その後
後になって古傷が痛むように指の先がじわじわと痛む。アシュレイは苦痛に顔をゆがませながら自分のバッグをあさっていた。
「あれ?っこれ……」
例のドラゴンの血の入った小瓶だ、すっかり渡すのを忘れていたアシュレイである。やべえ!と言って立ち上がるとそのまま足がもつれた。リトルコールティンに事情を話し、病気の娘のいるおじさんに渡してもらうことになった。感謝の言葉をもらう機会は失ったが今は爪が回復するのをただ待つだけである。
カナーベルはベランダでタバコを吸っていた。
「師匠、いたっすか」
「これからシーザに帰ります、お前も一緒です。
またエルキナから出る日がくるとは思いもしなかった、いつも忙しそうにしているカナーベルがなにか思うように空を見つめてぼうっとしている様子はすこし不自然で不気味なような気がした。
「そういえば依頼主から礼があったようです、ありがたくもらうとよいでしょう」
「あの不幸そうなおっちゃんか、金一封かな?」
中身を確認すると、そこにはくまたろうのぬいぐるみがあった。
「俺は子供か!」
「子供だと思われているんですねもう14歳だというのに」
少し微笑んでカナーベルはアシュレイのほうへと体を傾け、優しく言葉を紡いだ。
「早く、成長することですね……」
そう言って寂しげな表情を一瞬した。成長すればもう私を慕ってついてくることなどなくなるだろうと。
少々一緒に居すぎたせいなのかもしれないとカナーベルは思い至った。いずれ別れるときがやってくる、遅かれ早かれ。この寂しくて悲しい感情の正体を、今のカナーベルには理解できなかった。
「師匠、何か悲しいっすか」
突然のアシュレイの質問にカナーベルは躊躇した。いいえ、なんでもありませんよとうっすらと微笑んだが自分に生まれているこの感情が何なのか知る由もないカナーベルにはそう返答するのが精いっぱいであった。
「師匠、シーザに行けば沢山の怪物と戦うことになるっすよね、俺今から楽しみで楽しみで仕方がないっす。エリメルの話じゃドラゴニアまだ生きてるぽいし、早くエルキナを出たほうが多分安全っちゃ安全なんだろうけど、次に出会ったら絶対に殺してやる」
そういってアシュレイは包帯でぐるぐる巻きになった小指を見つめた。
「シーザにでる怪物は雑魚から最上級モンスターまで様々です、スジのあるお前のことです、なんなくやっつけるでしょう」
「わくわくすんな!」
嬉しさと興奮でいっぱいになったアシュレイはそのまま構えの姿勢を取った。
そして足の指をベッドの端にぶつけいってええ!と騒いだ。まだまだ爪が生えるには時間がかかる。アシュレイの黒檀の瞳が涙で潤んでいる。そっと拭ってやると、ありがとと言って軽快に笑った。
思えば長い道のりであった、ヴィンランドスレイで出会ったあの時からずっと……
「ずっと、これからも一緒ですね、アシュレイ」
「当然だ、俺はあんたについていって強さの秘密を盗んで英雄になるんだからな」
「何かコツは掴めましたか」
「わかんね」
でた病院食を齧りながらアシュレイはおかわりを要求するために手もとのベルを鳴らした。さっそく給仕がやってきてあっという間に食事をたいらげたアシュレイに驚いてさっと皿をさげて新しい皿を運んできた。
「胃の調子はいつも通り万全のようですね、私などハーブを飲まないと胃が悪くて……」
「師匠は小食だからっス、もっと食えば便通もよくなって胃の痛みなんかなくなるっすよ」
大胆な解決方法だ、でもカナーベルには効きそうもないその民間療法はあっという間に却下された。そしてコーヒーを飲み、ハーブをさらさらと流し込んでいる。
「そのハーブって中身はなんすか?」
「カモミールとペパーミントそれからレモングラスだっと思います」
「あの赤くてすっぱいやつは入ってないっすか」
「健康にいいからとよく飲まされていたローズヒップのことですね、あれは苦手なんです」
「俺も宮廷でよく飲まされてたんです、俺を雇っていた坊ちゃんがやっぱり師匠のようにハーブをよく飲む人で」
「薬草は医者の薬より効くことがありますからねえ、それにしても随分親しくしていたんですね、お前の坊ちゃん、兵士にもハーブを飲ませる人だったんですか」
「え……そ、そうっす」
しどろもどろになりながらアシュレイは次の皿へと手を付けていた。紫のベロアの椅子に腰かけていたカナーベルは特にそれ以上聞くこともなく、平然とした様子だったので助かったとアシュレイは思った、でも正体はドラゴニアには知られてしまった。だから絶対殺しておきたい。
「ドラゴニアの奴、どこに潜伏しているんすかね」
「しばらくはおとなしくしているでしょうが、何を考え、何をするのかわからない奴です、油断大敵といったところでしょうか、シーザに行ってからもわかりませんね」
そういって二袋目のハーブを胃に流し込み、カナーベルはそっと腹を抑えた。
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