バイト先で言われたこと
夏祭りまであと一日と迫った土曜日。今日は、昼からラストにかけてバイトだった。
バイトの内容はホールでのお仕事。注文を取ったり、料理を運んだり、お皿を片付けたり、テーブルの後片付けをしたり、会計をしたり。最後はお店の掃除をしたりする。
バイト先のウェイトレスの制服はこの辺りでは結構かわいいと評判の制服で、ひそかに気に入っていたりする。
店長兼料理長は気さくな良いおじさんで、積極的に従業員やお客さんと会話をするような人だ。他の従業員さんもいい人ばっかりで、お昼時や夕飯時はすっごく疲れるけど、とてもいい職場だと思っている。
時々冗談で「楓ちゃん、ここに就職しない?」なんて店長に言われたりする。フレンドリーな職場だ。……冗談だよね? でも、いざとなったらお世話になりたいです。
そんなバイト先で私は今日もせっせと働いていた。
忙しかった夕飯時も終わって、今は閉店間際。お客さんもいなくなって、店長が「今日は早めに閉店準備しよっか」と声をかけたことで、まだ閉店時間じゃないけどお店の掃除をすることになった。
お客さんが入ってきたらそっちの対応をしなきゃだけど、もう今日は入ってこないでしょう。ていうかめんどいから入ってこないでほしい。
そう思いながらモップを取り出して床の掃除を始める。
ホールの掃除はバイトの仕事で、キッチンの掃除は従業員さんの仕事だ。キッチンは大事なものがいっぱい置いてあるから正式な従業員にしか掃除ができないっていうルールがある。
ちなみに、今日のバイトは私だけじゃない。って言っても別に新しい人が入ってきたとか、そういうのでは全然ないんだけど。
理央君が一緒にホールで働いている。お客さんがいた時は女性のお客さんから大人気だった。
まあ、イケメンの男の子があれこれお勧めしてくれたりサービスしてくれたりしたら騒ぎたくなる気持ちもわかるけど。
「今日はこれがおすすめなんですけど、お姉さんにはこっちの方が似合いそうですね」とか「君かわいいからデザートサービスしといたよ」とか。理央君は通常運転だった。
「ちょっと足元ごめんねー」
テーブルを拭いている理央君の足元をモップで拭いていく。
「あいよー」
膝立ちで椅子の上に立って足元を空けてくれる。そこをさっと拭いていく。
「なぁ、楓」
「んー? なにー?」
モップで床を拭きながら問いかけに応える。理央君とは高校始まってからすぐにここでバイトを初めて、そのころからの付き合いだ。というか、面接の日付一緒だったし。
「楓ってさ、明日の夏祭り誰かと一緒に行ったりするわけー?」
理央君は相変わらずテーブルを拭きながら、何の気なしにそんなことを聞いてきた。
去年もこの時期は一緒に働いていたけど、そんなことは聞かれなかった。と言うか、今まで聞かれたことがないというか……唐突にどうしたんだろう。
まあでも、答えて都合の悪いことでもないし、答えるんだけど。
「行くよ。でも、どうして?」
私の問いかけに、一瞬だけ理央君が返答に詰まる。……? どうしたんだろう。
でも、どうしたの? なんて声に出す前に、理央君が口を開いた。
「なんかいつもと雰囲気が違ったというか。楽しそうにしてたからさぁ」
私、そんなに楽しそうにしてたかな? いつもと変わりないように働いてたと思うけど……。
でも、楽しみなのは本当だ。だって藤原さんと夏祭りだよ? で、デート、だよ? 楽しみじゃなくってなんだっていうの? もちろんまだ不安とかはあるけど、でもそれ以上に楽しみが強すぎるのだ。
もしかして心にしまってたと思ってたはずの、その楽しみすぎるっていう気持ちが漏れてたりしたのかな?
