理央君と私
朝起きて、自分の部屋の真ん中に置いてあるテーブルを見る。寝起きで頭ははっきりとしない。ぼーっとしてる感じ。
『スマホを確認せよ。これは夢ではない』
テーブルの上にはそんなことが書いてある紙が置かれている。寝ぼけたままの私はその紙に従い、枕元で寝る前に充電していたスマホを手に取り、メッセージを確認する。そこには、昨日の藤原さんとのメッセージのやり取りが記録されていた。
つつーと画面を上に上にスライドしていって、一番初めのやり取りのところまで戻った時点で、私ははっと目が覚めた。
夢じゃない! 現実だ! ていうか私何やってんの!? こんな漫画の中でやってたみたいなことして! そんなに昨日の私は昨日の出来事と今日の私を信用できなかったのか! グッバイ昨日の私。グッモーニン今日の私!
私はテーブルの上の紙を誰かに見られて恥ずかしい思いをする前に、ぐしゃぐしゃに丸めてごみ箱に捨てる。それから朝ご飯を食べるためにキッチンに向かった。
今日は、なんだかいい一日になりそうだった。
学校で爽子に昨日の話をした。具体的に言うと、『Bedeutung』のメンバー全員が来ることになった話だ。藤原さんとメッセージのやり取りをして、全員に見られてしまった話。
爽子は、そりゃあもう驚いていた。というか、喜んでいた。昨日の私みたいだ。別に『Bedeutung』のファンというわけではないだろうけど、今話題のバンドメンバーと海に行けるのだ。そりゃ嬉しいだろう。
まあ、私はもっと嬉しいんですけどね! もう飛び上がりそうになるくらいには!
「よかったじゃん楓! こりゃ藤原さん以外のメンバーともお近づきになるチャンスだね!」
「いや、お近づきになってどうすんの」
「それは、まあ、一夏のアバンチュール的な?」
「爽子それ古くない?」
「そんなことないしー!」
なんて会話をしつつ帰りの準備をする。今日が終わって、明日が終われば夏休みだ。だから、明日は終業式だけ。実質、今日で学校は一旦終わりだ。
「あ、和樹どうする? 一応声掛けとく?」
昨日の今日で忘れていたけど、もともとは和樹に付き添いを頼む予定だったのだ。そんなことすっかり頭の中からバイバイしていたけど。
「楓一押しのバンドメンバーの皆様が来てくださるんだから、別にいいんじゃない?」
「そっか。んー……まあそうだよね」
ごめんね和樹。和樹何も悪いことしてないどころか、私たちが海に行く計画立ててることすら知らないのに、なんか私たちの中でいらない人みたいな扱いになって。心の中で謝っておくから許して。
爽子と適当におしゃべりしながら校舎を出る。明日は終業式だから、学校においていた荷物は持って帰らなければいけない。
少しずつ持って帰ってはいたけど、もともと荷物の持ち運びがめんどくさくて置き勉派だった私の荷物は多い。だって課題とかは必要なものだけ持ち帰ればよかったし。
「おもいー!」
「持って帰らないのが悪い」
なんて言いながら教室から出て、自転車置き場まで向かう。爽子はほとんど荷物を持っていない。徐々に持ち帰っていたらしいけど、よく一緒に帰っていたのにそんな姿は見たことがなかった気がする。まさか置き勉してない……?
