第3羽 剣闘士の草原 3

 玄関ホールの片隅には丸椅子が置いてある。いわおはそれを取ると、どっかと腰を下ろした。そして帯の間から扇子を抜き出すと、パタパタとあおぐ。


「しかし蒸すねえ。ああ、冷たい茶でも一杯あれば」

「放り出すぞおまえ」


「わかったわかった。続きだろ、えーと、どこまで話したっけかな。ああそうだ、友達だ。友達ってのは誰なんだ、って訊いたら、それはわからねえって返しやがる。そりゃまた一体どういう事だ、って言ったら、爺さん何て答えたと思う。この部屋の中にもう1人、誰かが居るんだ、って言いやがった。何でも、そいつが最初に現れたのが寝たきりになって1か月ほど経った頃、ある日突然、『聞こえるかい』そう話しかけて来たんだと。相手の姿は見えなかった。でも爺さんは直観したらしい。これは悪い奴じゃないってな。何でそう思えたのかは爺さんにもわからないらしいが、とにかくその誰かは部屋の中に居るんだと。俺が訪ねて来るのを教えたのもそいつらしい。爺さんすっかり意気投合して、その友達と毎日くだらねえ事を、ああでもない、こうでもないって話してたらしい。すると不思議なもんで、徐々に爺さんの身体が良くなって、起き上がる事も苦にならなくなったそうだ。まあめでたいやな。で、こっからが妙な話なんだが」


 ここまでも大概たいがい妙な話だと思うのだが、それは言わずに置いた。


「ここ最近になって、その友達が助けを求めるようになったんだそうだ。助けって言ってもいろいろあらあな。まさか金貸してくれって訳じゃあるまい、そう言ったらな、どうやらその友達の住んでる領地に侵入してくる敵が居るんだそうな。その敵を排除するのに手を貸してくれないか、って訳だ。要は助太刀だな。だがちょっと待て、おいおい、その友達は爺さんの部屋に住んでんじゃないのかよ、って突っ込んだら、その辺は爺さんも良くわからないらしい。しかしどうにもその友達の言う事が嘘にも思えないってんで、爺さんは了承したんだと。そしたらどうなったか」


 巌は扇子を閉じると、その先を僕の顔に向けた。


「部屋の中に突然草原が現れたんだそうだ。壁も天井も消え去った、見渡す限りの草の海。ざわざわと風になびく音がはっきり聞こえたらしい。そして爺さんは気が付いた。自分の身体が真っ赤な甲冑かっちゅうに包まれているって事に。甲冑だよ甲冑。日本の鎧兜よろいかぶとだ。そして右手には太刀を握ってたそうだ。そのとき、友達が耳元で囁く声が聞こえた。『一騎打ちだ、と叫べ』とな。爺さんは叫んだ。『一騎打ちだ!』それに応える様に、雷鳴とどろかせて一筋の光が草原のまん真ん中に落ちた。その閃光の向こうから姿を現したのは、西洋風の兜と鎖帷子くさりかたびらを身にまとった、アレだ、いわゆる騎士だ。そいつがその手に輝く諸刃の大剣を振りかぶって爺さんに襲い掛かって来た。だがその時は爺さん曰く、自然に体が動いたらしい。相手の一撃目を刃も合わせず上体をひねってかわすと、振り返りざまに相手の鎖帷子の切れ目、ひじの辺りをスパン、と切ったんだそうだ。腕が切り離された時、相手の顔は兜で見えなかったが、あっと驚いていたのは間違いない、爺さんはそう言ってたな。そして次の瞬間、相手の騎士の姿は消えた。それと同時に草原も跡形もなく消え去り、爺さんは自分の部屋の布団の上で正座してたんだそうだ。どうだ、なかなかに不思議な話だろ」


 確かに不思議な話ではある。だが。

「幻覚か妄想か、さもなきゃただの作り話だ」

 即断した僕の言葉に、巌はニヤリと笑い返した。


「そう言うだろうと思ってたさ。おめえは本当に変わらねえな。とは言え俺だって頭っからそんな話を信じた訳じゃない。何しろ突拍子もなさ過ぎるからな。そもそも爺さん自身が夢だったんじゃないかと思ってたくらいだ。だが話はこれで終わりじゃなかった。その戦いから1週間は何事もなく過ぎたんだが、丁度7日目、また友達が助けを求めて来たんだと。爺さんの側にいやはなかった。どうやら爺さん、最初の戦いで昔の血が目覚めちまったらしいんだな、胸をワクワクさせて助太刀に応じたらしい」


「そうしたらまた草原が現れた。そして『一騎打ちだ!』と叫んだら、また騎士が現れた。兜は前回と同じに見えたが、今度の相手は馬上の騎士だった。まあ騎士ってのは本来馬に乗ってるもんだが、甲冑だけの爺さんにとっちゃ不利だわな。しかも前回の反省があるのか、今度の騎士の鎖帷子は手首まできっちり隠してやがるときた。そして得物は柄の長い戦斧せんぷおのだ、斧。それを振り回しながら、馬で突っ込んで来る訳だ。これには流石の爺さんも手こずったってさ。何せ上が常に取られている状態だからな。それに馬のスピードはあるし、戦斧は重いから振り下ろされたら太刀で受けられるもんじゃない。こりゃあ相手も馬鹿じゃない、相当考えて来やがったな、爺さんはそう思ったそうだ。だがそれと同時に、爺さんは腹を決めたらしい。腕一本くれてやろうってな」


「つまりはこういう事だ。相手の攻撃をギリギリまでかわさずに、左腕一本取られるくらいのタイミングですれ違いざまに馬の脚を一本切る。相手を馬から落としちまえばこっちの物だ、後はどうとでもなる。成功するかどうかは自分の覚悟と度胸次第、爺さん燃えたってよ、このシチュエーションに。そこに相手が突っ込んで来た。爺さんは刀を構えてタイミングを計った。相手は戦斧を振り下ろした」


「が、ここで予想外の事が起きた。相手の馬が爺さんの殺気に気付いて逃げようと身体をひねりやがったんだ。戦斧を振り下ろした騎士はたまらない、その勢いのまま真っ逆さまに落ちちまった。戦斧は爺さんの腕に斬り付けはしたが、斬り落とす所までは行かず、爺さんは落ちた騎士の兜の眼の部分に向かって全力で突きを放った。それで終わり、ジエンド。全ては消え、爺さんはまた布団の上に戻って来た。戦いの記録は何処にも残らない。はずだった。だが残ってたのさ。俺も実際に見せてもらったよ。爺さんの左腕の傷をな。ありゃあ包丁やカッターナイフでつけられる傷じゃない。もっと雑な物でえぐられた傷だった」

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