第10羽 剣闘士の草原 10

「おのれらか!」騎士は僕らの方を向くと声を上げた。そして槍を横に振り、先に刺さった恵海えみ老人の兜を地面に叩き付けた。「神聖な一騎打ちを邪魔しおったな!」


 それに応じたのはいわおだった。

「ふざけんじゃねえ!一騎打ちに2回も負けた癖に退却もしねえで性懲りもなく攻め入って来てやがるのは何処のどいつだ!横紙破りはてめえらだろうが!騎士の誇りってもんがねえのかドさんぴんが!」


 さすがに子供の頃から他人を怒らせる事にかけては右に出る者がないと言われただけはある。重装の騎士は兜の下の顔を一切見せる事無く、辺り一面を怒りのオーラで包んで行った。


「ぬかしたな、下郎。ただで済むと思うなよ」

「おもしれえ、てめえ如きに何ができるよブリキ野郎」

「おい、馬鹿、やめろ」


 僕は止めたが後の祭り。重装騎兵はこちらに向かって駆け出した。しかし。騎士と僕らの間の空間に、風の速度で何かが立ちはだかった。それはまばゆいばかりに輝く白馬。くらすら積まぬ裸馬。その背に恵海老人を乗せて。


――これで対等。文句はありますまい――


 突如天空から声がした。

「誰だ!」

 騎士は天に叫んだが答えはない。


(リリイの声だ……)

 それは僕だけが知る秘密。けれど顔には出さない。

「いざ尋常に勝負」


 恵海老人は馬上で太刀を八相に構えた。垂直に立った刀身に恵海老人の横顔が映る。騎士は槍の先を正面に向け直すと、無言で馬を駆った。白馬も駆け出す。2頭の馬は正面衝突せんばかりに近づいた。槍の間合いに入る。そのとき。白馬の上から恵海老人の姿が消えた。騎士は振り仰ぐ。恵海老人は宙に居た。騎士は槍を持ち上げようとしたが、その重さ故か先が上を向かない。気合い一閃、恵海老人は鉄の兜に太刀で斬り付けた。無茶だ、斬れる訳がない。僕の脳裏に走ったその考えは、一瞬で吹き飛ばされた。なんと鉄の兜に鉄の太刀が、30センチほど食い込んでいたのだ。


「兜割り!やるじゃねえか爺さん」

 巌が思わず声を上げた。だが騎士はそのまま槍を振るった。頭に太刀を30センチ食い込ませながら、その痛みすら感じないが如く、騎士は恵海老人を弾き飛ばした。恵海さんは太刀を放さない。当然、太刀も一緒に飛ぶ。太刀が食い込んだ兜と共に。はずれた兜の下から血塗れの騎士の顔が……現れなかった。血を流す流さないの問題ではない、兜の下には何も無かった。何もない空間が、人型に鎧をまとって馬の上で槍を構えていたのだ。


「おい、何だありゃ」

 さしもの巌も絶句した。

「僕にわかる訳ないだろう」

 そう返すしかなかった。事実、何もわからないのだから。呆然と佇む僕の脳の中に、ミヨシの声が響いた。


【念動力反応あり。あの鎧、外部から念動力で支えられてるわよ】


(念動力?超能力者がどこかに隠れているっていうのか)

 僕は考えた。その脳の動きは自動的に質問としてミヨシに送られる。


【違うわね。念動力の発生源は……鎧のすぐ下。馬よ。馬があの騎士の本体なのだわ】


 黒い馬が走り出した。中身の無いがらんどうの騎士は槍を構えて恵海老人に迫る。僕は叫んだ。


「恵海さん、馬だ。馬を斬れ!」

「心得た!」


 甲冑姿の老人は身を起こし、太刀を左脇に構えた。斜め下から斬り上げる体勢である。対する黒馬の槍は相手の心臓に向かって一直線に空を裂く。しかし恵海老人はかわさない。まさか相打ちを狙っているのか。槍が老人の身体を貫くか、と見えた瞬間。


 雲満ちる天空より白刃の如き稲妻が、とどろく雷鳴と共に地を打った。黒馬と騎士は閃光の中に飲み込まれる様に姿を消した。草原に残されたのは、恵海老人一人。太刀を脇に構えたまま立ち尽くしている。身体からは、ぶすぶすと音を立てて煙が上がり、やがて朽ち木の折れるように、その場に倒れ込んだ。