そんな風に思っていると、抱えていた荷物をひょいと誰かに持ち上げられる。
「荷物重そうだねー。持つよ、楓。自転車置き場まで?」
「ひゃっ!? あー、理央君じゃん。ありがとねー」
私の荷物を代わりに持ってくれたのは、同じバイト先に努める
同じクラスではないけど、それなりに仲良く話したりする仲だ。名前で呼び合ってるし、それなりに仲はいいんだけど、だからと言って彼氏彼女になるとか、そういう関係ではないのだ。というのも……
「美咲ちゃんこんにちはー。今日もかわいいね。昨日と付けてるリボン変えた?」
「えーわかる? ありがとー!」
「環奈ちゃん痩せた? この間よりきれいに見えるよ」
「そー見える? やったー!」
「もー理央君ってば優しー!」
「またねー理央君!」
「みんなバイバイ!」
こんな感じで、女の子に声かけまくるし、そして女の子みんなに優しい。私と特別仲がいいとか、そんなことは全くなかったりするのだ。
「爽子ちゃん今日もきれいだね」
「そお? ありがと」
爽子にも声をかける理央君。自転車置き場までの短い間に、いろんな子に声をかけていた。
「楓荷物残しすぎじゃない? よくこんなに溜めてたね」
「いやぁ、持って帰るのが面倒で……」
置き勉が楽で手っ取り早いというのもある。宿題をするときは必要な教科だけ持ち帰ればいいから。っていうか、高校は教科書とかワークとか多すぎるよ。しかもそれ全部使うし。
自転車置き場に着くと、私の自転車のかごに鞄を入れて、荷台にそれ以外の荷物を括り付ける。美術の授業とかで作ったよくわからない作品とかも無造作に一緒に括り付けてしまう。どうやら私には美術の才能はなかったらしい。これは家に帰ったらそのままごみ箱行きだな……。
「理央君ありがと。助かった!」
両手を顔の前で合わせて、ポーズをとる。ついでにウィンクなんかもしておく。普段は絶対しないけど、まあ相手は理央君だし。気にしないでしょ。
「いつでも頼ってね。楓あんまり手伝ってーとかバイトでも言わないし。じゃあ、また後でね」
もう一回「ありがとー!」と言って理央君と別れる。理央君は家が学校から近いから徒歩通学だ。また帰り道でいろんな人に声をかけたりするんだろう。女の人には年齢問わず優しいから。おばあちゃんとかにも声をかけているのを見たことがある。
私と爽子は自転車に乗って帰路につく。校門を出て道路を走って行く。
「それにしても暑いねー」
自転車を漕ぎながら爽子が言う。今年の夏はよくニュースでも言ってたけど、平年より暑いらしい。
「この自転車で風を切ってる間は涼しいよ」
「でも止まったら地獄」
「わかるー。信号に引っかかりたくない」
よくある日常だ。何の変哲もない、私の日常。
今までは、夏休みといってもその日常の延長に過ぎなかった。日常の延長に、たまにイベントが転がり込む。その程度だ。
今年だって、別に今までとイベントの転がり込み方だとか、そういうのが変わったわけじゃない。でも、決定的に違うものがある。私の今までになかったもの。
今まで見るだけだった。話しかけることなんて考えたこともなかった。
そんな人たちと、一日だけとはいえ夏休みを過ごせるのだ。しかも海!
これが特別でないはずがない。私にとって、本当に特別な夏休みが今年初めて来たのだ。高校二年生の夏に。
「……って、海?」
「どしたのー、楓」
そこでハタと気付く。ついでに信号に引っかかって止まる。むわっとした熱気が襲い掛かってくる。
海に行くんだよね。しかも藤原さんと。私は何かを見落としていないだろうか。なんだっけ。
海、うみ、ウミ……海といえば水着だよね。水着。うん、水着だ。……水着?
「あぁ!!」
「うひゃっ!? どうしたの、楓!?」
「海だよ、爽子! 海!」
「そ、そうだね。それが?」
「新しい水着買わなきゃ!!」
そうだよ、水着だよ! 海といえば水着! なんでこんなこと忘れてたんだろ! 昨日はスタイル云々とか言ってたくせに! いや口には出してないけど!
「あー……去年のじゃ――」
「ダメに決まってるでしょ! 藤原さんたちが来るんだよ!?」
「ですよねー」
去年の水着は確かにまだ着られる……かもしれない。もしかしたら着られないかもしれない……とか、うるさい! 成長期なの! 縦にもよ、よこ、にもお、おおきく、なるの……! いや、やっぱり横にはあんまり大きくなってない……と信じたい。
いや、そんなことより。水着を買わなきゃ。爽子は、まあ藤原さんたちのことはそんなに意識してないかもしれない。喜んではいたけど、それはあくまで友達のあこがれの人が来るーっていう喜びだし。でも、私は違うのだ。
藤原さんたちに無様な姿は見せられない。無様な姿を見せたところで藤原さんたちがどうにかなるってわけじゃないだろうけど、それはそれ。これはこれだ。私の矜持の問題なのだ。精神的な安寧のためなのだ。
「爽子、夏休み始まったらすぐに買いにいこ!」
「今日じゃなくていいの?」
善は急げ、だけども。
「今日は午後からバイト。残念だけど」
私の資金源の重要なお仕事だ。サボるわけにはいかない。
「あー……さっき理央君が後でって言ってたのはそういうことね。ウェイトレスさんがんば」
「うん。がんばる。待ってろ水着!」
「いや、水着関係なくない……?」
……待ってろ水着!
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます