踏んずけてしまってごめんなさい
ライブが終わって、私は一人会場の近くのファミレスに入って少し遅めの夕ご飯を食べていた。
チェーン店特有というか、どこにでもありそうな味のカルボナーラ。いいところはいつでも同じ味が食べられるところ。悪いところは値段の割にあんまり美味しいと感じられないところ。でも、まあ一人で黙々と食べる分には特に不満はない。
一人でライブに行くようになってから、ライブの終わった後はいつも一人でご飯を食べていた。
ライブの余韻に浸りたいとか、そんな感傷的なものじゃないけど。特に理由なんてなくて、なんとなく一人で食べたくなるのだ。うん。そういうものなのだ。
パスタを食べ終えて、母親に『今から帰る』とだけ連絡を入れる。日付をまたぐ前には帰れるだろう。行きは混雑していたけど、帰りは少し時間帯を外しているから、まあそうでもない。
私はまたバスに乗って、電車に乗る。ガタゴト揺られて、地元の最寄り駅につく。ここから家まで自転車で一五分くらい。遠くもなく近くもないといった微妙な距離だ。
駅に併設してある立体型の駐輪場に向かう。歩きながら鞄から自転車の鍵を探り当てる。時刻は一一時を少し回ったあたりだったけど、駅前は相変わらず喧騒としていた。飲み会終わりの酔っぱらいのおじさんとか、サラリーマンとか、OLさんとか。他にも大学生らしき人もいたりして。まあ、金曜日だしみんな明日が休みで羽目を外したくなるんだろう。気持ちはわかる。
そんな益体もないことを考えながら駐輪場の入り口に差し掛かったところで何かを踏んずけた。グニィと柔らかい感触というか、でもその中に固い感触が混じっていて、なんかこう、人か何かを踏んだような感触というか――
「痛い痛い! ちょ、許して!?」
「ご、ごめんなさい!?」
踏んずけた何かから慌てて足をどかす。それから下を見ると、男性が倒れていた。というか、寝そべっていた。
二十代半ばくらいの年齢に見える。薄手のTシャツと、よれよれのジーンズ。少しパーマがかかったような黒髪。横から見える顔は、赤みがかっていた。酔っぱらいである。お酒臭いし。
なんか、謝ったのがあほらしくなるような見事な酔っ払いというか、「若い女の子に踏まれちゃったぁ」とかニヤニヤしながら言うもんだから、ほんとに呆れるしかないというか。
私はその場を早々に後にしようとして、何か引っかかる思いがして、もう一度だけ酔っぱらいの顔を見た。何か、どこかで見たような顔だった気がしたのだ。着ている服装も、それに拍車をかける。
どこで見たんだったか。それを思い出すようにしながら顔を覗き込んで――
「あぁ!」
そこで私は声を上げた。
「んー? なんだぁ?」
そう言ってごろんとあお向けになった男性の顔は。
「な、なんでこんなところに……!」
「そりゃあねぇー? すぐそこの飲み屋で飲んでたからだよぉー」
今日私がじっと見つめていた。
「ふじゅわら大洋さん!?」
「あ、噛んだ。かわいいねぇー」
大ファンの人の前で噛むとか、死にたい。
とりあえず、夏とはいえこんなところで寝ていたら風邪をひく。いや、ひかないかもしれないけど、体調は悪くなるだろう。
だからそれを言い訳に、藤原さんの介抱をする。介抱といっても、さっき連絡を入れてもらったメンバーの方が来るまで、藤原さんがさっきみたいに寝そべったりしないように相手をするだけなんだけど。それだけでも、私は幸せだ。
私は『Bedeutung』の中でも、特にギターボーカルのこの藤原さんの大ファンだ。かっこいいっていうのももちろんあるけど、でも一番は、この人が一番メンバーの中で何かを伝えようと必死になっていると感じられるからだ。
まあ、でも今の酔っ払った状態だと、そんなものはみじんも感じられないけど。とても残念である。
「だからねぇ、俺たちも大変なのよぉ。ほんと、なぁんでデビューなんてしちゃったんだろうねぇ」
「でも、人気じゃないですか。人気が出るの嫌なんですか?」
「嫌じゃないよぉ。でもぉ、もともと人気のために始めたわけじゃないしねぇ」
「そうなんですか! 初めて知りました!」
「人に喋ったの初めてかもしれないなぁ」
なんて会話を、さっきから三回くらい繰り返している。完全に酔っぱらいのダメ人間だ。前後不覚で、ステージのあのカッコよさはごみ焼却場で焼いてきてしまったらしい。「人に喋ったの初めてかも」とか言っていたけど、この調子だとたぶん始めてじゃないだろう。そこら中の人に言ってそうだ。