「まあねー。ちょっと誘われちゃって」
埋め合わせっていう名目だけど。そこは言わないでおく。誘われたっていうところだけ切り取れば事実なんだから。それにそんなこと理央君に言う必要ないしね。
「へえ、そうなんだ。それは、なんていうの? おめでとう?」
何故に疑問形? いや、まあ私も誘われたんだーしか言われてないのになんて声かけるかなんてわかんないけどさ。
「ちなみにさぁ」
理央君がまた何でもない風に聞いてくる。と言うか、終始一貫してこの話題に関しては何でもない感じに会話が進んでいる。たぶん、暇つぶしなんだろう。掃除中って手足は忙しいけど口は暇だからね。今、ホールは私と理央君しかいないし。
「なに?」
「それって誰と行くの? 爽子ちゃん?」
理央君は私と爽子が友達ってこと知ってるし、そう聞かれてもおかしくはない。理央君の頭の中には私が誘われたイコール女友達に誘われたっていう方程式でもあるのかもしれないけど。確かに今まで男の人と祭りなんて行ったことないけど。
「んーん、違うよ。たぶん理央君の知らない人」
「俺の知らない人って、他校の人とか?」
他校の人かー。まあ確かに女子高生が夏祭り誘われたって言ったら同じ高校生に誘われたって思うよね。私ももし理央君が夏祭り誰かと行くってなったら女子高生思い浮かべるし。
まあでも藤原さんは高校生じゃないし。大学すら卒業している社会人だ。ギリギリまだ私と十離れていないくらいの年齢差。二十半ばの大人の人だ。
「そうじゃないけど。んー、なんていうの? 知り合いの大人の人? と一緒に行くんだ。ふ――」
一瞬藤原さんって人なんだけど、と付け足しそうになって慌てて口をつぐむ。私がメジャーデビューしてるバンドのボーカルの人と夏祭りに行くとかはあんまり他の人に言わない方がいいだろう。理央君が『Bedeutung』のことを知ってるかはさておいて、なんか私がそういうことを周囲に言ったことで藤原さんたちに迷惑がかかるのは避けたいし。
爽子はまあ私たちの関係というか、連絡先交換し合っていて海で一緒に遊んだってことまで知ってるんだから別です。
「ふぅん、そうなんだ。それが楽しみで今日は張り切ってたわけね」
「私、そんなにいつもと違った?」
「なんていうか、ウキウキしてた。まあお客さんとかはわからなかったかもしれないけど、お店の人なら気付くレベルで」
うわぁ、そういわれるとなんだか恥ずかしい。遠足前の小学生みたいって言われてる気分だ。
「理央君は誰かと一緒に行ったりしないの?」
私は逆に理央君に聞き返した。
理央君は結構な人気者だ。気さくだし、やさしいし。男子からも女子からも人気が高い。私も好きだ。恋愛的な意味じゃなく。
そんな理央君だから、夏祭りも誰かと一緒に行ったりするんだろう。もしかして彼女とか?
「んー……行こうと思ってた人がいたんだけど、ダメになったみたいで」
そんな風に返してきた。
行こうと思ってた人って、誰だろう。ていうかダメになったって。
「それって誰か聞いてもいい?」
「別にいいけど、びっくりするかもよ?」
ちょっとからかうような口調になった理央君。びっくるするってことはもしかして私が知ってる人とか?
それは俄然興味が湧いてきた。教えてくれてもいいって言ってるんだし、ここは聞いてみようか。
学校の人気者、理央君の相手とは。
「興味あるから、よかったら教えてほしいかも」
あくまで掃除を続けながら聞く。雑談はしているけれど、今は仕事中なのだ。理央君も掃除は続けている。
……? って、あれ? 理央君が掃除をしていた音がしなくなった。テーブルを拭いていたり、物を動かしたりしていた音が。
思わず理央君の方を振り向く。何かあったのかなーと思って。
そしたら、なんかいつになく真剣な顔の理央君がそこにいて、私の方をじっと見ていた。
そして、その真剣な顔のまま口を開いた。
「楓」
「……え?」
今、なんて……? 私の名前言った? 聞き間違いかなんか?
