第1話 その男、罪人にて



 新たな想区を訪れた一同は、どこまでも広がる青い海を視界いっぱいに捉えていた。


「いつ見ても“海”は素晴らしいところだね」


 感嘆の声を上げながらエクスは海を熱い眼差しで見つめる。

 初夏のような太陽の日差しは、一同の肌をじりじりと焼いていた。

 一人、テンションの高いエクスに関心を抱いたシェインは、隣に並んで懐かしむように声をかける。


「そう言えば、新入りさんのいた想区には海が無かったですよね?」


「うん、だから初めて海を見た時は、それはもう驚いたけど、何度見てもその広さと大きさには興味が尽きないね」


 海を眺めながら嬉しそうにしているエクスを見て、レイナはどこか達観したように言った。


「全く、エクスはまだまだ子供ね。海を見ただけではしゃぐなんて」


「まあそう言ってやるな、誰だってこの青い水平線の先に、見知らぬ世界が広がっているなんて思ったら、心が躍っちまうもんだ」


 冷静に語ったレイナに対し、タオはエクスの心境を代弁するように言った。


「それが分からないって私は言っているの。この海の先に誰かいたとして、それが何だって言うのよ?」


「お嬢には分からないか。まあこれは“男のロマン”ってやつだな」


「私はロマンよりも、マロンの方が好みなんだけどね」


「お嬢……ここの気候は温暖みたいだが、なぜか俺の肌には冷たい血が流れているようだ」


「う、うるさいわね! 思ったことを言っただけよ! 深い意味なんてないわッ」


 タオが冷たい視線をレイナに向けていると、先に行った二人が振り返る。


「ねえ二人とも! 早くこっちにおいでよ! 水が冷たくてすごく気持ちいいよ」


 海水を手ですくいながら、エクスは嬉しそうな声で呼んだ。


「そうですよ。姉御もタオ兄も早く来てください。ここの水はひんやりしていて、とてもいいです」


「オッケー、オッケー今行くから。ほらお嬢、俺たちも行くぞ」


「ええ、仕方ないわね。私も海は嫌いじゃないから、たまには悪くないわね」


 そう言ってレイナが一歩を踏み出そうとしたその時、海岸の端に二つの影をレイナは見た。


「ちょっと待ってタオ。あそこに誰かいないかしら?」


「あん? どれどれ……そうだな、確かに誰か……あれは、人間と……?」


 不意に立ち止まった二人に違和感を覚えたエクスとシェインは、不思議そうな顔でレイナ達の下へ来る。


「二人とも、どうしたの?」


「ああ、誰かいますね……人と、カメが一匹?」


 二人の視線の先を見たシェインは首を傾げながら言った。


「おいちょっと待て、なんだか様子がおかしくないか?」


「あ! あの人、今カメを棒で叩いていたよ!」


「あれはひどいです。どう見てもカメをいじめているようにしか見えません」


「あんなひどいことをするなんて、カオステラーに間違いないわ! みんな、あいつを倒しに行くわよ!」


『カオステラー』それは、世界に混沌をもたらす異常である。

 エクス達は、その異常をあるべき姿に戻すために、レイナの『調律』の力を使い、旅を続けていた。


 そんなレイナの意見に賛同した一同は、海岸の端にいる人影に近づく。


「そこのあなた! なにをやっているの!」


 レイナの怒号に、その人影はびくりと体を震わせ反応を示す。


「あ、あなた達は、いったいなんでござるか!?」


 カメをいじめていたのは、エクス達と歳の変わらない青年であった。上半身は青を基調とした着物に、波をデザインしたような生地。下半身は藁で作られた蓑で覆われており、手には釣竿が握られていた。


