第5話 花束を君に 下



 ブブーブブー。


 低く鳴る音に、布団から這い出る。時計の針は午前10時を指していた。


 手探りに携帯電話をつかんで画面を開く。電話は太陽からのものだった。


 「……何?」


 『あっ、藤乃ー?起きてるー?』


 それなのに、電話ごしに聞こえる声は太陽のものじゃない。


 「ちっ。さようなら。紅太。」


 『あー待て待て!切んなって!!今、俺と太陽お前んちのしたにいんだけど……』


 ピーンポーン


 紅太が言い終わるかどうかのところでインターホンが鳴った。


 「あらー。紅ちゃんに太陽じゃない!久々ね。すっかり男らしくなっちゃって!」


 「お久しぶりです!」


 「ひさしぶり!おばさん。藤乃って部屋?」


 続けて聞こえるお母さんの声。


 「そうよ。でも、昨日空乃とケンカしたらしくて、ずっと籠ってるのよ。」


 「あーそうなの?とりあえず、一緒に空乃の劇見に行く約束したからさ。迎えに来たんだよ。」


 「あら?15時からよね?空乃の劇って。」


 「まあ、早めに行って、その辺でふらふらしよっかなぁって。」


 「そう。じゃあ、翠たちも連れていく?今日は二人そろって暇みたいなのよ。」


 「おー。じゃ、太陽二人呼んできてよ。俺、藤乃呼んでくるわ。」


 「……らじゃっ。」



 たんたんたん


 軽い足取りで階段を登って来る音。


 嫌だ。行きたくない。今、空乃の姿なんて、一瞬でも見たくない。


 頭から布団をかぶり直す。どうせ、紅太は人の話を聞かないから、徹底抗戦だ。無視し続けてやる。


 ガチャッ


 「藤乃ー?」


 ほら、勝手にドアを開ける。ここは思春期の女子の部屋だぞ。


 「藤乃。起きてんだろ?さっき、電話出たじゃん。」


 「……。」


 「早く出てこないと、この日記を音読しまーす!」


 「はぁぁあ!?」


 「ははっ。でけぇ声。何?日記つけてんだ。」


 やられた。本当、嫌い。


 「ほら、今日行くんだろ?早く準備しろよ。」


 「……いや。行かない。」


 被っていた布団を紅太にとられた。でも、正面からこいつの顔を見れなくて、目を反らす。


 「なんで?空乃とケンカしたから?」


 「…………。」


 ケンカなんてもんじゃない。ただ、私が勝手に嫉妬して、当たって、しまっただけだ。

 空乃にとっては、本当に私を心配して言ったひとことなんだろう。


 ほんとにそれだけだから、余計に空しい。


 「あいつに頼まれたんだよ。藤乃連れてこいって。夏中ずっと練習付き合ってやったんだろ?その成果だけでもみてやれよ。じゃなきゃ、お前の時間もったいなかっただけじゃん。」


 「……でも、。」


 「ん?大丈夫だって。なんかあったら俺がなんとかしてやろう!オマケだけど、太陽も、翠も春都もいるから。」


 ……。正直、紅太が何したって、大丈夫な訳がない。でも、



 「ほら、早く着替えて準備しろよ。」


 「……」


 こくんっと、一つ頷いて、着替えをさがす。


 『ロミオ役の人かっこいいから。』


 ちくんっと、胸に小さな針。


 『あいつに頼まれたんだよ。』


 でも、私の胸に穴が空こうが、それはとても小さな問題で、空乃が望んだのなら。


 空乃が私に望んだことなら。


 それがどんな想いからくるものだっていい。



 


◆◆◆




 

 開演のブザーが鳴る。それまで、がやがやとお菓子の取り合いやらなんやらをしていた紅太たちも静かになった。

 会場の空気が変わったのがわかる。

 自分が出るわけでもないのに、心臓はばくばくと音をたてて、飛び出てしまいそうだ。





 「『花の都ヴェローナにある格式も同じ二つの名家。』」


 口上から始まった舞台。衣装に小道具、そのすべてから、舞台に引き込まれていく。


 華やかな街のある貴族の屋敷で開かれた舞踏会。そこで二人の男女が恋に落ちる。しかし、それは叶えることのできない許されない恋。

 二人の家は長年対立しており、まわりのすべての人間からその恋は否定される。それでも互いに焦がれ続ける二人。

 

