35
メリッサとの因縁とニナーフォレストへの恨みを聞いたアシュレイは、その日の夜、あまり寝付けなかった。夕飯をたらふく食べたせいか、考えていたせいかよくわからなかった。師匠に落ちる暗い影の正体をすこし覗き見た気がしていた。12畳はあるその部屋で、真ん中に置かれたダブルベッドの上で寝付けないので台所に行って何か食べようとして部屋を出た。厨房にはシェフが一人いて、まだ食い足りないのですか等と聞いた。
「腹が減ってるわけじゃないんだけど、よく眠れなくて」
「ホットミルクがいいよ、ミルクパンで作ってあげよう」
そうしてシェフが冷蔵庫から牛乳を取り出し鍋にミルクとグラニュー糖を注いでコトコト煮込み始めた。その様子を簡素な椅子に跨ってじっと観察していると、シェフは煮込みながら昔話を始めた。
「奥方様が生きていらした頃は、この屋敷もカナーベル様ももっと明るくて、使用人たちもわきあいあいとして楽しかったのだけど、やはり火が消えたように、この屋敷も憂鬱な雰囲気になってしまったなあ」
「流行り病でね、あっという間に帰らぬ人となっちまった、あのころカナーベル様はまだ幼くて、人の生き死になどよくわからない様子だったよ。あれから随分経ったけど、奥方様生きてらしたらどんなによかったか……」
アシュレイの母親は怒鳴りつけるばかりの村の教師だ。いてもうざいだけどだななどと思いながらミルクの匂いが厨房に広がってくる。
シェフは温まってできた牛乳の膜を取り、マグカップに入れてハイとアシュレイに渡した。
「こんな時間まで仕事っすか」
「明日の仕込みがあってね、僕はここに残っていたんだみんなもう寝てるけど、僕は下っ端だからね」
ホットミルクをさましながらちびちび飲んでいるとシェフは洗い物をしてアシュレイの前に座った。
「それにしても珍しい、カナーベル様が友人を連れてくるなんてなあ」
「あの人は友人じゃねーよ、俺の師匠だ」
「へえそうなのか、あの人は先生にはならんだろ?」
確かに先生には全然ならない。対等にいつも扱っている。
「そのうちカナーベル様が会わせると思うね、カナーベル様に剣術を教えた天才剣士がいるんだよ」
「天才?もしかして師匠が会わせたい人ってその人かな?」
「おそらくそうだと思うよ、さてと仕込みの続きをしなくては」
そうしてシェフはぶら下がった肉を叩いたり、玉葱を切り刻んだりといった下準備に取り掛かった、すっかりホットミルクを飲み切ったアシュレイはごちそうさまと言って部屋へ向かう。いつの間にか寝ていたらしいアシュレイが起床したのは8時をまわってからだった、金庫に入れてある金貨を数えるのが日課になっていた。怖いメイドが乱暴に部屋を開けて、朝食を運んでくる。毎朝金貨を数えているのですこし笑っていた。コーヒーテーブルの上にパンとチーズとカモミールを置き、それからベッドを整えて去っていく。朝食をすませ、ベランダに出ると今日は訓練場に誰もいない。
その代わり、あの時見た聖騎士団の連中がいそいそと屋敷に出かけてくるのが見えていた。金髪のあの男もいる。
「げえ」
聖騎士団が来るから夜遅くまで仕込みをしていたのか、ファルス隊長のすがたも見えた。出迎えた使用人たちが頭を下げている。急いでアシュレイも支度を済ませ、出迎えていたカナーベルと合流していた。
「ファルス隊長、お久しぶりです」
「元気そうで安心したよ、ちょっと近くまで寄ったものだからみんなできたんだよ」
「あ、君も一緒だったね」
アシュレイの姿を見つけファルス隊長はにこやかに微笑んだ。
「昨日急にこの付近に怪物が出たらしくてね、それで伝書鳩を飛ばしたんだけど
迷惑がかかってしまうね」
「いえ寂しい屋敷ですから、迷惑だなんてことはありません」
寂しげにしながらカナーベルがそう言うと、頭を撫でてリビングのほうへと移動していく
「エーゼン、他のやつらは?」
「別の用件で駆り出されてる、暫く15人揃うことはなさそうだな」
エーゼンと呼ばれた金髪巻き毛の美少年が、アシュレイの姿を見つけ睨みつけた。
「てめえ!なんだよ!」
怒りをあらわにすると、エーゼンはぷいっとそっぽを向いてリビングのほうへ行ってしまった。
「あいつ、ああいう奴なんです悪い奴ではないので危害を加えるといったことはないと思いますよ」
「むかつく!」
アシュレイがそう言って怒るとカナーベルは久しぶりに笑いを漏らした。使用人たいちは急いでゲストルームの掃除やベッドメイクなどに駆り出されている。庭師たちも気合が入っているようで一生懸命剪定している。厨房のほうからは皿が割れる音が聞こえた、向こうも大変な様子である。あの時いなかった少年が、アシュレイの姿を見つけ声をかけてきた。
「へえ君がアシュレイか、カナーベルの何?」
「俺は弟子だ!お前はなんだよ!」
「僕はフェリクス、一ばん年下の聖騎士団のメンバーだよ。君とは年が近そうだねよろしく」
そう言ってフェリクスが手を差し出すとアシュレイはいやいや手を握った。
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