第3話 せめて、戯曲で。
あぁ、ダメだ。離れなきゃ。突き飛ばさなきゃいけないのに。どうしよもなく嬉しくて。
ごめんなさい。あなたを愛してしまいました。あなたを否定して、抵抗するのは、あなたを振り回したくないだとか、そんな優しい理由だけじゃ、ないんです。あなたのためだとうそぶいて、本当は怖いだけなの。
この想いが、汚いものだと、周りから言われてしまうのが。こんなに純粋にあなたを愛してるのに、これが間違った、醜いものだと、思われてしまうのが。他でもないあなたに、気持ち悪いと拒絶されるのが。恐くて、恐くて、身勝手な私は、今日もあなたを否定する。
自分のために、愛しいあなたを傷つけて、それでもあなたが笑ってくれると、嬉しくなって。
そんな資格私にはないのに。
(私を選んで)
潰されそうな胸が必死に叫ぶの。
(好き。好き。空乃。大好き。)
(ごめん。ごめんなさい。)
(好きになって、ごめんなさい。)
◆◆◆
二つ年下の弟、翠は私よりはるかにしっかりしてるし、八つ下の弟、春都は末っ子だからか、人懐っこく甘えん坊。一番重要なのは、二人とも私なんかよりずっとずっと空乃と仲がいいってこと。
だからなんで私なのか、まったくわからなかったし、予想してなかった。
「藤乃?聞いてる?」
夏休みに入って、いよいよ演劇部の練習は本格化してきた。ほんとに今は夏休みなのかって疑問に思うくらい、空乃は毎日のように学校に行っていた。
正直、夏休みになって、一日中この狭い家のなかで、空乃とすごさなければならないなんて耐えられなかっただろうから、演劇部様様であった。
「……なんで私なの?」
答えてから、しまった!っと思った。いつも通り舌打ちか、もしくはこのまま無視すればよかったのだ。ついつい反応を返してしまった。
たったそれだけのことなのに、もう、頼むから。そんなに嬉しそうに笑わないで。胸の奥がじんわりと、甘く痺れる。
「だって、春都は台本の漢字読めないし、翠はサッカー部でいつもいないじゃない。おねがい!藤乃しかいないの。セリフの読み合わせ、付き合って!!」
大好きな澄んだアルトの音が、耳たぶを打って、脳に浸食してくる。
翠だって、いつもいない訳じゃないし、振り仮名があれば春都だって台本を読むことはできる。それでも、私で、いいの?
「それに、私、藤乃の声好きなの。台本だったら、いっぱい聞けるかなって!」
止めを刺された。痺れた頭でまともな判断などできるわけがない。ふわふわと熱に浮いたまま、つい、私は首を縦に振ってしまった。
◇◇◇
「空乃姉さん、セリフ全部覚えたの?すごいね!あんなにいっぱいあるのに!」
春都の無邪気な声に、空乃が照れ臭そうに笑う。きゅっと私の胸も鳴った気がした。
夏休みも終盤というか、あと2日しかない。リビングの低い机を囲って、兄弟四人揃って、必死こいて、真っ白なプリントやら、ノートを埋めていく。名誉のために言っておくが、これはすべて春都の宿題である。
この末っ子は、姉、兄がおねだりに弱いことをよくよく知っているのだ。
心のなかで悪態をつき、それでも手だけは休まずに動かし続ける。
「もちろん、完璧に覚えたわよ!それよりほら、春都。宿題やっちゃいなよ。」
「空乃姉さん、どうやったら覚えられるの?本当、すごいね!」
無視したうえに、空乃を見方につけにかかっている。末っ子ポテンシャルとは恐ろしい。ちょっと誉められると直ぐにのせられてしまう空乃も空乃だけど。ため息をひとつつき、翠に倣って、ひたすら春都の宿題と向き合うことにした。
「ああ、藤乃が練習に付き合ってくれたの!」
ぴたっ。と時間が止まった。
「……えっ、うそでしょ?藤乃姉さんが?」
「……御愁傷様。空乃、何たかられても文句言えないね。」
春都だけでなく翠まで信じられないような顔をしている。確かに、日頃の私の態度を見ていれば、当然の反応だ。
私だって、本当なら無視するはずだったのだ。
どこか気まずい静けさのなか、急に、空乃が立ち上がった。ガタッと机が少し揺れた。
「『ああ、ロミオ、どうして貴方はロミオなの』!!」
ビクっ!
