夏休みの予定

 家に帰ってきて、部屋着に着替えてスマホを手に取る。画面には「藤原大洋」の文字。

 結局、私は藤原さんを誘ってみることにした。誘うというか、お願いしてみる形だが、心情としては海に誘うということなので、まあ、使い方はあってるはずだ。

 OKをしてくれるのか、そもそも私からの連絡に反応してくれるのか。大きくはないけれど、小さくもない不安を抱えながらメールを起動する。SNSアプリのほうが気軽に、手軽に連絡は取れるんだけど、誰がどこで見ているかわからないし、なんとなくそんな軽々しく連絡を取ってもいい気にならなかったから、メールで連絡を取ることにした。アプリだと馴れ馴れしいかな? なんて思ったのもある。私は、臆病者なのだ。ずうずうしい子だとか思われたくない。


『あらためて、さっきはありがとうございました。それで、恐縮なんですけどさっそくお願いしたいことがあります。よかったら返事をください』


 と、シンプルな内容でメールを送る。何度かもっとかわいらしくとか、絵文字やら顔文字やらつけた方がいいかな? なんて思ったりもしたけど、それほど親しくもない相手にそういうものを使うのもいかがなものかと思って、結局飾り気のない文面のメールになってしまった。

 そっけないとか、冷たいとか思われないかな? 藤原さんはどういう文面が好みなんだろう。というか、どういう対応が好みなんだろう。全然わからない。

 ずっとファンをやっているのに、そんなこともわからないなんて。他のファンの人よりも『Bedeutung』のことを知っているなんてうぬぼれていたけど、メンバーの人間性とか、MCとか、雑誌のインタビュー記事で読んだことぐらいしか知らなかった。メールでどうこうなんてかけらもわからない。

 まだまだだなー、なんて送信完了の文字が浮かんでいる画面をじっと見つめながら考える。

 これから仕事、って言っていたからすぐには返信は帰ってこないだろう。それでも、すぐに返信が来るんじゃないかと期待して画面をを思わず睨んでしまう。変化のない画面に、返信を期待してドキドキする私の心臓。

 なんか、好きな人にメールを送った女の子みたい、なんて自分で思って、いや、似たようなもんかと思い直す。

 ずっとファンだった憧れの人にメールを送ったのだ。ドキドキくらいするだろうし、不安にだって思うだろう。……思うよね? 思うはずだ。

 そう自分に言い聞かせて、とりあえずスマホから目を離す。返事がいつ帰ってくるのかものすごーく気になるところではあるが、いつまでも変化のない画面を見つめていたってどうにもならない。

 夏休みを満喫するためにも課題は早めに終わらせた方がいいだろう。

 私は学校の鞄から今日もらった課題を取り出して勉強机に広げた。進学校というほどでもない学校だから、課題の量はそこそこだ。去年バリバリの進学校に進んだ友達の課題を見せてもらったが、私にはとてもじゃないが夏休み中には終わりそうにない量だった。ご愁傷さま、と両手を合わせておいた。その友達は今年も全員強制参加の補習と課題で夏休みを消化していくのだろう。

 そんな益体もないことを考えながら私は課題を進めていった。スマホは気になって集中できなくなるから、あえてベッドの上に放って目につかないようにしてきた。






「とりあえずこんなもんかな」

 なんて独り言を呟いて、いったん課題を進める手を止めた。五分の一ないくらいは進めたと思うけど、どうだろうか。まあ、まだ夏休み始まってないしこんなもんでしょ。

 なんて内心でひとりごちて、課題を閉じる。ここで机の上から片付けてしまうとめんどくさがってやらなくなってしまうので、完全に片づけたりはしない。私は、どちらかというと面倒くさがりなのだ。

 んー、と伸びをして体のコリをほぐした後、ベッドの上のスマホを手に取る。藤原さんからの返信に期待してのことだったけど、残念ながらまだ返信は無いようだった。

 メールは読んでくれたかな? そもそも気づいてるかな? 気づいたうえで無視とかしてないよね? そうだったら悲しすぎるんですけど。

 ネガティブな思考が一瞬湧き上がるけど、それを「忙しいから返信できてないだけ」となんとか切り捨てて、スマホを操作する。

 藤原さんからの返信はまだだったけど、爽子からのメッセージが着ていた。


『藤原さんにちゃんと一緒に海に行こうってお誘いの連絡した?』


 そのメッセージに『まだ。とりあえずお願いしたいことがあるって送った。それから返信着てないから、今お仕事で忙しいんじゃないかな』 と返した。

 すぐに爽子から『結果がわかったら教えてね』という返信が返ってくる。それに返事を返していると、お母さんが「ごはんよー」と呼ぶ声が下から響いてきた。私は「はーい!」と返事をして、スマホを手に持ったままご飯を食べるためにダイニングへと向かった。






