藤原さんの連絡先

「ふ、踏んだのはたまたまです! たまたま暗くて足元が見えてなかっただけで! 普段は人なんて踏みません!」


 そう必死になって否定する。身振り手振りを交えて、二人にしっかり伝わるように!


「誰も普段の話なんてしてないんだけどー」


 なんて、爽子に言われても構うものか。今はせっかく爽子には黙っていた恥ずかしい出来事があこがれの人にさらっと暴露されて混乱していて、それどころではないのだ。

 ああもう恥ずかしい!


「まあ、まあ。ごめんねー? でも、なんだか踏まれたとき気持ちよかったような――」

「そんな性癖こんなところで言わないでください!」

「えー? 普段凝ってるところにたまたま当たって気持ちよかったって話なんだけど?」


 なんて、藤原さんがニヤニヤしながら言ってくるものだから、私はもうテンパってしまって頭が真っ白になってしまった。爽子もなんだか便乗してニヤニヤしてるし、なんなの、もう!


「それで、結局何を教えてもらえたかもって話してたわけ? ちょっと興味あるんだけど」


 なんて、藤原さんが自分のスマホをポケットから取り出しながら聞いてきた。その言葉に、テンパっていた私はとっさに何も言えずに黙り込んでしまう。

 そこに、爽子がすかさずさっきのことを口にした。


「いやぁ、さっき楓からこの間のこと聞いたんですけど、その時になんで藤原さんとか、他の『Bedeutung』のメンバーの連絡先聞かなかったの? って。もしかしたら教えてもらえるかもしれないじゃんって話を……って、こんな話本人にするのちょっと迷惑だったり?」


 迷惑だったり? なんて言いながら爽子の顔は相変わらずニヤニヤしていて、この状況を楽しんでいることがわかる。もっとも、肝心の私は楽しむ余裕なんて全くないんだけど。

 爽子は、物おじしなさすぎるというか、さっきから藤原さんに対して失礼が過ぎるのでは? なんて頭の隅でぼんやりと考える。


「いや、そんな! 教えてもらおうなんて思ってませんから! 勘違いしないでください!」


 勘違いしないでください! とかなんか高飛車なような、失礼極まりない言い方なような……。

 もう、混乱しすぎて頭がぐわんぐわんしてきた気がする。


「へぇ、そうなんだ。俺のファンにしては珍しいこと言うんだねー。他のファンの女の子なんて我先にと俺の連絡先知りたがるのに」

「あー、そんな感じします。藤原さんかっこいいですもんね!」


 なんて、爽子が藤原さんの話にうなずいている。

 みんな、藤原さんの連絡先を知りたがるんだ。まあ、確かに藤原さんはかっこいいし、人気急上昇中のバンドのギターボーカルだし、そうなのかもしれない。

 でも、私は連絡先を自分から聞く気なんてなかった。これは本当だ。私みたいな一ファンが聞いたところで教えてくれるとも思えないし、何より特定の個人に連絡先を教えるということがどういうことを意味するかとか、そういうことを考えると、とてもではないが聞く気になれなかった。

 本音を言えばもちろん教えてもらえればラッキーくらいには思っていたりする。私だって伊達に長年『Bedeutung』のファンをやっていないのだ。


「とにかく! 私は自分から連絡先を聞こうなんて思ってませんから! 爽子も、それでいい!?」


 そう宣言する私に、爽子は「えー! つまんなーい!」なんて言っているが、無視だ無視。いつまでもこの話題を続けているとなんか変な感じになりそうだし、あんまり騒いでいると藤原さんの存在に気付いた他のファンが騒ぎ立ててしまうかもしれない。人気急上昇中ということは、すごく人気で有名である、というわけではないとはいえ、このハンバーガーショップに他に『Bedeutung』のことを知っている人がいないとは限らないのだ。

 そんなこんなで、その話題を終わらせようとした私に、隣の藤原さんが行動を起こした。

 テーブルの上に出したままにしていた私のスマホを手に取り、


「つまり、自分から聞くんじゃなかったら俺の連絡先を知ってもいいってことだよね」


 なんて言いながら、SNSアプリを起動させて、勝手に友達登録した後、連絡先も開いてメールアドレスと電話番号を登録してしまった。


「ちょっと! なにしてるんですか!?」

「なにって、ナニだけど」

「そういう下ネタはいいんです!」


 え? え? なにこれ、どういうこと? なんで藤原さんが私のスマホに連絡先を勝手に入れてるわけ?

 爽子は向かいの席で笑ってるだけだし。どうなってるの、これ。


「はい、これ。俺の連絡先入れといたから。いつでも連絡していいよー」

「え、あ、の!?」


 なんて言いながら藤原さんは私にスマホを渡してきた。慌てて受け取って、素早く中身を確認する。

 SNSアプリには藤原さんが登録されていて、連絡先にもアドレスと電話番号がきっちり入っていた。


「よかったね、楓!」


 爽子が自分のことのようにはしゃいでいる。

 もう、よくわかんない。なんで?