……ん? でも、今まで私ですらそんなの知らなかったんだから、ほんとに初めてかも? いや、雑誌とかに喋ってないだけで、プライベートでは結構喋っているんだろう。ここで私に三回も喋ってるくらいだし。
そうこうしているときに、藤原さんのスマホが鳴る。「もうすぐ着く」というメンバーの方からの連絡だった。
「ほら、もうすぐ吉永さん来てくださるって! しっかりしてください!」
「裕ちゃん来るのぉ? また怒られちゃうなぁ」
そうぼやきながら、何とか立ち上がる藤原さん。けど、立ち上がったはいいけど結構ふらふらしていて、今にもまた倒れそうな雰囲気だ。だから、私は失礼かなーとか、他のファンの子に殺されちゃうなーとか思いながらも、藤原さんの体を支えてあげた。
密着すると、お酒の匂いと、藤原さん独特の匂いと、少しだけ煙草の匂いがした。
煙草なんて吸うんだ――なんて思っていると、上から問いかけが降ってきた。
「なぁ、もしかしたらの話なんだけどさぁ」
「ん? なんですか?」
「世界が狂っていて自分が正常だと思っていたのに、実はその逆で、世界が正常で自分が狂っていたとしたときさぁ、君ならどうする?」
よく意味の分からない問いかけだった。しかも、何故か酔いであんまり回っていなかった呂律が少しだけしっかりしている。けれども、酔っぱらいだし、質問の意味が分からないのもそうなのだから、私は少しだけ考えて、やっぱり適当に答えることにした。
「自分は狂っていないって主張するとか、引きこもって自分の殻に閉じこもるとか。あとは――」
「あとは?」
「絶望して自ら死ぬか、ですかね」
そう答えると、藤原さんはその細い目を見開いて、息をのんだ。とても驚いているようだった。
今の返答に、何をそんなに驚くところがあったのだろうか。やっぱり、自殺とか言っちゃったのが、ひかれたのかな。あぁ、自殺なんて思っても言わなきゃよかった!
そんな風に少し後悔していると、藤原さんは突然笑った。笑って、涙が出るくらい笑って、それから私の頭を何故か乱暴に撫でてきた。
「今まで君の名前聞いてなかったけど、なんていうの?」
突然撫でられて、突然名前を聞かれて、私は混乱した。
混乱した頭で、私は何とか自分の名前をひり出した。両親につけてもらった、私の名前。
「私の名前は、楓です。
「そう。楓ちゃんね。ありがとね」
それから少しして。メンバーでドラムの
吉永さんは私に何度も頭を下げて、「家まで送るよ」なんて言ってくれたけど、私はそれを断腸の思いで断って一人で家路についた。駅前で少しの間一緒にいるだけ、とかならともかく、家まで来ているところをもしパパラッチなんかに撮られたらせっかくの人気が落ちてしまう。それはバンドにとってとても致命的なものになるかもしれないし、そんなことになったら私は自分が許せなくなってしまうだろう。
まあ、もうこうしてプライベートで会うこともないだろうし、とても貴重で夢みたいな体験ができたと思って、一人で妄想にでも耽っていよう。一人で脳内で妄想するくらい許されるだろう。
妄想の中では私と藤原さんがあんな関係とかこんな関係になって――なんて、妄想しながら、少し日をまたいでしまった我が家に到着して、お風呂に入ってその日は寝たのだった。なんだかすごく疲れたけど、それ以上にとても素敵なことがあった一日だった。できれば、藤原さんとは酔ってない状態で話したかったけど。
「で、あんなところで酔っ払って、若い女の子捕まえて何してたわけ?」
「いやぁ、今日のライブの成功を祝って一人で二次会してたら、思ったよりもお酒が進んじゃって。申し訳ない。あと、あの子は僕が捕まえたんじゃないよ。どっちかっていうと、僕が捕まったというか。ていうか踏まれた」
「ちょっと何言ってるかわかんない」
「あ、あとねぇ、あの子。福本楓ちゃんっていうんだけど」
「なにちゃっかり名前まで聞いてんの?」
「なんか、あいつと似た何かを感じるよ」
「……それ、本当に?」
「――質問。質問したんだ」
「質問って、あれ?」
「うん。それで」
「あいつと同じ返答がかえってきた、とか?」
「うん」
「……それ、ほんと?」
「このことで、僕はうそをつかないよ。そうだろ?」
「……だな。それで? あの子をどうするの?」
「なんか犯罪みたいな言い回しだなぁ。どうもしないよ。あいつと楓ちゃんは別人だし」
「そうか。……ま、お前が言うんならそうしようか」
「そうしよう」
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