 藤原さんから返信が返ってきたのは、ご飯を食べてしばらくした後だった。リビングでテレビを見ながらごろごろしていると、不意にスマホが独特のパターンで震えた。メールの受信の時のバイブレーションだ。

 なんだろうと思って画面を見ると、藤原大洋の文字。慌ててスマホを操作してメール画面を起動する。私の慌てようにびっくりしたお母さんが「どうしたの?」なんて声をかけてきたから、私は「なんでもない!」とだけ返事をして自分の部屋に向かった。

 リビングにいると自分の百面相を見られてしまう気がして嫌だったのだ。いや、百面相するなんて決まったわけではないけど。決まったわけではないけど!

 自分の部屋に戻ってベッドにダイブする。それから起動したメール画面を改めて確認した。


『連絡ありがとねー。俺にできることだったらできる限り協力するよ』


 シンプルな文面で、そう書いてあった。

 それを見つめながら、思わず顔がにやついてしまう。できる限り協力するって! ってことはつまり海に着いてきてくれるかもしれないってこと? ほんとに?

 私はうれしくて震えそうになる手で返信を打つ。あんだけ迷惑がかかるとかなんとか言っていたくせに、もしかしたら来てくれるかも、なんてことになった途端これだ。自分で自分に呆れそうになるけど、うれしいものはうれしいのだから仕方ない。

 本人にはどうしようもないことだってあるのだ。うん。どうしようもない。


『今日一緒にいた爽子って子と一緒に海に行くって話をしてるんです。それで、誰か大人の人に付き添いをしてもらおうと思っていて……私たち二人だけで行くのは少し危ないかなーなんて。……だめですか?』


 そうポチポチと打って、間違いがないかを確認してから送信する。今回も絵文字やらなんやらは使わなかった。藤原さんが使っていなかったから、使わなくていいかと思ったのだ。

 今度は比較的早く返信が来た。というか、何故かメールではなくSNSアプリの方で返信が来た。


『付き添い自体は構わないけど、時期によるかな。夏はライブとか入ってる日もあってどうしても空けれないって日があるから。あと、メールだといちいちめんどくさいから今度からこっちでいいよ』


 ライブのある日は知っている。そりゃもちろんファンですから、チケットの予約だって済んでいる。でも、実際そのライブのためにどれくらい前から準備してどれくらい事後処理とかも含めて時間がかかるかなんてことは知らない。当然リハーサルとかあるし一日で終わるとは思ってなかったけど、うーん……。

 まあ、ライブの前後とかは避けて入れれば、なんとか行ける、かな?

 ていうか、言われるまで忘れてたけど海に行く日付決めてなかったな。爽子に連絡取らなきゃ。

 アプリの方で連絡を入れる。やっぱりメールはめんどくさいらしい。いや、私も内心思ってたんだけどさ……それでも人に見られたらーとか考えてたのに。藤原さんってこういうことのガード甘くない? それとも、こういうのが普通なのかな。芸能人の知り合いとかいないしよくわかんない。


『日付決めてなかったので爽子と決めます。やっぱりライブの前後とかは空けといたほうがいいですよね?』

『そだねー。そうしてくれると行ける確率上がるかも。ってか、行ける日教えた方が早いか。予定確認するからちょっと待ってて』


 わざわざ私たちのために予定確認してくれるの? いくらお礼とはいえ、なんか申し訳ないような。

 いや、さっきまで迷惑かけたくない、とか他の人に見られたら、とかいろいろ考えたのに全部たいしたことないように振る舞ってきたのは藤原さんの方なのだ。ということは、あんまりそういうことは気にしなくていいのかもしれない。少なくとも私が思っているよりは藤原さんは気にしていないみたいだし。

 わざわざ藤原さんが予定を確認してくれるのだから、私もちゃんと爽子の予定とか聞いとかなきゃ。爽子にだって絶対に無理な日だってあるだろうし、私だってお盆はお祖母ちゃんの家に行くのだから、どうしたって海には行けない。


『夏休み空いてない日ってある?』


 すぐに返信。


『お盆以外なら』


 お盆以外なら空いているってことだろう。まあ、まだ夏休み始まってもいないのだから、今から予定がびっしりなんてことはないだろうし。


『藤原さんが予定確認して空いてる日教えてくれるって。藤原さんにあわせていい?』

『もち。いつでもいいよ!』


 とやり取りしていると、新着メッセージ。藤原さんからのだ。


『八月の一日から三日とかならなんか急にイベントとか入らない限りは行けると思う』


 八月の一日から三日か……。じゃあ、その日のどれかに入れればいいってことかな。

 さっそく爽子に連絡を入れる。


『八月の一日から三日だって。どの日がいい?』


 既読がついて少ししてから返信が来る。


『八月の二日とかでいいんじゃない』


 八月の二日か。まあ、私も特に予定ないしそれでいっか。


『了解。じゃあ、その日でお願いしてみる!』


 爽子にはそう返して、藤原さん宛てにメッセージを打つ。


『八月二日でお願いできますか?』


 既読がついて、しばらく。何故か返信がかえってこない。

 既読がついたということはメッセージは読んだということだろう。さっきまでは既読即返信みたいな速度だったのに。

 まあ、別にすぐに返信しなきゃいけないなんて決まりはないし、何か用事が入って返信できなくなったのかもしれない。電話とか、仕事とか。

 画面をじっと見ながらそんなことを思う。両手でスマホを握って、ベッドに腰掛ける体勢になって既に十分以上は経過している。

 うー、返信が待ち遠しい。いまだかつてここまで特定の相手からの返信が待ち遠しかったことがあっただろうか? いや、ない。

 なんて無駄に反語表現なんかしていると、ついにスマホがぶるりと震えて新着メッセージが来たことを知らせる。


「うをっ!」


 唐突に震えたスマホに変な声を上げながら、画面をタッチして新着メッセージを開く。相手はもちろん藤原さんだ。

 えっと……なんて書いてあるんだろう。


『ごめん、メンバーにメッセージのやり取り見られて、なんやかんややってた。それで、なんかメンバーもついてくるって言ってるんだけど大丈夫?』


 ……え? 藤原さん以外のメンバーの方も来るの?

 いや、もちろん私としては全然大丈夫というかむしろ大歓迎なんだけど、え?

 他の、ドラムの吉永祐輔さんとか、ベースの笠原翔樹かさはらしょうきさんとか、キーボードの宮國朱里みやぐにあかりさんとか、全員来るの?

 大歓迎なんだけど。むしろウェルカムというか。いやでも、実際全員に生で直接触れ合うとか私死ぬんじゃ……?

 なんて頭の中でいろんな考えとか気持ちとかがぐるぐる回る。でも頭の中に反して指の方は正直で


『もちろんOKです!』


 なんてパパッと打ってメッセージを送ってしまう。私の手は私の意思とは別に動くのだ。知らなかったでしょ? 私も今初めて知った。


『じゃあ、八月二日にメンバー全員で行くね。車もこっちで出すから、駅で爽子ちゃんと一緒に待っててくれる?』


 メッセージがすぐに返ってくる。どうやら八月二日に『Bedeutung』のメンバーと爽子と一緒に海に行くらしい。誰が? 私がだ。


『了解しました!』


 それから、半ば無意識のうちに当日の予定を詰めていく。何時に駅に行くだとか、お昼ご飯はどうするだとか、何時に帰るだとか、持ち物とか。

 全部が決まったころにはもう日付をまたぎそうな時刻になっていた。そこまで時間をかけて決めたことで私が理解していることは、大ファンの『Bedeutung』のと一緒に海に行くってことだけだ。

 もしかして夢なんじゃないか? なんて思考がよぎる。この数日でなんかおかしなこと起こってない? みたいな。藤原さん踏んずけたあたりから何かがおかしい。

 やり取りの終わったスマホを置いてフラフラーとお風呂に行く。たっぷり時間をかけてお風呂に浸かって部屋に戻ったころには日付を大きくまたいだ後で、気になってもう一度スマホを手に取る。

 もう一度アプリを起動してさっきまでのやり取りを見返す。そこにはまぎれもなくさっきまで決めていた海の予定のやり取りが残っていて、さっきまでのことが夢でもなんでもないことが理解できた。

 その途端、胸の内から嬉しさやらワクワクやら喜びやらいろいろな感情が湧いてきた。


「――やったぁー!!」


 思わず叫んだら、リビングから「うるさいよ!」と叫び返された。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る