「なんで連絡先を……?」


 震える声で藤原さんに聞く。いや、確かに聞けたらラッキーみたいには思ってたけど! でもいろいろ問題があるって思ってたのも本当で、だから今の状況に脳が追い付かないというか、なんというか。とにかく、混乱に拍車がかかったというか。

 そんな私の様子なんか気にした風もなく、藤原さんはスマホをしまいながら言った。


「楓ちゃんのこと気に入ったから、かな」

「き、気に――!?」


 そ、それはどういう意味ででしょうか!? ファンとして!? それとも、何かほかに!?


「なーんて! まあ、この間のお礼みたいなものだと思って。お返ししたいから、何かあったら連絡してよ」

「は、はいっ! ……って、お礼?」


 この間のお礼……。そっか、それなら、まあ、何とか納得できるような……?

 そんな風に思っていると、藤原さんはハンバーガーを食べ終え、ジュースを一気に飲み干してしまう。ごみを全部トレーの上に乗せた。


「じゃあ、俺この後仕事あるから。連絡は、ほんといつでもいいからね。俺にできる範囲で何かお礼させてもらうよ」


 じゃあね、なんて言ってトレーを持って行ってしまう。藤原さん。反射的にありがとうございます、なんて言ってしまったけど、これ私がお礼言う必要ある? まあ、いっか。

「ほんとに連絡先もらえちゃったねー楓。やっぱ何でも言ってみるもんだね」


 爽子は向かいの席でそんなことを口にしながら、途中だったハンバーガーを食べる作業に戻った。

 私はといえば――


「……え、なにこれ。なんでこうなったわけ?」


 と、いまだに事態を受け入れられずにいた。

 もう一度スマホを確認する。そこには、間違いようもなく「藤原大洋」の文字が。ついでに、アドレスと電話番号も。

 思いがけずに、連絡先が転がり込んできた。うん、まさに転がり込んできたのだ。


「で、いつ連絡するの?」

「うぇ!? れ、れれれ連絡!? 連絡なんて、し、しないよ!」

「えー、なんで? いつでもいいって言ってたじゃん。しなきゃ損だよ」

「め、迷惑でしょ、私みたいなのから連絡はいるなんて。しかも内容は、この間のお礼に何かして―みたいなのになるわけでしょ? 無理無理! 絶対無理!」

「あんまり連絡しないと、しびれを切らして向こうからくるかも」

「ありえないでしょ、それは」


 だんだん冷静になってきた。藤原さんが登場してからはほとんどずっと混乱していたけど、今ならもう少しちゃんと考えられる。ような気がする。

 つまり、思いがけず連絡先は手に入っちゃったけど、連絡を取らなければいいのだ。そうすれば向こうも私のことなんていずれ忘れてしまうだろう。それはそれで悲しいけど。

 私は、藤原さんに迷惑をかけたくないのだ。


「迷惑かけたくないの」


 と、爽子に口に出して伝える。すると、爽子はすこーしだけ、いやほんとに少しだけ真面目な顔になった。


「迷惑かけたくないなんて言って、連絡する勇気がないだけでしょ? ちょっと、そういうところあるよね楓って。もっとぐいぐいいかないと」


 爽子に言われて、ドキッとする。確かに、私は自分から連絡する勇気がなかったのかもしれない。

 普通に考えたら、あこがれの人と仲良くなる大チャンスなのだ。人によっては、私なんか目じゃないくらいぐいぐいいく人だっているだろう。

 そんな感じで悩んでいる私に、爽子は名案を思い付いた! とばかりに私に提案してきた。


「そうだ、楓。海行こうって話してたじゃん? あれの付き添い、さっきの藤原さんに頼んでみたら?」


 海に行くときの付き添いを藤原さんに……? 引き締まった体の水着姿の藤原さんを想像する。水に濡れて、普段は少しパーマがかかっている黒髪がストレートになっている。日に焼けて小麦色になった肌で、海で遊ぶ姿。そこで私に向かって「楓ちゃん、一緒に遊ぼうよ」なんて――


「む、無理無理! そんなの、無理だって!」

「もー、楓、さっきから無理しか言ってないよ?」

「いや、だってそんなの!」

「いいじゃん。連絡先だってゲットできたんだし、付き添いだってしてくれるかも。頼んでみるだけ頼んでみようよ。何か減るもんでもないし」

「私の精神的な何かが減るの!」

「なにそれ。MPてきな?」


 なんて言いながら、さらに海での藤原さんとのことを考える。実際、どうなんだろう。頼んだら来てくれるのかな? いや、無理だよね。今が一番忙しい時期だろうし。デビューしたての大事な時期だ。

 そ、それに、万が一来てくれるってことになったら……わ、私の水着姿もみられるってことだよね? 藤原さんに見せられるようなスタイルしてないよぉ!


「ま、無理にとは言わないけどさ。けど、せっかくの夏休みだし。思い出作る努力してもいいんじゃない? 罰なんて当たったりしないよ」

「そりゃ、そうかもしれないけどさ」

「海で藤原さんと急接近! なんてことにも」

「それはないでしょ」

「ですよねー」


 なんて会話をしながら、私は海に藤原さんを誘うことを頭の中で考えていた。

 口ではあんなことを言いながら、結局どうやって誘おうかなんて考えてるあたり、私って結構むっつりだったのかも……? いや、そんなはずは!

 ハンバーガーを食べていた残りの時間、私はそんな感じのことをずっと考えていた。

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