第2話 舞台からは降りられない



 「………恋の芽生えが恨めしい。」


 マスクの中で呟きながら、本の頁を捲る。目は文字を追うけれど、内容は一切頭に入っていないだろう。


 本、というか台本に引かれた青い線のセリフをところどころ舌の上で転がす。キャラメルみたいに甘ったるセリフがにがい。


 「……それ、が、無理なら、せめて、私を。……愛して、る。と誓って……。」


 にがい。にがい。胸に広がる苦さにひりひりと痛みが加わる。


 「……名前を捨てて、私を、とって……。」


 「私を、殺して、あなたの、キス、で。」


 あらかじめ台本を読んでおいて良かった。もし、内容を知らずに、姉がこれを演じる姿をみればどうしようもない気持ちが溢れてしまっただろう。ただ文字を追うだけでこれほど苦しいのだ。彼女の姿とこんなセリフがあわされば自分はきっと耐えられない。






 高校の中庭にある植え込みは、ほどよく繁茂した草木のおかげで翳ができ、暑くなり始めたこの時期の午後を過ごすのにちょうどいい。

 中庭なのに、生徒たちの憩いの場にも、通り道にもならない。おまけに教室からは木が邪魔してこちらを覗けないのも利点だ。


 つまり、午後の授業をすっぽかすのに最高の場所なのだ。


 双子の姉、空乃に恋したのは三年前。中学二年生の春だった。あまりに突拍子もない想いに、動揺を隠せない中どうにか平静を装って、家に帰るよう姉を促したのは昨日のことのようだ。


 この恋を、気づかせてはいけない。


 友達にも、家族にも、勿論、空乃本人にも。気づかれたらどうなってしまうか、考えただけで恐ろしかった。


 忘れたいと何度も思ったし、今だって思ってる。でもこの思いは胸の真ん中にどかりと座り込んで、まったく動こうとしないのだ。いきすぎた兄弟愛だと思い込もうにも、例えば、空乃が青い空を見て目を細めた瞬間だとか、得意げに笑いかけてきた時。私の胸はぎゅーっと何かに捕まれたみたいになって、今にも泣き出したい気持ちになる。


 そうなるともう、私にはこの気持ちを一人抱えて、涙の一滴もこぼさずに抑え込むしか道はない。

 

 愛してる。の代わりに嫌い。うざい。

 抱き締める代わりにはね飛ばす。


 端から見れば、あの姉妹は仲が悪い。なんて見えるだろうか。いや、私が一方的に空乃を嫌ってるようにかな。どちらにしろ、本当の想いがばれるよりは遥かにましだろう。


 


 「藤乃姉さん!!」


 緑の香りと共に、風が運んだ声に顔をあげる。


 「何してんの?!?サボり?」


 いつの間にか隣に座っていた男子生徒に驚く。が、彼の行動をいちいち気にしていたらきりがないのを、長い付き合いで知っているので特に反応を示さずにおく。


 「……あんたもでしょ。てかなんであたしに構うの。」


 「だって、寂しいでしょ!」


 「……別に。」


 「えっ?空乃姉さんのこと考えてたんじゃないの?」


 「!!!」


 図星をつかれて、なんだか気まずくなる。この従兄弟はさらっと爆弾を投下してくるから恐ろしい。同級生だか誕生日が半年近く違うため、彼は幼い頃から私と空乃を姉さんと呼ぶ。実の弟たちよりはるかに慕ってくれているのでなんとなく私は彼を邪険にできないのだ。


 もちろん、いくら信用している幼なじみとはいえ、空乃への想いを明かしたりなどはしていない。でもこいつは勘がいいから、察してたりするのかもしれないが。


 「まあね。ちょっとケンカしたの。太陽だって、紅太とケンカするでしょ?それと一緒。」


 「紅太兄さんと?んーあんまりしないかな。それより、何読んでんの?」


 無事、話をそらすことに成功し、内心ガッツポーズを決める。変に声も上擦ってないし、多分大丈夫だろう。


 「空乃の次の舞台の台本。パクってきた。ロミオとジュリエットだってさ。いかにもあのロマンチストが好きそうな話だよ。」


 高校生になって、いよいよ痛々しさに磨きがかかってきた空乃は演劇部に入った。恥ずかしげもなく紡がれる甘いセリフの数々に、ダサい。だのなんだと批判したが、一年もたつとなかなか様になってきて、一昨日、ついにヒロインの役をもらったと鼻息荒く兄弟に報告してきたのだった。


 「あー!空乃姉さんジュリエットやるんだよね!じゃ、今回はいっぱい姉さんのこと見れるね!」


 当然の如く、空乃の舞台はすべて観ている。それこそ高1の一番始め、たった一言のセリフももらえてなかった頃から。

 ただ、あまり友人の多くない私にとって、部活の演劇の舞台を一人で見に行くというのはなかなかハードルがたかく、そんなときはだいたい太陽に付き合ってもらっている。


 「別にあいつのことなんてどうでもいいけどね。」


 「そんなこと言わないで一緒に応援しようよ!がんばれ!ジュリエット!!って。」


 「いや、それただの迷惑だからね?本当にやらないでよ。」


 「えー?そうかな?空乃姉さん、喜ぶと思うけど。」


 「…………じゃあ、よけい、できないよ。」






◆◆◆


 恋心を自覚してから、ぐるぐると渦を巻くような不安が藤乃の頭をめぐっていた。

 やさしい姉に自分の愚かな恋心を知られればきっと彼女は振り回されてしまう。自分が失敗したら……。考えるだけで恐ろしい。


 そもそもの原因は藤乃が空乃に恋したせいだ。あのやさしい姉を好きになってしまったから。だったら、自分がすべき行動は決まっている。

 自分の行動で、姉がどんな気持ちになり、どんな表情をするのかを想像して、心臓がきゅっと痛くなる。それでも、こんな間違ったものから姉を遠ざけたかった。


 藤乃はこれ以上空乃を好きにならないように、嫌われることができるように演じなければならなかった。


 そしてそう決めたからには、もう、その役を捨てることはできなかった。

 

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