そんな私の動揺を見抜いたように理央君はもう一度口を開いた。
「楓と一緒に行きたいって思ってた」
今度は聞き間違えなかった。
理央君は今確かに私の名前を言った。
私と一緒に、夏祭りに行きたかったって。
男の子が女の子を夏祭りに誘うって、それじゃあまるで私に気があるみたいな――
「――!?」
そこまで考えて、私は急に顔が熱くなってくる感覚に襲われた。
いや、だって、そんな、ねえ? 理央君が私に興味あるなんて、そんなことあるわけないし。ね? そうだよね?
「も、もう、いやだなー。それ本気で言ってるの?」
なんだか頭が混乱して、私はそんなことしか言えなかった。
理央君っていうのは私のバイト仲間で、同じ高校の同級生で、ついでに言えば学校の人気者だ。私は友達だと思っているし、向こうもそうだろう。
そう思っていたんだけど。一瞬前までは。
「本気も本気。いつ切り出そうかなーって今日一日うかがってたんだけど」
口調は少しだけ軽く。でも言ってる内容は相変わらずで。
言葉の内容とか、さっき見た表情とかを見れば真剣なんだなって思えるんだけど。いかんせん私がこれまでそんな経験してきたことがなかったから、どこまでをどうとらえていいかがわからない。
挙句、理央君は今まで私にそういうそぶりを見せたことがなかったというか。学校でもしゃべるのは最低限バイトの話とか挨拶とかくらいだし、いやまあ食堂とか合同授業とかで一緒になったら他の男子なんかよりは全然しゃべったりはするけど、とどのつまりはそれくらいの関係だし、いやでもバイト先と言うかここでは結構しゃべるしなんていうか仲は良いんだけど――
待って、自分。これ以上考えたら頭パンクする。いったん落ち着こう。
「それって、私どう受けとったらいいの?」
なんでそんなこと聞いちゃったの、私!?
これ応えられてもなんかあれだし、理央君だって答えにくい質問じゃないの? 何やってんだ馬鹿――!
なんて、私の葛藤を無視して、理央君はさらっと答えた。
「どうぞ、ご自由に」
ご自由にって、そういう答えが一番困る! いやストレートに答えられてもそれはそれで困るんだけど、そんな含みのある答えられ方したらすっごいもやもやするじゃん!
気づけば掃除をする手を止めて、理央君の方を向いていた。
理央君の表情は真剣なような、そうじゃないような、なんだかよくわかんない顔をしていて、私にはその内心を読み取ることができそうになかった。
でも、何故だか適当に言ったんじゃないんだぞって言うような気がして、目線が外せない。
理央君と目線がかみ合って、でもお互い何も発しない。そんな時間がしばらく続いて――
「君ら何やってんの? 掃除終わった?」
奥から出てきた店長の言葉で我に返った。
店長の言葉に我に返って掃除を再開する。
「すいません、あとちょっとです!」
「はーい、終わったら上がっていいから」
私の返事にそれだけ返すと、店長はまた奥に引っ込んでいった。売り上げの確認とかをするのだろう。
理央君から目線を外したことで、忘れていた顔の熱さが戻ってきた気がする。
何やってんの私。なんか、理央君に意味深なこと言われた気がするけど。相手はあの理央君だよ?
あのって言ってもわかんないかもしれないけど、女の子には誰にでも優しい理央君だよ? その理央君になんか言われたからって本気でとらえる方がダメなんじゃない?
そうやって自分に言い聞かせながら掃除を続ける。モップ掛けもほぼ終わりを迎えていた。
「なぁ、楓」
こちらもやはり掃除を再開したらしい理央君から、またもやお声がかかった。また混乱しそうだから、今だけはおとなしくしててほしい。黙って掃除しよ? そうしよ?
なんて、そんな私の願いが通じるはずもなく。
「俺、こういうことで冗談言わないから」
そんな、やっぱり私を混乱させる言葉を残して、この日のバイトは終わりを告げたのだった。
理央君のバカ――!
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