第2羽 剣闘士の草原 2

 小鳥ホテルは小鳥を預かるのが仕事であり、当然逃がさない事が至上命題となる。その為出入口は3重構造になっている。玄関側から数えると、まず玄関の扉がある。そこから入ると風除室になり、風除室正面の扉を潜ると、玄関ホールとなる。その玄関ホールの向かって右側に鳥部屋の扉があり、左側には客室の扉がある、という具合だ。だが、今はまだ開店前、玄関の扉は開いているが、風除室の扉は鍵が閉まっている。風除室の中の長身の人影は、ガラス越しに僕の姿を認めると、厚かましくも風除室の扉をドンドンと叩いた。


「はいはい、わかったから。開けるから叩かないで」

 僕は溜息を吐きながら、扉下のロックを開けた。と同時に扉が勢いよく開く。

「おいおいどうした、相変わらず陰気な奴だな」


 顔を合わせるなり失礼な男である。そう言うおのれの姿はと言えば、黒の着物に黒の羽織、黒い足袋たびに黒い下駄、おまけに黒い番傘を手にしている。バイオカラスも顔負けの黒尽くめだ。一体どちらが陰気なのかと問い質したくなる。


「どうしたもこうしたあるか。こっちはまだ開店前だよ。知ってるだろう」

「開店前だと陰気なのか」

「陰気じゃない、不機嫌なんだよ、誰かさんのせいで」

「相変わらず女みたいな顔をして女みたいな事を言うな、おめえは」


 カチンと来た。顔の事は僕の数多いコンプレックスの一つである。それを知っていてこの野郎は。


「僕はフェミニストじゃないけど、流石にその言い草は気に入らない。謝れ」

「なんだよ、また鳥しか喋る相手が居ないから陰気になったのかと心配してやったんだぞ」

「だから陰気じゃない。大きなお世話だ。あと、鳥とも喋ってない。喋れる訳ないだろう、鳥なんだから」

「はっはっは、そりゃあそうだ」


 五十雀巌いそがらいわおはそう大声で笑うと、帯の辺りをパン、と叩いた。

「さて菊弥きくや、今日の要件だが」

 この死んでほしいほどのマイペース、これに僕は子供の頃から20年ほど付き合わされている。いい加減勘弁してほしいのだが。


「なんだよ、どうせまた下らない話だろ」

「まあ聞け。菊弥だけによく聞くや」

「帰れ」

「ジョークだジョーク、怖い顔をするな。ただのナイスジョークだろうが」

「自分でナイスって言う奴があるか。そもそも駄洒落とジョークを一緒にするな」

「で、今日の話だがな」


 こいつだけは。いつか自分がブチ切れてぶん殴らないかと冷や冷やするやら期待するやらである。


「この間、知り合いの知り合いに頼まれてな、ある爺さんの話し相手になってやってくれと。何でもその爺さん、ずっと剣道の師範をやってたそうで、若い頃は全日本大会にも何度となく出たんだそうな。だから年をとっても元気でな、あんまり元気過ぎるんで、子供や孫に距離を置かれちまうくらい元気だったらしい。そんな元気な爺さんだったが2年前に連れ合いの婆さんを亡くして、それ以来ふさぎ込んじまって、去年の暮れぐらいからとうとう寝たきりになっちまったんだそうだ。あ、寝たきりの年寄りの話し相手になんかなってどうするんだって顔してるな。まあわかる。俺もそう思った」


 いや、僕はそんな事これっぽっちも思っていないのだが。


「思ったんだが頼まれちまったもんは仕方ない。断るのも面倒だしな。それでさっき、その爺さんのアパートに行って来たんだ。ボロいアパートだったよ。子供や孫が居るってのに、こんなボロ家に住まわせるかね、って思ったんだが、まあ子供や孫にも生活があるんだろうし、その家の事情ってもんがあるんだろうから、それは言っても仕様がないわな。んで、その爺さんの部屋をノックしたんだ。返事くらいはするかと思ってよ。そしてらおめえ、寝たきりのはずの爺さんが、自分で起きてきて、ドアを開けたじゃねえか。それも驚いた様子もなくて、ニコニコ笑顔で俺を迎え入れやがる。聞いてみたら俺が来る事を知ってたって言うんだ。それでああそうか、知り合いの知り合いに前もって聞いてたんだな、って言ったら違うって答だ。爺さんが言うには、『友達』が教えてくれたんだと。友達?近所に隠居仲間でも居るのかって訊いたらそうじゃねえと」


 巌はそこで一つ、息を吐いた。そして僕の顔をのぞき込む様にうかがうと、満足そうにうんうんとうなずいた。

「ほらな、俺の話聞きたいだろ」

 ムカッ。僕のこめかみの辺りで血管がピキピキと音を立てた。

「続きが無いんなら帰れ」

「そう言うなって。続きはあるから」

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