 瞳は舞台に釘付けで、ジュリエットの登場に息すら持っていかれる。


 「『私のたった一つの愛が、憎い人から産まれるなんて。』」


 ぞわっ。と全身の毛が逆立った。

 なにこれ。なんなの、この声。体の底に響くような、熱くて、切ない声。観客の視線を独り占めにしてしまうほどの存在感。たった一言に、心を揺らされる。まるで暴力だ。


 圧倒的な力で降ってきた声は、主役である姉の声だった。


 隣に座る春都の口は空きっぱだし、舞台の中央にゆっくりと歩を進めるその一挙一動に目が離せない。なんて綺麗なんだろう。


 贔屓目でなく、それこそ会場中が、ため息をつくほどに美しい動作だった。


 夏に台詞の練習に付き合った時とは比べ物にならない。


 「『誰が薔薇を薔薇と呼んだの?他の名で呼ばれてもその香りは変わらないわ。』」


 空気が揺れて、そこかしこから鼻をすする音がする。霞みがかる視界がもどかしくて、袖で勢いよく拭う。一秒でも目を離したくなかった。その舞台を、姿を、衣擦れの音さえも、瞳に閉じ込めてしまいたいと思った。そうすれば、永遠に見つめてられるのに。


 報われない愛の末、ジュリエットは家も、名も捨てて、ロミオと二人どこか遠くの地で生きるための計画を立てる。しかし伝達のミスで、ロミオはジュリエットは死んだと勘違いして、自ら毒を飲む。それを見たジュリエットはロミオの短剣でその命を断ち、二人は愛する人と供に、死での旅路をゆく。



 会場からは惜しみない拍手が与えらた。舞台の熱もそのままに幕はするすると閉じていく。まわりの観客が帰り支度を始めるなか、一人、舞台の余韻に浸る。もう60分、舞台を反復したいくらい。





∗∗∗


 

 「そんなにその席が好きなの?」


 ははっ。と明るい声で我に返る。気づけば、回りの席には誰もいなかった。時計を振り替えると閉幕から30分もたっていた。


 「来てくれたんだね。藤乃。どうだった?」


 気まずい。とは思わなかった。切ないとも、嫌だとも。こんなに穏やかに、空乃と向き合えたのはいったいいつぶりだろう。


 「すごく、よかったよ。」


 空乃は驚いた顔をして、それから照れたように笑った。その笑顔に、今までずっとざわめいていた心は、今は、凪いだ湖のように優しい。


 「ありがとう。藤乃がそんなこと言ってくれるなんて、すごく嬉しい。」


 ふ、と空乃の手に抱えられた花束に目がいった。淡い、透き通るような青。


 「あぁ、これ、楽屋にあったの。『ジュリエットへ』って書いてあったから。綺麗でしょ?誰がくれたのかなぁ。」


 「その花、なんていうか知ってる?」


 「ん?あー。残念ながら、花には詳しくなくて……。」


 「デルフォニウム。」


 「えっ。」


 「デルフォニウムだよ。その花。」


 「へー。藤乃。花に詳しかったんだ。意外。」


 いたずらっ子のような笑みを姉は浮かべる。当たり前だ。その花束は私が送ったのだから。


 「……ねぇ、したの?告白。ロミオの人に。」


 固まった。と思ったら一瞬にして、真っ赤になった。わたわたと手を動かす。


 「えっ、あっ、なんで、その、えっ」


 空乃の目を見つめる。


 「……。しました。さっき。OKもらって、付き合うことになりました。」


 真っ赤な顔で、いっぱいいっぱいに言う。


 可愛いなぁ。と思う。


 まだ、ちょっとだけ、胸がざわめく。


 でも、私はちゃんと、空乃の幸せを祝福できるだろう。





◆◆◆




 



 それが、起点だった。


 あの日、あの舞台を、彼女が私に見せたいと、思ってくれた。


 それだけで、進める気がした。


 焦がれる傷みにはもう慣れてしまった。


 この想いを消化することを諦めて、


 どこまでも、貴方の幸せを願えるように。

 


 


 


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