通る声に、全員の肩が跳ねる。
「『お父上との縁を切って、その名を捨てて、そうすれば私は、キャピュレッドの名を捨てましょう。』」
「えっ!ちょっ……空乃姉さん?なに急に!」
「あーあ、春都お前が煽るから。」
「はぁ?兄さんだって、御愁傷様とか言ってたじゃん!」
馬鹿だな。と思う。空乃はいったいどんな想いで、セリフを紡いでいるのだろう。
「『もし、それが無理ならば、せめて私を愛してると誓って。』」
「…………。『このまま黙って聞いていようか。それとも声をかけたものか?』」
「っ!!答えた!えっ?藤乃姉さんも覚えてんの?」
そりゃ、この夏ずっと付き合わされたのだ。覚えているに決まっている。
「『私の敵は貴方の名前だけ。たとえ、モンタギュー家の人でなくても、貴方は貴方でいらっしゃるわ。』」
悲劇のヒロインもヒーローも私じゃない。愛の言葉は私のものじゃない。
「『あぁ、なにか他の名前をお付けになって。名前になんの意味があるというの?』」
……どうして、空乃なんだろう。
「『誰が薔薇を薔薇と呼んだの?他の名で呼ばれても、その香りは変わらないわ。』」
劇のなかですら、結ばれない。いっそ滑稽なのに、苦しくて。
だって、空乃は甘い薔薇の香りも、悲劇の毒も、私とは何一つ共有しないのだから。
「『あぁ、ロミオ。その名を捨てて-』」
姉妹というしがらみを、私は捨ててしまったのに。
バタンッ!
勢いよく、ドアを開けて、走り出す。逃げるように、階段をあがって、部屋のドアを閉めると、その場にへたりこんでしまった。
不自然だったな。あとでなんとか言い訳しなきゃ。
「……『その名を捨てて』、……私を、選んでよ。」
……空乃。空乃。ごめんなさい。
「『選びましょう!!』」
「っ!!!?」
「『ただ一言、僕を恋人と呼んでください!』」
「えっ、なんで、それ、ロミオの、。」
「『そうすれば、生まれ変わったも当然だ。今日からはもう、ロミオじゃなくなります。』」
「……『どうやって、ここに、来たの?塀は高くて登れない。誰かに見つかったら死を意味するというのに。』」
「ふふっ。『塀なんて、恋の翼でひとっとびだ。』」
「なんで、」
来てくれたの。
「そりゃ、あんだけ練習してたら、相手役のセリフだって、覚えるわよ!」
得意気な顔で、こちらを見おろす。その顔にも、なんにも伝わってない様子にも、胸が痛くなって。心臓がつぶれそうなほど、締め付けられて、息が苦しい。
「…………。ロミオと、ジュリエットはさ、」
「ん?」
「どうしようもない馬鹿だよ。」
「……。」
「だって!好きになっちゃいけない人を好きになって、迷惑だってわかってるくせに、諦めもしないで。」
「まぁ、そうかも知れないけど……。」
「ロミオなんて、死ななくてもよかったじゃん!周りに迷惑かけて、勝手なことするから……」
こぼれそうになる涙を必死で止める。自分でも何が言いたいのか分からなかった。
「んー。好きだからなんでもしていいって訳じゃないだろうし、必ずハッピーエンドって訳でもないだろうけど……。」
まっすぐな目で、私を見る姉はどこまでも優しい。
「好きになっちゃいけない人なんていないよ。」
「 。」
瞬間。息ができなかった。
「ちょっとぉー!空乃姉さん、藤乃姉さん!いつまで演劇やってんのー?そろそろ翠兄さんがぶちギレそうだから戻って来てよー!宿題終わんなくなるぅー!!」
「はいはい。今行くー!」
ぽんっと私の頭に手を置いてから、空乃はリビングに戻って行った。ひさびさに感じた空乃の手は温かかった。
(ああ、本当、馬鹿。)
好きになっちゃいけない人はいる。空乃は知らないから。私が、誰を好きなのか知らないから言えるんだ。
わかってる。だけど、それでも。
(……うれしい。)
どうか、何も知らないまま。
せめて、戯曲では、貴方に愛を紡がせて。
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