第5羽 剣闘士の草原 5

 僕が目的地の無い散歩をしていたとする。しばらく進むと道が左右に分かれる分岐点に差し掛かった。そこで僕が右側の道を選択したとしよう。当然僕は右へと進む。しかし左に進む可能性もあったのだ。この時、世界は分岐する。つまり僕が右側に進む世界と、左側に進む世界の2つの世界が生まれるのだ。


 ……と、並行世界について、このように説明される事がある。こういう人間の選択が物事の中心にあるという考え方を、一般に人間原理と言うのだそうだが、正直よくわからない。何故人間原理で世界が分岐するのだろう。それは人間が認識しなければ世界は存在しないからだ、と説明される事もある。ますますわからない。


 いや、人間の選択だけが分岐の条件ではない、細菌やウイルスが何かを選択しただけで、いやもっと小さな、例えば物質の状態が変化しただけで、あるいは素粒子がゆらいだだけで世界は無限に分岐するのだ、と言う人も居る。何を言ってるのかさっぱりわからない。


 さっぱりわからないのだが、1つ知っている事がある。それは、並行世界というものが実際に存在しているらしい、という事。けれどそれを僕に教えてくれたのは、学校の先生でもなければ、マスコミやインターネットでもなかった。


 時空移民局第341銀河観測基地。これが『小鳥ホテル いただき』のもう一つの名前である。


 まず、時空移民局とは何か。役所の部署名である事はわかると思う。でも日本の役所ではない。そして外国の役所でもない。それは全宇宙に広大な版図を広げる巨大行政機関――その正式名称を僕はまだ知らない――に存在する部署名で、他の並行世界への干渉、または他の並行世界からの干渉による、並行世界間での無秩序な知性体の往来、いわゆる『時空渡航者』を取り締まる仕事をしているのだそうな。簡単に言ってしまえば宇宙国境警備隊である。


 もうおわかりであろう、当ホテルの鳥部屋に居るリリイ、伝蔵、ミヨシ、パスタ、そしてトド吉ファミリーは、その身を鳥の姿に変えた宇宙人なのだ。その宇宙人の居場所――すなわち観測基地――を確保し、その身の回りの世話をすることで、僕は経済的支援を受け、小鳥ホテルを運営する事が可能となっている。そうでもなければ、小鳥専門のペットホテルなどという全く儲からない仕事を、そう何年も続けていられる訳が無い。勿論、周囲の人間は誰もこの事を知らない。まあ説明したところで誰も信じてはくれないだろうが。


 次に、第341銀河というのは読んで字の如し、341番目の銀河系という事だ。しかし何において341番目なのか。宇宙には、地球から観測できる範囲内だけでも7兆個以上の銀河があると言われているのに、341番目とは随分若い番号である。


 だが実は、宇宙広しと言えども、ある程度の水準以上の文明というのは数少ない。全宇宙を探してみても、350個程度しかないらしい。その中の、上から数えて341番目の文明を持った惑星がある銀河、と言う意味で第341銀河である。地球の感覚で言えば、南極観測基地並みの僻地らしい。ちなみに、我々のこの銀河系には数千億の恒星があるが、地球以外に文明を持った惑星というのは存在していないそうだ。




 会議は2時間に及び、小鳥ホテル開店の時間が迫って来た。だが結論らしい結論は出ない。観測基地である以上、この小鳥ホテルにも、そして外のいろんな場所にも観測機器が設置されている。しかしその観測機器がまるで反応していない事が議論の中心であった。反応が無いのだから他の並行世界からの干渉は無いと見るべきか、いや、観測機器というものは多少の誤作動、過検知があってしかるべきものであり、何も観測されていないというのは不自然ではないか、しかもその間に怪しい事件が起きている可能性がある、という意見が対立していた。


 議論が平行線となり、意見も出なくなってきたのを見計らって、議長の伝蔵はリリイに目配せをした。リリイは扉の前に立っている僕の顔を見るとこう言った。


「我々時空移民局はより高次の技術を持つ知性体による並行世界への干渉を取り締まるのが役目です。今回のお爺さんの話がそれに該当するかどうか、早計は控えますが、現時点では観測機器も反応していませんし、そうではない可能性が高いのではと考えられます」


「そうか、考え過ぎだったみたいだね。明日どうしようかな」

 そう言う僕の言葉に、リリイはキッパリとこう返した。

「行くだけ行ってみてください」

「え」


「我々もバックアップします。何も起きていないなら、それに越した事はありませんし、何か異常な事が起きているのなら、例え我々の管轄外の事であっても、この惑星の人々の生活に影響を与える様な事であれば、看過できません。出来るだけの事はしますから、安心して行ってきて下さい」


 安心してって言われてもなあ。と思ったが、まあそれは明日になってから考えればいいか。今はそれより仕事をしないと。

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