみたが、僕の言う事など誰も聞いてはくれないんだろうな、そう思った。しかし。

「じゃあ仕方ないですね」リリイはあっさりほこを収めた。「パスタ、行ってくれますか」


 パスタは驚いたのか、ちょっと羽を膨らませた。

「あ、はい。あの、私一人でですか」

 リリイはうなずいて見せた。


「だって菊弥きくやさんがいやだと言うのだもの。バックアップの人数はこれ以上割けないし、頑張ってみてよ」

「はあ」


「一人じゃ怖い事もあるかもしれないけど、私たちがついてるし」

「はあ」


「一人じゃ危ない事もあるかもしれないけど、以下同文」

「はあ、まあ仕方ないですね」


 パスタがちらりと横目で僕を見た。その目は何かを訴えている。それを無視できるほどの胆力は、残念ながら持ち合わせていなかった。


「……わかったよ」我ながら意志が弱いな、と思う。「行けばいいんだろ」

「あら、行ってくださるんですか、それは助かります。ではパスタと一緒に、明日の朝から出発してください。営業開始時間までには帰って来られるように」

 リリイはうきうきでお膳立てを始めた。ああ、せめて今夜はよく眠れますように。

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