第6羽 剣闘士の草原 6

 午後8時、小鳥ホテルの開店である。風除室のロックを外し、僕は店の外に出てみた。雨はまだ降り続いていた。空には星も月も見えない。


 店内に戻った僕は宿帳のバインダーから用紙を1枚はずし、クリップボードに挟んだ。今日来る予定のお客様は初めてのご利用なので、宿帳に記入頂かないといけない。2回目以降のご利用に際しては予約だけでOKなのだが。


 視界の端を、何かが横切った気がした。振り返ると、ヘッドライトを照らした青いセダンが駐車場に入って来たところだった。静かにバックで駐車したセダンの助手席が開く。降りて来た人影が、後部座席のドアを開けた。鳥のケージを後部座席に乗せているのだろう。そして1分ほど経って、人影は右手にケージを、左手には餌などが入っているのであろう紙袋を下げて、玄関から入って来た。僕は風除室の扉を開いて迎え入れた。青いワンピースに紺色のコート、長い髪、黒目がちの大きな瞳に、ちょっと気の強そうな顔。インコ系かフィンチ系かで言えばフィンチ系の、少女と言って良い年頃の女性だった。


「予約していました大峰です」

「お待ち致しておりました。あ、預かります」


 僕はケージと紙袋を預かると、客室のガラス戸を開けた。中の棚にケージを置き、その隣に紙袋を置く。中には餌のペレットと、小松菜が一束入っていた。


「すみません、ではこちらにご記入願えますか」


 僕は用意していたクリップボードとボールペンを少女に渡した。受け取った少女はすらすらと記入して行く。その間、僕はガラス戸越しに鳥の様子を見ていた。青いウロコインコ。正確にはホオミドリアカオウロコインコのブルーだろうか。ちょっと自信が無い。僕は鳥は好きだが羽根の色の名称にはあまり興味が無い。青とか白とか黄色とかでいいじゃないか、と思ってしまうのだ。ルチノーとかオパーリンとかモーブとか言われてもピンと来ないのである。


「これでいいですか」


 少女は笑顔でクリップボードを僕に渡した。鳥の種類の欄には『ホオミドリアカオウロコインコ(ブルー)』とある。良かった、間違えていなかった。鳥の名前は『アオちゃん』、飼い主の名前欄には『大峰瑠璃羽』とある。予約のメール通りである。住所と電話番号もきちんと記入されており、『メールで連絡』のチェックボックスにチェックが入っている。


「メールアドレスはご予約頂いた際のアドレスでよろしいですか」

「はい」

「期間は4泊で」

「はい」

「小松菜はケージの中にある菜挿しに入れれば良いんでしょうか」

「はい、1日1枚あげてください」

うけたまわりました。では料金ですが、6000円となります」


 当ホテルでは料金は先払いである。個人的な気持ちとしては後払いでも一向に構わないのだが、後払いだと万が一、飼い主がうちへ鳥を捨てて引き取りに来ない、という状況が起こるかもしれない。それを防ぐ為の先払いである。相手を信用していないようで気が引ける部分もあるのだけれど、仕方ないと割り切るしかない。


「はい」大峰さんはコートのポケットから封筒を取り出し、両手で差し出した。「ご確認ください」


 封筒の中には5000円札が1枚、1000円札が1枚入っていた。

「確かに」僕は封筒を小さく押しいただいた。「では、お預かりいたします」

「よろしくお願いいたします。皆様方にもよろしく」


 そう言うと、大峰さんは背を向けた。皆様方?一体誰の事だろう、一瞬そう思ったが、そんな事はすぐに忘れた。車が出て行くのを見送って、さて、まずは客室の照明を落とさなければならない。と言っても真っ暗にはしない。小さな電球が1つ、常夜灯として点いている。これは鳥のパニック対策である。そして、玄関ホールの照明も落とす。今日はもう他の予約は入っていないので、事実上店じまいであった。本当に儲からない商売なのである。


 僕は鳥部屋に入るとそのまま通り抜け、奥の扉を開いた。奥にはもう一部屋あり、キッチンとユニットバス・トイレがある。シャワーを浴びて、軽く夕食を摂ろう。そして早めに寝る。明日は疲れそうだしなあ。僕は小さく溜息を吐いた。

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