「おい、爺さん」


 巌が恵海老人の元に駆け寄った。僕も後を追う。と、不意に僕らの目の前に、光が立った。最初はぼんやりと丸い、やがて四方に枝が伸び、上下に延び、幾つかのくびれができた。人の形、いやそれは不正確だ。より具体的に言うなら、手に乗る程の大きさの、人の形の背中に羽を生やした姿の光の塊。それが倒れた恵海老人の背の上に立つと、全身を震わせた。まるで星が砕けるかのように、小さな光が無数に散り、老人の全身に降り注いだ。一呼吸おいて、恵海さんは目を開けた。


「……君は」


 光は何かを老人に語り掛けるかのようにうなずいた。恵海老人は身体を起こすと、胡坐をかいた。


「そうか、それは良かった」

「お、おい爺さん、そいつ何か言ってるのか」

 

いかに無神経が着物を着て歩いているような巌でも、こういう手合いは苦手らしい。僕は後ろから突き飛ばしたくなる気持ちを抑えるのに必死だった。


「敵は去ったそうだ。もう来ないだろうと彼は言っている」

 恵海老人は爽快げに微笑んだ。


「彼?彼って事は」

「ああ、彼が『友達』だ」

「あ、うん、そうか」


 その巌の中途半端な返事で、僕は理解した。もしかしてこいつ、男か女か知りたかったのか。他人のこだわりとはわからないものである。この状況でそんな事どうでもいいだろう。


【空間のねじれが解消して行きます】


 頭の中に響くリリイの声と共に一陣の風が吹き、草原は一瞬で消えた。そこは恵海老人の部屋。老人は既に甲冑姿ではなく、そして布団の中で眠っていた。窓から差し込む光が赤い。夕方になっていた。



「結局のところさ」いつもより遅い時間にみんなのケージの餌と水を替えながら、僕は尋ねた。「恵海さんの戦ってた相手って何だったの」

「空っぽの騎士を乗せた馬ね」

 モモイロインコのミヨシがけだるげに答えた。

「いや、それはわかるけど」

「空間をねじ曲げる力まで持った馬なんて居ますかね」

 セキセイインコのリリイが首をかしげる。

「今の段階では他に言いようがないわよ。データが少なすぎるし」

 ミヨシの言う事もわかる。しかし。

「みんなにも本当にわからないの」

「ワイらの使うとるのは技術やからな。次元が高いから地球人にはそうは見えへんかもしれんけど、魔法やないねんから、わかる事もあれば、わかれへん事もあるわな」

 十姉妹のトド吉の言葉に、背後のファミリーはうんうんとうなずく。

「つまり、わかった事もあるってこと?」

「地球外文明の痕跡はなかったな。それはわかったことて言えるやろ」

「少なくとも宇宙人ではない」

「それはわからんで。ワイらにも未知の文明はまだあるかもしれんしな。けど可能性的には非常に低いのは間違いない」

 しかし、それならなおの事わからない。地球の文明に、空間をねじ曲げる技術力などあるはずがないからだ。

 ボタンインコの伝蔵のダミ声が、ヨウムのパスタに尋ねた。

「その、何とかいう伝承との関係についてはどう思う」

「イングランドのワンドレビリアの伝承ですね。よく似ています。ただ、ワンドレビリアは夜の物語です。ある城の前に広がる草原で、夜に騎士が『一騎打ちだ!』と叫ぶと、暗闇の中から鎧姿の騎士が馬に乗って現れ、声を上げた騎士と一騎打ちを繰り広げるのです。よく似てはいますが、同じではありません」

「敵はその、ワン、ワンド……」

「ワンドレビリアです。そうですね、相手がワンドレビリアの伝承を知っていた可能性はあるでしょう」

 何のためにわざわざそんな面倒なことを。僕の顔に浮かんだ疑問に、パスタは首をかしげて見せた。謎は深まるばかりである。

「あ、そう言えば」僕は再びミヨシに尋ねた。「恵海さんの友達って、あれは」

「あれは地球によくいるエネルギー生命体よ」

「よくいる?」

 いったいそんなものが、どこによくいるのだろう。そう思う僕の顔を、ミヨシは不思議そうな顔でみつめた。

「あら、地球には彼らの古い物語がよくあるじゃないの。妖怪だとか妖精だとか」



 1週間後、僕と巌はふたたび恵海老人を訪ねた。何かあるとすれば、きっとまた1週間後ではないかと巌が言ったからだ。しかし、部屋はもぬけの殻だった。隣室の住人に聞いた話によれば、3日ほど前、娘が恵海老人を連れに来たそうだ。老人ホームに入る事になった、恵海老人は寂しそうにそれだけ言い残したという。部屋の中には水の入ったペットボトルが1つ、転がっていた。

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