「君がその釣竿でカメをいじめていたから、声をかけたんだよ」


 エクスの声は冷静ながらも、その瞳には怒りの火が灯っていた。


「おいおい、大の男が自分より弱いカメをいじめるとは、感心できないな」


「全くです! こんなやつ、シェインが成敗してやるです!」


 一同はカメをいじめていた青年に、じわりじわりと近づいていく。

 だが、エクス達が一歩近づくたびに、青年は一歩遠ざかってしまう。

 そんな状況に、誰よりも早くレイナは痺れを切らす。


「ああ、もうッ! あなたがカオステラーなんでしょ! なんでもいいから、私たちに大人しく倒されなさい!」


「な、なんのことを言ってるでござるか!?」


 レイナの言葉に、状況を理解できていない青年はさらに狼狽えはじめる。


「だから、君がさっきカメをいじめていたからって言ったよね?」


「いやいや、拙者だってやりたくてやっているわけでは無いのでござる! どうか、話を聞いて下され!」


「なんだか面倒くさいな……問答無用だ!」


 そう言ってタオが成敗しようとしたとき、シェインが口を挟んだ。


「まあタオ兄落ち着いて下さい。とりあえず話だけでも聞きましょう」


「チッ、シェインがそう言うなら仕方ない。おい、そこのお前! 言い訳があるなら聞いてやる。但し、三行で答えろよ!」


「さ、三行でござるか!? ちょっと待てくだされ! 三行……三行……!?」


 タオに言われた青年は必死で言葉を探すも、うまく形にすることができなかった。


「よし、時間切れだ。そこのお前、成敗の時間だ!」


「いや、いつから時間制限に切り替わったのでござるか!?」


 そんな突っ込みも虚しく、タオの拳が青年の顔に迫る。その時――


「運命の書でござるッ!」


 殴られるぎりぎりで青年は声を絞り出した。その一言に、タオの拳は寸前のところで止まる。


「おい、今なんて言ったんだ?」


「だから、運命の書でござる! 拙者の運命の書には、カメをいじめるように書かれていたのでござる!」


『運命の書』それはこの世界に住む人々が生まれた時に与えられる一冊の書物である。

 彼らは生まれてから死ぬまで、『運命の書』に書かれた通りに生きていくことが、唯一の役割なのである。


「カメをいじめるように……? そんな運命の書があるのかしら?」


「シェインもいまいち腑に落ちません。嘘をついているんじゃないですか?」


 必死に青年は説明するも、レイナとシェインは疑いの眼差しを向ける。


「いえ、本当でござる! 本当に拙者の運命の書にはそう書かれているのでござる! 信じてくだされぇぇ!」


「うーん、疑いが晴れたわけじゃないけど、とりあえず名前を教えてもらえないかな?」


 首を大きく傾げながらも、エクスは青年の名を聞く。


「拙者の名でござるか? 拙者は浦島太郎、この近海で漁師をやっているものでござる」


「漁師がなんでカメをいじめてるんだよ!」


 先ほどまで、ぎりぎりで止まっていたタオの拳が、その一言で振り下ろされる。


「うぎゃああっ!? 何をするでござるか! 痛いではないか!?」


「それが先ほどまで、あなたがカメにやっていたことなのです。殴られて当然なのです。他の生き物を大切にできない人は、シェインは嫌いなのです」


「だ、だから、運命の書に書かれていると言っているでござる! これは、本意ではないのでござるよぉぉ!」


「そう言われてもね……さすがに生き物をいじめるのはよくないよ。見てごらん、カメが泣いているじゃないか」


 見れば、人が乗れそうなほどの大きさのカメは、つぶらな瞳をうるうるとさせながら、浦島の方を見つめていた。


「やめろッ! やめるでござるッ! 拙者をそんな目で見ないでくだされぇえ!」


「全く、そんなに嫌なら初めからやらなければいいのに」


 その姿に、レイナは呆れた声を漏らしてしまう。


「タオ兄、海岸に縄が落ちていました。これであの人を縛り上げましょう」


「おう、ナイスだシェイン。さあ浦島なんとか、神妙に縛につきな!」


 暴れる浦島をタオとシェインは力で抑え込み、手首を縛り付ける。


「冤罪だ! これは冤罪でござる! 拙者は何も悪いことはしていないでござる!」


「いや、どう見ても現行犯だよね」


 今もまだ抵抗する浦島に、エクスも呆れたようにつぶやいた。


「擁護のしようが無いわね。さあ早く、その醜い本性を現しなさい!」


 ようやく浦島を縛り終えたタオ達がいったん距離を取る。それに合わせるかのように、エクスとレイナもいつ敵が出現してもよいように、戦闘の構えを取った。


「お主ら、何をしているでござる! 早くこの縄を解いてくだされぇぇ!」


 だが、いくら待てども、浦島太郎が凶暴なカオステラーに変貌することは無かった。


「あれ? おかしいわね……?」


「うん、いつもの流れだとそろそろ姿を現す頃だよね?」


「そうだな、いつもだったら既にぶっとばしているころだな」


「もしかして……シェイン達は何か重要な勘違いをしているのでしょうか?」


 予想外の事態に、一同には疑問と違和感を抱え、顔を見合わせる。

 その姿を見ていた浦島は、すぐに反抗するように声を上げた。


「だ、だから……初めから怪しいものではないと、拙者は申していたではないでござるか!」


「でも、カメをいじめていたことには変わりないですよね?」


「だ、だからそれは運命の書に書かれていたと――」


「そうね、ということはこのまま縛っておいた方が良さそうね」


「な、なんでそうなるでござるか!?」


「そうだな、万が一逃げないようにもう少し強く縛っておくか」


「いたたたた! 痛い、痛いでござる! も、もげる! 手首がもげてしまうでござるぅぅ!!」


「カメさんかわいそうに……どこか痛かったところはないかい?」


「ある! あるでござるぅぅ! 拙者の、拙者の手首がぁぁあああああ!?」


「なんだか、あの浦島って人騒がしいわね」


 騒がしい浦島の態度に、レイナは不快だと眉根を寄せる。


「姉御、こうなれば、あの騒がしい口も塞ぎますか?」


 可愛らしい瞳をギラリと輝かせながら、シェインは何か企んでいる様子だった。

 そんな彼女に、僅かばかりの不安感を覚えたエクスは、疑問を口にした。


「ちなみに聞くけど、シェインはどうやって口を塞ぐつもりなの?」


「新入りさん、興味がおありですか? では説明致しましょう。まず、切れ味のいいナイフを用意します」


「うん、ストップストップ! なんとなく分かったから、その先は言わなくて大丈夫だよ!」


「そうですか……? ここからが本番なんですけどね……」


 エクスの拒否に、シェインは少しだけ寂しそうな表情を見せた。


「――――みんな、おしゃべりはそこまでの様だ。あれを見ろ!」


 タオが指差した先は、青い、青い海だった。

 だが、先ほどとは違う光景が広がる。

 そこには、海水から這い出てくるようにヴィランの姿が確認された。


「ちょうどイライラしていたのよ! 覚悟なさい!」


「ええ、シェインもこの怒りを鎮める方法が分かりません。今宵のシェインは手加減と言う言葉を失っていますよ? 命を失う準備はいいですか?」


「いや、シェイン……まだ昼間だからね。月どころか、太陽が元気に姿を見せているから」


「新入りさん、今のシェインに戦う理由はありません。ただ消す。それだけです」


「へっ! 言ってくれるじゃないかよ! エクス、俺たちも遅れないように行くぞ!」


「なんだか今日のみんなは、やけに血の気が多いね。でも、ヴィラン相手に手加減する理由は僕にもないよ。悪いけど、全力で行かせてもらうよ!」


 じりじりとした太陽の熱に、みんな血気盛んなってしまったのだろう。そんなことを思いながら、エクスは剣を握った。





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